まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.700 たつのの旅(7)・・・各駅巡り、山陽電鉄網干線(前編)

2017-03-22 10:35:30 | 旅行記
おはようございます。


今日(22日)のBSプレミアム『ごちそうさん』の再放送では高校野球がGHQによって廃止されるかも知れない、と言う話が繰り広げられていました。この話はリアルタイムでも見ていました、ちょうどセンバツ開催中と言うことでタイムリーな話題だったわけですが、ドラマでは高校野球廃止を食い止めるのにめ以子が一役買ったと言う感じで描かれています(それは明日の放送にて)。悪性の本分は勉強、そんなときに野球をしていたらアホんなる、と言うてはります、とのことでしたが本当にそんな話があったのか、と思って調べたらあったんですねえ、これが、センバツの危機が。アホんなるが理由と言うわけではなかったのですが、詳しい話についてはここをご覧なってください。腕立て伏せをしながら方程式を解くと言う話ではないですが、ここにあるようにこの頃の大会関係者の狡賢さがあったからこそ、今のセンバツがあると言うのもまた感慨深い話だと思いました。









たつのの旅は前回室津を訪れて、その模様は前後編でお伝えさせてもらいました。ほぼこの旅の目的も全部終えた感じで後は姫路へ戻って帰路へ着くだけ・・・と言うにはこの時間です、まだちょっと早いかな。とりあえずはさっき走って来た国道250号線を戻って行くことに、写真1枚目のバス停には七曲りとあるが、この辺りはアップダウンとカーブの連続で自転車で走るにはちょっと大変だが楽しい所、ここは急がずゆっくりとこの道を楽しんで行きたい。帰りは右に見える瀬戸内の穏やかな海もこのまま走って行くともうお別れになってしまう、その前にもう少しだけこの海の風景を近くで見たい、と言うことでこの先にある漁港へと立ち寄って行くことにしましょう。












国道250号線を離れて岩見の漁港と町並へとやって来ました、ここへ来た時には室津とセットでいつも寄る所、室津に比べると規模は小さい漁港でこの日は休日なので静かでひっそりとしている。当たり前の話だが奈良県には漁港がないから、もう珍しいものを見るような気分になってしまうんだよなあ、漁船がタプタプと小気味いいリズムで音をたてて波に揺らされている、湾を囲むようにして突堤が伸びていてその先にはポツンと立つ灯台、西の空に傾きかけた太陽が波に光をはね返らせて、灯台はシルエットになって風景に溶け込んでいる。もう一度書きますが奈良県では絶対見ることができない風景です、怪しい奴やなんて思わずしばしこの風景を楽しませてください。
漁港を後に町並へと入って行くと、ここもなかなか趣のある風景、ひっそりとして人の姿はほとんど見かけないが、まさに古き良き時代がそのまま残った感じの町並がいちびりな旅人を出迎えてくれる。写真7枚目、「ボンカレー」の看板、自分(一人称)が子供の頃に見ていた看板ですよ、おばちゃんがカメラ目線で袋からルーを御飯にかけているお馴染みの看板ももうほとんど見ることがなくなったが、そっか~、まだここでは残ってるんやなあ~。昔の「ボンカレー」と言うと赤が甘口、黄色は辛口、子供は大概甘口で、辛口を食べるようになったら一歩大人と言う感じだったのですが・・・自分(一人称)もカレー大好き旅人なので話が長くなってしまいそう、カレーの話はこの辺りにして、さあ、先へと進んで行きましょう、瀬戸内の海とももうお別れです。









姫路まで戻るにはまだ微妙に時間が残っていると言うことで、ここからは山陽電鉄網干線を各駅巡りで姫路を目指して行きたいと思います。国道250号線を東へ進んでいくと揖保川に架かる橋を3つ渡る、ここまでずっと走って来たたつの市とはここでお別れとなって、この先は姫路市を走って行くことになる。その始まりは網干区、写真1枚目、2枚目はこの付近にある登録有形文化財を巡った後に通った網干の町並、川に沿う場所にある登録有形文化財の民家を取っ掛かりにした感じで、この辺りには古い町並が展開している。道を進んで行って国道の横断歩道を渡ると写真3枚目にある山陽網干駅、この駅は何度か輪行で利用したことがある、JRに比べると地味な感じのする駅はきれいな装いで何とか自己主張しているかのよう。網干線は他の線とは直通はしていなくて独立した線区なので運行形態は単調、見かける車両も単調と言うことで路線を巡るにはあまり面白味を感じない所。案の定次の平松駅も単調な造りの駅舎で、周辺の風景も特に書き出すこともない、ウロウロと走り回っていたら怪しい奴だと思われかねないような普通の民家が建ち並ぶ所。この先、各駅巡りでどんな風景を見つけられるのかと言う期待もあまりできなさそうな感じですが、とりあえず行ってみることとしましょう、そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。         まちみち

No.699 滋賀の旅秋編(6)・・・各駅巡り、JR草津線(その2)

2017-03-21 09:09:49 | 鉄道
おはようございます。














滋賀の旅秋編は東海道巡りから離れてJR草津線各駅巡りとして後半戦へと差し掛かっています。前回もお伝えした通り経路の関係で貴生川駅は飛ばして水口から次の駅へと向かっているわけですが、ここはちょっとした山越え、それほどきつくはないが本当にこの道が合っているのか不安になりながら県道を先へと走って行く。下り坂に入って目の前に街の風景が広がると次の駅がある甲南町へと入って行く。駅は町中の一角にあるがまずはこの駅の近くに登録有形文化財があると言うことでそちらを目指すことに、その建物がある通りは旧街道の雰囲気が感じられる道、それもそのはずで先を進んで行くと写真6枚目、7枚目にあるように伊賀街道の碑が立っている。今回の走りが伊賀へと向かって行く旅なので、この道がこの先のメインルートとなっていくのだろう、おっと、駅を巡るのを忘れるところだった、と言うことでそちらへと向かうことにしましょう。









甲南駅は街道から少し外れた所にあるが場所は分かりやすい、写真1枚目、2枚目にあるように人の姿は全くなくひっそりとしていてこれと言った特徴がある駅ではないが、ポスターや広告がペタペタと貼られた駅舎は地元の風景に溶け込んだ感じ、派手な装いやきれいな橋上駅でないところがまたいい。駅を後にして線路沿いを進んで行くが、目線と同じ高さにある線路は町では危ないと柵や塀で区画を造られてしまうが、ここではそんなものはいらないと言った感じ。色とりどりの花々がその役目を代わって担っているかのようにして咲いている、だからと言って電車が来ないからって線路に入ってはいけません、それは子供だけでなく大人も同じルール、嬉しがって入って写真を撮るとネットで叩かれます、自分(一人称)も気をつけよ・・・










次の駅まではさっきから続いている伊賀街道を進んで行く、上の写真にあるように旧街道の雰囲気が漂う町並は目を飽きさせてくれない。旅の前半の東海道ではその風景を四角い枠に収めたいと思って進んでは止まり進んでは止まりの繰り返し、残り時間も少ないので先を急ぎたい所なのにここでも旧街道の風景に目をとらわれてしまって、思うように先へと進めない状態、ああ~僕の悪い癖。そしてこの辺りから気になるキーワードが、それが写真3枚目にある忍術もなかの看板にある「忍」の字、そう言えばさっきは忍者の飛び出し看板もありました、ここからはいよいよ忍者で有名な甲賀の里へと入って行くことになるのですが、それについては次回以降でのお送りとしておきましょう。ここではあともう一駅紹介してお開きとしておきます、その駅は写真4枚目の交差点から旧街道を分かれて入って行った道の先にある寺庄駅、古い町並の中にある駅だからと思って期待していたが実際にあったのは味気のない橋上駅、近くには学校があって通学客が多いのだろうか、それでもここまで見てきた町並には不釣り合いな感じな駅である。そう言えばここまで草津線の駅は橋上→ローカル→橋上→ローカル→橋上→ローカルと来て今回が橋上駅と法則には合っている、となれば次の駅はローカル風な駅舎が見れるのか、そのことに期待して先へと進んで行くことにする。風景もローカル風な感じでその中を颯爽と通り過ぎて行く電車ものどかな雰囲気で、ますます期待も大きくなっていくところですが、さて、どうなることでしょうか、次回もお付き合いよろしくお願いします。       まちみち

No.698 智辯学園、連覇に向けてまずひとつ!

2017-03-20 12:54:36 | 日記
おはようございます。


今年もセンバツが始まりました、そうか~、あれからもう1年経つのか・・・って去年は岐阜県の養老鉄道を各駅巡りしながらラジオで開会式を聞いていたんだった。揖斐を目指して走っていてその途中のことだった、入場行進曲が全然知らない曲だったが、まさかこの曲が神曲になるなんてこの時は思いもしませんでした。開会式後のオープニンゲゲームに智辯学園が登場、そしてその智辯学園が最後の決勝戦まで残ってくれる、しかも延長サヨナラで優勝してくれるなんて・・・ともうこの話はここでも何度もしてきたし、見てくれる人も「もうええやろ~」と思われるかも知れませんが、そんな鑑賞に浸るのもここまでです、開会式で優勝旗を返還するともう新しい戦いの始まりです。


昨日(19日)の開会式は昨年と同じく養老鉄道各駅巡りで走りながら聴いていました、と言っても今回は南へ桑名へ向かってです、この話についてはまた追々お送りしていくことにしましょう。大垣駅から走り始めてすぐに9時になったのでラジオを点ける、今年の入場行進曲は星野源の『恋』、自分(一人称)はドラマは見てなかったしダンスも知らないしこの歌も紅白で初めて聞いたくらい、でも去年はブームになってたんですねえ。星野源って昔は変な役をやったり、上野樹里といっしょに↓↓↓



何かさえない奴ってイメージがありました、そう言えば去年は大河で徳川秀忠役をやってたなあ、あの時の江が結構ブラックだったのが面白かった。
その星野源の曲で一番最初に入って来たのが智辯学園、自分(一人称)は去年優勝した時に「来年は先頭だから絶対全員で返しに・・・」みたいなことを書いたが、きちんとその約束は果たしてくれました、智辯学園の名前が一番最初に呼ばれた時には、ラジオで聞いていてもちょっとウルっと来ましたね。しかし次に入って来た決勝で名勝負を繰り広げた高松商は独りだけの行進、やはりそれは寂しいものです、夏にしてもそうですが一年間同じ力を守り続けると言うのはやはり難しいと言うことでしょう。センバツは出場校が夏に比べて少なく選抜されたと言うことで、勝っても運だと言われて夏のように実力での勝利を言われないところもあるが、それはやっぱり間違いでしょう。センバツに向けての戦いは秋の地区予選から始まり地区大会、それを勝ち抜いて神宮大会、地区大会を勝ち抜いてもその試合内容が重視され、神宮大会で優勝した地区は1枠を与えられる、21世紀枠もあって当落線上にある学校は気が気じゃない感じで年を越すことになってしまいます。晴れて選抜されたチームも果たして昨年の実力を保ったまま甲子園にやって来れるか、それもまた課題となるところ、大きな番狂わせや波乱が起こるのもその辺りがポイントとなっているのでしょう。
入場行進は家に帰ってから録画していたのを見ましたがラジオでもその光景は目に浮かぶようでした。16人の中村、10人の不来方が紹介された時には一際大きな拍手、各校手書きの個性的な校名のプラカード、智辯学園は校歌の演奏に合わせて校旗掲揚、しかし優勝旗返還の時にはこの1年間優勝旗が奈良にあったことを思うと寂しい気持ちにもなりました、だから今年も持って帰ろう、頼むよ智辯・・・と演説に立っていた田野瀬文部省政務官もそう言いたかったんではなかったでしょうか。しかし励ましのお言葉のオッちゃんの話は長すぎ、その後選手宣誓する作新学院の主将がテンパっている姿が何度もテレビに映し出されていて気の毒な感じでした。しかし不来方は10人だけと言うことで、もし選手が試合途中で怪我したらどうするんやろかしら、『ドカベン』では最後の決勝の紫義塾が8人で、試合途中で一人が大けが、グラウンドで傷を縫うと言う荒療治で試合を続けたが9回にまた一人大けが、試合続行不可能で没収試合になりかけるところに最後の一人の選手が現れると言う漫画ならではの展開があった。まあ現実は漫画のようには行かないから何とか無事に試合を乗り切ってほしいと思うところであります。


開幕試合は呉vs至学館、共に初出場でしたが拮抗した緊迫感のある試合は開幕早々延長戦となりました。それにしてもこの2校、校歌が何か、何かなあ~、至学館は何か変な歌やし、市呉はピアノの演奏がX JAPANみたいな感じ、最近はこんなキラキラ校歌が流行りなんでしょうか。ちなみに毎回買っている高校野球特集の雑誌で各校の校歌を調べてみたのですが、健大高崎はもうお馴染み、多治見の歌詞には「桔梗ケ丘」とあって三重県の学校と間違えてしまいそう、大阪桐蔭は毎度ネタにしている通り、創志学園も校歌らしからぬ歌詞、履正社には「マーキュリー」とあるがこの言葉が出てくる校歌がもう一校、どこかと言えば我が奈良県代表高田商でした。そもそも「マーキュリー」って何?って思って調べたら↓↓↓

(1)【天文】 水星
(2)【ローマ神話】メルクリウス,マーキュリー《神々の使者で,雄弁家・職人・商人・盗賊の守護神; ギリシャ神話 の Hermes に当たる》

とある、履正社も元は扇町商という名の商業高校だったからまあこの言葉が出ていてもおかしくはないか。その履正社は2戦目で日大三との対決、いきなりこれか~と言う感じもしたが、最初は日大三ペース、履正社が逆転、その後追いつかれて9階へと言う試合展開、ただ自分(一人称)はこの時はもう桑名に着いていて帰りの電車の中、ラジオを聞くことはできず携帯のサイトで経過を見ることしかできなくなりました。

関西本線を亀山で加茂行に乗り継ぎ、第3試合の智辯学園vs熊本工の試合はその途中で始まりました。もう気になって仕方ないから携帯のサイトを数分毎に開く始末、列車は山の中を走るのでラジオの電波は届かない、智辯は1回に先制、3回にも1点を取ってリード、試合を有利に進めている模様。桑名から奈良までは自販機分では購入できずに乗越しになってしまうので加茂までの乗車券を購入していたが、勝っているのならラジオを聞きながら加茂から相棒を立ち上げて帰るのもいいかと思って加茂で下車。さて、ラジオを聴こうかと思ったらNHKは相撲中継に変わっていた、何か空しい気分になったが度々携帯のサイトを確認しながら奈良まで帰り着くことができた。家に帰っても試合は続いていて9回のホームランはテレビで見ることができた、終わってみれば9-0で一方的な試合、熊工の投手はいいって評判だったから心配だったし、奈良県勢は高田商も熊本県勢との対戦、2敗もしたら情けないやろな~と思っていたので、勝ってくれたと言うことで良かったです。前にも書いたが奈良県も熊本県勢との対決は全部熊本工で1勝2敗と負け越し、ただ智辯学園は天理みたいに名前負けするようなことはないのである程度は期待してました、9点取ったしホームランも出たしまずは満足な勝利、連覇に向けて視界良しと言ったところでしょう。
今さっき今日の第1試合が終わり、盛岡大附が智辯学園の次の相手に決まりました。この学校よく打つねえ、去年の夏もそうだったが打力が強いチームとの対戦となると智辯もちょっと不利かな・・・と思ってしまう。ちなみに奈良県と岩手県の対決と言うと、何とこれが初めてになるんですねえ、もう100年近く行われている高校野球で、まだ対戦がない県があったとは意外なことだが、確かに岩手県との対決って記憶になかったなあ。盛岡大附も強豪校のイメージがあるが岩手県と言うとやっぱり花巻東、菊池雄星の時には決勝進出、大谷翔平の出身校と言うことで東北の高校野球をリードしつつある高校となっています。岩手県も以前は弱小県のイメージだったがもうそんなことはありません、でもね、奈良県勢かてここで負けるわけにはいかんのです、何たって春連覇がかかっているのだから、智辯学園、次も熱いのをひとつ、お願いします。高田商は履正社からもらった1枠を大事に使ってね、勝てとは言いませんから・・・と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。         まちみち



