おはようございます。
滋賀の旅、秋編も終わりが見えてきたと言うことでそろそろ冬編へと入って行きたいと思います。春は近江今津から西近江路、初夏は柏原宿から近江八幡を経て大津まで、秋は大津から東海道、JR草津線各駅巡りを経て伊賀上野までと来ました。今回の冬編は行きは輪行はせずに京都府内を走り抜け大津市まで走りました、向かった先は坂本、比叡山の入口となる所ですが走ったのは去年の12月、比叡山から下りてくる風がまあ寒いこと寒いこと、それでも行っておきたかった場所です。またまた何回かに渡ってのご紹介になると思いますがその初回は京都府内、大津市に入る辺りまでを走ってみようと思います。
まず上に並べた写真は宇治市内の風景、前にここで宇治の風景を紹介しましたがその話はこの走りの翌週のこと、この時写真1枚目にある橋の上から遠目に見た紅葉のきれいさが2週続けてこの町に来るように誘ってくれたのでしょう。橋を渡り終えると京阪宇治駅、その脇に府道から分かれる道がありそちらへと入って行くとすぐに京阪線の踏切がありその向こう側には京阪三室戸駅、この先この道はほぼ京阪線に沿って北へと進んで行く。JR、京阪黄檗駅近くで京都大学、陸自隊宇治駐屯地の横を通り過ぎて京阪線の踏切を渡ると写真下3枚にある辻に差し掛かる、お地蔵様に道標が立つその場所からしてこの道が旧街道だと言うことがうかがえる。この先、所々で旧街道の雰囲気を感じる町並と民家の向こうを走る京阪電車の音を聞きながら、六地蔵界隈へと差し掛かって行く。
六地蔵から京都外環を走って山科へ、大津に向かう時はいつもは東野交差点から国道1号線に入るが、今回は山科駅の手前まで行きそこから旧東海道を進んで行くことにする。ここももう何度も走っているお馴染みな所、昔の旅人もこの場所を歩きながら東への旅へと思いを馳せていたのだろう。しかしそんな思いも雰囲気も吹き飛ばしてくれそうなほどに車の通りは多い、すぐ南を通る三条通が渋滞するからこちらへと回避してくるんだろうが、旧街道巡りは車に気を使わないで行きたいものだ。写真1枚目~4枚目は京阪四宮駅、京津線の車庫がある駅で、その風景は横を通る踏切からホーム越しに見ることができた、京津線がまだ地下鉄と直結していなかった頃は急行が三条~浜大津間で通しで運転、普通電車はこの駅で折り返しとなっていた。この駅の横にある踏切をそのまま進むと民家の入り組んだ中を過ぎて小関越えで大津へ至る道となる、自転車で走るにはちょっと骨が折れる道だが国道1号線の逢坂越えよりは時間も距離も短く、早く大津に入ることができるが、今回は素直に旧東海道を進んで行くことにする。写真5枚目はまだ京都市内、京都出身の国会議員のポスターが小さく見えている、この先は民家が建ち並んでいる何気ない風景だがそんな中で境界線を迎えて滋賀県大津市へと入る。写真6枚目はもう大津市、そのまま進んで行くと旧街道は国道1号線に突き当たり、幅の広い国道を渡るには地下道を行かなければならない。
地下道を抜けて急な坂を過ぎると横木の町並、ここからは緩やかな上り坂に沿って旧東海道のいい雰囲気の町並が展開されていく。緩やかと言ってもさっきの地下道から上りっぱなしになっているので結構足には厳しい、しかも写真1枚目、2枚目はその上りの途中で撮っているのでその度に足が吊るような感覚に襲われてくる。その上りがやっと落ち着いた所が写真3枚目にある場所、いつもは左側にある道から上って来るが、その道が京街道に当たる道で伏見を経て枚方、大阪へとつながっている。この場所にも京都市と大津市を分ける境界線が通っている表示が立っている、地図で確認すると境界線はこの辻から旧東海道を沿うように通っていて、その次の写真にある町名表示の看板には大きく京都市にある髭茶屋町と小さく大津市にある追分町、両方の町名が記されている。大津市の方にある追分町は、東海道と京街道の分かれるこの場所が追分と言うところからこの町名になっているのだろう、旧街道が通る所には追分と言う地名が多く存在するが、こんな感じで行先を二つに分けている旅人にとっては大きなポイントとなる所、鉄道の駅で言うと乗換駅とか分岐駅と言うことだが、こういう場所はなぜか心が躍ってしまいます。さて、イメージとしては山を越えた一番てっぺんになる所が県境になるはずだが、ここではもう大津市に入っていてこれから山を越えることになる、旧東海道=国道1号線を進んで行っての逢坂越え、大津市の中心地へと入って行く話はまた別の機会に、と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。 まちみち
