まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.695 大和古墳群

2017-03-15 08:48:13 | ふうけい
おはようございます。


















昨年の暮れに天理~桜井間のバス停を巡った話についてはこの間ここでお伝えしましたが、その時に合わせて山の辺の道付近に点在する古墳を巡って走りました。まず上にズラリと貼った写真は天理市内にある大和古墳群の風景、奈良にあるから大和を名乗るのは当たり前やないか~、とも言いたくなりそうだが、この付近にある神社が大和神社と書いて「ooyamato」なのでこの古墳群もその読み方となっている。この辺りは度々ここでも紹介したことがあります、竹内環濠集落から山の辺の道を通って萱生環濠集落へと差し掛かる区間、少し小高くなった所からはいくつかの古墳を臨むことができる。名前は知られなくとも古代からの文化が引き継がれてきた所と言った感じだが、集落の静かな落ち着いた雰囲気はその頃からもうずっと変わらないものだったのだろう。この古墳群の中でも有名なのは衾田陵、集落を抜けた所にデ~ンと構えていて小高い山と見間違えてしまいそう、しかし山の辺の道はこの先は畑の中の畦道となってしまい自転車で行くことができなくなってしまう、と同時に大和古墳群もこの辺りで一旦落ち着く形となって古墳群は柳本周辺へと引き継がれていく。












柳本古墳群と言うと、崇神、景行天皇陵や黒塚古墳など名前の知れた古墳が有名、国道の東側には大きくデ~ンと構えているが、天皇陵と言うことで当時の勢力を古墳の大きさで誇示しているかのようである。山の辺の道はその古墳の裏側を沿うようにして通っているが、あまり走りの良い道ではないのでここは国道を進んで行くことにする。桜井市に入り進行方向左手側には三輪山が見えてきて、古代の情緒が漂う地域へと差し掛かって行く、この辺りが多分邪馬台国があったであろうとされる所、はっきりとした場所を特定することはできないが邪馬台国と言うと「纏向」はもう記号のように語られるくらいにお馴染みとなってしまっている。JR万葉まほろば線巻向駅西側にもいくつかの古墳が点在していてその辺りは纏向古墳群と名付けられているが、その辺りについてはまた別枠でのお送りを考えています。










上の写真は国道169号線の東側にある桜井市穴師と言う町の風景、なかなか風情のある町並が展開していて、その中を狭い道が縫うように通っている。まるで迷路のような道、町並に入ってしまうと古くて立派な造りの家屋が所狭しと迫って来て、一瞬方向感覚を失ってしまいそう。写真にもあるが常夜燈や火の見櫓など今ではもうなかなか見なくなった光景もまだまだこの辺りでは健在、市の中心地からは離れた所なので、ここの古くからの住民がずっとこの町の文化を保ってきたのだろう。最近はこう言った古い町並にも開発や観光目的などと称して都市からの文化が人の意志で押し込まれることがあって、その姿や良さが失われつつある。古臭いと言って歴史を否定するのは人間のエゴ、そんなものなど関係ないと言った感じでやっぱり残せるものは残していってほしいと言ったところ、古い町並を走った時にはいつも考えることです・・・って言ってもそんな町並を嬉しがって走っている余所者の自分(一人称)が一番迷惑がられている存在なのかも、それはそれで失礼させてもらってます・・・と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。         まちみち

No.694 登録有形文化財巡り・まだまだ大阪市内編

2017-03-14 09:50:10 | 文化財
おはようございます。











登録有形文化財巡り、大阪市内編はそろそろ残りも少なくなってきてはいるのですが、まだ見つけきれてないものや巡ることができなかったものもあって、大阪市内での巡りはまだまだ続きそうです。これまでの市内での登録有形文化財と言うと淀屋橋付近のレトロなビルが集まっている辺りや、ミナミでは日本橋付近の寺院が連なっている辺りがまあ分かりやすく見つけやすいと言った感じでしたが、大阪環状線内には目立たない場所にもいろいろと点在しています。上の写真では2件の登録有形文化財物件を紹介していますが、どちらもビジネス街の中にあって探し当てるのに結構苦労しました。とりあえず予習として住所と地図であらかたの目印と場所を確認はしているのですが、その住所に近づいても番地の細かいところとなると急に区画が途切れたり番号が飛んだりで、あと少しと言う所で迷い込んでしまうこともしばしば。写真1枚目、2枚目にある能楽堂はビルが建ち並ぶ中にあって文化財と言う感じもあまりしないただの建物と言う感じだったので、1度は通り過ぎてしまっていました。玄関前にがあったので何とか見つけることができたが、異彩を放つレトロなビルディングと違って周辺の風景に溶け込んでしまっていると言うか負けていると言うか・・・。









上からの4枚は住友銅吹所跡、と言ってもこれは登録有形文化財ではありません。場所は地下鉄松屋町駅から長堀通を西へ高速を越えた所、歩道の外れの森の中に突然ポッと洋館が現れたので立ち寄ってみることにした、ただここは文化財データベースにはなかったので目指すべきものではなかったがこの建物には興味がそそられる。まあどういう所だったのかはこちらをご覧いただくこととしておきましょ、自分(一人称)の説明では分かりにくいと思いますんで。ただ、この洋館はビリヤード場だったと言うこと、そりゃ日本を代表する財閥だった住友家がこんな小さな家に住んでいるわけないわな。その住友が扱っていた銅に関しては、以前愛染幼稚園を訪れた時にそこに銅座跡と言う碑が立っていたと言うことで、この地が銅の生産の主流の地だったと言うことがうかがえる、と言うか今はビジネス街となりビルが乱立し、車が頻繁に行き交う所に銅の生産所があったと言うのも今となっては違和感のある話ですが。
下の2枚の写真は心斎橋界隈にある建物、夜は賑やかになる繁華街の中にあるのですがこれを見て何の建物かお分かりになりますか?この写真では建物の中央の陽の当たった所に薄っすらと十字架が見えると言うことでこの建物は教会だと分かるわけですが、実は前に一度この付近は巡っていて、この建物を探し当てることができなかった。自分(一人称)の中で教会はこんな建物だと言うイメージがあり、場所が繁華街と言うことですぐに分かるだろうと高を括っていたのが悪かったのかも知れない、結局その時はあきらめて今回再訪となったわけだが、まさか協会がこんな四角い形の建物だとは思わなかった。思い込みだけでは動いてはいけないと言うもう基本的なことが、いざ現地へ行ってしまうと忘れてしまう悪い典型みたいなものですねえ、今回この建物を見つけた時にはこれのどこが教会やねん、文化財には見えんわ、と思ってしまった、自分(一人称)が悪いのを棚に上げてしまって調子のええもんですわ、全く・・・。











このゾーンでは阿倍野区にある登録有形文化財を3件写真にて紹介しています。この中で苦労したのが写真5枚目、6枚目にある2件目の民家、場所は阿倍野区の賑やかな商店街から外れた所で民家が密集する所にあったのですが、こう言った××家住宅と言うのを探すのが一番気を使うんですよねえ。まず場所からして人が普通に生活している所、そんな所をあちらこちらと動き回っていたら周辺の人からは怪しい人と思われかねない、これはいつも書いていることですが、本当に気を使っていることです。だから前以て予習をしていくわけですが、さっきも書きましたがいざ現地に着くとなかなか見つけられないこともしばしば。この時も住所を頼りに行ったわけですが、番地の区画の場所に来たら後はその番地の場所を突き止めて行けばいいだけ、TOKIOが犯人になって逃げるのを捜索する時に使っているピコピコがもうフルに点滅している感じの所まで来ているのですが、いざとなると番地の最後の数字の場所が見つからない。このまま諦めるのも何なので、何度も周辺を回って探し回ったが結局は番地の最後の数字を間違えていたことに気がついて、やっとのことでこの民家を探し当てた。住所や目印を携帯のメモ帳に記するだけでは、迷ったたんびに携帯を開かなければならないし電池ももったいない、しょ~もない間違いも多いので、今は自分で簡単に地図を書きこんだノートを持参して巡りをやっています、これがまあ結構効果大、やっぱり予習は大事だと言うことでしょうか。そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。          まちみち






No.693 各駅巡り・JR奈良線(山城多賀駅~)

2017-03-13 11:20:18 | 鉄道
おはようございます。





JR奈良線各駅巡り、前回お送りしたのは1月の末で1ヶ月以上間が空いてしまいました。まあ暇ネタだったし全区間はやらないつもりだったんですが、それでも間が空きすぎてしまったと言うことで、今回はその続きをお送りしていきたいと思います。






前回は快速停車駅の玉水駅まで来ました、駅を後にして線路沿いの道を北へと進むと途中で新しく作られた道が分かれていて、そこを行くと次の駅へは簡単にたどり着けるようになったが、ここはいつものように山城古道をたどる旧道の方へと進んで行く。踏切を渡り少し緩やかな上りを行くと多賀の町並へと入って行く、ただこの辺りは余程気をつけてないと駅への入口を見過ごしてしまう所、駅はこちら側からでは結構分かりにくい場所にある。車も入れないような本当にここでええんかいなと言う感じの狭い道を入って行くと次の山城多賀駅へとたどり着く、昔はみすぼらしい感じのホーム1本だけの無人駅だったが、奈良線が主要路線となってからはホームは2本に増設され簡素ながらも駅舎も造られた、写真2枚目は旧街道側からの入口、3枚目のホームの向こうに見えるのは新道からの入口である。










旧街道へと戻り、国道307号線の交差点を越える辺りで城陽市へと入る、次の山城青谷駅は街道から外れた場所にあるがそちらの方が町の中心地と言った感じ。この駅が最寄り駅となっている青谷梅林は旧街道から近い所にあり駅からは結構距離が離れている、自分(一人称)もこの時期に一度行ったことがあるがまさに隠れたスポットと言った所である。写真1枚目にあるように山城青谷駅は立派な駅舎だがこれは地元の公民館を併設しているから、駅自体は2面2線の普通の駅と言った感じである。いつもは旧街道を走るだけでこの界隈には滅多に来ることがなかったが、踏切を越えた所には写真4枚目以降にあるように古い町並や道標があり、この辺りも旧街道の一部だったと言うことがうかがえる風景だ。この道標を真っ直ぐ行くと国道24号線に出ることになるはずだが、次の駅へは旧街道を行く方が早いので、この角を曲がり先を進んで再び旧街道へと合流する。






旧街道へと戻り踏切を渡ると民家が建ち並ぶ中へと入って行く、国道24号線ほどではないが多くの車がこの道を抜け道として使っているらしく、結構気を抜くわけにはいかない所。やがて駅へと向かう道が分かれていて、そこを入って行くとすぐに次の長池駅へとたどり着く、自分(一人称)が京都まで走る時にはいつもこの駅でトイレ休憩することにしている所である。ありきたりな橋上駅で快速は止まらないから特に人の賑わいもないが、周辺の町並は風情があり近くには国道24号線、それに沿ってショッピングセンターもあるので乗降客は常に確保されているといったところ、城陽市の南側の玄関口と言った位置づけ(wikiによる)にある駅である。


さて、前回この線区での各駅巡りは長池駅までとしていたのですが尺が余ってしまったのでもうちょっと先まで行ってみることとしましょうか、と言ってもサクッとギュギュっとまとめてなのですが・・・↓↓↓









写真1枚目、2枚目は城陽駅、奈良線を走る快速・・・まだ『みやこじ快速』と言う名前ではなかった頃・・・の3番目に停車駅となった駅である。城陽市の中心駅で町の中心地にも近い所にある駅だが、旧街道側から行くには駅の場所が分かりにくい、どちらかと言うと駅の東側の方が町としても発展している感じで、バスもそちら側の方にしか運転されていない。3枚目、4枚目は新田駅、近鉄大久保駅が近い所にありそちらは急行も停車するので周辺も結構賑やかな所、一方の新田駅の方は普通の民家が建ち並ぶ所だが、近鉄に対抗する意味もあるのだろうか朝夕に運転される快速の停車駅となった。駅の北側にある踏切は宇治へと向かう府道が通っていて、狭い道だが交通量は半端なく多い、自分(一人称)も大津へ向かう時には必ずこの道を通るが、この辺りは上り坂の始まりにもあるので気をつけて行かなければならない所である。
最後の3枚の写真は新田駅からビュンと飛び越えて桃山駅、桃山御陵の差し掛かりの場所にあり伏見桃山城の最寄り駅、駅を西へと坂道を下って行くと近鉄桃山御陵前駅、京阪桃山駅、京阪観月橋駅にも近く交通の要所である所。伏見の中心にも当たる地域は戦国時代、幕末の舞台にもなった所でいろいろと取り上げてみたい場所もあります、と言うことでこの付近についてはまた別の機会にディープに巡ってみて、ここで紹介しようと思っています、今回はちょっと中途半端になってしまいましたが、JR奈良線各駅巡りはこれにて一旦終了としておきます。そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。         まちみち

