アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

引っ越した

2008-12-11 | Weblog
 引越しをした。10日間、ネットにつながらなかった。



 電話は携帯があるので困らなかった。テレビはワンセグで見ていた。


 もっとも、我が家はテレビを見る習慣があまりないので、家族からは何の不満も沸いてこなかった。

 というより、テレビがない分、家族同士が親密になり有意義だった。



       ◇


 フレッツテレビにした。

 ひかりケーブル1本で電話、テレビ、インターネットができるというやつ。

 アンテナがいならいし、初期工事もいらない。


 確かに、便利。ルーターも黒くなってかっこいい。


 しかし、ルーターを変えたので、インターネットへの接続が設定しなおしとなって面倒だった。



     ◇


 きょう11日目、ようやくネットに戻ってきた。






 あらためて、ネットの便利さ、ネットに頼って暮らしていることを認識した。




 例えば天気予報。

 新聞より情報がリアルタイムだし、テレビよりピンポイント。



 例えば地図検索。

 次の日の仕事先を電話番号や簡単なキーワードで探し当てていた。



 人物や会社、本などの検索にも、ネットがもはや今の生活には不可欠であることを再認識した。



     ◇


 本当は、辞書を調べたり、地図をチェックしたり、そういう作業が大切であり、脳を働かせるのだと思う。

 ネット検索は便利だが、不便こそ進化の糧である。

 ネットの便利さは、脳のさまざまな機能を退化させていると思う。




 車の発明により、ヒトの歩行能力は格段に落ちた。

 眼鏡の発明により、ヒトの視力は格段に落ちた。

 メールによって、ヒトは相手の表情を読み取る能力、相手の立場に立って物事を考える能力を失いつつある。


 ネットによって、多彩な検索機能をもつ脳を失いつつある。

 と思う。




      ◇


 不況のいま、社会も個人も、効率ばかりを求めている。


 貧すれば鈍す。


 物的に貧しくなって、心も貧しくなっている。それが今の社会。


 しかし、貧して、尚、あえて糧を欲せず。


 この国の先人たちが築き上げてくれた高潔な精神を思い返したいものだ。





 Y君、S君、T君。あとM君。


 若い君たちは、いまの上司たちを軽蔑していい。軽蔑してしかるべきだ。

 しかし、組織の一員として、いまは耐えて、見つめてほしい。


 そして、新渡戸稲造の「武士道」を読んでおくべきだ。

 いまのうちに。
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