きのう(7日)のレッスンから、練習曲が「モルダウ」になった。
とんと上達しないヴァイオリンだが、気づいたら、習い始めてもう2年と10ヵ月。
幼い頃にピアノ教室通いを強要されてクラシック音楽への嫌悪感が芽生え、小学校で「勉強」としてクラシック音楽を押し付けられて、クラシック嫌いが決定的となった。
以来、中学校から社会人になってしばらくまでは、ロックやジャズばかり。クラシックへの興味も、聴く機会もまったくなかった。
ロックやジャズが親しみやすかったのは、見た目のカッコよさや、優等生には見られたくない、男の子特有の「ワルへの憧れ」などもあったと思うが、何より、入り口に変な敷居が設けられていないことが大きかったと思う。
10年ほど前、知人に連れられて渋々行ったコンサートで、「モルダウ」のフルオーケストラを直に聴き、クラシックがいかに魅力的なものなのかを、初めて知ることができた。
◇
「モルダウ」(スメタナ)と「カノン」(パッヘルベル)のアンサンブルをすることが、現在、ヴァイオリンをしぶとく続けている理由なのだが、このところの練習曲だったコレルリの「ラ・フォリア」やハイドンの「セレナード」よりゆったりしていて、なんだか弾きやすい(あくまでも指や弓を動かしやすいということ。音色をきちんと出せる人とは、私の場合、曲の難易度の基準が異なる)。
好きな曲なのでメロディーが頭にも体にもしみ付いていて、弾いているときに次の音に自然に進んでいける、という点もあるだろう。
「ラ・フォリア」や「セレナード」の練習のときよりも楽しめている。
やっぱり、「好き」っていうのは大切なんだなぁ。
◇
息子は、「星に願いを」や「アメージング・グレース」「歓びの歌」など、これまでの私の練習曲を聴くと「お父さんの歌だ」と言って、車のMDをリピートして何度も楽しそうに聴いてくれている。
自分でヴァイオリンやピアノで練習している曲も、何度も聴いて楽しんでいる。
息子のクラシックへの入り口には、大きな段差も重い戸もなかったと思う。現在の学校や音楽教室も、昔と違って、まず楽しむことから始めるようだ。クラシックの「バリアフリー化」が進んでいる。
◇
今となっては、ピアノ教室通いや小学校の授業がなければ、自分ももっと深くクラシックに親しむことができたのに、とうらめしい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます