四国旅行も観光はこの日が最終日です。翌日は600kmオーバーを一気に帰るのみですので。
朝、偶然見かけた宿の近くの公園で司馬遼太郎「坂の上の雲」の主人公、秋山兄弟の銅像を見学しました。
銅像近くに説明板があり要約すると、秋山好古(よしふる 1859~1930)。
海軍軍人秋山真之の実兄。陸軍大学を経て騎兵科を志しフランスへ留学。日清戦争で騎兵第一大隊長、後明治陸軍の騎兵科を強化発展させ騎兵の父と仰がれた。日露戦争では騎兵第一旅団長となりコダック騎兵と戦い大功をあげた。大正5年大将となり、後壊れて北予中学(現松山北高)の校長となり後進の育英に尽力。
秋山真之(さねゆき 1868~1918)
15歳で上京し親友子規と下宿。明治19年海軍兵学校に入学し、主席卒業。日清戦争を経て米国に留学、近代米国海軍戦術を究め、日露戦争では東郷平八郎の作戦主任参謀として活躍、バルチック艦隊を丁字戦法を駆使し撃破。Z旗の「興国の興廃此の一戦に在り各員一層奮励努力せよ」文を残した。大正6年中将、翌年病死。真之の銅像台座には東郷平八郎の「智謀如湧」の4文字が刻まれていました。
坂の上の雲は随分以前に読んだのですが、秋山真之は記憶に残っているのですが、兄の方がかなりおぼろです。ただ日本騎兵の父と旧制中学の校長になったという逸話はかろうじて覚えていました。
宿を出てしまなみ海道に向かいました。今治から尾道まで島から島を渡っていきましたが、特に前半は瀬戸内の絶景が広がり目を奪われました。時間に余裕があれば時間をとって途中の島で下車して見学したかったですが、多々羅大橋を渡った瀬戸田PAに止まり鳴き龍を見学したのみでした。
鳴き龍は新年会で会った同期の一人からの感動するからぜひ見たほうが良いととのプッシュあったので、寄ってみたのでした。瀬戸田PAに駐車し1Km近く徒歩で橋の途中まで歩き、用意されていた拍子木で叩くと、確かに鳴き龍現象をはっきりと体験することが出来ました。鳴き龍がなくとも多々羅大橋からの眺めは非常に良かったのでここで一休みしたのは正解でした。
朝、偶然見かけた宿の近くの公園で司馬遼太郎「坂の上の雲」の主人公、秋山兄弟の銅像を見学しました。
銅像近くに説明板があり要約すると、秋山好古(よしふる 1859~1930)。
海軍軍人秋山真之の実兄。陸軍大学を経て騎兵科を志しフランスへ留学。日清戦争で騎兵第一大隊長、後明治陸軍の騎兵科を強化発展させ騎兵の父と仰がれた。日露戦争では騎兵第一旅団長となりコダック騎兵と戦い大功をあげた。大正5年大将となり、後壊れて北予中学(現松山北高)の校長となり後進の育英に尽力。
秋山真之(さねゆき 1868~1918)
15歳で上京し親友子規と下宿。明治19年海軍兵学校に入学し、主席卒業。日清戦争を経て米国に留学、近代米国海軍戦術を究め、日露戦争では東郷平八郎の作戦主任参謀として活躍、バルチック艦隊を丁字戦法を駆使し撃破。Z旗の「興国の興廃此の一戦に在り各員一層奮励努力せよ」文を残した。大正6年中将、翌年病死。真之の銅像台座には東郷平八郎の「智謀如湧」の4文字が刻まれていました。
坂の上の雲は随分以前に読んだのですが、秋山真之は記憶に残っているのですが、兄の方がかなりおぼろです。ただ日本騎兵の父と旧制中学の校長になったという逸話はかろうじて覚えていました。
宿を出てしまなみ海道に向かいました。今治から尾道まで島から島を渡っていきましたが、特に前半は瀬戸内の絶景が広がり目を奪われました。時間に余裕があれば時間をとって途中の島で下車して見学したかったですが、多々羅大橋を渡った瀬戸田PAに止まり鳴き龍を見学したのみでした。
鳴き龍は新年会で会った同期の一人からの感動するからぜひ見たほうが良いととのプッシュあったので、寄ってみたのでした。瀬戸田PAに駐車し1Km近く徒歩で橋の途中まで歩き、用意されていた拍子木で叩くと、確かに鳴き龍現象をはっきりと体験することが出来ました。鳴き龍がなくとも多々羅大橋からの眺めは非常に良かったのでここで一休みしたのは正解でした。