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旅するCARUROS今日も征く!

日々の出来事・感想を表示。皆さんの意見・励ましをもらえ、人と人との繋がりが深められるキッカケになればとっても嬉しいです。

先人の生き様に学ぶ。

2015年07月18日 06時19分04秒 | ⑮読書&映画(所感)

   昨夜は、大連最後の市長「別宮秀夫」
時代社会の荒波に時に抗い、時に翻弄されながらも生き抜いた多くの先人の生き様に学ぶ。 風雲急を告げるアジアにおいて列強各国との激動の時代を古武士の如く生き抜き、己の意志とは違う国家の施策と方向性に苦悶しながらも中国民衆へ胸襟を開き生き抜いた人物であったとか。(中国の有力者から5賢人として顕彰されている。) まだまだ知らぬ偉大な先人が多々おれれることに己の無学を恥じる思いである。

 今朝は4:00猫の声に起こされ、その後寝付かれず4:30起床。
外は、曇り(パラツキそうな雲ゆき)。
東京対応も新たに飛び込み、今日の天候同様にブルーな感じ!
08:30「井原山散策ルート事前調査」前原集合~井原山へ!
16:00「MJ会議」(上期総括、下期検討&NPO法人化調整会議)
18:30「キッズライダーカップ等諸事業・意見交換&懇親会」

 為すべき事は、多々有り。 あれこれと留まって悩んどる暇無し!
一つ一つを着実に、迅速に、細心の配慮を持って挑まねばならない。

只管に、前へ、前へ、と進みゆくのみ。
“いざや前進、恐れ無く”・・・師の言葉が胸にささる。


侠客・幡随院長兵衛の江戸社会を彷徨う。

2015年07月13日 08時37分11秒 | ⑮読書&映画(所感)

「侠客」 池波正太郎:著作

  日本の侠客元祖とも言われる【幡随院長兵衛】が唐津と関わりがあるとは、全く知らんかった。
佐賀県東松浦郡相知町久保地区の生まれで、JR肥前久保駅傍には「長兵衛公園」&「記念碑」も有るとか。
唐津藩主の子孫の小笠原長生公の題字による高さ6.3m、台座2.1m、石垣含め地上15mの記念碑は、昭和14年除幕式が有り、横綱・双葉山による幕の綱引き式典と記念興行も開催されたんだって。

  幡随院長兵衛(1614~1650)、大河野(現佐賀県伊万里市大川野)城主・鶴田因幡守勝の家臣・塚本伊識の子として慶長19年、相知町久保で生まれ、幼名:伊太郎。
父に伴って江戸へ向かい(下関にて父は病没)神田山幡随院に身を寄せ、後に幡随院長兵衛と名乗る。
やがて江戸侠客の総元締めで庶民の英雄ともてはやされ、その生き様は江戸の華と呼ばれ、「人は一代、名は末代」の有名なセリフで歌舞伎公演もなされている。

  水野十郎左衛門(旗本奴)と幡隋院長兵衛(町奴)の関わりと友情と対立とを、伊太郎の父の仇である唐津藩城主寺沢兵庫頭への仇討を背景に描かれている。 徳川幕府が武断政治から官僚的システム化へと移行する時代に、長兵衛は人足や運送業者を率いる「町奴」として人望を集めるようになり、「人いれ宿」(現在の職業安定所や人材派遣会社に準じる様な、もっと泥臭い人間関係と思いやりが感じられるシステムと言えようか?)で新しい江戸作りと庶民との関わりで、謂わば“地域創り・街づくり”に勤めている。

「火事と喧嘩は江戸の華」との言葉があるが、歴史的背景を絡み併せて、仇討から「江戸の大火(振袖火事)」等の社会不安の中、謂わば“地域の安全と安心の街づくり”に奔走しゆく「町奴頭」長兵衛。
後の時代になるが「町火消し」と旗本・大名を中心とする武家社会の自営消防団「大名火消し」「定火消し」との関わりとかもTV・映画「南町奉行・大岡越前守忠相」とかで描かれている通りである。

