アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

郡山-日本橋行脚  宗像利浩展

2008-09-09 | Weblog
 日本橋三越で8日まで開催していた会津本郷焼「宗像窯」八代目宗像利浩さんの個展を見てきた。


 日本陶芸展の招待作家でもある利浩先生の、三越では2回目となる個展。前回は三越池袋店だった。今度は本店である。



     ◇


 約1時間かけて自宅から郡山駅まで歩き、さくら交通の高速バスで東京へ向かった。

 郡山駅前から東京駅前まで4時間。料金は2300円。


 新幹線ならば7500円である。格安のため満員である。

 乗り心地はよくはないが、この値段である。若者が圧倒的に多い。


 居酒屋でいうなら「村さ来」「白木屋」などと同じ客層だ。


 東京弁に似せたヘンテコな福島弁が、痛々しく、かつ騒々しい。



     ◇


 少し料金が張っても、どうせ呑むなら静かな店を選びたい。

 騒々しさが、ちょっと苦痛だ。「次からは新幹線にしよう」と思った。



 しかし、休憩時間に考えは変わった。若者たちは、必ず集合時刻を守っていた。

 大人ばかりのツアーならば、遅れるヤツが必ずいる。


     ◇


 参加者のほとんどが中年女性というバスツアーに何度か参加したことがある。

 サービスエリアでのトイレ休憩では、必ず数人が集合時刻に間に合わなかった。


 「急いだんだけど、足が悪いから遅れちゃった」。すごく快活な声で元気いっぱいに言い訳していた。


 「もっとゆとりのあるスケジュールにしてもらいたいもんだねぇ。バスツアーは忙しくって」。満杯になった売店のレジ袋を両手に持ちながら、言うな。




     ◇



 東京駅前から三越までの行程も歩いた。10分ほどだが、日本橋界隈を初めて歩く田舎者にはちょっとした小旅行だった。



 利浩先生と奥さん、長男、つまり将来の九代目窯元もいた。


 「遠いところどうも」

 利浩先生はいつもの純朴な笑顔で迎えてくれた。




    温かい。


 郡山から東京へ着いたばかりで、大都会の喧騒と日本橋界隈の格式に気圧されしていた田舎者にはうれしかった。



 並んでいる作品も、利浩先生や利浩先生の家族同様の温かさで迎えてくれた。


 「分かったような言い方」をしてしまって恐縮だが、殊、利浩先生の作品の温かみだけは、私は感じることができる。


 雪国の会津本郷に400年継承されている宗像窯の作品には、寒さや雪に苦しめられた経験の少ない九州などの産地の焼物には感じられない「雪国の風土にはぐくまれたことで獲得できた力強さ」がある。

 さらに、それに耐えたからこそ得た「やさしさ」がある、と思う。



 九州などの産地の作品は、もちろんすばらしい。歴史的にも東日本よりずっと古いし、東日本の作品からは感じ得がたい「品」や「格」も備えていると思う。




 だが、雪国で育った窯にも独特の作風が継承されていると思う。その現代における一つの完成形として、利浩先生の器が位置づけられるのではないか、と思う。



     ◇


 利浩先生の茶碗とモーツァルトのCDさえあれば、東京でも福島でも、どんな環境にあってもどんな境遇にあっても、おれは生きていける、と思う時もある。オーバーに言うと。



     ◇


 三越を離れたあと、旧知の居酒屋2軒に寄ってから、帰路に就いた。渋谷区から郡山まで、新幹線を使えば約2時間。

 居酒屋を行程から省けば、格安バスの往復で、半日で東京のイベントを楽しんで帰ってくることができる。


    ◇


 新幹線より格安バスの方がいい。

 値段ももちろんだが、所要時間がちょうどいい。

 東京・郡山間で片道約4時間。仕事や家事で、まとまった読書の時間の確保が難しい。しかし、バスならば運転はもちろん他に何もしなくていい時間が保証されている。

 最上級の読書タイムである。



     ◇


 東京の入場無料イベントを格安バスで訪ねるツアーって、現在のおれにとって一番の幸福な時間旅行なのかもしれない。


     ◇


 ともかく、近視眼的な社内数値と荒みきった職場の人間関係で醜く爛れてしまっていた精神を洗うには、非常に有効な東京行脚であった。
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