まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.685 滋賀の旅秋編(5)・・・各駅巡り、JR草津線(その1)

2017-03-02 11:06:09 | 鉄道
おはようございます。





滋賀の旅秋編、前回までは主に東海道を走って水口宿までやって来ました。前回も書いた通り東海道を巡っての走りはここまでとなり、この先はこの走りの本来の目的でもあるJR草津線各駅巡りを中心に進んで行くことになりますが、ここまでも東海道巡りと並行して各駅巡りは行ってきました、今回はその模様をお送りしていきたいと思います。










JR草津線は草津駅を出ると国道1号線と東海道に挟まれた形で添うように進んで行く、最初の駅は手原駅、前にも紹介したようにここは東海道に近く付近には古い町並が続いている所、駅前には写真2枚目にあるように東経136度線が通る町のモニュメントが立っている。駅の表には「ようこそ馬のまち栗東」とある、栗東市と言うと中央競馬のトレセンがある所でお馴染みだがそれで馬の町と言うことなのだろう。と言うことで当然のようにこの市の出身の騎手は多い、一番の有名人となるとやはり武豊だろう、弟の幸四郎は先週が騎手としてラストラン、兄より先の引退はもったいない気もするが調教師転身もまたひとつの道と言うことであるのでしょう。武幸四郎と言うとGI勝利は全部3歳馬だが、一番印象に残っているのはデビュー2日目での初勝利がマイラーズカップのオオスミタイクーン、14頭立ての11番人気での勝利はビックリだった、同日関東では弥生賞スタート前にアホ馬が暴れて出走時間が遅れてしまい先にマイラーズカップがスタート、幸四郎騎手が初勝利の後の弥生賞では武豊騎手がランニングゲイルで優勝とまたドラマチックな展開となったのをよく覚えている。
話が逸れてしまいました、各駅巡りだ、と言うことで東海道を先へと進んで次の駅は石部駅、宿場町である石部宿の最寄り駅でありここはもう湖南市へと入っている。宿場町の風景以外にはこれと言った特徴もない駅、さっきの手原駅の立派な造りの駅舎に比べるとこちらはいかにもと言った感じの素朴な造りの駅舎、でも自分(一人称)はこちらの方が好きだ、今は無駄に橋上化してきれいに生まれ変わった駅が多くなったが、どうも無味乾燥な気がして興味をそそられない。最後の写真にあるように柵の向こうに見えるホームの様子は、今の電車の車体に合わせてホームは嵩上げされているがいかにもローカル線の駅と言った感じ、手原駅、石部駅と好対照な感じの駅を通り過ぎてきたが、JR草津線がこの先見せてくれる風景は都市近郊にあるような橋上駅か、ローカル情緒漂う駅なのか予想がつかない、先へ進んで行くこととしましょう。










次の駅は東海道から少し外れた所にある甲西駅、時刻表ではこの駅が湖南市の代表駅の印がついているが、町の賑わいがあるのは東海道とは逆の線路の向こう側の県道が通っている所、こちら側は向こうに山が広がり東海道に沿う町並が見えるいかにも素朴な風景である。駅はカクカクとした感じの橋上駅舎でホームは1本だけで行き違いができない形、周囲の風景からしてローカル線の一駅と言った感じなのにきれいな駅舎にエレベーターとは、何かもったいない気がする、町の代表駅としての姿を成り立たせたいとでも言ったところでしょうか。甲西と言うと思い出すのが甲西高校、高校野球では弱体県の滋賀県から出てきた高校があれよあれよと言う間にベスト4まで勝ち進んだ、確か佐々木主浩の東北高校に勝ったんだったっけ、準決勝は「シマダオート」監督の桑田真澄率いるPL学園相手でさすがに力尽きたが、その年の活躍は奈良県民からしたらとても羨ましいものでした。
町は線路の向こう、こちら側は素朴な風景の中を線路に沿って進んで行く、またまた秋桜畑、前回貼ったのと同じ所のもの、同じ写真です、はっきり言って尺埋めです。今度は踏切が鳴ったので電車を撮りに向かう、やって来たのは奈良でもよく見る快速電車と同じもの、ローカル線っぽい電車を期待したのだが町で見る電車だったので期待外れ、風景はローカル線っぽくても草津線は都市近郊型路線と言うことなのでしょう。










上の2枚も前回貼ったのと同じ写真、今回は路線巡りのネタとして貼ったと言うことでご了承ください。再び東海道に戻って踏切を渡って今回の走りで初めて線路の向こう側へと至る、少し賑やかな雰囲気の町の中を進んで行くと次の三雲駅へとたどり着く。駅舎は素朴な感じの造り、ここまで橋上→素朴→橋上→素朴と来ている、となると次は・・・まあいいか、今は三雲駅だ。気になったのは写真4枚目にある駅名の看板、駅の字が「驛」となっている、周辺も旧街道の町並を保っている所なので駅もその風景に合わせるような感じで存在しているのだろう。あ、電車がやって来ました、今度は写真5枚目にある国鉄時代の色合いの電車、さっき見た都市で見る電車と比べると重厚な感じがする、古臭い感じも否めないが軽薄短小になってしまった車両の時代の中で、その古さを誇るようにこれからも君臨していってほしいところだ。
そんなわけで今回は滋賀の旅秋編の各駅巡りの前半部分をお送りしてきました、三雲駅の次の駅は貴生川駅、草津線の中では代表的な駅となるのだが、今回の旅の中ではルートから外れてしまっているので、今回は跳ばすこととなってしまいました。水口宿を後にして次に向かう駅はJR甲南駅、各駅巡りは後半戦へと差し掛かって行くこととなります、やあ~、伊賀上野まではまだまだ遠いなあ・・・と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。        まちみち


