おはようございます。
三重の旅春編、そうなんです、実は夏にも三重の旅をしているのでタイトルを「春編」にしておかなければならないのでした、多分この旅が終わるのがまだ先なので見切発車で夏編もお送りすることになってしまいそうです。と言うことで前回の続きと行くのですが、写真の風景はまだ三重県には入ってない所、まだまだ愛西市、木曽川と長良川に挟まれた中洲をにある道を走ってやって来たのは↓↓↓
船頭平閘門
重要文化財と言うことで興味を引かれて立ち寄ったのですが、なるほど、歴史の積み重ねを感じる閘門であることは分かる、で閘門って何?と思って見ていると、木曽川の方から川巡りの船がやって来て係員の人が操作すると鈴を鳴らしながら門が開いて船が入って来た。この辺りは土地が低い所に大きな川が並んでいて水害が多かったことから木曽川と長良川をつなぐ水路を造って・・・云々かんぬんについてはwikiでもご覧ください。さあ、先へと急ぎましょう、ここを過ぎるともうすぐいよいよ三重県へと入ります。
花が咲き乱れる斜面を右手に川よりも一段低くなった町の中を進んで行く、写真2枚目には伊勢湾台風時の水位が表示されているが自分(一人称)の背丈ははるか、その後ろにある民家の屋根と同じ高さの所にまで到達したことになっている。水害の多い所だと言うが、土地の高さが海面よりも低いわけだから災害も必然と言うことになってしまう、輪中・・・集落を洪水から守るために周囲を囲んだ堤防。また、堤防で囲まれた集落や、それを守るための水防共同体も指す(wikiより)・・・と呼ばれるこの辺りはさっきの閘門も含めていろいろな方法で水害から身を守る対策を施している。そんな危険と隣り合わせの町並も穏やかな青空の下で走るといかにものどかな風景と言った感じ、そう、悪いことなんか考えずにポジティブに行きましょう、って余所者が軽々しく言うわけにもいかないんですけど。木曽川に沿う堤防沿いの道を走っていると右手側には低くなった所に長島の町が見えてくる、地図を見ると二つの大きな川に挟まれた中洲は南北に長い島みたいなので長嶋と言う地名なのかと思うがそんな単純なものではない・・・と思ってまたまたwiki頼みで見てみるとこれが案外当たっていた。戦国時代には戦乱の舞台になったり、江戸~明治時代にはこの地方の政治の中心にもなったりと歴史に翻弄されてきた町も、今は水の流れに合わせるかのように穏やかな雰囲気に包まれている。
東名阪の下を通り過ぎると進行方向左手側に大きな鉄橋が二つ並んで架かっているのが見えてくる、ひとつはさっき渡ったJR関西本線、海側にあるのが近鉄名古屋線の鉄橋、二つの幹線が並行して川を経て県境を越えている。電車の写真を撮るにはいい所かな、まずはJR関西本線の方に電車がやって来た、狙って写真を撮っていると時同じくして今度は近鉄名古屋線の方に電車がやって来たがタイミングが合わなくて写真を撮ることができなかった。車両の両数だけ見るとJRは4両に対して近鉄は2両だがこちらは普通だろう、急行だと6両編成なので輸送力では近鉄が有利なのは明らかである。特急も頻繁に走っているのでここはもう近鉄が圧倒している感じだが、JRも特急や快速を増発させて何とか近鉄に一矢を報いようとしている。堤防を下りて近鉄線沿いの道を走っているとアーバンライナーが走って来たが、写真4枚目を見ての通り、銭湯の顔が途切れてしまった、ああ~相変わらずのへたっぴぶりでの披露となってしまいました。
更に線路沿いを行くと町中に入って来て、両線にある長嶋駅へとたどり着く、JRの方は駅舎はなく地下通路を通って2本の線路に挟まれたホームに行ける構造になっている、電車は昼間でも1時間に2本は走っているが待っている人は数人程度で長いホームを持て余している感じである。そこから程なく進んだ所にある近鉄長島駅、特にこれと言った特徴のない駅だが準急停車駅で名古屋までの時間もJRより早いので乗客数も賑やかさもJRを全く相手にしていない感じ。町の中心もこちらの方が近いから有利なのかも知れないが、JRで行こうと思っている人も近鉄の駅前を通ったら、やっぱり近鉄にしとこ~って思ってしまうかも知れない。いずれにしても二つの路線が並んでいると勝負が分かれてしまうのは仕方のないこと、どちらかは流行ってどちらかは廃れてしまう、これはもう宿命みたいなものだが、JRも黙ってはいないことでしょう、何とか近鉄に一泡を吹かせる一手を繰り出してほしいところです。さて、長嶋の走りはこの先、更に南へと進んで河口の方まで行ってみようと思います、その話についてはまた次回お付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち
三重の旅春編、そうなんです、実は夏にも三重の旅をしているのでタイトルを「春編」にしておかなければならないのでした、多分この旅が終わるのがまだ先なので見切発車で夏編もお送りすることになってしまいそうです。と言うことで前回の続きと行くのですが、写真の風景はまだ三重県には入ってない所、まだまだ愛西市、木曽川と長良川に挟まれた中洲をにある道を走ってやって来たのは↓↓↓
船頭平閘門
重要文化財と言うことで興味を引かれて立ち寄ったのですが、なるほど、歴史の積み重ねを感じる閘門であることは分かる、で閘門って何?と思って見ていると、木曽川の方から川巡りの船がやって来て係員の人が操作すると鈴を鳴らしながら門が開いて船が入って来た。この辺りは土地が低い所に大きな川が並んでいて水害が多かったことから木曽川と長良川をつなぐ水路を造って・・・云々かんぬんについてはwikiでもご覧ください。さあ、先へと急ぎましょう、ここを過ぎるともうすぐいよいよ三重県へと入ります。
花が咲き乱れる斜面を右手に川よりも一段低くなった町の中を進んで行く、写真2枚目には伊勢湾台風時の水位が表示されているが自分(一人称)の背丈ははるか、その後ろにある民家の屋根と同じ高さの所にまで到達したことになっている。水害の多い所だと言うが、土地の高さが海面よりも低いわけだから災害も必然と言うことになってしまう、輪中・・・集落を洪水から守るために周囲を囲んだ堤防。また、堤防で囲まれた集落や、それを守るための水防共同体も指す(wikiより)・・・と呼ばれるこの辺りはさっきの閘門も含めていろいろな方法で水害から身を守る対策を施している。そんな危険と隣り合わせの町並も穏やかな青空の下で走るといかにものどかな風景と言った感じ、そう、悪いことなんか考えずにポジティブに行きましょう、って余所者が軽々しく言うわけにもいかないんですけど。木曽川に沿う堤防沿いの道を走っていると右手側には低くなった所に長島の町が見えてくる、地図を見ると二つの大きな川に挟まれた中洲は南北に長い島みたいなので長嶋と言う地名なのかと思うがそんな単純なものではない・・・と思ってまたまたwiki頼みで見てみるとこれが案外当たっていた。戦国時代には戦乱の舞台になったり、江戸~明治時代にはこの地方の政治の中心にもなったりと歴史に翻弄されてきた町も、今は水の流れに合わせるかのように穏やかな雰囲気に包まれている。
東名阪の下を通り過ぎると進行方向左手側に大きな鉄橋が二つ並んで架かっているのが見えてくる、ひとつはさっき渡ったJR関西本線、海側にあるのが近鉄名古屋線の鉄橋、二つの幹線が並行して川を経て県境を越えている。電車の写真を撮るにはいい所かな、まずはJR関西本線の方に電車がやって来た、狙って写真を撮っていると時同じくして今度は近鉄名古屋線の方に電車がやって来たがタイミングが合わなくて写真を撮ることができなかった。車両の両数だけ見るとJRは4両に対して近鉄は2両だがこちらは普通だろう、急行だと6両編成なので輸送力では近鉄が有利なのは明らかである。特急も頻繁に走っているのでここはもう近鉄が圧倒している感じだが、JRも特急や快速を増発させて何とか近鉄に一矢を報いようとしている。堤防を下りて近鉄線沿いの道を走っているとアーバンライナーが走って来たが、写真4枚目を見ての通り、銭湯の顔が途切れてしまった、ああ~相変わらずのへたっぴぶりでの披露となってしまいました。
更に線路沿いを行くと町中に入って来て、両線にある長嶋駅へとたどり着く、JRの方は駅舎はなく地下通路を通って2本の線路に挟まれたホームに行ける構造になっている、電車は昼間でも1時間に2本は走っているが待っている人は数人程度で長いホームを持て余している感じである。そこから程なく進んだ所にある近鉄長島駅、特にこれと言った特徴のない駅だが準急停車駅で名古屋までの時間もJRより早いので乗客数も賑やかさもJRを全く相手にしていない感じ。町の中心もこちらの方が近いから有利なのかも知れないが、JRで行こうと思っている人も近鉄の駅前を通ったら、やっぱり近鉄にしとこ~って思ってしまうかも知れない。いずれにしても二つの路線が並んでいると勝負が分かれてしまうのは仕方のないこと、どちらかは流行ってどちらかは廃れてしまう、これはもう宿命みたいなものだが、JRも黙ってはいないことでしょう、何とか近鉄に一泡を吹かせる一手を繰り出してほしいところです。さて、長嶋の走りはこの先、更に南へと進んで河口の方まで行ってみようと思います、その話についてはまた次回お付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち