アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

息子が獲得した「処世術」

2010-03-30 | Weblog
 「子育てサポーター事業」を利用させていただいている。

 仕事をもつ親に代わって、自分の子育てが一段落した主婦らが子どもを預かってくれる。


 卒園式を終えたのはいいが、小学校に入学するまでの間、預け先に困っている。

 保育園の卒園から小学校の入学までのわずかな期間だが、案外、子育て支援の“盲点”なのだ。昔の「江川の空白の一日」みたいに。


 きのう(29日)は、息子自身、初めて預かったもらうお宅だった。暗くなった午後6時過ぎに、私が迎えに行った。


 玄関を開けると、息子は私にいきなりダイブしてきた。車の気配を察知していたようだ。

 「この人が、ぼくのお父さん」


 私の到着前に、この家の人たちと私のことを話していたらしい。預かってくれた主婦の方にも、今春から高校生になるというこの家の女の子にも、すっかりなついた様子だ。


       ◇


 どこでも物怖じしない。


 この4年間、3ヶ所の保育園をわたり歩き、臨時託児所にも何度も預けられ、息子なりに身に付けた処世術なのだ。


       ◇


 初めての保育園に初めて預けた日、泣きに泣いた。


 あまりの泣きっぷりに、心配になって窓から覗いた。


 親が去ってしまった不安と、生まれて初めて周囲はすべて知らない人たちという孤独の中に置かれ、2歳の息子は口を開けて、ただただ放心していた。



 いつも、大泣きしながら、必死の力で私の足にしがみつく息子。先生がおもちゃなどで興味を引き、すきを見て、離れた。


 朝のお別れで泣いていたのは、どれくらいの期間だったのだろう。思い出せない。が、多分、4、5日くらいではなかったか。今となっては、そんなに長い期間ではなかった気がする。ただ、冬の早朝の保育園の凛とした冷気と、その中で湯気をたてながら大泣きしていた息子の顔が、いまだに非常に強く、脳裏に焼きついている。


        ◇


 父子だけでの朝食でも、お母さんがいないと言っては、随分と泣かれた。玄関のカギの開け方を覚えて、私のトイレのすきに逃げ出したこともあった。12月だった。妻の車が消えた方向に向かって裸足で逃げる3歳の息子を、裸足で追いかけた。


        ◇


 いまでは、どこに預けられても平気。だれとでも元気に遊んでいられる。


 もともと、子どもは与えられた環境に順応できる資質が、大人よりずっと高いのだろう。


 しかし、「よく育ってくれたな」。これが、実感だ。


       ◇


 小学校の入学式を迎える前に、お世話になった1ヶ所目、2ヶ所目の保育園にあいさつに行こう。


 保育園の先生たち、いま預かってくれている「子育てサポーター」の方たち、家族だけでなく、本当にたくさんの人たちに支えられて、もうすぐ小学生になれるのだから。
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