No.697 各駅巡り・近鉄南大阪線(4)+『天使のいる図書館』のロケ地へ

2017-03-18 10:37:19 | 鉄道
おはようございます。











近鉄南大阪線各駅巡りは前回二上山が真正面にそびえる二上神社口駅へとやって来ました。この駅は『聞きこみ発見旅』でも下車して名所登録へと向かった所、その名所登録されたのが写真2枚目、3枚目にある道の駅、ここで名物のこんにゃくを食べていました。二上山を大きくすぐ横に見る道はさっき通って来た穴虫交差点から分岐している国道165号線のバイパス、車の量は多いがのどかな田園風景の中を進んで行くのは気持ちがいい、まだ収穫前の田んぼの稲穂がその風景にいい演出を加えてくれています。


自分(一人称)が今回この路線を走った1週間後に映画『天使のいる図書館』のロケがこの辺りで行われたそうです。その映画の中で象徴的に出てくるシーンが、小芝風花さんが自転車で二上山をバックに田園風景の中を自転車で走るシーン、せめてその場所は見つけておきたいと思い、この間久しぶりにこの付近を走って来ました。









上の写真にある場所は近鉄南大阪線の東側に当たる場所、映画では稲穂が実る黄緑色の絨毯の中を小芝さんが颯爽と自転車で駆け抜けて田んぼにはまっていました。映画で見た時はこの場所がどこかはわからなかったが、実際に走ってみて前に一度ここに来ていることを思い出した、確か当麻寺を目指して走った時のことだったと思う。今はもう冬枯れしてしまって田んぼは茶色になってしまったが二上山の美しさは変わらない、二つの山頂がポコンと突き出た感じの山はこの辺りから見るのが一番美しい姿かも知れない。山は動かないが人は動くので場所によってその姿が変わってしまうのは仕方のないところ、走りはこの先も続いていくので一番の見所のある二上山とはこの辺りでお別れとなってしまう。












『聞きこみ発見旅』では道の駅で聞きこみをして相撲博物館を紹介されていた、そこは当麻寺から近い所にありバイパスを進んで行くとたどり着くことはできるが、番組では時間がないことで行くのをあきらめていた、後に出てくる河相我聞の名言「逃げる勇気」は早くもここで発揮されていた。奈良に詳しい人ならそのまま歩いてついでに当麻寺界隈でもひとつ名所登録して、一駅歩いた形で次の駅から乗っても良かったと思うが、これは仕方のなかったところだろう。上に貼った写真はその当麻寺界隈の風景、この辺りも映画のロケ地となっていた、立派な造りの山門と旧街道の雰囲気が漂う参道、気持ちが優しくなる映画にはまさにピッタリな風景と言った感じ。その参道を下って行くと国道165号線の交差点・・・と言っても国道区間はここで終わりとなりこの先は県道30号線となって御所方面へと向かって行く。この交差点を渡った所に相撲博物館がありそこには「相撲発祥の地」とののぼりが立っているが、ちょっと待った~、来ましたね髭じい、確か桜井市に相撲神社というのがあってそこが相撲の発祥地だと謳ってなかった?奈良に相撲の発祥の地が二つ、どっちがほんまもん?これは邪馬台国がどこにあったかと同じくらいに論争を呼びそうな、ってそんなこと気にする人はいないか、しかし桜井市はなぜか論争に巻き込まれてしまうことが多い、まあ今は葛城市の話しなのでそのことは横に置いておきましょ。








と言うことで各駅巡り、最後のゾーンに来てやっと今回初めての駅、当麻寺駅へと到着です。有名な観光地の玄関口にしてはどこか寂しいローカル線の一駅と言った感じ、急行も停まらない、寺院の入口と言っても周辺は住宅が建ち並び地元の人達が普通に生活に利用する駅でもある。ここから線路に沿うように南東方向に進むと国道166号線の長尾交差点、「長尾」と言うからには長尾街道に関係している地名だろうが、この国道166号線は竹内街道から続く道であり、ここから東へは初瀬街道となり伊勢へと続く、昔からの幹線道路と言った感じの道、次の磐城駅はこの国道からほん少しだけ逸れた所にある。ここも特に特徴がある駅と言うわけではないが、竹内街道、長尾街道が交わる交通の要所でもあった所、その最寄りとなる駅だが特にそれをアピールするわけでもないなくひっそりと佇んでいる。むやみに観光に走らない、来る人を呼ぶのではなく待つ、それが奈良県民の気質なのかも知れない、まあそれがいいか悪いかは別としてですがねえ、そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。          まちみち

No.696 阪急ブレーブスの時代

2017-03-16 10:23:12 | 日記
おはようございます。





現在、神戸までの道程として阪急神戸線各駅巡りをお送りしているわけですが、前回は西宮北口駅を通り過ぎました。西宮北口駅と言うと思い出すのがこれ↓↓↓




今にして思うと何か凄い光景にも見えますが、大手の私鉄でこんなアクロバット的なことが当たり前の様に行われていました、自分(一人称)もこの光景は実際に見たことがあったのでよく覚えています。このダイヤモンドクロスが廃止されたのが1984年、奇しくもこの年は阪急ブレーブスが球団の歴史としては最後の優勝を果たした年、球団がなくなってしまうのはその4年後と言うことになるのですが、この頃はそんなことが起こるなんて夢にも思いませんでした。




球団がなくなった後も駅のすぐ横に残っていた西宮球場、自分(一人称)が初めてプロ野球観戦したのがこの球場でした。野球が行われなくなった後でも競輪やアメフトなどが行われていた球場も2002年に廃止、その跡地は今は大型の商業施設となってしまいました。↓↓↓






各駅巡りの最中にこの場所がどうなってしまったのかと思い立ち寄って見たのですが、円さが特徴的な球場がカクカクなビルになってしまい、外観を見ただけではここに球場があった痕跡もほとんど見られなく寂しい気持ちになってしまった。そんなに多くはなかったが何度か見に来たことがある球場、ナイターの時には近鉄電車の最終の時間を気にしなければならなくいつも7回くらいで帰らなければならなかった。一時代を築いた球団も球場もなくなってしまい思い出に語られることもほとんどなくなってしまったが、自分(一人称)が野球を知って初めてファンになったのがこの阪急ブレーブス、ちょっと語らせてもらおうかなと思います。




小学生の頃は野球はテレビ中継で見ることはあっても細かいルールや球団も巨人か阪神しか知らなかった、アニメの『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』は見ていたが野球そのものには興味はなかった。ある日友人から阪急ブレーブスのファンになったと言う話を聞いて、それに釣られるような感じで自分(一人称)もそのチームに興味を持つようになった、とは言ってもパ・リーグの試合はテレビでは週末にほんのちょっと中継があるだけ、ラジオもほとんどが阪神(T)戦で新聞のラジオ欄で中継があるのを調べて、聞こえにくい周波数にダイヤルを合わせて雑音が混じる中での中継に耳を傾けていた。土曜日の午後は吉本新喜劇、『モーレツしごき教室』が終わると8チャンネルでパ・リーグアワー、ここでは大概阪急(B)の試合をやってくれていて、いつもそれを楽しみに見ていた記憶がある。


