おはようございます。
今回はバス路線巡りと言うことで、天理駅から桜井駅間で運行されている62番系統の後編をお送りしていきます。前編では天理市内のJR万葉まほろば線と山の辺の道を沿う部分ののどかな風景の中を走りましたが、その風景はまだまだ続いていくこととなります、では前回の続きから行ってみることとしましょう。
まずは古墳の風景から、前回は柳本バス停まで来ましたが、この辺りはたくさんの古墳が国道169号線の東側に点在している。少し紅葉がかかった緑色の山をバックに緑色の古墳が曇り空の下でいい感じに映えている、天皇の名前を冠した大きな古墳が大きく立ちはだかる風景はまさに古代のロマンを感じる所、ここに天皇に敬意を払った形で古墳が造営されたと言うことは、やはりあの女性の想いがこの地に残っていたからだろう。あの女性、と言うのはもちろん「卑弥呼」のこと、そうです、この辺りからが邪馬台国があったとされる場所です、その中心となった場所はもう少し南側の辺り、行ってみることとしましょう。
・・・なんて書いたら、九州説を唱えている人たちから「勝手に断言すな、素人が!!」なんて言われそう。そう言えばこの間の『空から日本を見てみよう』では邪馬台国は大和郡山にあったと言うようなことを言っていた、でも自分(一人称)はこれから通る地、纏向と言う場所にあったと信じたい・・・と言うことでその場所へとやって来ました。天理市から桜井市へと境界線を跨いだ所、JR巻向駅の最寄りとなる巻の内バス停を過ぎると高架橋でJR線を越える、この時JR線の横を沿った道を一緒に飛び越えるがこの道が上ツ道、奈良から南へ伸びてきた道は往時はお伊勢さん参りにも利用された道、と言うのはもうここではしつこいくらいにお伝えしています。その上ツ道と国道に挟まれるようにして大きく立ちはだかるのが倭迹迹日百襲姫命太市墓、長ったらしい名前でしかも読めない、簡単に言うと箸墓古墳です。一説にはこの古墳が卑弥呼の墓とも言われているが、自分(一人称)はその説は支持できないなあ、何でかって言われると端的に説明はできないが、この古墳が卑弥呼のものであってほしくないと思うのもまた古代のロマンゆえなものかも知れない。最寄りとなるのが最後の写真にある箸中バス停、バックに箸墓古墳がそびえる風景はなかなか絵になると言った感じ、そして前方には巨大な鳥居が見えている、この先はいよいよ三輪の界隈へと差し掛かって行きます。
と言うわけで三輪参道の入口、鳥居の足元へとやって来ました。すみませんねえ、鳥居は写真に撮らない主義なので、ここに貼った写真からはこの辺りが名高い神社がある感が全くしないものとなってしまっています。2枚目の写真にあるバス停が大神神社への最寄りではあるが、参拝のお客さんはだいたいが車か電車利用で、バスを利用する人はほとんどいない感じ。自分(一人称)は子供の頃、この神社に初詣に来たことがあるが、普通は電車(その頃は汽車と言ってた、ディーゼルカー)で行くところが、その時は自分(一人称)がバスで行きたいと言ったとかでその頃はまだ奈良駅から直通で大宇陀、菟田野町まで走っていたバスに乗車、しかし案の定三輪の手前で大渋滞に遭ってしまい、いくつか手前のバス停で下りてそこからは歩いて大神神社まで行ったと言う記憶がかすかに残っている。今はもうほとんど利用されなくなった感があるバス、状況は厳しいだろうがここはもう一度復権を願って奮起してほしいところである。
三輪界隈を過ぎるともう桜井市の中心地は近い、中和幹線を越えて桜井市役所の前を過ぎるとここまで道なりだった経路は、天理駅を出てすぐ以来の直角の曲がりを二つ過ごして近鉄桜井駅前へとたどり着く。桜井駅は近鉄とJRが隣り合う大きな駅でバス乗場も北と南の両方にあるが、北口から出るバスは幹線としては今回走った天理からの路線だけで、後は近くの町や山間部へと向かうコミュニティバスばかりになっている。これは寂しい状況かも知れないが、考えようによっては小さなバスでも路線が保たれているのはありがたいことかも知れないし、これからのバス路線のあり方、生き残り方を示しているかも知れない。各所で廃止が相次ぐバス路線が多い中で地道に人の足として役立ってくれているコミュニティバス、この先も頑張って活躍していってほしいと言ったところです、と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。 まちみち
