アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

抗いたい言葉、実は「ありがたい」

2008-09-10 | Weblog
 「早くお風呂に入って、ちゃんと布団に寝てね」


 妻に手を引かれて寝室に向かっていた息子が、唐突に引き返してきて、ダイニングキッチンでビールを飲んでいた私に言った。



      ◇


 「抗いがたい」

 妻の指示であることは明らかなのだが…。




 少し過ぎて、妻もやってきた。タオルを忘れたらしい。

 「早く寝てくださいね。体に悪いんだから」

 ビールに一瞥。すぐに目線を外して寝室に向かっていった。



 「抗いたい」


 私の健康を気遣ってくれていることは分かるのだが…。




     ◇


 「あらがいがたい」

 「あらがいたい」




 「が」が一つ入っただけで意味は逆になる。



     ◇


 言ってる内容は同じでも、なんだか反論したくなる、そんなことはしばしばある。相手の言い方もある。が、相手への好意も実は大きく影響している。


 いやいや、妻へももちろん好意はあるが、なぜか、指摘されるのがイヤなのだ。それは、妻だけでなく、親に対しても同じだ。

 親の言葉は、だいたい抗いたい。特に思春期には。

 しかし、親からの、多くの「抗いたい言葉」は、実は「ありがたい言葉」でもあったと思う。

 苦い言葉こそ、本当に役に立った。



 

       ◇


 親としては子に言われると、言われたことを最大限にきいてあげたい。そんな気分になってしまう。実は、それは子どものために、というより自分のためになのかもしれない。



       ◇



 あの人に言われると、なんだかやってあげたい。

 あの人に言われると、できることでもしてあげたくない。


 他人との関係でもしばしば発生する感情。



     ◇


 つまりは「相性」だ。相性こそ、実はあらゆる関係の中で相当に大切なのではないか、と思う。

 夫婦とは、実は「相性」を悪くさせつつその関係を維持しているのではないだろうか。適度の緊張関係を保つことで、それぞれの生活活動を維持しているのではないかと思う。それは、子の立場から見た親子関係でも。


 子は、親に対する適度の緊張感の中で生き抜く力を獲得していく。(ちなみに、親の立場から見た親子関係は、ただただ愛情を注ぐばかり。子をたくましく成長させるものではないのかもしれない)



     ◇

 
 「相性」の大切さとは、相手が人間の場合だけではなく、器でも、音楽でも、絵でも、本でも通ずる。


 いくら人々からの評価の高いものでも、自分との「相性」が良くなければ、無意識の拒絶反応が働いてしまう。



     ◇



 相性のよいものばかりに囲まれて生きていくことはできない。しかし、「相性の悪さ」を「悪意」に発展させてしまうような人間には、なるべく接触せずに生きていきたい。




 そして、そんな人間にはなりたくない。ましてや、息子にはなってもらいたくない。



     ◇



 となると、やっぱり会社員にはさせたくないなぁ。特に、この職種は。



     ◇


 こんなことをビールを飲みながら悩んでいる。

 実は、いま一番に悩ましいのは、早く寝るかどうかの今夜の判断である。

 「息子の言葉には従いたい、例え背後に妻がいるとしても」と思う。が、一方では、「妻の意思に従ずるのか、おれは」という忸怩たる思いもある。

 これは悩ましい。実に、迷う。

 今後10年くらいの私のイキザマを左右しかねない。




 いや、くだらないって言うなよ。
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