旅するCARUROS今日も征く!

日々の出来事・感想を表示。皆さんの意見・励ましをもらえ、人と人との繋がりが深められるキッカケになればとっても嬉しいです。

ODAモニター事前説明会に参加して。 

2010年03月27日 15時26分43秒 | ⑭A.国際協力・交流・支援(エルサルバドル)

2008.07.09 記

※ODAモニター事前説明会に参加して。 

 ・7月5日(土)早朝5時起床 7時前に自宅出発。
 ・7月6日(日)13時頃迄、各種説明会&意見交換。 夕刻7時帰宅。  
●第一期メンバー 【一般:8名、教員:3名、高校生:0名】
 ①チェニジア班   7月13日(日)~20日(日)  
 ②バングラデシュ班 7月19日(土)~27日(日)
 ③エルサルバドル班 7月20日(日)~27日(日)
 ④ケニア班      7月26日(土)~8月3日(日)
●第二期メンバー 【一般:4名、教員:3名、高校生:4名】
 ⑤フィリピン     8月10日(日)~16日(土)
 ⑥タンザニア    8月16日(土)~23日(土)
 
 今回モニター総員6班(各11名)66名の中に選出され誠に幸運としか言いようが有りません。一般枠では、班によっては30~40倍だったとの事、驚異的な競争率であったと聞き及びました。希望されながら選出されなかった皆様方の分まで、真剣にモニターとしての役割・使命を果たして参りたいと思います。
 
 上記の写真は、JICA東京国際センターでの記念スナップです。
因みに、後列右から2人目の美人が、今回引率責任者:APICの浅井久味さんです。 
前列右から2人目が、同行しお世話していただいた外務省:梶本大樹さんです。
(何故か「写真」が見当たりません。)
 
 渋谷区にあるJICA東京国際センターは、緑の木々に囲まれた静かな佇まいの中に立派な使いやすい宿泊施設で、多くの外国の方々が研修に訪れてあり、国際交流(人的、文化的、技術的)の面からも充実した機能を併せ持つ建物でした。
そこで従事する多くの方々も大変親切で、気配りが行き届いた手配をしていただき、心から感謝しております。 只、当日駅の乗降りに迷い、新宿~幡ヶ谷間を、2往復。 汗を額から滴り落としながらのギリギリセーフ  でやっと受付。 急いで冷やしうどんをかきこんで・・・説明会場へ! ウワァ~、スタート開始早々アセッタ~!  コリャ~前途多難か?
 
オイラが参加するエルサルバドル班(11名)の方々と夜の懇親会にて、漸く親しく会話を交わし気軽な雰囲気に。 みんな、非常に意欲的で、前向きな方ばかりで今後の連携が非常に楽しみである。
少しでもモニター役割を果たすべく、オイラで出来る事に徹しようと思い、班分け担務を写真担当を希望。(撮影&収集&編集&配布?) 早速会議途中から撮影とインタビューを開始。

【糸島ヒマワリ田緑プロジェクト】学習会

2010年03月27日 15時24分06秒 | 時代・社会の変革

2008.07.08 記

 

NAP糸島プラザ開催! 

【糸島ヒマワリ田緑プロジェクト】学習会開催。 

 

参加者:20名(ゲスト&プラザ&報道関係者含む)で様々な角度から質疑応答。

今後の大いなる展望へ向けて活発な論議となりました。 

 

 併せて、今後のスケジュール含め厳しい中にも、希望溢れる内容であったと思います。

今後、大学関係者を含め多くの地域ボランティア団体、企業、JA、郵便局、老人クラブ、青少年育成会、学校、PTA、同窓会、ライオンズクラブ、観光協会、商工会、行政、公民館、ショップ、女性NW等々。 様々な個人&団体を含め、一つの時代・社会変革への底流を巻き興す活動へと連動できればいいなぁ~と思います。 

 

今回の取り組みに対し、私の個人的スタンスは、

    出来るかどうか? 可能かどうか? ・・・ではなく、 

    必要であるかどうか! 地域の為になるかどうか!  ・・・ である。

 

『環境が人間に試練を与える時、その「挑戦」に屈せず、たくましく「応戦」しゆく。 そこに新しい文明が生まれる。』          ・・・アーノルド・トインビー博士(歴史家)

 

『人間は自己変革する。 真に生命力にあふれた状態を維持するためには、人はその視点を何か高い目的に向けなければならない。』

 

『未来を発明する力は人類の特権である。』

 

『シンク・グローバリー & アクト・ローカリー』(地球的に考え、地域で行動せよ!)

                     ・・・ルネ・デュポス博士(ロックフェラー大学教授・科学者・思想家)

 

以上、大切な視点の一つであると思い、自分に言い聞かせる思いで列記しました。


其の時、歴史が動いた! 新たなる人材群の乱舞を目指して!

2010年03月27日 15時19分32秒 | ⑰思想・志・夢・希望(抱負)
2008.06.26 記  
其の時、歴史が動いた! 
今、始まる「糸島ヒマワリ田園プロジェクト」 ・・・ ッテカッ! 

以下、ザット思いつくままに列記。 
①世界的に環境問題、地球温暖化対策、燃料高騰化によるエネルギー問題、トウモロ
 コシに代表されるバイオエネルギーによる食料危機問題等々。(エチオピア:子ども12万人餓死の危険!ソマリア:260万人飢餓状態!ユニセフ発表)
 
②地元の各家庭では、廃油処理(使用済み天ぷら油等)に困っている方も。
 一部は、固めてごみとして。 一部は、そのまま下水路へ流されています。 ごみを燃やす燃料費も別途掛かります。⇒是を回収しディーゼルエンジンの燃料として販売する。(既に一部実施中!)
 
③菜種(菜の花)を植栽し食料&燃料として利活用する動きも一部で実施されています。
  ⇒ヒマワリの方が種も大きく、油化しての回収率がいいとの事。
  ⇒休耕田の利活用。
  ⇒ヒマワリ畑の観光資源化。
   ⇒地域住民の雇用拡大(高齢者&退職者&都市住民との連携)
   ⇒九大との連携によるバイオ化研究の更なる効率化開発(収支バランスの改善)
   ⇒地域住民・各種ボランティア団体・商工会・観光協会・各種施設・学校等々
   +行政と一体での廃油回収システムの開発。
  ⇒バイオエネルギー活用エンジン車の改善&利活用の推進。
   既に一人、ガソリンエンジン⇒ディーゼルエンジンへ乗せ換え準備中の方がいますよ。
 
要するに、ワイワイガヤガヤ様々な個人&団体を巻き込んで、糸島エリア全体の活性化と連帯の象徴として旗を掲げてみようかなぁ~と思っとります。幸いにアースブリッジさんが、先駆的に実施して有りますので・・・勉強会を数回実施し、九大・行政・ボランティアメンバーを中心として団体を立ち上げる構想です。(この構想は、今んところオイラの頭の中と、数人にだけ話しとります。)
 
適当に呼びかけやすいので、兎も角、勝手に名前を付けました。
仮称:糸島ヒマワリ田園プロジェクト ⇒ 其の時、歴史が動いた!・・・ッテカッ!
 
「年を重ねただけで人は老いない。
 理想を失う時に初めて老いがくる。
 人は、信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
 人は、自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
 希望有る限り若く 失望と共に老い朽ちる。」
     ≪サムエルウルマン “青春” の一節≫
 
時代と社会変革に立ち上がらんとする人よ!
ん? なぁ~んか、面白そうやなぁ~・・・と思う おっちゃん!
暇やけん、除きに(除いてどうすんねん!)・・・覗いてみようっと思う おばちゃん!
科学的に研究してみようかなぁ~と思うそこの 兄ちゃん!
ヒマワリで観光開発やビジネスやってみようと思うとる そこのお嬢さん!
大学の先生も、それから・・・役場で暇持て余しとる(失礼!) あんた!
各職場で仕事もメチャ忙しいのに、尚且つボランティアでも頑張っとる みなさ~ん!
皆~んな、きちゃってんしゃい! 
 
2008.06.25 記
新たなる人材群の乱舞、その結集を目指して!
 
「NPO法人 FM伊都」も漸く10月頃に発足できる目途がつき、「よか志摩フォーラム」も昨年に引き続き第2回目が終了。北原さん達女性陣の大奮闘に万感の思い有り。更に昨年に引き続き、九州大学伊都キャンパスにおける「伊都祭」も再び開催へ向けて「実行委員会」が動きだした。
 
これらの多くの場面を通じ、様々な力ある人材に接し、且つ各グループとの連携が見られる様になってきた事は、誠に嬉しい限りである。今後とも、若き学生諸君を始め、青年や多くの力あるご婦人方との連携を含む活動が大いに楽しみである。更に新現役の会に代表される様な60代前後の新たなる意欲を持って様々な事柄に取り込もうとしてある方々も又、魅力溢れる人材層である。
 
私の好きな人物の一人、吉田松陰の言葉に次の如くある。
「山は樹を以って茂り、 国は人を以って盛んなり。」
「能(あた)はざるに非(あら)ざるなり、為(な)さざるなり。」
「人は晩節(ばんせつ)を全(まっと)うするに非(あら)ざれば、何程 才知学芸ありと雖(いえど)も、亦(また) 何(なん)ぞ尊(たっと)ぶに足(た)らんや」
 
地域、国家は、所詮人によって決まる!
出来る出来ないでなく、力があるかどうかでなく、実行しようとしないだけである。
如何ほどの知識・学識・社会的地位等があったとしても、尊ぶにあらず。 要するに人生の勝負は、人生の最後の章で決まる。・・・との意か。
 
善意の人々がバラバラでなく、又寸断される事もなく、心と心の繋がりで、一つの大いなるうねりとなり、やがて時代・社会変革の底流ともなりゆく事を願うのみである。
 
戦略要諦の一つに、「一点突破・全面展開」がある。
今は、その一点をどこに絞って積上げていくか、又どの箇所を一点突破しゆくかの段階であろう。
要(かなめ)となりゆく人々の熱意を、どこに集中させるかである。
 
『要略広』の戦略の要(かなめ)が大切である。 
要するに扇の要となりゆく人材郡の結集ができるかどうかに、事の成否はある様に思える。 又、願わくば、旗印を鮮明にすべきか時か?
 