今回はバス路線巡りと言うことで、天理駅から桜井駅間で運行されている62番系統の後編をお送りしていきます。前編では天理市内のJR万葉まほろば線と山の辺の道を沿う部分ののどかな風景の中を走りましたが、その風景はまだまだ続いていくこととなります、では前回の続きから行ってみることとしましょう。
まずは古墳の風景から、前回は柳本バス停まで来ましたが、この辺りはたくさんの古墳が国道169号線の東側に点在している。少し紅葉がかかった緑色の山をバックに緑色の古墳が曇り空の下でいい感じに映えている、天皇の名前を冠した大きな古墳が大きく立ちはだかる風景はまさに古代のロマンを感じる所、ここに天皇に敬意を払った形で古墳が造営されたと言うことは、やはりあの女性の想いがこの地に残っていたからだろう。あの女性、と言うのはもちろん「卑弥呼」のこと、そうです、この辺りからが邪馬台国があったとされる場所です、その中心となった場所はもう少し南側の辺り、行ってみることとしましょう。
・・・なんて書いたら、九州説を唱えている人たちから「勝手に断言すな、素人が!!」なんて言われそう。そう言えばこの間の『空から日本を見てみよう』では邪馬台国は大和郡山にあったと言うようなことを言っていた、でも自分(一人称)はこれから通る地、纏向と言う場所にあったと信じたい・・・と言うことでその場所へとやって来ました。天理市から桜井市へと境界線を跨いだ所、JR巻向駅の最寄りとなる巻の内バス停を過ぎると高架橋でJR線を越える、この時JR線の横を沿った道を一緒に飛び越えるがこの道が上ツ道、奈良から南へ伸びてきた道は往時はお伊勢さん参りにも利用された道、と言うのはもうここではしつこいくらいにお伝えしています。その上ツ道と国道に挟まれるようにして大きく立ちはだかるのが倭迹迹日百襲姫命太市墓、長ったらしい名前でしかも読めない、簡単に言うと箸墓古墳です。一説にはこの古墳が卑弥呼の墓とも言われているが、自分(一人称)はその説は支持できないなあ、何でかって言われると端的に説明はできないが、この古墳が卑弥呼のものであってほしくないと思うのもまた古代のロマンゆえなものかも知れない。最寄りとなるのが最後の写真にある箸中バス停、バックに箸墓古墳がそびえる風景はなかなか絵になると言った感じ、そして前方には巨大な鳥居が見えている、この先はいよいよ三輪の界隈へと差し掛かって行きます。
と言うわけで三輪参道の入口、鳥居の足元へとやって来ました。すみませんねえ、鳥居は写真に撮らない主義なので、ここに貼った写真からはこの辺りが名高い神社がある感が全くしないものとなってしまっています。2枚目の写真にあるバス停が大神神社への最寄りではあるが、参拝のお客さんはだいたいが車か電車利用で、バスを利用する人はほとんどいない感じ。自分(一人称)は子供の頃、この神社に初詣に来たことがあるが、普通は電車(その頃は汽車と言ってた、ディーゼルカー)で行くところが、その時は自分(一人称)がバスで行きたいと言ったとかでその頃はまだ奈良駅から直通で大宇陀、菟田野町まで走っていたバスに乗車、しかし案の定三輪の手前で大渋滞に遭ってしまい、いくつか手前のバス停で下りてそこからは歩いて大神神社まで行ったと言う記憶がかすかに残っている。今はもうほとんど利用されなくなった感があるバス、状況は厳しいだろうがここはもう一度復権を願って奮起してほしいところである。
三輪界隈を過ぎるともう桜井市の中心地は近い、中和幹線を越えて桜井市役所の前を過ぎるとここまで道なりだった経路は、天理駅を出てすぐ以来の直角の曲がりを二つ過ごして近鉄桜井駅前へとたどり着く。桜井駅は近鉄とJRが隣り合う大きな駅でバス乗場も北と南の両方にあるが、北口から出るバスは幹線としては今回走った天理からの路線だけで、後は近くの町や山間部へと向かうコミュニティバスばかりになっている。これは寂しい状況かも知れないが、考えようによっては小さなバスでも路線が保たれているのはありがたいことかも知れないし、これからのバス路線のあり方、生き残り方を示しているかも知れない。各所で廃止が相次ぐバス路線が多い中で地道に人の足として役立ってくれているコミュニティバス、この先も頑張って活躍していってほしいと言ったところです、と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。 まちみち