No.684 学園前界隈(後編)

2017-03-01 09:49:08 | チョイ走
おはようございます。









学園前界隈をチョイ走り、住宅街の中を貫くだいわ通りを通って富雄へとやって来ました。富雄の町並は小高い丘陵地にある学園前界隈からすると坂道を下って来た所にあり、近鉄富雄駅の南側には古い民家が建ち並ぶ通りもある、写真1枚目のお地蔵さんもそんな古くからの変わらぬ風景を嬉しそうに見守ってきているのだろうし、これからもそうなのだろう。町並を抜けると近鉄富雄駅前へと出る、ここはさすがに人も車も多くて賑やかだ、駅前のロータリーも広くバスが北へ南へ西へと路線網を結んでいる、が東へと向かう便はない、学園前方面は近鉄で十分と言うことなのでしょう、と言うことで走りの方も戻る形になるが学園前方面へと向かうことにしましょう。













富雄駅前の道を出るといきなり急な上り坂が目の前に立ちはだかる、この道は前にもここで紹介した学園富雄通り、さっき走って来ただいわ通りが富雄に入る手前で坂を下ったので、学園前方面が上りになるのはもう承知なこと、ここは焦らず自分のペースを保って上って行く。坂を上り切ると今度は急な下り坂、せっかく上って来たのにまた下りかよ・・・と思っても仕方ない、起伏の激しい通りの最後はまたまた急な上り、まあここはアップダウンもまた楽し、の気分で近鉄学園前駅へと向かう道へと合流する。
写真6枚目がその上り着いた所、この正面に伸びる道を先へと行くと近鉄学園前駅へと行くことができるが、またまたその次の写真にあるように急な下り坂、道もカーブになっていて腹がスゥ~ッとなるような感じで坂を下って行く・・・って下りた途端にまた上りかよ~。この区間は上り下りの繰り返しが続く所、学園前ニュータウンが何もないような山を切り拓いてできた所だからそれは仕方のないことだろうが、自転車で走る人たちにとっては大変なことだろう、まあ電アシもここでは必需品と言ったところか。近鉄学園前駅は近鉄奈良線を代表すると言ってもいいくらいの駅、人も車も多いが、駅の南北両方にバスターミナルがあって両方向とも路線バスがひっきりなしと言う感じで運行されている。学園前駅の方は数年前に新規開業した奈良学研登美ヶ丘駅の方にお客さんが振り分けられてしまったせいで乗降客数は減ってしまったようだがそんなことは感じられないほどの賑わい様、むしろけいはんな線がなかったらこの先どうなってしまうのか、と考えてしまうくらいだ。メインルートは駅を南北に貫いていて登美ヶ丘方面へと向かっているが、自分(一人称)の走りの方はそろそろ奈良へと戻ると言うことで、駅から少し北に行った所で東へと折れることにする。









菖蒲池方面へは近鉄線を挟んで北と南の両方にある道で行くことができるが、自分(一人称)が使うのはいつも北側にある道。学園前界隈は道が多くて入る所を間違えてしまいそうだが、そこはもう慣れたもの、道はニュータウンの中をアップダウンを繰り返しながら進んで行く。その家並が途切れた所にあるのが何やら気になる写真1枚目、2枚目の建物、これは一体何じゃらホイ、って見るからに配水塔と分かりますけどねえ。この辺りは学園前の外れに当たり位置も高い所なので奈良市を一望することができる、近鉄線を越えるのは今にも崩れてしまいそうな頼りなさそうな石橋、これを渡ると学園前駅の南側から通じる道と合流して、下り坂を過ぎると写真4枚目にある近鉄菖蒲池駅へとたどり着く。あやめ池遊園地の最寄り駅としてお馴染みだった駅も遊園地が閉鎖されて寂れてしまった・・・って思ったら大間違い、遊園地跡地は道となり駅前にはショッピングセンターや病院ができ、跡地の北側にはニュータウンが拓けてむしろ前よりも賑やかになった感じ。でも自分(一人称)は昔のここが遊園地として賑わっていた時代を知っているだけに、今の風景には何か、何かなあ~寂しいものを感じてしまう。



大きな池を挟んで観覧車や他にもいろいろな乗り物やイベント、絶叫マシーンみたいなものはなかったが奈良県民の憩いの場と言った感じであったあやめ池遊園地も寄る時代の波には勝てずに廃園してしまった、まあそれももう仕方のなかったことなのだろう、それによって町がまた別の発展を見せてくれたらそれはそれでいいことでしょう。古いものを後世のために残していくのはそりゃいいこと、しかし新しくなっていかなければならないのもまた宿命、頑固さを保っても新しいものを受け入れて行かなければ他者に置いてけを喰らうばかり、今の奈良はそんな感じがしてならないんだよなあ。最後の写真にあるのはそれを象徴していると言った感じの道、この道は奈良中央道として奈良盆地を南北に貫く道となるはずなのに、そのルートがはっきりしないしこの先開通するめども立っていない。京奈和道もそうだが、古いものを残しつつも新しいものも造っていかなければ、奈良はますます置いていかれる・・・そう言う意味では、今回走った学園前界隈は早くから視線を大阪方面に向けていた町だからこそ発展してきたのかも知れない、小高い丘にあるニュータウンは自分たちが住んでいる奈良の町とはどこか一線を引いているかのような・・・考え過ぎかな、そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。        まちみち