昭和50年代前半は阪急ブレーブスの黄金時代、昭和50年には初めての日本一、自分(一人称)がファンになったのはその翌年から。2年連続リーグ優勝を果たして日本シリーズはこれまで5度戦って一度も勝てなかった巨人(G)が相手、阪急が3連勝して大手をかけた後、今度は巨人が3連勝、何か「巨人はロッテより弱い」と言ったあのシリーズを思い出しますねえ~、と思ったら阪急が3連勝した後にそれと同じことを言った人がいたらしい↓↓↓



どうやらこの人らしいとのことだが、今も昔も変わらずおもろいオッサンだったと言うことでしょうか。話は逸れるが世界の盗塁王リッキー・ヘンダーソンが憧れの福元氏に会えると楽しみにしていたところ、目の前に現れたのは浪速のオッサン、「これ、お土産」と無理矢理渡して世界の盗塁王は目が点になってしまったとか。ちなみにこの日本シリーズの時に引き合いに出したのが「最下位の近鉄(Bu)」だったが、近鉄はこの年4位だったとのことで、この頃から言うことも適当な人だったのでしょう。第6戦は阪急が前半まで7-0で勝っていたのを巨人が後半逆襲して8-7と大逆転、過去のシリーズで一度も勝てなかった相手、さすがと言うか呪縛というものがあったのでしょうか。しかし第7戦では一旦リードされた試合を終盤↓↓↓



風貌に特徴があった森本選手が逆転ホームラン、その後には福本もダメ押しのホームランで阪急が6度目の挑戦で初めて巨人を破って日本一となった。MVPは福本が獲得と言うことでおいしいところはこのオッサンが全部持って行ってしまったシリーズでもありました。そう言えば日本一になった後に梅田の阪急百貨店に優勝セールスに言ったなあ、あの時の賑わいは物凄かったなあ・・・まさに「阪急ですから~」と言う時代だったんでしょう。


翌年も阪急は優勝、そして巨人を2年連続で破って3年連続の日本一、この頃が阪急ブレーブスの黄金時代と言った感じでした。この頃のパ・リーグと言うと、南海ホークスには金城、近鉄バファローズぬは鈴木、日本ハムファイターズには高橋直樹、ロッテオリオンズには村田兆治、クラウンライターライオンズには東尾と絶対的なエースがいたが、阪急と言うとやはりこの人↓↓↓




もうお馴染みのアンダースロー、山田久志、自分(一人称)が一番大好きな選手でした。昭和51年には26勝もしているんですが、この頃は現在よりも試合数が少なくて130試合、その中で今では考えられないくらいの勝ち星数です。最初はグッと伸びて、その後状態をグッと曲げて地上すれすれから放たれるボール、きれいなフォームは今でもその姿が思い出せるくらい、この頃にも他にも足立や金城と言った下手投げの投手はたくさんいましたが、アンダースローと言うと山田、と言うのがもう代名詞になっていました。





黄金期を支えた選手は他にもいっぱいいます。山口高志、稲葉光雄、加藤秀司、島谷金二、マルカーノ、高井保弘・・・当時の選手名が次から次へと思い浮かんできます。しかしそんな黄金時代にも終わりは来ます、そして自分(一人称)の気持ちも離れて行く時が、それが4年連続リーグ優勝を果たした後の日本シリーズ。相手はこれが初優勝だったヤクルトスワローズ、当時は勢いもあったせいか皆ヤクルトを応援していたが、自分(一人称)は阪急の強さを信じていた。そして3勝3敗で迎えた第7戦・・・詳しいことは各自で調べてみてください、あの一件は阪急ブレーブスを応援していた自分(一人称)にとっても悔しいと言う気持ちと、何か、何かなあ~と言う気持ちがあって、結局これを機に阪急ファンをやめることになってしまった。まあ調子のいいことだとも思われそうだが、こうやって文章を書いてたらやっぱり懐かしい気分になってくるもんです。球数制限とか休養とかコリジョンルールとか、今とは違ってこの頃はプロ野球も大らかな時代だったんでしょう、見ていて楽しかったもんね。そして時代は近鉄(Bu)と西武(L)が血で血を争う死闘の時代へと移り変わっていく・・・、と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。         まちみち