千本釈迦堂見学後、昼食をとり、少し離れた晴明神社まで歩きました。
地元の人の話では晴明神社は昔は荒れ果てていたそうですが、近年に注目されるようになり神社の整備の進んだそうです。
入り口を入ると一条戻り橋を復元した小橋が有り、袂に清明が使役したという式神の像があります。
境内には清明の像と伝説の一部が書かれたいくつかの額が飾られていました。
次に行った白峯神宮は崇徳天皇と淳仁天皇を祀っています。どちらも流罪になり都を追われて配流先で亡くなりました。
白峯神宮は明治になり両名の鎮魂のため明治天皇の命により建てられました。。
特に崇徳帝は強い調子の呪いの言葉を残して亡くなり怨霊と化し災いをなしたことで有名です。
また白峯神宮の立つ地はかつては和歌・蹴鞠の宗家飛鳥井の敷地だったことからまりの守護神が祀られており、現代では野球、サッカーや新体操など球技全般の上達を願う者が訪れています。
次に宝鏡寺に行きました。別名人形寺と呼ばれ、歴代皇室から皇女が入寺していた尼寺です。
そのため地名から百々御所(どどのごしょ)とも呼ばれていました。この寺には短い間ですが、皇女和宮が暮らしていました。人形寺の謂れですが、皇女が入寺する際、御所から人形が贈られ、孝明天皇ご遺愛の人形など数多くの人形を所蔵するようになったからです。境内には人形塚があります。
宝鏡寺の後はすぐ近くに茶道の千家の住宅があるので行ってみました。特に中に入れるわけではないのですが、風情のある通りに広い屋敷を構えていました。
最後にすぐ近くの日蓮宗の本法寺に行ってみました。境内には長谷川等伯の像があります。
この寺には等伯と本阿弥光悦が眠っています。
帰りがけに応仁の乱の西軍の大将であった山名宗全の屋敷跡に寄ってみましたが、特に何も残っていませんでした。京都に甚大な被害をもたらした戦の一方の主役ですが、月日の流れには勝てなかったようです。
なお山名宗全の墓は南禅寺の塔頭・真乗院にあるそうです。