特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

How much?Ⅱ

2024-11-15 05:33:05 | 特殊清掃
「お金で買えないものはない」
少し前、こんな言葉が物議をかもしたことがあった。
発言の主は、世間から異論や非難を受けることも承知したうえで、そういった言葉を吐いたのだろうと思う。


発言者の真意は計りかねるが、私は、この言葉に何か深い意味を感じる。
そして、否定したくても、否定できない自分がいる。


私は、お金で買えないものはたくさんあると思っている。
ただ、それらのほとんどは目に見えないもの。
人の心であり、身体の健康であり、時間でもある。
そう言いながら、目に見えないモノに対しても、金が何らかのかたちで影響を及ぼすことがあることも認めざるを得ない。


私も、目に見えるモノのほとんどは金で買えると思う。
そして、目に見えないモノに対しても影響する・・・お金って、それだけの力を持つものだ。


「いい給料もらってるんでしょ?」
色々な人と出会う中で、たまにこんなことを言われる。
「そんなことないですよ」
と返しても、信じてもらえない。
隠しておく必要もないので、具体的な金額を話しても、「また、冗談を・・・」と言わんばかりの表情をされてしまう。


「人の嫌がる仕事をやれば、人より高い給料がもらえる」といった構図は、もはや過去のものになっていると思う。
今は、個人の能力・資質や労働生産性、需給のバランスが、得られる報酬にストレートに反映される時代。


そして、人は個人の能力と資質に合った仕事をするしかなく、それが人の嫌がる仕事であってもなくても、個人の能力・資質・成果によって手にできる収入が変わるのは当然のことだろう。


自分を守ってくれるのは、自分の能力と自分がだす成果。
努力やプロセスより結果重視。
私は、この現実をシビアだとは思わない。
資本主義社会においては当然のことだ。
でも、そんな傾向一色に染まっていく社会に、いくらかの寂しさを覚える。


「幸せは買うものではなく創るもの」
こう言う人がいる。
非常に耳障りのいい言葉だし、ある種納得できる理屈でもある。
しかし、何となくシックリこない。
私レベルの人間は、創る材料は、やはり買わないと手に入らないような気がするのだ。


TV番組によくあるパターン。
発展途上国の自給自足生活やそんな暮らしをする人達を見て、「本当の豊かさとは、こういうものだ」「心が豊かな人達た」「幸せな人生を送っている」「日本人は心が貧しい」等とコメントするTV人がいる。
この類の発言は、私にとっては耳障りなものである。


そもそも、人の幸せや豊かさには万民共通の定義なんて持ちようがない。
なのに、自給自足生活の一部、しかも表面だけしか見えていないのに全部を知り尽くしたかのようなコメントを吐く。
そんな無責任さに抵抗感があるのだ。


「あんな貧乏暮らし、私はイヤだ」
「こんな不衛生な暮らし、私は耐えらない」
「私は、物が豊かで便利な日本の方がいい」
たまには、こんなコメントをするTV人がいたっていいのにね(そんなこと言ったら番組にならないか)。


「人は何のために生きるのだろうか」
「人の幸せって何だろうか」
「・・・やっぱ、金かなぁ」
生きている限り、尽きない悩みだ。


「ボロは着てても心は錦」⇔「心はボロでも錦が着たい」
こんな中途半端なところを行ったり来たりしながら、ここまでやってきた私。
多分、これからもそんな宙ブラリンのまま生きていくんだろう。


予想して(恐れて)いた通り、今年の収入が前年割れすることが確実になったので、少しスネている私である。
何か、支出を削らないとなぁ・・・やっぱ、食費かな。


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2006-09-24 08:49:07
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脂肪で死亡

2024-11-14 06:11:56 | 特殊清掃
世の中には、好きなだけ飲み食いしても体重が変化しない、羨ましい体質を持った人がいる。
私も、若い頃はそうだった。


二十歳前後の頃は、一食の御飯の量が二合位、多いときは三合の御飯をペロリとたいらげていた。
それでも、体重は増えることなく、わりとスリムな体型を維持できていた。
標準体重を少し下回るくらいで。


