授業が終わると家に帰らず、自動車教習所へ直行しました。
教習車はマツダR360クーペ。コンパクトで可愛い車です。
軽自動車初のオートマの設定があって、教習車もAT車でした。
私に自動車免許を取るように勧めたのは父でした。
当時はセルロイドの仕事が繁忙で、
通いのプレス職人が2人、女子従業員が2~3人、
住み込みの女の子がいた時期もありました。
父も母も一日中、仕事に掛かりきりでした。
問屋への納品、内職先への配達と回収などがあり、
人手はいくらあっても足りない状況でした。
それで父は私が運転免許を取れる年齢になるのを待っていたようです。
秋は日が暮れるのが早くて、学科と実技の授業が終わると真っ暗になります。
教習所には意地の悪い教官がいて、運転がまずいとよくいじめられました。
暗い夜道を悔し泣きをして帰ったこともありました。
それでも教習をやめることなく、何とか教習所を卒業しました。
教習車はマツダR360クーペ。コンパクトで可愛い車です。
軽自動車初のオートマの設定があって、教習車もAT車でした。
私に自動車免許を取るように勧めたのは父でした。
当時はセルロイドの仕事が繁忙で、
通いのプレス職人が2人、女子従業員が2~3人、
住み込みの女の子がいた時期もありました。
父も母も一日中、仕事に掛かりきりでした。
問屋への納品、内職先への配達と回収などがあり、
人手はいくらあっても足りない状況でした。
それで父は私が運転免許を取れる年齢になるのを待っていたようです。
秋は日が暮れるのが早くて、学科と実技の授業が終わると真っ暗になります。
教習所には意地の悪い教官がいて、運転がまずいとよくいじめられました。
暗い夜道を悔し泣きをして帰ったこともありました。
それでも教習をやめることなく、何とか教習所を卒業しました。