年の功とは、謂うけど・・・未だ、悩み多き今日この頃である。
色々考えるけど・・・頭混乱しそう!  
三国志でも読みながら・・・焼酎飲んで寝ようっと!
 

中国・大地震に想う!

2010年03月27日 15時15分15秒 | ⑯不合理・非条理の世界を撃つ!(政治・行政/新聞報道斜め読み)

2008.05.15 記

中国大地震に想う-2 ・・・必死の救援活動に只々一人でも多くの救済を祈るのみ。 

以下、各社ニュース等より一部抜粋。******************************************************************************************

 生存者救出“タイムリミット”の72時間が経過した現在、被災者:1000万人以上という。 

四川省でこれまで約6万人の負傷者を救助。 がれきの中から救出された人は5500人に上る。14日午後の段階で2万5000人以上が生き埋めになっていると伝えられ、軍や武装警察部隊などが夜を徹して救出活動を続けている。

 震発生から15時間近くが経過していた13日午前5時、女子中学生徒が梁(はり)の狭いすき間に挟まれているのが発見された。 現場指揮に当たる副隊長は、まず軍用のリュックサックを生徒に渡して腰にあてがい、覆いかぶさっている床板をハンマーでたたき壊し始め、頭が完全に出てくると、生徒は「おじさん、水をちょうだい」とか細い声で訴えた。 その後、一人が腰を曲げれば入るすき間をつくり、兵士が代わる代わる中に入って、手でがれきをかき出す作業を始めた。 

兵士の手袋はぼろぼろだ。 さらにジャッキで床板を持ち上げるとともにハンマーで砕く作業を続け、苦痛でうめき声を上げる生徒を兵士が抱き上げた時には地震から35時間が経過していた。

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 中国では、10万人を超える人民軍・警察・消防隊等が本格的に動き出し、且つ山岳部では、パラシュート降下部隊も投入されて、全力での取り組みが報道されていた。 中には、人民軍の一部が約100Kmの山岳地帯を徒歩で被災地域に入ったとの事。 更に温家宝首相は、新たにヘリコプター救援機80機の手配を指示との報道有り。 

 そんな中、日本のTV局における朝のニュースで、ある著名なキャスター(評論家?)が、「中国の場合なんで重機をもっと現場で動かさないのか! 日本であれば、とっくに多くの重機で瓦礫を取り除く作業が見られるであろうに。」・・・云々と。 

 果たしてそうであろうか? 神戸の大震災や関東大震災にも勝る大震災である。建物の構造上、手抜き云々もあるかも知れないが、中国の経済発展途上時に建てられた建物であり、且つ高原地帯~山岳部へ移行する地域での都市や山村での構造物(一部レンガ中心の構造物もあるとか)である。 

 300Kmの距離エリア(全九州を包み込む様な広さ)での震災とか。 若し関東・関西エリアで同じエリアで激震がおこれば、鉄筋の建物といえども倒壊ビルもあちこちで見られ、且つ木造住宅街の密集地では、多くの火災が発生すると思われる。 例えて言えば、九州全県(福岡~鹿児島)が全て崩壊した様な状況である。 とても重機をあちこちで稼動できる状況になるとは思えないのは、私一人であろうか? 

 道路も寸断され、水も電気もガスも使用不可能な状況下で必死になって、国家を挙げて救済活動を行っている中で発言すべきことであろうか? ・・・なぁ~んか、為にする発言に聞き取れチョット疑問に思えた。 

 そんな中、日本の “ 国際救助隊 ” が決定し早速派遣された事。若干遅きの感もあるが、兎も角、少しでも人命救助に繋がる事を祈るのみである。更に第二陣・第三陣と派遣を迅速に行い、一人でも救済に繋がる事を祈りたい。 

 『考えられるだけのあらゆる思考をし、頭が割れる様な思いでもう考える手立てが無いというところから更にもう一歩考えぬいていくのだ。  打てるだけの手を打って、もうこれ以上打つ手は無い! というギリギリのところから更にもう一歩、手を尽くしていく。 これを戦(いくさ)というのだ!』    ・・・とは、私が若き日に薫陶を受けた指導の一つである。 

 今、正に中国の指導者が、最大の試練の時に、苦悩しながらもあらゆる手を尽くさんと、呻吟している様に思えてならない。 この日この時、私達が為すべき事は、ニヒルに構えて批評する事では無く、各人各様の立場で出来るせめてもの声援・支援の声と真心の援助をおくる事ではないだろうか。

 今度、FM伊都の放送(17日19時~21時)でも援助支援へのご協力を、止むに止まれぬ想いで呼び掛けて参りたいと思います。 皆様のご意見とご声援・ご支援を宜しくお願い申し上げます。                                   (記:2008.05.15  23時10分) 

2008.05.13 記 

中国・大地震に想う! ・・・ 一刻早く、一人でも多く、人命の救済を! 

 四川省政府発表では、死亡者1万2000人、負傷者2万6206人、なお生き埋めとなっている者が9万4004人に上るという。 未だ情報が全く入って来ない地域もあるという。 只々、一刻も早い人命救助と被災者の救済を願わずにはいられない。

日本政府も一早く支援表明をしたが、何とか一刻も早い、迅速な救助支援対策の手が打てないかと思えてならない。 こんな時、国際(国連)救助隊なるものがあればと思えてならない。 やるべき事は明確である。  

①人命救助への支援:生命探索犬、光探索機器、その技術者を含むレスキュー隊の派遣。

②ヘリコプターを中心として食料、水、医療機器、医療支援隊、テント、衣料等の生命維持緊急機材の輸送と配置運用。

③災害対策用の重機器・機材及び災害対策用通信機器の運搬配置&運用メンバーの派遣。

④精神面、経済面を含む家庭生活基盤面での支援対策。

⑤仮設住宅と飲料・食料、衣料、寝具、児童生徒への教育基盤の確立。 

 温家宝首相は、率先垂範の対応をしているとの報道有り。「1秒早ければ一人の命を救える!」・・・正に必死の思いで周恩来総理の如く徹底した奉仕の精神と姿勢がかいま見える。

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 万一、日本で、福岡で、糸島でこの様な地震が発生した時、災害救助と情報の送受信へ防災無線に代わる運用としてFM放送やワンセグ・フルセグ&インターネット放送&アマチュア無線等が利用される事も考慮すべきであろう。 私どもFM伊都もその様な事を、今から検討すべきかも知れないと思えてならない。 

 併せて、現在の各市町村における各首脳陣、及び役場職員がここまで徹底した迅速な対応をしゆくであろうかどうか? 不安でならないのは、年寄りの単なる取り越し苦労であろうか?

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 兎も角、亡くなられた方々の冥福を祈るとともに、只々生き埋めになっているといわれる方々が、一人でも多く、一刻も早く救済される事を只々祈るのみである。(記:2008.05.13)


野次喜多珍道中・・・いざや征かなん浅草へ!

2010年03月27日 15時02分56秒 | 日記

2008.04.18 記 

※東京・浅草へN氏と二人しての珍道中パート2

花やしき様におけるミニFM工事、多くの方々の支援&声援のお陰で無事開通! 

 ミニFM放送ですので、エリアにかなりの制限があるのがネックですが、2.4GHzの中継による音声&映像放送実施の可能性を確認でき今後の各種事業へ展開できるのでは? と大いに希望を膨らませる事もでき、新たな方とも知り合いになれました。  

 いや~、浅草ってホント面白いところでした。 何でも有りで、まるで上海の路地裏を歩いている様なユニークさとお洒落でコミカルでチョット悲しげで、それでいて凄い庶民性を持ったエネルギーに溢れている感じでした。  

 福岡で例えれば、中州・横丁街+清川商店街+住吉商店街+箱崎・放生会とを、天神エリアの一角に集中させた様な感じとでも言えるかなぁ~?

  事前調査時は、Sさんの案内で、明治・大正ロマンの香りを残す神谷バーで、ブランデー+ジン+ワイン+キュラソーが混ざっているという電気ブラン(アルコール40度&30度の二種類)なる飲物に挑戦!  こんときゃ~一徹さんダウンして眠っちゃいましたが。 

 今回は赤ちょうちん村で、Nさん(九大卒)、Kさん(無線機器制作者)、Nさん(単身赴任中)達と一緒に懇談しつつホッピー(焼酎のノンアルコールビール割り)なる飲物に挑戦! ご高齢で技術の一徹さんは、顔を真っ赤にしながらもご機嫌で、愉快に挑戦しておりましたよ。 

 昼食で立ち寄った“くるくる寿司”での赤貝にはびっくり!  味も良かったけんど値段も良かった~。  でも、“くるくる寿司”店で一皿:800円って有り? 

 浅草六区ブロードウェーにはビックリと感動もの!  演芸場の他にはROCKZA(ロック座)、ストリップ、一番手前に浅草新劇場(映画館) 古い懐かしい映画で・・・なぁっなぁっなぁ~んと、小林旭と宍戸錠が! 併せて高倉健の任侠映画が3本立てで上映中! ファンにとっては、もうヨダレ物。 これを見過ごす訳にはいかんでしょうね!  其のうち、六区街の紹介ビデオ編集作成し紹介致しますんで楽しみにしていてね。

 それからオイラ、プロデューサーのKさんからあだ名を付けられました。  “妖精” ・・・とか。 あんがとさ~ん。  んっでもって、オイラの奥さんと娘から一言! 

 『なぁっなぁっなぁ~んって? それって“妖怪”の聞き間違いやなぁ~い!』 
 『あっん? あんだって? 誰が? それを言うなら “や●●” やろうもん!』       
   ・・・・・って言われましたです。 ハィ! なぁ~んか、当たっている感じで微妙に納得。
 

 聞き間違いかも・・・と思っておりましたら、数日後、歌手:安部里津子さんに紹介されまして、『こちらは福岡の方で、私が “妖精” ってあだ名している方です。』・・・と。  今度は、N氏と二人して、はっきりと聞き取りました。・・・です。  ・・・ん?  だけど ナンデヤネン? 

以下、参照くださいね。

※花やしきHP  
  
http://www.hanayashiki.net/schedule/event/hana_st/index.html
 
※「花やしき少女歌劇団」 
  
http://www.asahi.com/komimi/TKY200705110165.html
  http://www.musical-girls.com/hanayashiki-as/kagekidan/index.htm

 ⇒ FM伊都番組の≪旅するCARUROS今日も征く!≫≪子ども放送局・WAIWAI_KIDS≫等
   で、今後ご紹介予定で~す。
 

2008.01.25 記 

野次喜多珍道中・・・いざや征かなん浅草へ! 

1月21日(月)早朝4時起床。 → 5時にN氏宅へ。  

電車・飛行機を乗り継ぎ、諸準備万端整っているとは言えども、一路、久方ぶりの花の東京へ、いざやゆかなん! 不安と期待に胸は高鳴り・・・ってなぁこたぁ~無いか。 

東京事務所:S氏と打合せ後、浅草にてエグゼクティブプロデユーサーのK氏を交えて意見交換。  子ども達を中心としたイベントやダンス・ミュージカル・音楽・アナウンサー養成講座開催中。  今後、更に面白い企画と夢のある事業展開を検討されている旨、お聞きしこちらまでなぁ~んか、嬉しくなってしまいました。  

翌22日(火)朝、ホテルより歩いて駅に! ここでチョットした問題発生!  ホテルで聞いたとの事で、N氏案内で重い荷物背負ってヨッコラショ!   歩けど歩けど、直ぐと聞いた駅は見当たらず。 そこでオイラの出番、やおら天を仰ぎ、太陽を見つけ東方向を見定めて~・・・・、MAPを見直してみると。  オイッオイッオイッ~ッつーか、全然正反対の方向へ一生懸命歩いとりました。  『全然反対やん!』 『Nさぁ~ん、方向性はとんとダメやねぇ~。』 

さぁここからは、オイラの本領発揮とばかり、時間は迫るしMAP片手に急ぎ足で正しい方向にN氏を導いて・・・寒い中、少し汗をかく感じで急ぎ足! 途中二回道を尋ねて慎重な中にも急いで先鋒つかまつる~! ♪  ・・・行けども行けども、是また目的駅が見つからず・・・だんだん不安になぁって参りヤンシタ。  再度二箇所で確認。 ナッナッナァ~ント、とっくの昔に通り過ぎておりました。 それから再び引き返し・・・・無事到着。

 イヤー二人の性格そのままの股旅・珍道中のお粗末、その一節でヤンシタ。 ♪   二人して大笑い! んでもって、二人とも少々腰痛が再発! この先どうなるのやら・・・。 

23日(水)は、愛知・美濃での「調整会議」 K氏とN氏、二人して嬉しそうに昔なつかしい真空管論議。  無事技術関連を含め調整終了。 後は只管、博多へと移動。 

車中で、25日の「新春交歓会」への参加案内&確認Mailに没頭。  14名→18名へ! 翌日には、遂に30名突破する参加希望者となりました。  当日は感謝の思いを込めて、無事故で楽しい交流会にすべく準備に奔走。  二泊三日の旅は、兎も角、当初の目的を無事達成し、二人とも無事帰還。  デメタシ・デメタシでヤンシタ。


桜花爛漫の季節、今新たなる分野への挑戦!

2010年03月27日 14時55分00秒 | 不合理・非条理の世界を撃つ!

2008.04.01 

桜花爛漫の季節、今新たなる分野への挑戦!  

 桜花爛漫、草木の若芽もグングン延びて全てに進取の気概を感じる素晴らしい季節ですね。  

 さて私事ですが、この3月末日を持ちまして公民館館長を辞職致しました。
役職を持つほんの一部の方々よりやりすぎである旨の批判的ご意見も承りましたが、それにも弥増す多くの方々の激励と感謝の声に励まされ何とかこの三年間、思う存分進取の気概をもって、新規事業にも取り組む事ができました。 

 九大USIこどもプロジェクトのご協力により≪旅する絵本展≫及びPLANET-Qとの連携で≪親子科学工作教室・ロケット≫を3年連続開催。 九大留学生との交流による料理教室≪異文化交流会≫及び、地域の出演者70名を超える方々による≪芸能演武祭≫を二年間連続開催できました。 その他、九大・教授との連携で≪土曜サロン・大人の井戸端会議≫を連続9回開催。 桜野便りの内容拡充(写真報告増加によるA3見開き版)に努めると共に、新規サークルとしてパソコン教室、フラダンス教室、3B体操、卓球教室の立ち上げのサポートをする事もできました。 今後とも各種事業、及各サークルの益々の発展を心から祈っております。 各関係者の皆様、大いに楽しみながら頑張ってくださ~い。 