ところがである。
20代後半から、少しずつ何かが狂い始めた。
飲み食いした分が、体重に乗ってしまうようになったのだ。
みるみるうちに標準体重を突破したかと思うと、あれよあれよと言う間に「やや肥満」に。
気がついた時には、「肥満!」と太鼓判を押されるような始末になっていた。


私にとって、飲み食いは大事な楽しみの一つ。
大袈裟なようだが、生きる喜びの一つなのである。
特に、酒・肉料理・甘味には目がない。
焼肉+ビール、食後にアイスクリームなんて最高だね!
でも、身体には最悪・・・。
(しかし、飲み食いぐらいしか楽しみがないなんて、寂しい人生だね。)


腐乱した故人も、私と似たような趣向の持ち主だったみたい。
医師からはカロリー制限とダイエットを指示されていたらしい。


「腐乱場所は、浴室と脱衣場」と聞いていたので、私は浴室の方にウェイトを置いて行った。
風呂場の汚染は、これまた独特で、インパクトのある現場ばかり。
今までの経験から、どうしても風呂場の汚染ばかりが頭に浮かんできた。


ところが、汚染のほとんどは浴室の前の脱衣場が占めていた。
風呂場の汚染に比べれば少しはマシだったが、その汚染はジュニアヘビー級。
「うへぇー、こりゃヒドイなぁ」
と、いつもの一言。


作業は単純。
腐敗液を吸い取りながら、腐敗粘土を削り取る。
ひたすら、その繰り返し。
床にある、バスマットや細かい生活用品も、腐敗液・腐敗粘土にまみれてヒドイことになっていた。
そんな汚物を一つ一つ持ち上げて取り除く作業には、たまらないものがある。


そんな中、床の片隅に四角く盛り上がっている所があった。


「ここにも何かあるな」
私は、躊躇うことなく、それに手を出し、そして持ち上げた。
ズシリとした重量感があった。


ボト!ボト!ボト!ボトーッ!!!


「うげー!何だこりゃ?」
持ち上げたモノの中から、淡黄色の腐敗脂とウジが大量に溢れ落ちてきたのである。
その量と言ったら、半端じゃなかった。
フライパンに入れたら揚げ物ができそうなくらい(想像しなくていい)。


ひょっとしたら、故人は風呂上がりに体重計に乗ったところで倒れたのかもしれない。
そして、誰にも発見されないまま溶けていった・・・。

故人が、床に広がる自分の脂の量を見たら驚くに違いない。
そして、思うだろう。
「真剣にダイエットするべきだった」と。


私は、ウジのオイル漬を片付けながら考えた。
「食欲って、どうやったら抑えられるんだろう」
え?
食事前に特掃現場を思い出せばいい?


残念ながら、そのくらいことじゃ私の食欲は微動だにしないんだよねぇ。・・・だけど、一般の人には効果があるかもね。


そう!
ダイエットに苦しんでいる方には、私のブログはおすすめだ!






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2006-09-23 09:17:31
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寝込んだネコ!!

2024-11-10 12:49:22 | 特殊清掃
猫という動物は、好む人と嫌う人がわりとハッキリ分かれる動物ではないだろうか。
私は、猫より犬の方が好きだ。
もっとも、犬猫より牛(Beef)・豚(Pork)・鶏(Chicken)の方が好きだけど。


8月21日「飼猫とサラリーマン」の続編。
私は猫の死骸を片付けるため、再び現場に行った。


依頼者は、「気持ち悪くて、とてもネコの死骸を見ることができなかった」と言う。
ただ、私が伝えたその場所に近づくと異臭がするので、死骸の存在を感じたらしかった。


家の裏、陽当たりの悪い狭いスペースにネコの死骸はあった。
私が初めに発見したままの状態で残っていた。
そして、その腐乱臭は人のそれと酷似していた。
ただ、それが屋外だったことと、ネコの身体は小さいことが幸いして、そんなにキツい臭いではなかった。


ネコは、骨だけ残して完全に溶けていた。
これも人と同じ。
違うのは、体毛の有無。
言うまでもなく、ネコの全身は毛で覆われている。
人間でも、体毛の濃い人はいるだろうが、ネコの比ではないだろう。