一方で、時代社会の変革と流れに付いていけない一部の旗本奴たちは、過去の栄光だけに生きる無用の武力集団の象徴として描かれ、遂に二つの勢力の対立となって、宿命的・運命的な長兵衛の「死」へと進んでいく。

  旗本奴とは、大名に対してさえも堂々と物言い、時に喧嘩さえ惜しまぬ気迫と度胸を備え、時に権力中枢(幕閣)とも対立していた時代状況であったとか。  若いころ見ていた映画「旗本退屈男」(市川歌右衛門:主演)での『天下御免の向こう傷!』のセリフで旗本の立場ながら各藩と対立する物語を思い出させてくれる。

大きな流れで見れば、権力中枢から置き去りにされ不平不満が渦巻く「旗本奴」の捌け口が町民や町奴へと向かう。
「火事と喧嘩」の仲裁と「職業紹介&運送業」等を束ねる「町奴」。
其の対立が頂点に達し、水野十郎左衛門邸における幡随院長兵衛の暗殺へと悲劇的な結末で終了する。
当時の庶民の暮らしと旗本達の置かれた時代社会の状況が目に浮かぶ様に描かれ、スピード感もあって面白く、ハマって一気に読了してしまった。

   イヤァ~オモロカッタなぁ~。
今度、相知町「見返りの滝」や「温泉」とかに行った時、訪ねてみよう~っと!

 


「蒙古の槍」 に肥前・鷹島を想う!

2015年07月08日 22時38分51秒 | ⑮読書&映画(所感)

『蒙古の槍 / 白石一郎』  読了。

 肥前鷹島での漁師と孫と当時の武士とモンゴル兵との関わりをベースにしながら、実際に行われていたであろう悲惨な戦いの状況を描き、孫を殺された恨みと憤りと、その恩讐を超えようとする人の命の尊っとさを最後に暗示するかの様に物語は終わる。

 その他、瀬戸内海や小笠原などの小島と海峡にまつわる七つの短編集である。
時代とそれぞれの地域・風土の中で、時に翻弄されながらも生き抜く男の心理と生き様を描いている様に思える。

 弘安の役での多数の艦船が神風台風により沈む鷹島沖。
若き頃、未だ幼かった子ども達と共に、キャンプで訪れた事があった。
どこまでも静かで、透き通った海と、岩肌に打ち寄せて砕け散る白波の音だけが、今も耳朶に聴こえくる様である。
又、訪れてみたいものである。

 


義に生き抜いた男・立花宗茂の生涯に学ぶ。

2015年06月26日 12時28分24秒 | ⑮読書&映画(所感)

※立花宗茂(上下二巻)童門冬二・著 読了!

 人格と器量と武勇を併せ持った宗茂。
義父の立花道雪、実父・高橋紹運の影響を受け忠義に生き抜いた男の物語である。

 秀吉や家康からも武将としてのずば抜けた器量と武勇を絶賛され、僅かの手勢での勝ち戦の連続は、鬼神の再来とまで言われたとか。 正しく、その戦略・戦術の確かさは、諸葛孔明以上の者とさえ思える戦上手である。
其れに加え、時に敵対し戦った徳川や島津等の敵方からさえも惜しまれ、時に感謝される様な事跡あり。
住民からも尊敬と信望を集め、放浪の身となった浪人時代(京都・江戸での浪人生活)も忠節を尽くす家臣団に支えられてきた事例は、感動さえ与えてくれる。

名将言行録より。
 「人となり温純寛厚。徳ありて驕らず。功ありて誇らず。人を用ふる、己に由る。善に従ふ。流るるが如し。
  奸臣を遠ざけ、奢侈を禁じ、民に撫するに恩を以てし、士を励ますに、義を以てす。
  故に士、皆之が用たるを楽しめり。
  其兵を用ふるや、奇正天性に出づ、故に攻めれば必ず取り、戦へば必ず勝てり」

