小沢さんが、辞意を撤回した。
いろいろな見解があると思うが、私は「さすがだな」と思う。
結果として、国が引き締まった観がある。敗戦の後に民主主義を他者から与えてもらった国において、2大政党制の「相方」をつくることがどれほど難しいことか。つまるところ、小沢さんはこれを示したかったのではないか。
小泉さんの地方虐待政治があって、安倍ちゃんの投げ出し茶番があって、さらには参院における与野党逆転があって、それでもなお、民主党は2大政党制の「相方」にはまだまだ足りなかった。
政治家ばかりではなく、国民も実はそう肌で感じていた。
自民党1大政党時代には隠しきれていたいろいろな不祥事がばれ始めた。一部の報道の中には過剰な被害者意識、過剰な正義主張も見受けられるものの、もうしばらく膿を出していけば、自民党時代の灰汁は排除されていくと思う。1党独裁体制では出てこなかったはずの膿を出すことができるのだから、これは掛け値なしに良いことである。1党独裁が終わってよかった。
しかし、だからといって、今の民主党には政権は任せきれない。みんな実はそう思っていたのである。偽メールで浮き足立って大騒ぎするような「小僧たち」に、国を任せておけるはずがない。
それを先に回って、明確な「形」として実感させた。それが今回の小沢さんの行動の真意ではないのか。
今回の騒動をみれば、もし民主党がいま政権を担当しても、混乱だらけの国になるだけである。それを見える形で示してくれたのではないか、実は。
◇
いまは、将来の2大政党制への過渡期である。
その新たな時代への胎動期にあって、今回の小沢さんの行動は、のちのちに高い評価を得るものだと、私は直感している。
順風が続けば、帆は必ず弛む。だから、風を吹かせることが必要なのだ。
◇
息子が生まれたばかりのころ、本県選出の2大政党制論者のベテラン議員の自宅を訪ねたことがある。
「息子さんが物心つくころには2大政党制が実現できていますよ。でなくては日本はダメになる」
さらに、「息子さん、いい顔してるねぇ」
彼はこの辺りがうまいのである。政治家として、というより、人として。
いろいろな見解があると思うが、私は「さすがだな」と思う。
結果として、国が引き締まった観がある。敗戦の後に民主主義を他者から与えてもらった国において、2大政党制の「相方」をつくることがどれほど難しいことか。つまるところ、小沢さんはこれを示したかったのではないか。
小泉さんの地方虐待政治があって、安倍ちゃんの投げ出し茶番があって、さらには参院における与野党逆転があって、それでもなお、民主党は2大政党制の「相方」にはまだまだ足りなかった。
政治家ばかりではなく、国民も実はそう肌で感じていた。
自民党1大政党時代には隠しきれていたいろいろな不祥事がばれ始めた。一部の報道の中には過剰な被害者意識、過剰な正義主張も見受けられるものの、もうしばらく膿を出していけば、自民党時代の灰汁は排除されていくと思う。1党独裁体制では出てこなかったはずの膿を出すことができるのだから、これは掛け値なしに良いことである。1党独裁が終わってよかった。
しかし、だからといって、今の民主党には政権は任せきれない。みんな実はそう思っていたのである。偽メールで浮き足立って大騒ぎするような「小僧たち」に、国を任せておけるはずがない。
それを先に回って、明確な「形」として実感させた。それが今回の小沢さんの行動の真意ではないのか。
今回の騒動をみれば、もし民主党がいま政権を担当しても、混乱だらけの国になるだけである。それを見える形で示してくれたのではないか、実は。
◇
いまは、将来の2大政党制への過渡期である。
その新たな時代への胎動期にあって、今回の小沢さんの行動は、のちのちに高い評価を得るものだと、私は直感している。
順風が続けば、帆は必ず弛む。だから、風を吹かせることが必要なのだ。
◇
息子が生まれたばかりのころ、本県選出の2大政党制論者のベテラン議員の自宅を訪ねたことがある。
「息子さんが物心つくころには2大政党制が実現できていますよ。でなくては日本はダメになる」
さらに、「息子さん、いい顔してるねぇ」
彼はこの辺りがうまいのである。政治家として、というより、人として。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます