”Mama yo quiero un novio” Nina Miranda
1929年にラモン・コジャソが作曲、ロベルト・フォンタイナが作詞した楽曲で、発表当時には大ヒットしたそうです。
1953年に日本の藤澤嵐子がアルゼンチン公演した時に、彼女が持ち歌として熱唱したことで、現地でも改めて見直され、
ニナ・ミランダやリベルタ・ラマルケなどもリヴァイヴァルとしてレコーディングを競う結果となりました。
Mama, yo quiero un novio
que sea milonguero, guapo y compadrón,
que no se ponga gomina
ni fume tabaco inglés,
que pa' hablar con una mina
use el chamuyo al revés.
Mama, si encuentro ese novio
juro que me pianto aunque te enojés.
↓はニナ・ミランダの『ママ恋人が欲しいの』 YOUTUBEより
ここで本場のブエノスアイレスで受け入れられた藤澤嵐子の『ママ恋人が欲しいの』を紹介しておきます。
『ママ恋人が欲しいの』 藤澤嵐子 (ミゲル・カロ楽団)
”Mama yo quiero un novio” Ranko Fujisawa
藤澤嵐子についてはウィキなどに掲載されていますので人物紹介は控えますが、彼女がアルゼンチン・タンゴの
存在を日本中に広めたという功績は認めざるをえません。
私としては日本人の流行歌手には全く興味がないのですが、彼女だけはリスペクトに値する存在でした。
↓は藤澤嵐子の『ママ恋人が欲しいの』 YOUTUBEより
私は視聴していませんが、1958年のNHK紅白歌合戦で披露していたようです。