 地域の皆様のご協力も有り、お陰様で、『初めて公民館に来たよ!』 『何年ぶりかいなぁ~?』 『此の頃、いつもなぁんか有り様ね!』 『きやすくなったぁ~』 『こんなに使いやすい公民館なかなか無いですよ!』 ・・・とかの嬉しいお声をかえていただましたよ。 

 逆にある地元有力者?(役職関係や公僕)の方より 『あの館長なんとかできんかいなぁ~』 『なんとか辞めさせられんかいな。』 ・・・とかの声が役場役職者へ訴えられている旨、地域の方々から聞き及びました。 

 そんな中、ご理解いただいた教育委員会の方々や多くの区長さん方の支えとご助言もあって、本来一年で止める寸前だったところを、なんとか三年間も持ちこたえさせていただき、且つ全力で取り組む事ができましたこと、支援いただいた関係者の皆様方へ心から感謝申し上げます。 本当に有難う御座いました。 

 今年1月頃からは、4組のサークル等メンバーが何回か訪れ 『何とか辞めるの辞退できんと?』 とか、なんで辞めさせるとか!との 『署名運動起こすけん!』 或いは 『嘆願書作成して役場へ提出するから!』 とか、 『若手を集めてて町長と交渉しょうか?』 ・・・とか、本当に有り難いお声を直接頂戴致しました。 その都度、 『止めてください。 そのお心だけ有り難く受け止めておきますので・・・。』 と述べて今日に至りました。 

 就任当初より三年間が勝負であると心に決め、総仕上げするとの思いで取り組んで参りましたので、その意味からも何ら悔いは有りませんし調度良い潮時かなぁ~とも思っております。 

 又、一年前に県及び町より≪アンビシャス広場≫への参加要請検討依頼が有りまして、随分悩み且つ検討して参りました。 学校長始め、PTA関係者、そして多くの地域ボランティアの方々や各種各部門の指導者の方々にご相談し多くの方から是非実施すべきである旨のご返事をいただきましたが、本件を実施するゴーサインを出せば、公民館事業における稼動の逼迫は目に見えておりました。 

 そんな中 「個人的に出来るかどうか?・・・でなく、地域の為に必要であるかどうか?」 を判断基準としつつ、敢えて地域及び公民館の活性化と子ども達の成長を願って、開催へ一歩踏みきりました。 

 この間様々な批判やご意見、そして賛同の声もいただきつつ、学校関係者並びにPTA関係者の皆様を始め、多くの意識ある住民の方々の声援に支えられてなんとか激闘の一年間、全ての事業を無事故で大成功裏に終了する事ができました。 

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 大詩人:ゲーテはイタリア・フイレンツェにあって「我が故郷の為に!」「愛する祖国の自立と独立の為に!」と断固たる闘志を燃え上がらせて、故郷を支配しようとする勢力の動きに対し頑強に反対し抵抗。 しかしダンテが故郷を公務で離れた隙に政治勢力と宗教勢力が結託し事実無根の罪をでっち上げ追放したのである。後56歳の死に至るまで二度と故郷の土を踏む事はなかったという。

この経験を通じ「何故この世界では悪人がもてはやされ、我が物顔にのさばっているのか?」「一体人の世に『正義』はあるのか?」と思索。やがてフイレンツェの権力グループから「金銭を払う」等の屈辱的条件に従えば、帰国を許すとの提案がなされます。 しかしダンテは二度にわたって断固と拒絶。・・・後に彼は、詩で歌う。 

「沈黙することは、その敵に我が身を結びつける程の卑しい下劣さである。」「太陽や星や光を仰ぐことは、私にはどこにいてもできるではないか。天下至るところ、甘美なな真理について瞑想する事は私にはできるではないか。」・・・そして「傲慢な者とは最後まで戦い抜く事だ!」と決意する。

         (以上、紙上報道より一部抜粋。)

 

  元より到底、比肩すべき事でも無く、比ぶるべきも無い事であるが・・・。一先哲の事例として、我が身の自戒としつつ今後も進んでいきたいと思っております。 

「讒人(ざんにん)、世に在(あ)るは古(いにしえ)も今の如(ごと)し」(高杉晋作) 卑劣な讒言で人を陥れる人間が世にはびこるのは、昔も今も同じである。・・・とか。こそこそと裏で蠢(うごめ)き回る連中など、大いに笑い飛ばしながら、我が道を進み征くのみ!   寧ろ我が身の誉れとも思って、新たなる戦野へと決然と進んでゆく覚悟である。 

  

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  県青少年科学館、マリンワールド、ライフセービング・ミニサーフイン、銀河の世界・天体観測、創作絵本つくり、わらべ歌遊び、リズム遊び、卓球教室、料理教室、ケーキ教室、ロケット工作教室、陶芸教室、パソコン講習等々・・・多種多彩なプログラム講習:42回、フリータイム:30回、合計72回の開催で親子1,000名を超える方々の参加となり、多くの子ども達や保護者から喜びの声をいただきました。 今まで支援いただいた皆様方に対し、心から感謝申し上げます。 誠に有難う御座いました。 

 先日、予想だにしなかった子ども達による「お別れ会」をしていただきビックリ! 歌や手つくりの絵手紙を貰いました。 その後数回にわたって入れ替わりで子ども達が手紙を添えて手作りケーキ  や作品  をプレゼントに公民館を訪ねてくれました。 

『昨夜は悲しくてフトンの中で泣きました。』 ・・・とかの手紙には、頑固なヒゲオヤジも流石に泣けて  クスン! この三年間は決して無駄ではなかった。・・・との感動と感謝の思いで一杯になりました。 みんなぁ~、本当にア・リ・ガ・ト・ウ~! オイラも頑張るから、みんなも頑張ってね~!  

 この三年間、兎も角、目の前の事業に全力で取り組む事ができ、何ら悔いは有りません。 今後如何なる分野へ進むとしても、同じく地域の活性化と人材の育成へ全力で、蹲踞の姿勢を持って取り組んで参る所存です。 皆様方の変わらぬご指導とアドバイスを心からお願い申し上げます。 

 “吹かば吹け 立つなら起てよ 荒浪よ 汝の力 我と試さん。”

 “この年からは、負けるまい 恐れまい 白雪の王者 富士の如くに
           寒風も烈風も おもいっきり受けながら 毅然として 動じまい。”
 

我が恩師の詩歌に想いを託し、今後とも精進して参ります。 皆様方のご多幸を心から念じつつ感謝の言葉とさせていただきます。 誠に、誠に、有難う御座いました。  

 2008年 4月 1日  我が胸中、天空共に、一点の曇り無し! 快晴也!  

                  イヤ~、ホント、楽しかった~。 


新春に思う!

2010年03月27日 14時47分15秒 | ⑰思想・志・夢・希望(抱負)

2008.01.02 記 

新春に思う!  

N社・新聞社説「コミュニティー再生が必要だ」との論調が掲載。  

 ①社会をつなぐ信頼の糸を紡ぎ直す事から始める必要性がある事。

 ②政・官・民総なめの信頼失墜に人の関係性の劣化が見える事。

 ③「平成の大合併」で自治体財政はむしろ悪化、役所統廃合で行政サービスは低下した事。

 ④企業の使命として利益追求のみでなく従業員と地域への配慮をしゆく軸足移動の必要性。

 ⑤結論として住民主導によるコミュニティー再生へ取り組むべきである事。・・・との概要。

  私共が目指す「地域活性化」と「時代・社会を動かしゆく人材の育成」更に個人や各種団体との連携による動かざる底流の如き部分の変動を巻き起こしゆく活動。 ・・・これらも正に、地域コミュニティーの再生であり、ヒューマンネットワーク構築とその具体的運用にこそ、閉塞感を打ち破る鍵があると思われる。 

 新年のTV対談の中で誰かが引用してあった言葉に次の様なものがあった。

「行動(実行)なき理念(ミッション)は、白昼夢であり、理念(ミッション)なき行動は、悪夢である。」・・・と。 

 私共の想い(志・こころざし)が、単なる夢物語として、或いは白昼夢となって終わるのか? “夢を形に!” “意志が未来を開く!” として、どこまでも実現化を図っていけるのかどうかは、一に我々の意志の共同化と共鳴による行動に掛かっていると言って良いであろう。 

 かって米中の橋渡しや東西冷戦時代を切り開く役割を担ったキッシンジャー博士の言に、「どんな偉大な事業も、始めは、全て『夢』にすぎなかったのです。 だから必要なのは勇気です。 前人未踏の道をひとり征くには、勇気が必要なのです。」・・・とある。

 

 私が最も尊敬する方の言葉に次の如くある。『人と会わなければ、縁は広がらない。 人と語らなければ、縁は深まらない。』・・・と。 

人と人との繋がりを広め・深めゆく、その一歩一歩から主体的に事業の展開を図りつつ、ヒューマンネットワーク構築さえも強固なものとなりゆく事を信じ、この一年進みゆきたいものである。ナンチャラカンチャラ、正月の御屠蘇気分で、お酒に酔いつつの空言とならぬ様、自戒しつつ。 本年、皆様方にとって、又家族にとっても良き一年となります様、・・・兎も角ガンバ! 

 

「草莽堀起」“天下の震動はこの糸島・志摩より始まらん”・・・ッテカ!

