まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.822 西国街道(4)・島本町から高槻市へ

2017-09-21 10:52:17 | みち
おはようございます。











西国街道を走ってきて京都府から大阪府へと入りました、GW3連休の中日、前日には滋賀方面を走って来て結構疲れていたのですが、晴れていたのでチョイと京都まで走ろか~と思ったのが上の写真にある所までやって来ることとなりました。まあ走っていたら疲れていることなんて忘れてしまうものです、なんぼでも走れます、で翌日になったら2日分の疲労が襲ってくる・・・それは翌日になって感じることです、とりあえず今日は走れる所まで行こうと思っています。と言うことでここはどこかと言うと、JR山崎駅を越えて少し行った所、自分(一人称)は旧街道を意識して道標やそれを感じさせる風景を写真に撮りながら走っているわけですが、ここに住んでいる人たちにとっては普通に生活を送る場所に過ぎない、この道が昔から旅人が行き交っていた道だと言うことを知らない人もいるでしょう。でも旅と言うのは人それぞれの感じ方があってのものです、自分(一人称)はこの何気ない風景に旅を感じながらこの先も進んで行きます。









JR島本駅前へとやって来ました、旧街道沿いにあるのは写真1枚目、2枚目にある櫻井駅跡の碑、ここに駅家があったと言うことを示している。「駅家」とは旧街道に設置されていた、まあ鉄道で言えばそのまま駅と例えられるような所、「駅」と言う感じには馬の字が使われているので旅人が馬をつないで休憩する場所だと言われているが、その歴史ははるか一桁世紀の時代からのものだとされている。駅家があったと言うことはこの付近が栄えていたことだと思うのだが、その割にはJR線にはここには長らく駅がなく、島本駅が開業したのは2008年と歴史はまだ新しい。近くに阪急京都線の駅があるのでそちらに客を譲っていたのだが、割と立派な駅舎とサントリーのウイスキーのCMでお馴染みの曲を電車の接近メロディーに採用して常客争奪戦に参戦、ここが島本町なので町の名を駅名にして町の代表駅を誇示しているとでも言ったところか。島本駅を後にして、旧街道の雰囲気が漂う町並はまだまだ続いていく、やがてその道はJR東海道本線の下をくぐって線路の北側へと出る。町並が途切れ線路に沿う道は電車がたくさん行き交うところを見ることができる、更に向こう側には阪急電車と新幹線も見える、大山崎町以来の3線が狭い範囲に集まっている所となるが、先の場所は建物が入り込んでいて見通しが良くなかったがこちらは町並が途切れているので見通しがいい、鉄道写真を撮る人たちには割と有名な所らしい。












さっきのJR線をくぐった辺りで高槻市に入っている、旧街道は一旦線路から離れて写真1枚目にある山が近い集落の中を抜けて行く、JR島本駅の次が高槻駅なので中心地が近いはずなのに、旧街道は小さな集落を通り過ぎて行くばかりでなかなか町中へと入って行かない。再びJR線が近づいてきて小さな橋を渡るとその先は町並がずっと続き、前方には高槻市の中心街の風景が見えてくる、やがてビルが建ち並び車の行き来も多くなってくるとさすがに旧街道の雰囲気はなくなってしまう。駅に近い所でバス停がある大きな道を交差するが、そこから先はまた道は狭くなって古い建物もあって雰囲気が変わってくる。道はその先で左へとカーブして写真6枚目にあるアーケード商店街(ここには写ってないが左側にある)の入口へとたどり着く、商店街が繁盛していて人の行き来も多い所、旧街道は狭いが車も多く少し雑然としている、この場所をほんの少しだけ進んだ所にあるのが写真7枚目と最後の写真にある芥川の一里塚跡。「芥川」は高槻市内を流れる川の名で、この辺りは宿場町としてその川の名が地名として使われている。
西国街道は下から2枚目の写真にあるようにこの一里塚跡で緩やかに右へとカーブして更に茨木市方面へと続いているが、自分(一人称)の走りの方はそろそろ帰りの時間と輪行する駅が気になるところ、と言うことで西国街道巡りはここまでとしておくことに。さっきの写真6枚目の時計がある建物の横にある道へと入ってJR高槻駅方面へと向かう、この道も見るからに旧街道っぽい曲がり具合と雰囲気があるが名前のある街道かどうかは分からなかった。ただ高槻市の中心街には高槻街道、茨木街道、枚方街道と都市の名前がついた3本の旧街道が集まっていて、この道がそのうちのどれかなのかも知れないが・・・また調べておきます。そんなわけでいよいよ帰路への道のりとなるわけですが、次回はこの走りの最終回として高槻の町並を巡って行きたいと思います、またお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。          まちみち


No.821 紀ノ川に沿って(6)・・・各駅巡り、JR和歌山線、その6

2017-09-20 10:57:44 | 鉄道
おはようございます。


来年のセンバツからタイブレーク方式が採用されるとのニュースがありました。タイブレークは延長13回からと言うことで、その他細かいことについてはまだ決まってませんが、ああ~やっぱりそうなってしまったか、と言う感じです。日程、運営の関係、選手の疲労度などを考慮されての導入と言うことですが、これまでのことを思うとちょっと残念な気もします。引き金になったのは今年の2試合連続延長15回決着つかず再試合となったことだろうでしょうが、見ている方としてはこの試合は選手の頑張りの成果があってのもの、結果は引き分けでもそれが次回の再試合につながっていったのだと思います。タイブレークとなると試合の流れが途切れるし緊張感も途切れてしまう感じがしてならない、選手の頑張りや評価は白黒をつけるための手段として語られて、延長12回までがただのショーでしか見られなくなってしまいそう。でももうこれは決まってしまったことです、物議は来年の春、実際そうなった時にやってみてまた考えてみてもいいのではないでしょうか。では本文、行ってみましょうか↓↓↓










紀ノ川に沿ってJR和歌山線を各駅巡り、登録有形文化財巡りと大和街道巡りも兼ねての走りもいよいよ終盤戦、ここまで長い距離を走って来ましたがやっと橋本市へと入りました。ここは旧街道は進まず国道24号線を進んで行ってまずは登録有形文化財の建物がある高野口小学校へ、ここは『ニッポン縦断こころ旅』で来ていました、まあ文化財についてはまた別枠と言うことにして、この先から旧大和街道に合流して高野口町の中心地へと差し掛かって行きます。










旧街道は駅前の通りを十字に交差してまずは写真1枚目の表示がある場所へとたどり着く、ここで道は直角に曲がって写真2枚目~5枚目にある上り坂を進んで行く。そんなに急でもなく大した坂道でもないが、往時は荷物を運んでいた牛がこの坂のあまりの急さにをしたために、この坂を坂と言うようになったらしい、まあこの文面を食事しながらご覧なっている方もいると思うのでここはマル禁で伏せておきます、と言ってもその次の写真にある看板に名称もそのいわれも書かれていますけどね・・・。









さて、JR高野口駅へとやって来ました、結構立派な駅舎です。駅は昼間は無人駅で構内には写真2枚目にあるようにギャラリーが併設されている、ホームは2面2線の行き違いができる構造、町の中心地にある駅らしく乗降客数も隣接する駅よりも多い。高野口と言う地名、駅名からして高野山の玄関口と言う感じもするが、確かに駅前から南へ伸びる道は紀ノ川を渡って九度山町、南海九度山駅に通じている。ただし大阪方面から来るとなると南海高野線が主となっていてこの町は通らないし、和歌山方面からもここに来るまでに高野山への道はいくつも分かれているので、普通に高野山の入口にある町としてこの地名が付けられたと言う感じ、それでも賑やかそうな町の雰囲気は元は宿場町として栄えた所と言うこともあって決してその地名を持て余していない。








旧大和街道はさっき通って来た坂道から駅の横にある踏切を渡って、町からは少し小高い所へと差し掛かって行く。道の途中には常夜燈や旧街道の雰囲気を漂わせている町並があるが、線路からは離れていて次の駅がどこにあるのか分からなくなってしまう。とりあえず先へと走って行くと駅がありそうな雰囲気の町並へとやって来た、とりあえずこの辺りかな・・・と言う所でJR線が通っている方へと進んで行くと国道24号線へと突き当たった。あれ、駅は?と思っていると国道へ出る橋の下に線路があってついでに目指している次の紀伊山田駅もあった、いわゆる掘割構造でホームは1面だけ、駅舎はなく隣接する国道の歩道の脇にある階段から下りてホームに入って行く形式となっている。駅周辺は住宅地と言うことと次が橋本駅で大阪への玄関口ともなっていることからこの駅も乗降客は多い。
国道24号線に出てしまったのでここは大和街道には戻らず、そのまま国道を進んで次の橋本駅を目指すことにした、その国道は掘割となった線路沿いを進んで行くが町並が途切れた所で下り坂となりJR線と同じ高さの所まで下りてくる。旧街道の方もこの辺りは線路の北側で小高い所を通っていたが、そちらも坂道を下って来て踏切を渡って国道へと合流してくる、ここから先は次回でのお伝えとしておきます。次の駅は橋本駅、今回の各駅巡りのゴールである大和二見駅まではあと4駅、そろそろ終わりも見えてきたところ、あと2回か3回でこのシリーズも終わることができそうです、またお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。          まちみち

No.820 台風の朝、秋を探してチョイ走り

2017-09-19 11:55:19 | チョイ走
おはようございます。












まずはいくつか写真を並べてみたのですが、背が高く実った稲穂にチラホラと咲く秋桜、下の2枚は夏の名残と言った感じですが季節はもう完全に秋です。ただ秋と言っても感じ方は人それぞれ、例えばセンバツが始まればもう春だな~とか、夏の夜明け前でも東の空にオリオン座を見つけると冬はやって来るんやな~とか・・・でも今年の夏は急に終わって急に秋が来たと言う感じでした。下の2枚の花は夏のイメージがあるものですが、急に終わってしまった夏に心の準備ができていなくてそのまま咲いていると言ったところ、一方の秋桜の方も備えができてないままもう咲いていいんかいなとでも言いたそうに出てきたと言う感じです。しかし花と言うのは凄いですね、自分の見頃咲き頃をきちんと季節に合わせて伸びてくる、でもこの先地球が温暖化してきて季節のカテゴリーがなくなって来たらどうなるんだろう、まあその時は人の手が何とかするでしょう、ボタン一つでパッと咲くとかね・・・











秋を代表する花と言えば秋桜と彼岸花、まずは秋桜の名所としてお馴染みの斑鳩法起寺へとやって来ましたがまだまだ全然と言う感じ。去年ここに秋桜を見に来たのが菊花賞の日だったので時期的にはまだ1ヶ月以上先になりそう、またその時に来ることとしましょう。一方の彼岸花、こちらは来週に明日香村に見に行く予定をしているのですが週間予報ではまた雨になっていた、もう~ホントに恨めしい。この日はまだここまでほとんど咲いている所は見なかったので多分ここならと思い法隆寺付近へ、去年も明日香村へ行く1週前に来ていたのでどうかな、と思ったが咲き具合はイマイチと言った感じ、秋が早く来すぎて準備ができなかったのか戸惑わされたのか、いずれにしても期待したほどの咲き具合ではなかった、やっぱり見頃は名前通りお彼岸の頃になるのだろうか。そう言えば昨日は甲子園のレフトスタンドが彼岸花満開でしたな~、こちらは彼岸と言うよりは「悲願」ですか。でも2年連続となると悲願と言うのはおこがましい気もしますが、そこは高校野球で広陵が準優勝に終わったからやっぱり「悲願」と言うことにしておきましょう。











本来ならこの日はひとつ大きな旅を予定していたが台風が来ると言うことで断念、予定は3週間後の連休へと先延ばしとしました。でも3週間って結構大きいよな~、日が暮れるのは早くなるし日中でも気温も下がってくる、今が一番いい時期だっただけに残念な気もするが自然現象には逆らえないしここは気分を変えなければいけない。そんなわけで17日朝、まだ雨は降ってなかったので少しだけ走ることにした、と言っても遠くには行けないので近場で秋を探しに行くことにしました、ここまで並べた写真はその時の走りのものです。そして上に並べた写真、曇り空だが空気が澄んでいる分見通しが良く景色が遠くまで見渡せる、と言うことで望遠機能を駆使してここからこんな風景が見られるんだ~と言うのを並べてみました。

1枚目、2枚目・・・JR郡山駅に近い所にある陸橋から見た耳成山と畝傍山、晴れた日は霞んで見えないことが多い。
3枚目・・・同じ場所から平城宮跡、晴れた日は陽炎がかかってはっきり見えない
4枚目・・・法起寺三重塔の屋根の間から撮った二上山
5枚目・・・国道25号線から法輪寺三重塔
6枚目・・・国道25号線のJR線を越える陸橋から見えた畝傍山
7枚目、8枚目・・・国道25号線から秋篠川沿いに通る自転車道に入ってすぐの所から撮った東大寺大仏殿と若草山

ざっとこんな具合ですが、晴れている時には霞んで見えないのがこんな天気ではくっきりと見えると言うのも何か皮肉な感じです。自分(一人称)は老眼が進んでいて近くの文字は見えにくいが遠くはまだまだ大丈夫らしく、走っていてこんな所からこんな風景が、と言うのを目敏く見つけたらすぐに写真に撮ってしまいます、まあたいして巧くない写真ばかりですがまたここでいろいろと披露していってみようと思っています。
さて、最後の締めは何か台風が来るのが嬉しそうな彼らの姿で↓↓↓







また次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。          まちみち

No.819 滋賀の旅春編(6)・更に北国脇往還の集落を行く

2017-09-18 21:10:44 | 旅行記
おはようございます。


昨日(17日)は本当なら新幹線に乗って旅に出ていたはずなのですがそれも結局台風で中止、手配した指定席はその前日にJR奈良駅のみどりの窓口で来月の連休に変更してもらうことにしました。希望の座席を検索してもらって空いていたので押さえてもらって発券してもらって、ってもらってばかりですがその窓口の駅員さんが

「この切符、台風でキャンセルなので今回は普通に再発行します」

と言うことは再発券してもらった切符はもう1度変更できると言うこと、でも次回の旅もダメになったらその次の日程が合わないんだよなあ、その時はあきらめてキャンセルします。と言うことで滋賀の旅春編、スタートです↓↓↓













前回は物産店が新しく道の駅となっていた所までやって来ました、大河ドラマ『江』をやっていた時はドラマ館が開催されていた所だけにその変わり様には寂しい気もしたが、そんな気持ちはこの先の風景が忘れさせてくれるでしょう、早速行ってみることとしましょう。
道の駅からは国道365号線を進んでまずは写真1枚目、北国脇往還の表示がある道へと入って行って八島の集落へとたどり着く。町並を進んで行くといくつかの道標を見かける、その行く先は近く近辺の町もあるし、写真4枚目、5枚目にある道標には江戸や越前と言う文字も見える、この道が往時は幹線として機能していたことがうかがえる。そしてこの町に来ると必ず出会うのが写真3枚目にある水車、ここまでもテーマとして巡って来た水の恵みを受けてカラカラと回っている、と思いきや何か元気がない様子、水路も水位が足らないようで期待した風景は見られなかった。町中では何度かの曲がりを繰り返して再び国道365号線へ、八島の集落内では道をカクカクと曲がりを繰り返していたので結構距離を走った感じだったが、国道ではそれほど距離を進んでいないことになっている。










国道に出たかと思えばメモリアルホールの前を通り過ぎてまた道を折れる、この次に通り過ぎるのは尊勝寺の町並、上お写真にあるようにここも旧街道の雰囲気が漂う町並が静かな佇まいで旅人を迎えてくれている。しかしここでもまた町並を抜けると国道365号線へと突き当たる、地図で見ると旧街道は直角三角形の三平方の定理「a2+b2=c2」(2は2乗のこと)で言うとaとbが北国脇往還に当たりcが国道365号線に当たる・・・って何かついこないだもこんな例えしたことあったなあ、まあいい、そう言うことでここも旧街道内の道は結構距離を走っていても、国道ではあっと言う間の距離しか進んでいないことになっている。
さて、国道に出たわけだがここでも工場がある所を直角に曲がってまた旧街道へと入って行く、さっきからこの繰り返しだが車がビュンビュン通り過ぎる国道よりは旧街道の雰囲気が漂う町並を通り過ぎて行く方がやっぱりいい。実は北国脇往還は写真5枚目の立て札にあるように本来は国道には出ていなくて、この工場の裏手にある畦道だったのだが区画整備で田んぼに変えられてしまったとある、いわば失われた道はこれから進む町並の北側の方にも当たり、次の町並に入るまでは仮の旧街道を進んで行くこととなる。ここまでずっと進んできた北国脇往還は、ほぼ直角の曲がりをカクカクと繰り返してきて距離を稼いできた感じだが、今はそこを「何か面倒なんや~!!」と言った感じで国道365号線が斜めに一直線に結んでいる。











仮の旧街道は途中でこれまた直角に右へと曲がって小さな橋を渡った所で本来の北国脇往還が復活する、ここからは伊部宿の町並、さっきからしつこいように出ている「旧街道の雰囲気が漂う町並」と言うフレーズがこれまでで一番似合う所だとも言える。町並の中心地に写真3枚目、4枚目にある本陣跡があり、その付近には寺院やバス停、公民館などがあり、その背後には雲雀山と言う小さな山が国道の雑然とした流れを隔絶するかのように構えている。公民館には大河が終わった後も長らく『江』のポスターが貼ってあって、ここに来る度に「ああ~まだ貼ってくれているわ~」と眺めていたが、さすがに今は外されている、そりゃ~もう6年も経つわけだからな、ポスターもだんだん色褪せていってたみたいだしいつまでもそのままにしておくわけにもいかなかったのだろう。
大河と言うと今の『おんな城主直虎』も突き抜けていますな~、まずサブタイトルからしてもうおふざけ満開、「おんな城主対おんな大名」「綿毛の案」「死の帳面」「嫌われ政次の一生」「隠し港の龍雲丸」・・・



まあよく考えるものだと思いますが。ところでネットでは第48回のサブタイトルが「信長、浜松来たいってよ」ってなっているのですがこれってマジか?ここまで来たらおふざけも度が過ぎているような気も、でも元ネタは日本アカデミー賞最優秀作品だからねえ、使いたい気持ちも分かるけど。『江』の頃から感じていたけど、昔から大河を見ている人は大河ドラマはこうではならないとかこんなのではいけないとか、そう言う記号があるらしいですけど時代は変わってきているのです、視聴率が落ちてきているのはその流れが如実に表れていることだと思いますが、これからも昔の影にとらわれないで見ていきたいところです、とは言ってもクドカン脚本のオリンピックものはちょっと不安なんですけど・・・。さて、その何やかんやを言われ始めた大河『江~姫たちの戦国』の一番最初の舞台となった場所へ、いよいよ次回はたどり着くわけですが、またお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。         まちみち

No.818 泉南の旅(5)・登録有形文化財巡りから旅の終わりへ

2017-09-16 21:10:25 | 文化財
おはようございます。





3月始め頃に和歌山から加太、岬町を経由、南海加太線、多奈川線、本線を各駅巡りしながら走ったきた泉南の旅も今回でやっと最終回を迎えることができそうです。前回は本線を各駅巡りして泉佐野市までやって来ました、あと残す目的はこのルートにある登録有形文化財を巡ること、今回はその時に撮った写真を一気に貼り付けました
















と言うことで早速ズラッと写真を並べました、例の如くそれぞれの建物がどんな特徴だと言うのはなしです、まあほとんどが人の家ですからねえ、それをどうのこうのとは一概には言えません。写真1枚目、2枚目は南海尾崎駅近く、3枚目は泉佐野駅近くにある建物、そこから下は貝塚市の中心地に近い所にある古い民家です。このゾーンで並べたのは主に府道204号線の西側にある建物、南海貝塚駅から少し離れた所で町を貫く府道は交通量が多くてせわしない所ですが、そこから一歩内側に入った所は空気が変わったかのような古い町並が展開していて、その町並の狭い範囲の中に上の写真にあるような家屋が集まっている。



















またまた写真を15枚以上もズラリと並べたのですが、こちらはさっきの町並とは府道を挟んだ反対側、南海貝塚駅に近い所の寺内町にある建物です。府道から少し上りとなった道を行くと写真1枚目、2枚目にある寺院があり、この界隈の中心としてそこを取り囲むようにして古い町並が展開している。寺院の前には観光案内版があり、寺内町巡りはこの地域から府道を越えてさっき巡った町の方まで続いている、とりあえずここからはその案内版にある経路を進んで行くことに、それが3枚目以降にある写真の風景です。貝塚市と言えば南海本線が通る市の中ではどちらかと言うと地味な存在、南海は特急は停まらないしJRも快速は停まらない。「貝塚」と言うと歴史で習う遺跡を思い出すが、この市域で貝塚の遺跡は見つかったことはないらしく、この町が海に近い塚だった地形からその名の由来になっているらしい。









この旅最後の目的地である岸和田市へと入りました。岸和田と言うと思い出すのが朝ドラ『カーネーション』奈良県出身の尾野真千子が一生懸命頑張っていましたが、この地の下品さが前面に出てしまっている感じはあまり好きではありませんでした。町並は見所がいろいろあって紀州街道や岸和田城近くを走るのはいいのですが、何か人はいわゆるだんじり気質が勝っている感じ、どうしてものイメージがあって、すぐに殴りにかかって来られそうで怖い感じがしてならない。まあそんなことは関係なしにここでも登録有形文化財巡り、それは上の写真にある通りです。ちなみに写真4枚目の建物は登録有形文化財ではありません、でもここに並べた写真の中では一番文化財っぽい感じはするんですけどねえ・・・。
そんなわけで朝に和歌山を出発してから何やかんやと目的を潰していきながら岸和田までやって来ました、ここから後はできるだけ交通費を浮かすために行ける所まで走るだけ・・・と言うことで紀州街道を一目散に時間が許す限り走ってどこまで来たかと言うと泉大津市を越えて高石市まで、最後は南海高石駅で今日自分(一人称)のわがままにつき合わせてきた相棒を休ませることに。それにしても高石の駅も高架化されて、と言っても半分だけだけど変わったなあ~仕事でよく来ていた馴染みのある駅なので何か寂しい気持ちになってしまった。今は交通事情が何やかんやで駅も高架化や橋上化されていくばかり、個性のない駅ばかり増えていくような気がしてならない・・・って旅の終わりがちょっと淋しい感じになってしまいました、また次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。         まちみち