軍法について。
 「特別に何流の軍法を使うわけではない。常に兵士に対してえこひいきせず、慈悲を与え、国法に触れた者はその法によって対処する。
  したがって戦に臨むとみな一命をなげうって力戦してくれ、それがみな拙者の功になる。その他によい方法はない」
「大将がいかに采配をとって、ただ“進め”とか“死ね”とか言ってみても、そのような下知に従う者はいない。
  常々上は下を子のごとく情をかけ、下は上を親のように思うように人を使えば、下知をしなくとも思い通りに動くものだ」

戦略&兵の運用について。
 「例えば、かの上杉謙信公は8千程度の兵を用いて戦をするのが己に適していると言われたそうだ。
 かく言う自分は経験上2,000程度の兵数が手足の如く操れると感じたものだ。
 つまり大将の才、能力に適した兵力は大将の数だけあるという事。兵力の大小に固執するより己の武の型を見極め、それに見合った兵を揃えたほうが良い結果が得られるだろう」

 短編であったが、戦いにおける要諦を、改めて学ぶ思いであった。
寝る前の一時を過ごせ、おもろかったなぁ~。

 柳川には、何度か行ったことがあるが・・・其の行跡と人物像に初めて触れた感じである。
又、柳川に行って、立花道雪や高橋紹運、そして立花宗茂を偲びながら御堀廻りを散策してみたいものでる。
序でに御花でウナギでも食するかなぁ~。


徳川家康の生涯 「覇王の家」 読了!

2015年06月20日 23時04分00秒 | ⑮読書&映画(所感)

「覇王の家」 司馬遼太郎・作  上下二巻。

   徳川家康における生涯の生き様と、今川義元・織田信長・豊臣秀吉及び一門との関わりや、他勢力との狭間に有って権謀術数と智恵の限りを尽くしての戦略と戦術とを通じた生涯を追いつつ、時代と地域性とを浮き上がらせた評論集であり時代小説でもあった。

この小集団の地域性と於かれた歴史的環境の狭間で家康と徳川家歴代の性格とが形成され、約三百年間の体制維持を経て、遂には日本人自体の性格にさえ影響を与える結果となった。
・・・との論調があったが、一つの面白い視点で有るとも言える。

西部・尾張国(信長・秀吉)  
●濃尾平野という肥沃な農耕地に恵まれ、商業と交通がいち早く発達した地域
●先進的な功利主義社会が形成(尾張藩は派手好きで重商主義を推進。)
●新しいものを積極的に取り入れていった信長や秀吉のような柔軟なアイデアマンが多く輩出。
●織豊時代の絢爛豪華さと機能主義的で近代的な体質の元ともなった。
●開明的な尾張の兵は、利に敏く、利己主義で平気で主人を裏切る弱兵でした。

東部・三河国(家康) 
●山河多く、水の便悪く、五穀不熟国で乏しく、水はけの悪い痩せた台地が広がった地域
●或る意味、独創性は少なく、保守的な村社会の閉鎖性、新しいものへの嫌悪感、排他主義的な傾向性と、芸術への無理解、戦略性よりも情緒が優先。
●別の角度から言えば、農本主義・鎖国主義・権威主義・官僚主義・長い物には巻かれろ、お上には逆らうな!・・・との意識形成を為し、
●良く言えば、質素倹約、重農主義、共同体主義の集団となって、その後の日本人気質「勤勉・実直で、決して仲間を裏切らない!」
・・・とも言うべき日本人の反面が形づくられてきたとか?