2010年03月27日 14時03分59秒 | ⑰思想・志・夢・希望(抱負)

2007.12.02 記 

※TV討論アルビントフラーより  

1.知恵の確保と運用 『生物学、遺伝子工学、ナノテクノロジー等の驚異的進歩と劇的向上により、人間とは? 人類とは?  ・・・等、再定義を余技なくされる次代が目前に来ている。  それは恐らく今世紀末までに、更なる知識を中心とする時代へと向い、智慧の確保が求められる。』・・・とか。  

2.スピード感ある対応 『スピード化が求められる時代において、その生き方も再検討を個々に要求されている。  企業:100Km、NGO等:90Km、家族:60Km、組合等:30Km、行政官僚:20Km  事例:マイアミハリケーン被害時における官僚機構(合衆国・州政府・地域含め)の動きの遅さは、機能不全といって良い 程悲惨な結果をもたらした。 』  

3.プロジェクト方式 今後行政&官僚組織は、上位下達方式から下位上達&横のネットワーク構築方式とも言えるプロジェクトチーム方式による課題別・目的別の組織形態への変革が求められている。』・・・等。  

4.自らゴールを描け 「生産消費者:DIY  Do it your self ・・・綴りはあっているのか?   日曜大工、家庭菜園、地域共同農園等々。   自分達で作業し自分達の生活を支える事が、様々な分野で広がり始めた。」  「今後Goolの姿を描いて、そのプロセス(ルート)を作って提示する行政お姿勢が問われている。」  ・・・等、凡その概要であった。  

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著書『第三の波』
技術革新の「波」の概念に基づいて[三種類の社会]を描いた。
それぞれの波は「古い社会と文化を脇へと押しやる」とした。
➀第一の波は農業革命の後の社会
 農耕を開始し以前の狩猟採集社会の文化を置換した(新石器革命、農耕技術の革命に相当)
➁第二の波は産業革命
 18世紀から19世紀に工業化により、農耕社会から産業社会へと移り変わる。
核家族、工場型の教育システム、企業である。
大量生産、大量流通、大量教育、マスメディア、大量のレクリエーション、大衆娯楽、大量破壊兵器などに基づくものである。
中央集権、集中化、同期化などで結合し、官僚制と呼ばれる組織のスタイルで仕上げをする。
③第三の波は脱産業社会(脱工業化社会)である。
 情報化時代、情報化社会、情報革命、脱産業社会の中では、ライフスタイルは様々である。
生産者(プロデューサー)と消費者(コンシューマー)のギャップは技術によって埋められる。
労働をアウトソーシングするのではなく、無給の消費者にアウトソーシングすることもある。
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※行政の在り様に思う。  

 行政の中においては、プロジェクト方式による迅速なる対応が出来る組織と意識改革を断行し、その業務は前例主義 でなく、又各人(町長・課長・職員・議員等)への評価も住民満足度を基準として見直す システムに改める必要があるのでは?   

又、何かあれば横並びを求める姿勢と、一般的事例より突出する様な事業運営への嫌悪感(ある意味での先駆的事 例への圧力とも言える。)とが蔓延る様な行政の有り方は、最早見過ごす事が出来ない状況迄きていると断ぜざるを 得ない。・・・是は、私一人の独断であろうか?  

ここ糸島、そして志摩町(役場における一部職員を含む)においても多くの偉材が溢れている。 『認識せずして評価する勿れ!』とか。 職員や議員への評価基準も見直すべき時に来ていると思われる。   

単なる仕事をこなすだけでなく、如何に徹底した住民への奉仕の精神があるかどうか。  又、具体的行動の面からの日常的にどう住民に係わり合い貢献しているのか? その観点からの評価基準も設けるべきであろう。 しかも住民自身によって評価される場を設定すべきであると思われる。  

それらの多くに偉材(役場における一部職員を含む)が思う存分に力を発揮できる状況を作り出し、地域の大いなる活性 化へ向けた新たなる施策を具体的に提示していく事、更にコミュニティーネットワークの構築に本格的に取組んでいった 時、新たなる時代・社会変革への扉が開かれ始めると思える。 

※「草莽堀起」 

 『この地域の中から、燃えい出る人々によってしかこの地域は変えられない。 草莽(民衆)が堀起する(改革のため立ち  上がる)以外頼るものなし。』・・・(大意)と説き、多くの偉材を輩出せし“吉田松蔭”  

  

俊輔をして  『動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。 これ我が東行高杉君に非ずや』  ・・・と言わしめし行動の人“高杉晋作” 

彼の辞世の句 『おもしろきこともなき世をおもしろく』 の下の句に『すみなすものは、心なりけり』  ・・・と歌いし維新の歌人“野村望東尼”  

 

ここ志摩町・姫島に流刑となりし彼女を救出した晋作は、時に萌黄の直垂姿で他を圧し、時に騎馬武者姿で颯爽と雪の 功山寺に姿を現す。そして時には、三味線をつまびき戯れ歌を口ずさみつつ・・・維新回転の魁を為したとか。   

“天下の震動はこの糸島・志摩より始まらん”    ・・・との歴史変動の時に居合わせた想いに吾が胸、高鳴っていた・・・正に其の時。 『お父さ~ん、お父さ~ん。 ・・・ もう布団に寝らんね~。 風邪引くよ~!』    ・・・ との声。 コタツノ中での悪夢か、ハタ又正夢となるか。  否、深酒の戯言であったのか?