地面のコンクリートに、溶けかかった毛皮がへばり着いていた。
そして、細かい毛には小さなウジが絡みついていた。


「やっぱ、ここにもいたか」
「まったく、たくましいヤツらだ」
ウジに対しては、嫌悪することより感心することが多い。


精神的に重かったのは、頭部。
眼球がなくなり、歯も剥きだしになっている頭蓋骨が、溶けかかったクサ~イ毛皮に覆われているような状態。
特に、眼球がない様が不気味さを増長させていた。
逆に、眼球だけがシッカリ残っていたら、そっちの方がもっと怖いけど。


私は、その状態をしばし観察してから、死骸の片付けに取り掛かった。
人間に比べてはるかに小さいネコ腐乱の処理は楽なものだった。


一つ一つの骨を拾ったりもせず、スコップですくった。
「小さい」と言っても、一発ですくい取ることはできず、何度かに分けて少しずつすくった。


頭部をすくう作業は、やはり鳥肌モノ。
胴体から外れた頭は、スコップの上でゴロゴロと不安定に転がった。
刺激的なその様からは、おのずと視線を逸らさざるを得なかった。


死骸をきれいに除去した後の地面(コンクリート)には、濡れたような痕が残った。
ネコの腐敗液・腐敗脂が染みついていたのだ。


今後のことにも影響するので、これをどうするかを依頼者と相談した。
すると、依頼者から意外な相談を受けた。
「ネコの死骸を庭に埋葬して欲しい」
「この家は故人の持ち物だし、しばらくは誰も住む予定もないし」
「故人も可愛がっていただろうし、ネコも故人を慕っていただろうから」
との優しい配慮だった。


ただ、埋める場所は私に任せるので、依頼者には知らせなくてもいいとのことだった。
「埋めた場所を知りたくないとは・・・」
依頼者は、単なる優しさだけではなく、ネコや故人の祟り的なものを恐れているようにも感じた。


何はともあれ、埋葬できることは私にとっては嬉しいこと。
庭の一角に適当な場所を見つけて、できるだけ深く穴を掘った。
そして、ネコを丁寧に埋めた。


気持ちもスッキリと、この現場を終えることができた。


私は、猫より犬の方が好きだ。
ただ、これは飼主の立場で考えた場合。
飼われる立場だったら、何事も従わされる犬より自由気ままが許される猫の方がいい。


飼うなら犬がいい、飼われるなら猫がいい。
自分は猫でいたいけど、回りの人間には犬でいてほしい・・・こんな人間関係に心当たりがある人は多いんじゃない?


そんな事を言いながらも、「お手」と「お座り」はシッカリできるように仕込まれて大人になった私。
ただ、残念なことに、尻尾をふるのが下手クソなんだよねぇ。

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2006-09-21 12:11:06
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社会的動物

2024-11-09 05:57:02 | 特殊清掃
「赤信号、みんなで渡れば恐くない」
「青信号、誰も渡らず渡れない」


個性より協調性、単独行動より団体行動が重んじられる世の中。


「出る杭は打たれる」
「郷に入らば郷に従え」


言うまでもなく、日本は議会制民主主義の国。
何事も多数決で決まる。
多少のストレスがかかっても、大多数の意見や考え方に埋もれていた方が安全である。
学校教育も、通り一辺倒の人間を作ることを最優先しているようにしか思えない。
そして、よくも悪くも、大多数に合わせられない人間は、つまハジキにされる。


小さな老朽一戸建。
狭い間取りの奥の部屋に腐乱痕があった。
部屋の戸を開けると、もぁ~っといつもの腐乱臭が覆ってきた。
「まったく、この臭いはいつ嗅いでもかなわねぇなぁ」
マスクをしていなかった私は、服の袖口で鼻と口を押さえた。


通常は、最もヒドイ汚染物を先に撤去するのだが、ここではそれができなかった。
この部屋でヒドク汚染されていたものは、布団・カーペット。
しかし、半ゴミ屋敷状態のその部屋では、布団もカーペットも、生活雑貨(ゴミ)に埋もれてしまってどうにもならなかったのだ。


仕方なく、私は濃い腐乱臭の中、ひたすらゴミを撤去した。
いたる所にウジの死骸が潜んでおり、それはそれでかなり汚かった。


ほとんどのゴミを部屋から出すと、汚染の全体が見えてきた。
当初の予想以上に汚染範囲は広く、汚染度も深刻だった。
全体が見えないうちはノーマルだと思って踏んでいた床も、実は汚染済みだった。


「おーっ?こりゃヒドイなぁ」
推定された死後経過日数からは、想像し難い汚染の広がり方だった。


私は、最後に残ったヤバイ部分に手をつけた。
汚腐団の一枚一枚を慎重に掴み上げ、ゆっくり袋に入れた。
一枚一枚を持ち上げる度に、自然と「お゛ーっ!」という悲鳴?がでた。


それでも、掛布団・毛布まではまだよかった。
敷布団を見たときは、「お゛ーっ!でたなぁっ!」と驚愕の声。
それは、汚腐団の中の汚腐団だった。
腐敗液をタップリ吸った敷布団は黒光りしそうなくらいで、小さなウジが無数にくっついていた。


参考までに・・・
ウジの大きさを米粒くらいと想像する人が多いと思う。
なかなか見る機会はないと思うけど、初期のウジは極小!
至近距離でないと、肉眼では確認できないくらい。
逆に成長したウジはデカい!
米粒の何倍にもなる。
こんなのが群れを成している光景を見ると、なかなかの迫力を感じる。


私は、心の中で深呼吸して(実際に深呼吸する勇気はない)、気持ちを落ち着けてから敷布団の撤去にとりかかった。


敷布団をめくり上げてみて、更に「お゛ーっ!!」。
表面より裏面の方がヒドク、ネトネトの腐敗粘土がベットリと溜まり、床には無数のデカいウジがいた。


「うぁ゛ーっ!なんてこった!」
私は、動きを止めた。
そして、この後の作業手順を考えた。
慎重に、慎重に。


スーパー汚腐団を何とか袋に詰めた私は、一息入れながら床のウジを眺めた。
よく見ると、ウジ達はみんな同じ方向に逃げていた。
丸々と肥え太った身体を波うたせながら、きれいに一定方向を向いて動いていたのだ。


「ん?おもしろい光景だな」
「一匹くらいは別方向に逃げるヤツがいてもいいのに・・・」
「ウジの社会にも色んな柵や事情があるのかな?」


身の危険を感じた本人達(本ウジ達?)は急いで逃げているつもりなのだろうが、そのスピードがウジの限界だった。
私のスピードに敵う訳がなく、あえなく御用。
悲しい結末が待っているだけだった。
皆とは違う方向に逃げていれば、助かったかもしれないのに・・・。


私は、闇雲に個性を主張すればいいと思っている訳ではない。
個性と個人のエゴを混同してはいけない。
自分を自制できないことを、個人の自由だと勘違いしてはならない。


また、協調性を発揮することと回りに妥協・迎合することは違う。


自由に個性を発揮しながらも、社会の秩序をキチンと守る。
今の世の中、そんな生き方が大事だと思う。


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2006-09-20 09:40:48
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きのこ狩り(後編)

2024-11-07 07:01:39 | 特殊清掃
この表題と前編からの流れで、後編の話がだいたい想像できると思う。
わざわざ書くまでもないような展開だが、秋らしい話題?として書き残しておこうか。

数日後、現場を確認した依頼者から電話が入った。
契約に沿った仕事をしたので、依頼者からは「問題なし」「ありがとう」の声が聞けるものとばかり思っていた。

しかし、依頼者は私の思いとは逆に、「部屋に何かがいる!」と興奮状態。
ちょっとパニックっていた。
それを聞いた私は、「何言ってんだ?」と、依頼者の言っていることが理解できなかった。
「何かがいる!」と言われても、私は何も心当たりがない。

「作業を終えて退室したときは、間違いなく部屋は空っぽになっていたはず・・・なのに、何かがいる・・・?
「野良犬が野良猫が入り込んだか?」
「それとも、虫の類か?」

とりあえず、その正体を知りたくて、依頼者に細かく質問をした。
腐乱現場では、ウジ・ハエが後から湧いてくることはあるが、どうもその類ではなさそうだった。
依頼者は、驚きのあまり、その正体を確かめないまま玄関ドアを閉めていた。
私は、もう一度中に入って確認してもらいたかったが、「恐くて入れない」と言う依頼者に無理強いはできなかった。
仮に、モノの正体が野良犬や野良猫の類で、依頼者に危害を加えるようなことがあってはマズイし。

「んー、何だろう・・・」
私はモノの正体を全く想像できなかった。
ただ、怖がる依頼者を放っておく訳にもいかないし、「正体を知りたい」という好奇心もあったので、私は現場に行くことにした。

私が現場に到着したとき、既に依頼者は退散していた。
私は、まず中の音に耳を澄ました。
特に、音らしいが音は聞こえなかった。
次に、玄関ドアをノック。
これにも反応がなかった。
それから、片手に棒状の工具を持ち、ビクビクしながらも気持ちを戦闘モードに切り替えた。
そして、意を決して玄関ドアを開けた。

「ん!?」
何もないはずの床に、何かが見えた。
驚いた私は玄関ドアを勢いよく閉めた。
確かに依頼者の言う通り、畳の上に不気味な何かがいた。
私は、ドキドキする心臓を静めるためと、頭を整理するために、しばらく外で小休止した。

「犬猫ではなさそうだし・・・爬虫類系にも見えたが・・・亀?・・・まさかな・・・じゃ、あれは何だ?」
いつまで考えても、私は答がだせなかった。

考えてても仕方がない。もう一度、意を決して、私は玄関ドアを開けた。
畳の上に、こんもりとした何かがいる。
ウロコ系の爬虫類、亀みたいにも見える。
私は、爬虫類が大の苦手!寒気がしてきた。
それでも、勇気を振り絞って近づいた。
そして、謎の物体をよく見た。

「な~んだぁ」
近くでよく見てみると、それはキノコだった。
畳の腐った部分にキノコが群生していたのだ。
大小一つ一つの傘がウロコのように見え、全体として結構な大きさの爬虫類のような形を成していたのであった。

私は、一気に気が抜け、同時に安堵した。
そして、依頼者に電話して、正体がキノコであることを伝えた。
驚きの余韻が残っている依頼者は、理解し難いようだったが、丁寧に説明した。

それにしても、キノコの成長は凄い!
わずか数日で、ここまで群生するなんて。


私は、現場に来たついでにキノコを片付けて行くことにした。
キノコは根を張っている訳ではないので、取り除くのに大した労力はいらなかった。
「このキノコは食える種類かなぁ」と、くだらないことを考えながら作業。
「たくさん採れたら売れるかなぁ」とバカな冗談を思いついた時、大事なことに気がついた。

「今、このキノコを片付けても、また生えてくる可能性は充分あるな・・・ってゆーか、生えてくるに決まってる!」
「だったら、今片付けても意味ないじゃん!」
私は、キノコ狩りを中止して現場を後にした。

それからしばらくの間は、キノコのその後が気になった。
「あの勢いだと、とんでもない量になるに違いない」
仕事に関係ないので、見に行きい好奇心を抑えた私だった。

過ごしやすい季節になり、心身ともにだらけてきた。
どうしたらシャキッとするだろう。

私にとってキノコは、旨くもマズくもないような食べ物。
そんなキノコでも大きな生命力を持っている。
たまには、キノコを食べて元気だそうかな。


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2006-09-19 09:04:22
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きのこ狩り(前編)

2024-11-06 05:00:58 | 特殊清掃
秋がやってきた。
食欲の秋、行楽の秋、勉強の秋、人によって色んな秋があるだろう。
私にとっては、やっぱ「食欲の秋」かな。
・・・食欲については一年中だが。
意地汚い私は、年柄年中、食い物のことばかり考えている。

若い頃はいくら飲み食いしても体重に響かなかったのに、歳を重ねると少しの飲み食いでも体重が増える。
身体の基礎代謝が落ちているからしい。
んー、悩ましい。
でも、食欲と食物があることだけでも感謝した方がよさそうだな。

老朽アパートの特掃依頼が入った。
木造1R、かなり古いアパートだった。
長い間、掃除や片付けをしていなかったらしく、中はゴミだらけ。
そして、この部屋の主は病院で亡くなって間もなかった。

玄関から中に入り、目に飛び込んできた部屋の光景に溜息がでた。
例によって、「こりゃヒドイなぁ」

暗~い部屋には家財道具・生活用品、そして大量のゴミがあった。
「この部屋で死んでいた」と言われてもおかしくないくらいの汚れ具合いで、私は、「病院で亡くなった」という依頼者(遺族)の説明を疑った。
私は、警戒しながら部屋に踏み入った。
そして、注意深く部屋を観察した。

カビ臭いような異臭(ゴミの臭い)はあるものの、例の腐敗臭はなく、「とりあえずは遺族の説明を信じるしかなかないな」と思った。
それでも、慎重派の私は、「腐敗痕がゴミに隠れている可能性はあるな」という疑いを捨てることはできなかった。

依頼内容は、「中にある家財道具・生活用品・ゴミの撤去だけで、ハウスクリーニング・内装工事は不要」とのこと。
このアパートは、近々取り壊される予定らしかった。

作業の日、念のため私は腐乱汚物が出たとき用の装備も整えて行った。
依頼者は、都合が悪くて現場には来なかった。

まずは、ゴミを袋に詰めたり、梱包したりしながら大型の家財を搬出。
ゴミを動かすごとに種類の違う悪臭が漂った。
「そのうち腐乱臭がでてくるかも」と、私は気を緩めなかった。

ゴミをだいぶ撤去したところで、床の方に布団らしきものが見えてきた。
だんだんと全体が見えてくる布団にイヤな汚れを発見。

「ん!?これは汚腐団か?」
心臓がちょっとドキドキしてきた。
そのうち、布団は全体像を現した。
黒く腐ったそれは、完全に汚腐団だった。
しかし、腐乱臭がしない。居るはずのウジもハエもいない。

「!?おかしいなぁ」
見た目には腐乱死体が寝ていただろう汚腐団にソックリなのに、実際は、長い間ゴミに埋もれて腐った、ただのゴミ布団だった。
かなりの長い間、ここがゴミ屋敷だったことが想像された。

別に、腐乱死体痕を期待していた訳ではないが(職業病?)、拍子抜けした私はさっさとその布団を丸めて袋に入れた。
それから、布団の下の畳を見て少し驚いた。
布団だけじゃなく、畳まで黒茶色に腐ってフニャフニャになっていたのだ。

「これじゃ、床板も相当イッちゃってるな」
「でも、どうせ取り壊されるアパートだから関係ないか」

幸い、畳は撤収する契約ではなかったので、そのままにしておくことができた。
普通は、汚染された畳をそのまま残していくことは滅多にないのだが、近々に取り壊されるこの現場ではそれが許された。

とりあえず、依頼通りに作業は完了。
ゴミだらけの部屋だったのに、いざトラックに積んでみると大した量ではなかった。
「余裕で終わった」
「楽勝だったな」

依頼者に、作業が無事に終了したことを電話。
そして、都合のいい時に現場を確認をしてもらうよう頼んだ。

「腐乱痕があるかも」と警戒していた私だったが、結局ただのゴミ処分で済んだ現場だった。

気分も軽快にトラックを走らせた。

その時は、この後に起こるトラブルを、知る由もない私だった。


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2006-09-17 18:09:19
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遺骨と自分

2024-11-05 06:25:05 | 特殊清掃
自分が死んだ後、その骨をどうしてほしいか、考えたことがあるだろうか。
火葬された後に残される自分の骨の行く末をだ。

私なりの自論なのだが・・・
骨になった状態は既に自分であって自分でないようなもの。
したがって、骨がどこでどうなろうと、知ったことではない・・・と思う。
しかし現実には、そう思いながら、なかなかそう割り切れないものがある。
やはり、遺骨の状態でも、自分の肉体であることの感覚は捨てにくいものだ。
生きている今は、自分の身体を自分そのものとしている訳なので、なかなか自分と別物とは考えにくい。

アノ世というものがあるなら、そこはコノ世の理解を超越した異次元の世界なのだろう。
それを考えると、「自分の骨をどうするか」なんてたいして大事なこととは思えなくなる。

集合墓地の「永代供養」だって「永久に面倒みます」ということではなく、「しばらくの間は面倒みます」という意味だし、一般の墓だって子々孫々がいつまでも面倒みれるものでもないだろう。

でも、まぁ、墓(遺骨)は、亡くなった本人のためというより、残された人の癒しのために必要でもあろうから、私のように一義的な考えに偏らないは方がいいね。

既婚女性の話に限ってみると、嫁ぎ先の墓に入るのが旧来からの習慣としてあると思う。
核家族化がすすんでいる昨今でも、夫の家の墓に、または夫と一緒の墓に入るのが一般的だろう。
ただ、「夫と一緒の墓なんて、まっぴらゴメン!」こんな奥様方も増えてきているような気がする。
逆に、「妻と一緒の墓に入りたくない!」という男性がいても自然なことだ。
もちろん、これは少数意見に変わりはないのだろうが、その数自体は増えているのでは?
近年の離婚の増加が、何となくそんな気を起こさせる。

だいたいの場合、遺体は専用の火葬場で焼却される。
そして、遺骨は火夫によって選別され、遺族の前に出される。
直接見たわけではないので、軽はずみなことは言えないが、おそらく骨壷に入りきるくらいの大きさと量になるよう、作為的に調整されているものと思う。
少なくとも、細かい残骸は遺族には渡らないはず。
そうすると、燃え残った遺骨の100%が遺族に渡される訳ではないということになる。

では、残った骨(遺族に渡らない骨)はどうなるのだろうか。
きちんと検証した訳ではないが、東海地方の某県某市に全国の火葬場からでた遺骨の残骸が集められているという話を聞いたことがある。
もちろん、ゴミとして捨てるのではなく、きちんとした処分方法が執られていることだろう。

そんな現状を考えると、遺骨(墓)は故人本人のためではなく、残された人のためにあるように思える。

今までに何度が書いたように、たまに特掃現場から骨がでてくることがある。
もちろんレアな状態、腐敗液や腐敗肉片が着いている。
当然、臭い!ベタベタネチョネチョ!

見つけた骨は拾って保管する。
そして、遺族に返す訳だが、とてもそのままで返せるような代物ではない。
汚いうえに、とてつもなく臭いから。
私は、返す前に骨をきれいにする。
時には洗うし、時には磨く。

これまたバカの自慢話として聞いてもらいたいが、この作業は私くらいしかやらない。
結構、骨が折れる面倒な作業なのだが・・・。
他の者ができない理由は、「面倒」というより「気持ち悪い」らしい。

「故人だって、自分の骨が汚くて臭いままで残されるのは残念だろう」
「遺族だって、汚くて臭い骨を渡されたって困るだろう」
私は勝手にそう考える。
ま、もともと、私はレア骨を気持ち悪いなんて感じないから平気なのだ。

一見、心優しい人間に映るかもしれないが、私は、そんな骨を見る度にKFCを思い出してしまうような人間である。


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2006-09-16 10:30:54
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戦う日々

2024-11-01 05:59:06 | 特殊清掃
「死んだ方がマシだ」「死んでもいい」「もう死にたい」「死んでしまえ」「死ぬー」etc

自分の伝えたいことを強調するために、こんなセリフを使うことはないだろうか。
「死」と言う言葉を織り交ぜて、感嘆詞として無意識に使っている人は案外多いと思う。
そんな日常に心当たりはない?

私は、この仕事を始めてから「死語」(死という言葉を混ぜた感嘆句)を軽はずみに使わなく、イヤ、使えなくなった。
本当の死が、多くの死があまりに身近になったから。
誰しも本当の死を考えて吐いているセリフではなく、特に深い意味もないのだろうが、私の場合は、本来そう簡単に使えるような言葉ではないことに気づかされている。

以前にも書いたが、この仕事を始めて最初に出会った遺体は、おじいさんの亡骸だった(遺体処置作業)。
まるで生きている人が眠っているだけのような遺体を見つめながら、
「この人、死んでるんだなぁ」
「この人、死んでるんだよなぁ」
と、心の中で繰り返し呟いたのを憶えている。
そして、人が死ぬという不可解な現象を漠然とながらも重く受け止めたものだった。

特掃に行くのは、それからしばらく先のことになるのだが、不思議なことに初めての腐乱現場を憶えていない。
初期の頃の現場はいくつか記憶しているが、最初の現場がどれだったのか記憶が定かではないのだ。
あまりにインパクトが強過ぎたため、脳の防衛本能が働いて憶えていないのかもしれない。

