おじが亡くなった。
80歳。
母の姉の夫。
おじの息子は私の3歳上の従兄弟。私にとっては兄のようだった。
そう育てられた。
従兄弟は勉学優秀、性格強烈。
近所の子どもたちを付き従わせていた。
キャラ的に「支配層」だった。
私は、近所の子どもたちからその「弟」として見られていた。
そういう事情もあり、おじは「父」のような面もあった。
◇
おじの死に際して、激烈な悲しみはない。
しかし、事実としては、なんとなく実感できない。
◇
私は、過去のいくつかの経験から、悲しみを感じる機能を閉鎖する能力を得た。しかし、今回はその機能を使ってはいない。
悲しくはない。
身内が死ぬたび、いちいち悲しんではいられない。
ただ、さびしい。
おじちゃん、ありがとうございました。
◇
きょうの通夜では、いままで会ったことのなかった親せきたちや、その子どもたちに会えた。
近しくはないが、同じDNAを感じる。「ファミリー」を感じた。
亡くなった人は、親類縁者をめぐり合わせる、そんな機会をつくってくれる。
80歳。
母の姉の夫。
おじの息子は私の3歳上の従兄弟。私にとっては兄のようだった。
そう育てられた。
従兄弟は勉学優秀、性格強烈。
近所の子どもたちを付き従わせていた。
キャラ的に「支配層」だった。
私は、近所の子どもたちからその「弟」として見られていた。
そういう事情もあり、おじは「父」のような面もあった。
◇
おじの死に際して、激烈な悲しみはない。
しかし、事実としては、なんとなく実感できない。
◇
私は、過去のいくつかの経験から、悲しみを感じる機能を閉鎖する能力を得た。しかし、今回はその機能を使ってはいない。
悲しくはない。
身内が死ぬたび、いちいち悲しんではいられない。
ただ、さびしい。
おじちゃん、ありがとうございました。
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きょうの通夜では、いままで会ったことのなかった親せきたちや、その子どもたちに会えた。
近しくはないが、同じDNAを感じる。「ファミリー」を感じた。
亡くなった人は、親類縁者をめぐり合わせる、そんな機会をつくってくれる。
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