No.692 べっぴんな町へ(2)・・・各駅巡り、阪急神戸線・その2

2017-03-12 18:23:11 | 鉄道
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『べっぴんさん』は自分(一人称)が子供の頃の時代に入って来ています、先々週は万博、先週はオイルショックの模様を映像でも流していましたが、時代の波の先頭を走って来たかのような栄輔の「エイス」がそのあおりを受けて倒れてしまいました。そして時代を取り込もうと躍起になっている感じの「キアリス」の健太郎君、もうすみれの言うことが聞くことができないような状態になっています、もし今も状態で突き進めば栄輔と同じ目に遭ってしまうのかも・・・となりかねないのですが思いとどまることはできるのでしょうか。一方思いとどまることを知らないさくらのアホさ加減は先週も相変わらずな状態でした、ここは君ちゃんにひとつガツンとやってほしいところです。それにしても潔はなかなかないい男です、勢いに乗る栄輔をうらやむことなく危ないと思えば忠告に行き、再び商売をと語る栄輔をなだめて自宅に住まわせる。潔にとっては栄輔はいつまでも弟分だったんでしょう、そして栄輔も強気で振る舞ってもいつまでもこの男には勝てないと分かっていたのでしょう、潔が東京に忠告に来た時の栄輔の表情がそのように物語っているようでした。一方の紀夫と言えば、新しいおもちゃを与えてもらってはウキウキ、映らないテレビを叩いては壊してしまうと、まあこれはこれで紀夫らしいと言ったところでしょうか。
さて、次の次の朝ドラのヒロインが決定しました、彼女は『合唱部』で芳根さんの親友役をやっていたと言うことでよく覚えております。朝ドラのヒロインとなると注目度は高くなるわけですが、正直、前回の高畑充希や次回の有村架純となると見る方としては始めからテンションがあまり上がらないんだよなあ。もうしっかりとした下地があるから今更朝ドラは・・・って思ってしまう、これはそれより前の杏や堀北、吉高と言った辺りにもあったが、それでもドラマとして良かったのは脇役が魅力ある人が多かったことにも寄るんですね。朝ドラは高畑のように「わたしの巧さをお見せしましょ」感ありありの人よりも、これから輝くよ~と言う感じの原石が見たいんだよなあ、と言うことで次の次の葵わかなさんは大いに期待したいところです、ってかできるよ、今からはっきりと言っといてあげるよ~、彼女は巧いよ~、何たって上野樹里の分身だからね~♪











阪急神戸線各駅巡りは前回武庫之荘駅までやって来ました、ここまでの沿線風景はまだまだ下町と言う感じだったがこの辺りまで来るとその雰囲気も少しずつ変わって来たような気も、と言うことで駅の近くに風情がある町並があると言うことで行ってみることにしましょう。その場所は駅から北へと言った所、民家の中を抜けて行くと突然ガラリと雰囲気が変わって重厚そうなお屋敷風な民家が現れる。この建物は登録有形文化財で、それを取り囲む様にして周辺も写真にあるように重厚そうな壁に囲われた家屋が密集している、最後の写真を見ても分かるように、その向こう側にはマンションのような建物が見えているのでこの辺りだけが固まったように、と言うか取り残されたかのような風景、それでも周りの変わりゆく風景を見ながらずっと古いものを残していくと言う感じで守られてきた風景なのだろう。










武庫之荘駅を後にして線路から少し離れた所を通る県道を走ってやがて武庫川に突き当たる、この辺りは土地勘がないので川を渡れるか心配だったが、線路の向こう側に橋が見えたので何とか向こう岸へと渡ることができた。そのまま道を真っ直ぐ、住宅街の中を進んで行くと阪急線における西宮市の中心駅である西宮北口駅へとたどり着く、鉄道好きな人にとってはもう有名な駅としてお馴染み、野球ファン、競馬ファンにとってもお馴染みな駅・・・と言うことは自分(一人称)にとってもお馴染みな駅?ほっといてください。でも自分(一人称)が初めてプロ野球を休場に見に来たのは西宮球場だったし、阪神競馬場に行く時もこの駅は必ず通るし、宝塚に友人が住んでいたのでこの駅はよく通り過ぎていた思い出の多い駅であることには違いありません、と言うことでこの駅にまつわる話については別枠を設けてまたお話したいと思っております。
駅前には大きな商業施設が多く建ち並び、今津線南側線ホームは高架化されている、その今津線南側線と神戸線の連絡線が写真4枚目、5枚目、今津線の車両が神戸線にある車庫に行くためにある線なのだろう。同じように今津線北側線にも神戸線との渡り線があるが、そちらの方は今も宝塚発今津線経由の準急が運転されていて、この線を経由して神戸線に入って行く、ただしこの電車は準急なのにこの線にホームがないために西宮北口は通過となっている。








西宮北口駅を後にして神戸線の北側へ、途中でイナイチこと国道171号線をほんのちょっとだけ通って西へ続く道へと入って行くと写真1枚目にあるの小さなアップダウンを越える。その坂を下り切った所から、いわゆる阪急電鉄のイメージである高級感が漂う住宅地へと入って行くことになる。やがて正面に木々が立ち並ぶ夙川沿いの風景が見えてきて、写真2枚目にある小さな石橋を渡り住宅街の中の狭い道を抜けて行くと夙川駅の甲陽線側のホームが見える踏切へとたどり着く。ちょうど電車が入って来たので写真に収めるが、またまた言ってしまいます、ホンマに阪急電車ってきれいやなあ、この落ち着いた車体の色が高級感漂っていて云々・・・って何度も言ってきましたが、この辺りで見ると本当にその高級感が際立つような感じ、うまく言えないが本当にこの町並と雰囲気に合っているんだよねえ。そんなわけで時間もあることだし二駅だけなのでこの後は甲陽線各駅巡りへと行ってみようと思います、自分(一人称)にとっては敷居が高い未踏の地、果たしてどんな風景を見ることができるでしょうか、そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。        まちみち

No.691 東高野街道・大東市~東大阪市

2017-03-11 20:26:50 | みち
おはようございます。


センバツの組み合わせ抽選があり、対戦相手が決まりました。智辯学園は熊本工、高田商は秀岳館と奇しくも奈良県勢2校はともに熊本県勢との対戦となってしまいました、こんな事ってあるんやなあ。熊本県と言うと昨年は震災があり、どうもその辺りが話題とされて対戦相手となる方は悪役扱いされそうな感じ、智辯学園は昨年の優勝校だから余計にそんな感じにされてしまうんじゃないかと心配しています。高田商の方は甲子園では記号で語られるようになってしまった秀岳館相手なのでそんなことはないと思いますが、でもいきなり秀岳館とはなあ・・・まあ、悔いのない試合をして、としか言いようがないです、奈良県民として多くは望みません、その代わり智辯学園には多くを望むよ~、絶対勝って、せめて準々決勝までは行けよ、日大三か履正社のどちらかが来ると思うから。ちなみに奈良県と熊本県の対戦は過去3戦で奈良県は1勝2敗と分が悪い、しかも相手は全部熊本工、ここはリベンジャー智辯学園に期待して、過去に天理、郡山が苦杯を舐めさせられた熊本工に是非とも一矢を報いてほしいところであります。












東高野街道を巡る走りは前回、四條畷市を抜けて大桐市へとやって来ました、あ、字ぃ間違えた、大東市やった。でも多分全国に名前の知られた高校野球の強豪校がこんな地味な市にあると言うことは知られてないと思うので、大阪桐蔭にあやかって読みはそのままdaitouで字を大桐にした方が・・・。さて、走りの方は前回も書きました大東市にある四條畷市の中心駅JR四條畷駅、ややこしいなあ~、から国道170号線の狭い道を南へ、更に狭い道が分岐する写真1枚目の案内が立つ所から始めて行きます。左へと分かれる道は民家が両側から押し迫るように建ち並ぶ所、その途中には写真2枚目、3枚目にある野崎観音への参詣口が分かれ、旧街道の雰囲気を漂わせる町並や道標を見ることができる。ほぼ国道170号線が横を沿うこの道は阪奈道路を過ぎた先で再び国道と合流する、その辺りはバスが多くは知るところで周囲も賑やかな所、それもそのはず、ここは大阪産大、大阪桐蔭と学校が密集する所である。ちなみに大阪桐蔭は初戦が宇部鴻城と対戦、順調に勝ち上がると準々決勝では明徳義塾か早実(初戦はこの2校が対戦)辺りと当たりそう、過去両校に苦杯を舐めさせられている大阪桐蔭にしてみればこちらもリベンジと行きたいところでしょう。











