アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

「お金」に対する認識

2009-01-27 | Weblog
 お金とは、本来、神聖なものなのだ。



 と思う。




 人と人をめぐり合わせ、結びつかせ、深く交わらせる。


 その反作用として憎しみの間接要因となる場合もあるが、いずれにせよ、人と人を強く結びつける作用が確実にある。




 社会では、誠意や愛情の代替物としても機能している。


 また、法においては償いの心の具現物として取り扱われてもいる。




      ◇



 札束を見て、「卑しい」と感じる場合もある。


 特に、量が多すぎると、欲の実体化したものとして映ってしまいがちだ。



 適量ならば、実は美しいものなのだと思う。




 料理も少なめだからうまい。どんなにおいしい料理でもてんこ盛りだと卑しいものだ。






     ◇



 ドラマ「北の国から」のワンシーン。成長した息子が都会に旅立つに当たって、親が土に汚れてクシャクシャの札を手渡す場面がある。息子は、そのクシャクシャの札を握りしめて嗚咽する。


 その汚れた札に、作者は巣立つ子への親の愛を詰め込んで表現した。





     ◇




 一万円札の五百枚の束があった。古いお札だった。



 職員に聴くと、80代の女性が50年がかりで貯めたお金だそうだ。ただ、ただ、子どものために、と。




 そのお金の束は、ふっくらとした温かみがあった。


 なにか柔らかなオーラを発していた。







 どうせお金を貯めるのであれば、そんなオーラを持つお金を貯めたいものだ。




 そんな宝物は、下卑た振り込め詐欺になんて、決して手渡してはいけない。
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