確かに、
漁業・林業・農業・商業の夫々を生業とする地域住民の間には、永年の間に培われ育まれてきた生活習慣や生き様、生き方さえ違ってくるのは、已むを得ないことであろう。
其れ程、地域環境が人々へ与える影響は大きいとも言えるし、地域集団の中で生きていくと決めた人々にとっては、新しき発想は、有る意味、時に邪魔にさえなるのかもしれない。 

人々の生き方・考え方で、地域の生活環境が、殺伐としたものになったり、互いを労わりあい、助け合って生きて行くのが当たり前になったりする事も歴史の狭間と地域文化の歴史に学ぶことができる。

自然と環境と人々との関わりとは、
主客論で言えば「依正不二」とも言えるし、主観に重点を移せば「一身一念法界に遍し」との視点も成り立つ。
何れにせよ、「意志が未来を拓く!」として進みゆく中にこそ、周りの生活習慣や地域環境さえも変革しゆく方途と展望が開けてくる様な気がするだが?

   家康とその集団における要所要所での働きと、その結果が約300年の幕藩体制を維持し、一時的にせよ「農本主義」をベースとする日本人の意識さえも形成していった過程が、ある一面から理解できる一書であった。
寝る前の一時の楽しみであったが・・・いやぁ~結構面ろかったなぁ~。 
次は、なん読も~うかなぁ~? 


海洋冒険小説「菜の花の沖」(全6巻)読了!

2015年06月09日 22時37分38秒 | ⑮読書&映画(所感)

「菜の花の沖(全6巻)」司馬 遼太郎 著 ・・・  読了! 
 箱館発展の恩人と称される淡路島出身の豪商・高田屋嘉兵衛の物語である。

 灘の酒を運ぶ樽廻船の水夫、沖船頭として勤め、後に北前船へ参入し帆船・辰悦丸(1500石積、約230トン)を建造、船持船頭として独立。
幕府との結びつきで択捉航路の開設や新規漁場開拓をし、蝦夷地定雇船頭を務め、やがて函館を基盤として薩摩の浜崎太平次、越前の銭屋五兵衛とともに三大豪商と呼ばれる程の成功を為す。

日々の寝起き・寝食を、野生の動植物から得られる狩猟生活を生業とする山村地域。 
じっくり留まり、天候に左右される食料を一年かけて育て生活の糧を得る農村地域。
板子一枚下は地獄と言われつつも天候しだいで、日々豊富な糧を得られる漁村地域。

大枠、その様な時間と空間軸を捉えつつ地域性の違いや、そこで育まれてきた言わば風土の違いさえも映像化し、可視化する様に語られている。
生活基盤である狩猟・漁業を自主運営的雰囲気で生業としていたアイヌ民族を、やがて強制労働制度へと移駆り立てる過酷な歴史をも語って進んでいく。

当時のアイヌ民族との関わりや、更に幕府やロシア政府との交渉、士農工商の身分制度における屈折と闘い。
日露間の国境紛争に巻き込まれ、ロシアに捕らわれたた後に、松前藩の捕虜となっていたゴロヴニン艦長の釈放に尽力、日露双方から感謝される民間外交にも貢献した人生。
国後・択捉の新航路を拓く為の日々は、正に冒険者であり、決断の人生でもあり、波乱万丈の船乗り・航海士・船長・商人としての言わば“冒険小説”でもあった。

その基礎となったのは、彼のパイオニア精神と情報収集能力、及び品質管理の徹底で有ったと言われる。
言わば、チャレンジ精神と情報収集力、更にその調整能力と企業経営とも言える管理能力が、ずば抜けて鋭く繊細であった点であろうか?

  私にとって、この2ケ月程、東京との心痛める折衝の日々と新規事業展開への企画と折衝の眠れぬ日々の中で、寝る前の一時、布団の中で空想とロマンに浸れる至福の一時であった。
全6巻、5月末に読了! イヤァ~面白かったぁ~。


『風雲児』 (白石一郎・著) ・・・冒険者達の物語である。

2015年03月17日 18時44分56秒 | ⑮読書&映画(所感)

3月16日(月) 『風雲児』 (白石一郎・著) 上巻読了 & 17日(火) 下巻読了。

  伊勢山田の御師だった仁左衛門は、幼馴染の長九郎(後の太田屋・長崎番頭)に出会い貿易商として長崎へ、その後、御朱印船搭乗をキッカケに台湾(高山国)~シャムのアユタヤへと渡る。

