きのう、3月1日。姪が高校を卒業した。
「おめでとう」の言葉はもちろんだが、同じくらいの思いを込めて「ご苦労さま」の言葉を贈りたい。
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福島県立双葉高校。高校としては福島第一原発から一番近くにある。
結局、姪は本来の学び舎には一度も入ることのないまま卒業を迎えた。
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あの日は、ちょうど中学校の卒業式だった。帰宅したばかりで大きな揺れが来た。2回目の津波は海から2キロほど離れた家にも及んだ。逃げること。ほかには何もない。
高校入学の準備物もすべて流された。でも、きっとそう遠くない時期に帰れるはずだった。合格したばかりの高校に通えるはずだった。
それが、あの爆発。学校どころか、ふるさとに近づくことさえできなくなった。
年齢が低いので、姪は未だ一時帰宅もさせてもらえない。ふるさとを再び見る日のために、年齢を重ねることを期待している。思春期の女性には、あまりに悲しい心情である。
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県は、高校を維持するためには生徒の避難先となった複数のまちに「衛星」を設置するほかなかった。姪は、一番大きな「サテライト校」となった郡山市の学校に通うため、家族と離れて、ひとり、私の家に住むことになった。
私の部屋を2分割して作った狭い部屋に1年半暮らした。
昨年末、家族とともに暮らせるようになったいわき市の借り上げ住宅で、久しぶりに顔を合わせたら笑顔を投げかけてくれた。
私の家にいるときは、ついに見ることのできなかった、安らいだ笑顔である。
「あのときはお世話になりました」と声をかけてくれた。
いや、住む場所を提供することしかできなかった。ようやく取り戻した笑顔が、私には何もできなかったという事実を教えてくれる。
安らいではいるが、もうあどけなさのない笑顔が、この3年間で彼女がいかに強く成長したかを教えてくれる。
4月からは関西地方の大学に進む。人生で2度目の一人暮らしとなるが、彼女にはもう何の心配もいらない。
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姪が使っていた部屋は、4月からは10歳になった息子の部屋になる。
子どもたちが、たくましく育ちますように。
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ところで、昨日の卒業式で国や東電からのあいさつや祝電はなかったのだろうか?
子どもたちにこれだけの迷惑をかけておいて…。
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