滋賀の旅、秋編も終わりが見えてきたと言うことでそろそろ冬編へと入って行きたいと思います。春は近江今津から西近江路、初夏は柏原宿から近江八幡を経て大津まで、秋は大津から東海道、JR草津線各駅巡りを経て伊賀上野までと来ました。今回の冬編は行きは輪行はせずに京都府内を走り抜け大津市まで走りました、向かった先は坂本、比叡山の入口となる所ですが走ったのは去年の12月、比叡山から下りてくる風がまあ寒いこと寒いこと、それでも行っておきたかった場所です。またまた何回かに渡ってのご紹介になると思いますがその初回は京都府内、大津市に入る辺りまでを走ってみようと思います。
まず上に並べた写真は宇治市内の風景、前にここで宇治の風景を紹介しましたがその話はこの走りの翌週のこと、この時写真1枚目にある橋の上から遠目に見た紅葉のきれいさが2週続けてこの町に来るように誘ってくれたのでしょう。橋を渡り終えると京阪宇治駅、その脇に府道から分かれる道がありそちらへと入って行くとすぐに京阪線の踏切がありその向こう側には京阪三室戸駅、この先この道はほぼ京阪線に沿って北へと進んで行く。JR、京阪黄檗駅近くで京都大学、陸自隊宇治駐屯地の横を通り過ぎて京阪線の踏切を渡ると写真下3枚にある辻に差し掛かる、お地蔵様に道標が立つその場所からしてこの道が旧街道だと言うことがうかがえる。この先、所々で旧街道の雰囲気を感じる町並と民家の向こうを走る京阪電車の音を聞きながら、六地蔵界隈へと差し掛かって行く。
六地蔵から京都外環を走って山科へ、大津に向かう時はいつもは東野交差点から国道1号線に入るが、今回は山科駅の手前まで行きそこから旧東海道を進んで行くことにする。ここももう何度も走っているお馴染みな所、昔の旅人もこの場所を歩きながら東への旅へと思いを馳せていたのだろう。しかしそんな思いも雰囲気も吹き飛ばしてくれそうなほどに車の通りは多い、すぐ南を通る三条通が渋滞するからこちらへと回避してくるんだろうが、旧街道巡りは車に気を使わないで行きたいものだ。写真1枚目~4枚目は京阪四宮駅、京津線の車庫がある駅で、その風景は横を通る踏切からホーム越しに見ることができた、京津線がまだ地下鉄と直結していなかった頃は急行が三条~浜大津間で通しで運転、普通電車はこの駅で折り返しとなっていた。この駅の横にある踏切をそのまま進むと民家の入り組んだ中を過ぎて小関越えで大津へ至る道となる、自転車で走るにはちょっと骨が折れる道だが国道1号線の逢坂越えよりは時間も距離も短く、早く大津に入ることができるが、今回は素直に旧東海道を進んで行くことにする。写真5枚目はまだ京都市内、京都出身の国会議員のポスターが小さく見えている、この先は民家が建ち並んでいる何気ない風景だがそんな中で境界線を迎えて滋賀県大津市へと入る。写真6枚目はもう大津市、そのまま進んで行くと旧街道は国道1号線に突き当たり、幅の広い国道を渡るには地下道を行かなければならない。
地下道を抜けて急な坂を過ぎると横木の町並、ここからは緩やかな上り坂に沿って旧東海道のいい雰囲気の町並が展開されていく。緩やかと言ってもさっきの地下道から上りっぱなしになっているので結構足には厳しい、しかも写真1枚目、2枚目はその上りの途中で撮っているのでその度に足が吊るような感覚に襲われてくる。その上りがやっと落ち着いた所が写真3枚目にある場所、いつもは左側にある道から上って来るが、その道が京街道に当たる道で伏見を経て枚方、大阪へとつながっている。この場所にも京都市と大津市を分ける境界線が通っている表示が立っている、地図で確認すると境界線はこの辻から旧東海道を沿うように通っていて、その次の写真にある町名表示の看板には大きく京都市にある髭茶屋町と小さく大津市にある追分町、両方の町名が記されている。大津市の方にある追分町は、東海道と京街道の分かれるこの場所が追分と言うところからこの町名になっているのだろう、旧街道が通る所には追分と言う地名が多く存在するが、こんな感じで行先を二つに分けている旅人にとっては大きなポイントとなる所、鉄道の駅で言うと乗換駅とか分岐駅と言うことだが、こういう場所はなぜか心が躍ってしまいます。さて、イメージとしては山を越えた一番てっぺんになる所が県境になるはずだが、ここではもう大津市に入っていてこれから山を越えることになる、旧東海道=国道1号線を進んで行っての逢坂越え、大津市の中心地へと入って行く話はまた別の機会に、と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。 まちみち