おはようございます。
30年ぶりの甲子園は滝川西vs仙台育英の試合を観戦、朝早くから意気込んで奈良から阪奈越え経由で走ったつけが回って試合中に眠くなってしまいましたが、選手たちのひたむきなプレーはこの目でしかと見届けさせていただきました。試合は15-3と一方的でしたが、滝川西も大量リードを許してもあきらめずに反撃して3点を返した辺りはスタンドからも温かい拍手が送られていました。さて、今回は試合観戦は1試合だけ、この後は例の如くラジオ観戦で相棒と走って行くことに決めていました。前回、満員札止めで入れなかった時はあきらめて甲子園周辺の住宅地を走って大阪へと戻りました、今回は甲子園球場を出て南へと、まずは海を目指して行ってみることとしましょう。
写真1枚目、「甲子園筋」とある南へと伸びる道、店や住宅が並ぶ歩道をたった今試合観戦を終えた仙台育英の応援に廻っていたユニフォーム姿の選手たちが歩いている。どこへ行くのかと言うとこの先にある駐車場・・・とここではるか39年前の記憶が甦った、その時は天理駅からバスに乗って甲子園へ天理の応援に来たのだった。相手はエース津田恒美投手を擁する南陽工、その日は8月15日で試合中に正午を迎えサイレンが鳴り響いた、試合は天理が本塁打で獲った1点を守り抜いての勝利だった。試合が終わってバスの止まっている駐車場まで歩いたのがこの道だった、結構長い距離だったのを憶えている、それと路面電車のホーム跡・・・↓↓↓
それがこんな風景だったかはもう記憶にはないが、確かにホーム跡があったのは覚えている。
駐車場から少し先に行くと写真5枚目にあるT字の交差点へとたどり着く、手前には鳴尾浜公園、その公園の入口には鳴尾球場がここにあったと言う碑が立っていて、その側面にはここで行われた大会のトーナメント表が張られている。その頃の高校野球はまだ出場校は少なく、関西学院、神戸商、甲陽と今では聞いたことがない地元の高校が決勝に進出していた。更に公園内を奥へと入って行くと堤防があり、そこを上って行くと海がわずかに見えた、高速が通っているので埋立地があるのだろうと思っていたが、その切れた部分は海に直接橋桁が立っていて、その部分だけ海が見渡せるようになっていた。甲子園ではよく試合の流れを左右する浜風が吹くと言われるが、その風はここから吹いてくるのだろう。
試合の方は日本文理vs鳴門渦潮、心情的には日本文理を応援していたが、相手はキラキラネームになっても甲子園では準優勝経験もある強豪校、試合は序盤から本塁打が飛び出し打ち合いの様相になっていた。さて、走りの方は浜甲子園の住宅地をすり抜けるように走って写真1枚目にある洲先駅へ、単線にホーム1本だけの駅舎もない駅は、住宅地からは直接入れる形になっている。一方の反対側は壁になっているが、ここは相棒を掲げて構内を横切る踏切を渡り階段を上ると、視界が広がり武庫川に沿う道へと出る。ここからは一旦南へと走って阪神武庫川線の終点武庫川団地前駅へ、写真2枚目にあるのがその駅だが、駅周辺は普通の住宅地がさっきの駅からずっと続いている感じ。再び北へと戻って行きしなに走った西国街道へ、武庫川に架かる橋の近くに写真5枚目にある東鳴尾駅がある、駅はこの線内では唯一行き違いができる造りになっている。橋から北を臨むと高速があり更にその向こうには阪神本線が走っているのが見える、阪神武庫川線の始発駅となる武庫川駅はその本線に連絡するような形であるが、今回は阪神武庫川線サクッと各駅巡りと言うことでそちらの方へは行かずにこのまま橋を渡って尼崎方面へと向かうことにする。
尼崎市に入って西国街道を離れて尼崎港方面へ、海が見れるかな・・・と思ったが、雑々とした感じの工場が建ち並ぶ中を流れる運河が見れるだけで風情もあったもんではない、やはり尼崎と言う町は風情を求める場所ではないな、とでも言ったところか。写真にあるように青い空を覆い隠すように雲が浮かんでいて真夏だと言うのに暑さは左程感じない、それは甲子園にいた時でもそうだった、スタンドの上段で見ていたので風が涼しいのかと思ったが、この日はもともと涼しかったようだ。涼を求めて水辺を走りに来たのだったがこれほど涼しいとあんまり意味がない感じ、と言うことでちょっと消化不良気味となってしまったが眠気も迫って来たのでこのまま大阪まで一直線に戻ることに。
涼しくても熱い戦いが繰り広げられている甲子園第2試合の方は、自分(一人称)がちょうどJR難波駅に着いたところで試合終了、日本文理が勝利を収めた。勝利監督インタビューではお馴染みとなった大井監督の気さくな喋りでの名調子、今回で勇退為されると言うことだが何とかいいところまで残っていてほしいところだったが、次の仙台育英との対決に敗れて甲子園を去ることとなった。秀岳館の鍛治舎監督とともに名調子だった大井監督のインタビューももう聞けないんだなと思うとこれもまた寂しいこと、二人とも優勝には縁がなかったんですね、これも心残りだったことでしょう。選手にも応援団にもドラマがあるが監督にもまたドラマがある甲子園、来年の夏100回大会はそれぞれにどんなドラマを見せてくれることでしょうか・・・と言うわけで次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち
30年ぶりの甲子園は滝川西vs仙台育英の試合を観戦、朝早くから意気込んで奈良から阪奈越え経由で走ったつけが回って試合中に眠くなってしまいましたが、選手たちのひたむきなプレーはこの目でしかと見届けさせていただきました。試合は15-3と一方的でしたが、滝川西も大量リードを許してもあきらめずに反撃して3点を返した辺りはスタンドからも温かい拍手が送られていました。さて、今回は試合観戦は1試合だけ、この後は例の如くラジオ観戦で相棒と走って行くことに決めていました。前回、満員札止めで入れなかった時はあきらめて甲子園周辺の住宅地を走って大阪へと戻りました、今回は甲子園球場を出て南へと、まずは海を目指して行ってみることとしましょう。
写真1枚目、「甲子園筋」とある南へと伸びる道、店や住宅が並ぶ歩道をたった今試合観戦を終えた仙台育英の応援に廻っていたユニフォーム姿の選手たちが歩いている。どこへ行くのかと言うとこの先にある駐車場・・・とここではるか39年前の記憶が甦った、その時は天理駅からバスに乗って甲子園へ天理の応援に来たのだった。相手はエース津田恒美投手を擁する南陽工、その日は8月15日で試合中に正午を迎えサイレンが鳴り響いた、試合は天理が本塁打で獲った1点を守り抜いての勝利だった。試合が終わってバスの止まっている駐車場まで歩いたのがこの道だった、結構長い距離だったのを憶えている、それと路面電車のホーム跡・・・↓↓↓
それがこんな風景だったかはもう記憶にはないが、確かにホーム跡があったのは覚えている。
駐車場から少し先に行くと写真5枚目にあるT字の交差点へとたどり着く、手前には鳴尾浜公園、その公園の入口には鳴尾球場がここにあったと言う碑が立っていて、その側面にはここで行われた大会のトーナメント表が張られている。その頃の高校野球はまだ出場校は少なく、関西学院、神戸商、甲陽と今では聞いたことがない地元の高校が決勝に進出していた。更に公園内を奥へと入って行くと堤防があり、そこを上って行くと海がわずかに見えた、高速が通っているので埋立地があるのだろうと思っていたが、その切れた部分は海に直接橋桁が立っていて、その部分だけ海が見渡せるようになっていた。甲子園ではよく試合の流れを左右する浜風が吹くと言われるが、その風はここから吹いてくるのだろう。
試合の方は日本文理vs鳴門渦潮、心情的には日本文理を応援していたが、相手はキラキラネームになっても甲子園では準優勝経験もある強豪校、試合は序盤から本塁打が飛び出し打ち合いの様相になっていた。さて、走りの方は浜甲子園の住宅地をすり抜けるように走って写真1枚目にある洲先駅へ、単線にホーム1本だけの駅舎もない駅は、住宅地からは直接入れる形になっている。一方の反対側は壁になっているが、ここは相棒を掲げて構内を横切る踏切を渡り階段を上ると、視界が広がり武庫川に沿う道へと出る。ここからは一旦南へと走って阪神武庫川線の終点武庫川団地前駅へ、写真2枚目にあるのがその駅だが、駅周辺は普通の住宅地がさっきの駅からずっと続いている感じ。再び北へと戻って行きしなに走った西国街道へ、武庫川に架かる橋の近くに写真5枚目にある東鳴尾駅がある、駅はこの線内では唯一行き違いができる造りになっている。橋から北を臨むと高速があり更にその向こうには阪神本線が走っているのが見える、阪神武庫川線の始発駅となる武庫川駅はその本線に連絡するような形であるが、今回は阪神武庫川線サクッと各駅巡りと言うことでそちらの方へは行かずにこのまま橋を渡って尼崎方面へと向かうことにする。
尼崎市に入って西国街道を離れて尼崎港方面へ、海が見れるかな・・・と思ったが、雑々とした感じの工場が建ち並ぶ中を流れる運河が見れるだけで風情もあったもんではない、やはり尼崎と言う町は風情を求める場所ではないな、とでも言ったところか。写真にあるように青い空を覆い隠すように雲が浮かんでいて真夏だと言うのに暑さは左程感じない、それは甲子園にいた時でもそうだった、スタンドの上段で見ていたので風が涼しいのかと思ったが、この日はもともと涼しかったようだ。涼を求めて水辺を走りに来たのだったがこれほど涼しいとあんまり意味がない感じ、と言うことでちょっと消化不良気味となってしまったが眠気も迫って来たのでこのまま大阪まで一直線に戻ることに。
涼しくても熱い戦いが繰り広げられている甲子園第2試合の方は、自分(一人称)がちょうどJR難波駅に着いたところで試合終了、日本文理が勝利を収めた。勝利監督インタビューではお馴染みとなった大井監督の気さくな喋りでの名調子、今回で勇退為されると言うことだが何とかいいところまで残っていてほしいところだったが、次の仙台育英との対決に敗れて甲子園を去ることとなった。秀岳館の鍛治舎監督とともに名調子だった大井監督のインタビューももう聞けないんだなと思うとこれもまた寂しいこと、二人とも優勝には縁がなかったんですね、これも心残りだったことでしょう。選手にも応援団にもドラマがあるが監督にもまたドラマがある甲子園、来年の夏100回大会はそれぞれにどんなドラマを見せてくれることでしょうか・・・と言うわけで次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち