クロムの備忘録的ダイアリー

定年後の日々の楽しみや関心事、具体的には写真、カメラ、観る将あるいは投資の話題などを綴っていきます。

四国旅行五日目その2

2019年03月14日 20時07分32秒 | 旅行

宇和島城を後にして現存天守の伊予松山城に向かいましたが、途中下灘駅に寄りました。
この駅は青春18切符のポスターで有名になったのですが、狭い脇道を通った先にありました。駐車場は数台しか置けないのですが、平日にも関わらず既に満杯でした。見学者は若い女性が多く、思い思いのポーズで写真を撮り合っていました。いわゆるインスタ映えというモノですね。
ポスターではまるで海上にあるかのようですが、実際は少し高台にある駅と海の間に道路が通っています。


松山城は宇和島城に比べずっと大きなお城でした。この城は賤ヶ岳の合戦の七本槍の一人、加藤嘉明が築城、その後紆余曲折を経て松平家が治めました。そのため瓦に葵の紋が見られるそうです。


城にはロープウェーやリフトで登れるのですが、知らなかったので二の丸庭園に駐車し黒門口から徒歩で登りました。かなりの石段を登ってたどり着いた城郭は黒と茶と白の対比が美しく堂々としたお城でした。


石垣も宇和島城とは正反対の美しく精細な印象を受けます。





松山城は天守含めて21もの重文があるそうで、見所の多い城なので機会があればまた見学に訪れたいものです。



四国旅行五日目その1

2019年03月14日 17時04分07秒 | 旅行
この日は現存天守の一つ宇和島城に向かいました。途中四万十川沿いの沈下橋を見学しました。
沈下橋とはこの地方に多く存在し、欄干がなく増水時に水没してしまう橋です。生活道路として使われており、実際に車で川を横断できるのですが、万が一を考えて渡りませんでした。


写真は向山橋(上岡沈下橋)です。もうひとつ半家沈下橋も見学しました。


宇和島城は海沿いの高台に立っています。駐車場から天守へ続く坂道沿いの石垣は苔などの地衣類に侵食されているかのと思えるほど緑に覆われていました。


こじんまりした天守の立つ広場にはちょうど薄紅カンザクラが咲いており、天守からは港の様子がよく見えました。


宇和島藩は仙台伊達家の子家で、初代藩主は伊達政宗の長男、伊達秀宗です。宇和島藩で思いつく人物は幕末の四賢侯と称された伊達宗城のみです。四国では四賢侯には土佐藩の山内容堂が含まれます。四賢侯は公武合体の際には一定の影響力を持ち、維新後は貴族になり要職にも付きましたが程なく周囲の維新の志士達との考えの相違から公職を辞していきました。なお個人的には伊達宗城は高野長英を匿ったことで記憶に残っている人物です。


宇和島城は今回四国で見た最も歴史というか時間の流れを感じさせる城郭でした。来てよかったです。


おまけ。城の受付の人に聞いた地元の名物、ほづみ亭の鯛めし。