写真1枚目~3枚目は古堤街道との交差点に立つ道標、奈良から阪奈越えで生駒山を下りてくるとここにたどり着くもうお馴染みな所、今回はここを更に南へと進んで行きます。この先で通り過ぎる阪奈道路は上下線が別々に分かれていてこちらは大阪方面へと向かう道、その交差点を過ぎると左手側に像のかわいらしいロゴが表示されたビルがある「象印マホービン」の横を過ぎて東大阪市へと入る。ここから先も民家や商店が両側を取り囲む様に建ち並ぶ風景が続いていくわけだが、道が狭い所に大きなバスが頻繁に走るのでここは気をつけて行かなければならない。たまに写真にあるように常夜燈や旧街道の名残を残しているようなものも見かけることがあるが、続く風景は味気ない感じでこれと言ってネタになるようなものも見つからない。やがて国道170号さんは右へと分かれていき、一層狭い道へと入って行く、古い家屋や煙突がそびえる銭湯などを見かける少し時代が戻ったような風景の中を進んで行くとたくさんの人が歩いている場所へとたどり着く、そこは石切神社への参拝道が分かれている所、神社はここから生駒山方面へと向かったすぐにあり、その最寄駅である近鉄新石切駅はここからすぐ先の所にある。駅の上には阪神高速が通っているが、この先で阪奈トンネルで生駒山を貫き第二阪奈道路として奈良へと通じている、阪奈トンネルは有料道路で自分(一人称)は深夜急行バスで何度か通ったことがあるが、ある日このトンネルの隅に一段高くなった歩道のような道があり、そこを人が歩いているのを見たことがある、出口まで約5キロくらい、まあ骨が折れること、って言うよりここ歩いていい所なんか?









東大阪市はいかにも庶民的な町と言うイメージ、よく知られているのが中小企業や町工場が多くて、確か道路工事などでよく見かけるコーンはここが生産量日本一だったはず、とと姉ちゃんもこの市の出身、だからどこか浪速のオバハンっぽい雰囲気があるわけだ。それと忘れてならないのが東大阪と言えばラグビーの町、花園ラグビー場は高校ラグビーの開催地と言うことで全国のラガーメンがここを目指して頑張っている。それにしても大阪府はラグビーの強豪校が多い、大工大(現・常翔)、啓光(現・常翔啓光)、仰星などなど、一大会に3校も出るのはお膝元だから贔屓されているのか?
東高野街道はこの辺りもさしてネタになりそうな風景はなく、いかにも庶民的、ってまたこの言葉を使っている、な場所を進んで行っている。やがて写真2枚目の交差点へとたどり着く、道が5つに分かれている大きな交差点だが、写真にある茶色のビルの右側の道が国道308号線=暗越奈良街道、大阪市内の平野部をずっと進んできた街道は、ここから生駒山を上るべく急な上り坂へと差し掛かってくることになる、その入口となるのがこの場所である。その交差点の一角にお堂があり、その横に写真3枚目、4枚目にある古い石の道標が立っている、奈良を経由して伊勢へと向かう街道と、京と高野山を結ぶ街道が交わる交通の要所だったであろう場所で、この道標は旅人の行く先を見守っていたことだろう。さて、東高野街道はそのまま南へと進んで再び国道170号線に合流する、その場所が最後の写真でそこには小さな道標が瓢箪のモニュメントに囲まれて立っている。なぜ瓢箪?と言っても大阪に詳しい人なら分かると思うが、この辺りが瓢箪山と言われる地域、賑やかなアーケードの商店街がこの先の道として続いているがちょっと待てよ、ここは合流した国道170号線ではなかったのでは?さあ、これはどう言うことなのでしょう、その答えは次回へと続く、と言うことにしておきましょう。そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。          まちみち