まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.808 三重の旅(2)・まだまだ愛西市

2017-09-02 20:53:52 | 旅行記
おはようございます。















三重の旅と銘打って始めたシリーズですが2回目となる今回もまだ三重県には入りません、相変わらず引っ張るなあ~と言う感じですが、まずは前回の続き、弥冨から走り始めて愛西市に入り名鉄佐屋駅までやって来ました。前にも書きましたが愛西市は何か形がややこしい所、弥富市と津島市を飲み込むような形になっていて市に属している駅も飛び飛びで分かりにくい、そんな市の代表駅となるのが佐屋駅、今回はこの駅がある佐屋の町から走り始めて行こうと思います。
佐屋と言うとまず思い出すのが佐屋街道、東海道が水路となることから陸の通行に利用されていたのがこの街道、ただ自分(一人称)はこの道はまだ走ったことがない。本能寺の変の時には徳川家康の一行が戦乱を避けるために伊賀越えで尾張を目指した時にも通った道です、ちなみにその時に江がいっしょだったと言う話はもちろん作り話です、もし本当だったらとんだ足手まといになったことでしょう。その佐屋街道は駅から北へ行った所で東西に交差している道、そちらの方へと入って行った辺りが佐屋宿で、古い町並や道標がありその先で写真3枚目以降にある場所へとたどり着く。そこは代官所や船番所などがあった所でそのことを示す碑が立っている、写真にある特徴的な石垣の上の生垣は「きこくの生垣」、江戸時代に整備された生垣は風景は変わっても往時の姿をそのまま残している。船着き場があったと言うことだが航路となったのはもちろん木曽三川のこと、今は橋が架かっていて簡単に渡ることができるが当時は川を渡るのも大変なことだっただろう、水かさが増えると足止めを喰らってしまう、だから船宿が繁盛し宿場町にも人が集まってくる。しかし橋ができると宿場町は廃れていって佐屋の町も現在のように大都市に埋もれた町となってしまったのだろう、でも今のように旧街道の雰囲気が漂う町並がそのまま残っているのはいいこと、今回は駆け足で通り過ぎることになったが次回はもっとゆっくりと巡ってみたい町であった。









県道125号線へと入って木曽三川に架かる橋へと向かうことにする、町並が切れると田園風景の中を通る道となり、目の前には鈴鹿山脈の大きな山並が見えてくる。ちょうど田植えが終わったばかりの頃で田んぼはまだ芽が出たか出てないかと言った頃、水面が目立ち青い空と緑の鈴鹿山脈をゆらゆらと写し出している。しばらく走ると一面にハスの葉っぱが並んだ田んぼが見えてきた、時期的にはまだ見頃には早く上の写真にあるように水面が目立つ所もあるが、このハス田は愛西市の観光名所になっていてシーズンになるとイベントも行われるとか、その頃には圧倒されそうな風景を見ることができそうだが自分(一人称)はこの風景だけで十分だ。愛西市は全国的に名の知れた所ではないし名古屋のベッドタウンとは言っても見えるのは田園風景ばかり、それでも佐屋には宿場町に古い町並があり、今ここで見ているハス田があり、この先には道の駅や木曽三川もあり隠れた観光名所と言った感じ。関西にいる自分(一人称)が知らないくらいだからむやみに観光に走っていないのだろうが、それがまたいい、そんな愛西市の一番のスポットとなるのが木曽三川だろう、行ってみることとしましょう。








道の駅の前を通り過ぎてしばらく走ると写真1枚目、2枚目の橋へと続く上り坂へと差し掛かる、その途中には立田大橋の看板が掲げられている。その後の写真を見てもらっての通り、橋を渡るのは次回へ続くとして今回はここで終わりとおきます、更新はスローペースやのに引っ張るな~、と思われそうですが、まあネタを回していくためにはここで止めておくのが一番なものですんで、すみません、変な調整を入れてしまって・・・。
と言うわけで三重の旅は2回目の今回も三重県に入ることはできませんでした、でもこの後はちゃんと三重県に入っていろいろと走って行くことになります。ネタバレをするなら、この先は木曽三川をたどって河口まで、その後は旧東海道巡りに登録有形文化財巡りも、今回の旅の最終目的地であるJR亀山駅まで走ってみたいと思います、さて、今回はどんな旅になるのか、そのお伝えにまたお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。         まちみち