四国旅行記も今回で最後です。しまなみ海道を渡った後は一路姫路城を目指しました。
城正面の地下に駐車し桜門橋を渡り城内に入城しました。姫路城の天守はかなり離れた位置からもはっきりと威容を確認できます。大きく高く白く美しく、見せつけるかのような城郭ですね。
城内には播州皿屋敷の階段で知られるお菊の井戸などもありました。
天守最上階まで上った後は隣接する西の丸を見学しました。西の丸は百間廊下と呼ばれる300mにも及ぶ長屋に囲まれています。この長屋は城主本多忠政が息子忠刻(ただとき)が娶った千姫のために建てた御殿を囲むようにして作られました。
千姫というのは二代将軍徳川秀忠とお江の娘で7歳で豊臣秀頼と結婚します。しかし大阪夏の陣に際し、家康に秀頼の除名を願いでるが叶わず、大阪城から救出されます。
ちなみに秀頼とは仲睦まじかったと伝わっています。千姫に関してはこの程度しか記憶になかったのですが、大阪落城の後、千姫は前述の通り本多忠刻と結婚し桑名城を経て姫路城に移ります。
姫路入城後、1618年長女勝姫、1619年長男幸千代が生まれて幸せに包まれますがそれも長くは続きません。
1626年には夫忠刻、姑熊姫、母お江が相次いでなくなり、勝姫と本多家を出て出家、天樹院と号します。
千姫は祖母お市の方の美貌を受け継ぎ、また穏やかな性格であったそうで、家康、秀忠に可愛がられ、弟家光との仲も良好であったそうです。
こうして生涯を概観すると将軍の娘として生を受けても運命に翻弄され幸せな人生を送るのは難しい時代だったな、と思わずにはいられませんね。
最後に姫路城主の変遷ですが、本多氏、池田氏、松平氏を経て維新までの120年間は酒井氏が治めます。
第2代酒井忠以は絵画、茶道に秀で、その弟の抱一は最近琳派絵師として注目されていますね。
といったところで、建物だけでなく、それを取り巻く人物も多彩で魅力の多い姫路城でした。