 シャム国王の厚い信頼の元、王朝の重要な地位にまで上り詰め、彼本来の性格、侠気と正義感も伴い、高砂族(台湾原住民)タカラン、シャム王国要人の娘、通訳の明国人の仲間達との出会いと別れ。 
シャムでは、ソングダム国王に気に入られ、アユタヤ日本人町の頭領と国王親衛隊隊長を兼ねる。

 当時のシャムは、西のビルマ(現ミャンマー)、東のカンボジア、安南(現ベトナム)の四方の王朝と領土争奪戦の戦国時代。 各国と欧州諸外国(スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ等)との複雑な利害関係による合従連合と対立の歴史を辿りやがて近代植民地政策へと繋がっていく。 
歴史的激動の狭間の中で、時代を生き抜いた一人の若者。  最後は、権力構造の鬩ぎ合いの中に巻き込まれ、生涯の幕を閉じるが、異国の地で地方の長(群長官か州知事に該当か?)にまでなり一時代の流れをつくった “風雲児” 山田長政の波乱万丈の物語である。

 10代の若き頃に『我、一介の風雲児たらん!』・・・ってな事を本気で日記に書いとったなぁ~。
『冒険者たち』(アラン・ドロン&リノ・ヴァンチュラ)や『明日に向かって撃て!』(ポール・ニューマン&ロバート・レッドフォード)とかにワクワクしたり・・・

20代後半時、ヨーロッパ45日間プラリ一人旅時に、リスボンでエンリケ航海王子「発見のモニュメント」の前で、大航海時代の冒険者達に思いを馳せ1時間ほど佇んで、歴史の流れに思いを馳せたりとか・・・今は、遥か昔の事までが思い出される。

"動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し" と称された謂わば奇襲戦法の高杉晋作の様な生き様とは違い、常に粘り強く、正攻法の生き方をした冒険者との感強し。

冒険者や風雲児と共に、過ごすことができた寝る前のささやかな至福の一時であった。

 


「韃靼疾風録」 アジアの歴史 “戦争と平和と交流の物語” 司馬遼太郎

2015年03月17日 18時24分13秒 | ⑮読書&映画(所感)

3月  5日  「韃靼疾風録」 (司馬遼太郎:著) 読了! 

 アジアにおける中華文明と周辺各国との戦争と平和。  民族間の争いと駆け引き。 貿易や人々との交流を通じ時代の流れに巻き込まれながらも己の生きる様を毅然と示した人生。

  平戸島に漂着した韃靼の公主(姫:アビア)と平戸藩(松浦家)に仕える桂庄助。
庄助が主命により韃靼に送り届けるも結局はそのまま居付いてしまい広大な歴史の騒動に巻き込まれつつ物語は進んでいく。

   二人の出会いから仄かな恋が芽生え、遂に結ばれるて日本に帰国するまで、朝鮮・中国・満州・モンゴルと広大な地域で繰り広げられる戦闘と謀略と人々の出会い。
当時~今日に至る迄、中華文明と南北朝鮮、モンゴル、ベトナム・カンボジア・ロシア等の力による関係性と戦略的懐柔策が、歴史の奥深く、時系列の中で未だに継続しているのでは?  ・・・とさえ思える様な民族間の駆け引きと、更に文化と文明の違いを司馬史観から垣間見ることができる。

  期末決算で追い手繰られる日々の中、チョットした合間を縫いつつも寝る前の一時を、楽しく歴史とロマンの世界に彷徨う事ができた。   上下2巻、遂に読了。 

結構おもろかったなぁ~。
次は、「風雲児」(白石一郎:著)の世界に入り込もうぉ~っと! 


「新水滸伝」を通じ、時代と社会の混濁に思いを馳せる。

2015年01月18日 23時02分02秒 | ⑮読書&映画(所感)

1月17日(土) 「新水滸伝・吉川英治」 読了。

 宋江は晁蓋や戦死した者達の供養式典を執り行う。 
その時天から一つの火の玉が降り注ぎ山の南に落下。
そこに石碑が有り、古代文字で宋江ら百八人の名が刻まれていた。
ここに百八の魔星(英雄豪傑のメンバーが不思議なる宿命と使命の下に集結。
ここで、吉川本の物語は終結する。

如何なる宿縁追いきたって、再び戦乱の時代と汚濁の社会に生まれ来ったのか? 
果たして如何なる使命を果たさんが為に、個性溢れる108人もの人物を結集させたのか?
その後の時代と社会変革への果たすべき役割と成果はいかなるものとなるか?
ワクワクしながら若き日々に拝読した事を思い出す。
その後の活躍と展開は、百二十回本を拝読してもらいたい。
できれば、若き頃何度も拝読した平凡社の3巻物をお勧めしたいものである。

 吉川本も、結構面白かったなぁ~。
人物の評価方法、価値観の違うメンバーの結集と、意識の結合を如何にすべきか!
戦術と戦略の有り様、人物の組合せと戦法、地理的、時系列的な戦いの要定とは!
人の思いもかけぬ運命と宿命と使命とは!
学ぶべき事、多々なり。


【新・水滸伝】の歴史ドラマに想う。

2014年12月31日 16時10分56秒 | ⑮読書&映画(所感)

12月26日 【新・水滸伝】
 目前の年末年始を資料作成と突合作業に追われPCとの格闘の日々が続く模様。
だがせめて寝る前の一時、読書の世界に浸りたいものである。

 早速に志摩図書館にて、【新・水滸伝】(1&2巻)吉川英治著作を借用。
北斗七星の夢を見た晁蓋は、劉唐、呉用、公孫勝、阮三兄弟の7名で義兄弟の契りを結ぶ。
官憲や中央政府高官に反感を抱く者達を中心に、百八星の石碑の如く、梁山泊に様々な人生遍歴を持った個性豊かな好漢百八人が集う。 各人物象の性格や履歴を通じて物語が展開し、其れはやがて国家権力を牛耳る高官との熾烈な戦いへと展開していく物語である。

 思えば、ISCも当初は「いとしまひらき」という任意の地域興しの団体の中で提案され立ちあがった経緯がある。 其の時、確か発起人の中心メンバーは7名だったなぁ~。 それに、H25年度の会員数:108名も不思議な一致の気がせんでもないなぁ~。

 今は、ISC中心メンバーも若干変動したものの12名+8名前後の約20名の方々が中核となって各種事業展開をしていただいている。 やがて、108名の中核メンバーが揃う時が来るんやろうか?
時に任せるのでなく、時を創り、人材を糾合しつつ、事業の水平展開を図っていかなければならない。

平凡社の「水滸伝」は、漢文詩も表示されていて、メッチャ面白く、若き頃に何度も読み返した本であった。
何十年振りかに、吉川英治著作をてにとってみることとする。 今からワクワク感は一杯やぁ~!

若き日々に学びし、革命の戦略とも言える  “時応機法の原理” そのままを実感できるドラマである。

※国芳作の『通俗水滸伝豪傑百八人』「短冥次郎阮小吾」復刻版。(WEBより借用)
 「衛州石碣村の産にして胸に豹の彫物す 性勇猛にして能水中に長く身を潜す術を得たり、梁山泊の隊軍にて金沙潭に敵船の大将を捕ふ。」の図です。
阮小吾:梁山泊の岸辺に住む漁師、阮小二・小五(吾)・小七の三兄弟のうちの次男。
官軍の船が梁山泊の討伐に来た時、小船に乗ってわざと敵の前に姿を現し、敵船を金沙潭の狭い入江に誘い、敵将を水中に引き込んで戦った勇ましい姿を描いているとの事。

マジに色鮮やかにして躍動感溢れる絵図は、物語の中に引き込まれていく一つの要因ですね!