遺体処置・遺体搬送・遺品整理・遺骨葬送etc、死体業の仕事は色々あるが、ショック度やインパクトの強さは特掃が他を圧倒している。
仲間にも、「他の作業はできても特掃だけは無理!」と言う者が少なくない。
バカの自慢話として聞いてもらいたいが、私は他の仕事にも増して特掃に燃える。
グロい現場であるほど、私の出番になる。
「特掃隊長」と呼ばれるだけのことはある(だだの自称だけど)。

特掃作業は誰か他の人に気を散らすことなく、ひたすら作業に集中できる。
敵は汚物・ウジ・ハエ、そして自分。
本ブログの表題、「戦う男達」が意味するところはここにある。
戦いの相手とは、本当は自分なのだ。

これは、何も死体業にかぎったことではなく、どんな職業にも当てはまることだと思う。
イヤ、仕事だけじゃなく、生きている人、一人一人全員に当てはまるものだろう。

生きることは自分との戦い。
真の敵は、他人や社会ではなく自分。

私にとって特掃作業は、自分の敵である真の自分が極めて露骨なかたちで現れ、その格闘が自覚できる貴重な場・・・うまく表現できなくて申し訳ないが、少しは分かってもらえるだろうか。

人間の腐敗液に滴り落ちる自分の汗。
静まりかえった腐乱現場に聞こえる自分の荒い息づかい。
それぞれの死を思いながらも、凄惨な汚物に脳が拒絶反応を起こす。
身体に着いた悪臭が、弱い私を自己嫌悪の穴に突き落とす。

今でも、逃げたくなることは何度もある。
気分が落ち込んで、何日も抜け出せないこともある。
「いつかは俺も死ぬんだ」と、開き直る。
そんな負けっぱなしの毎日だ。

自分との戦いはまだまだ続く、生きているかぎり。
最終的な勝敗は死に際になってみないと分からなそうだが、せめて、最期は引き分けくらいで終えたいものだ。


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2006-09-13 08:58:44
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ハイ、チーズ!

2024-10-27 08:09:30 | 特殊清掃
写真を撮る時の決まり文句、「ハイ、チーズ」。ひょっとして、今は死語?
とにかく、写真は笑顔がいい。

葬式の時に遺影(写真)を掲げる家は多い。
今や、葬式に遺影を用意するのは常識みたいになっている。
ある程度の年配者になると、自分の葬式を考える人も多く、遺影にも使えるようなきれいな顔写真を撮っておく人も少なくないように思う。

私が知る老人の一人は、毎年の正月に撮る写真を遺影にも使えるように撮影して家族に残している。
正月は毎年キチンと和装をするから、ついでに遺影用の写真も撮っておくのだ。
新年に希望を持ちながらも、自分の寿命を考えて、近いうちに来るであろう死の準備を粛々と整えておく。
こういった心構えを私も見習いたいと思う。

一般的に、遺影の写真は行楽などで普通に撮ったスナップ写真を使うことが多いようだ。
フィルム(ネガ)がなくても大丈夫だし、写真が小さくても着衣が正装でなくても問題はない。
小さく写った顔は拡大できるし、着衣は切り貼りで着せ替えることができるから。
便利な分、何だか味気ないような気もする。

学生時代の友人から食事に誘われた。
招かれた所は、高級とまではいかないが、わりと値段も高めのレストランだった。
勤務先の会社で昇進したらしく、随分と機嫌もよく饒舌だった。
その肩書がついたのは、同期の中でも早い方らしく、本当に嬉しそうだった。
大きな組織で働いたことのない私には分からない感覚だ。
こういう時は、少々おだてて祝ってやるのがマナーなのだろうから、白々しいくらいに誉め倒しておいた。

酔いもまわり、気持ちが大きくなってきた友人は、「今日は俺がおごるから遠慮するな」と、高いワインや食べ物を頼みはじめた。
安い居酒屋しか知らない私は、何がでてくるのかちょっと期待した。

ほどなくして、私達のテーブルに小さな円柱形の木箱がでてきた。
木箱には横文字が入り、全体的に濡れていた。
友人は、慣れた手つきで木箱を開けて中の白い物を取り出した。

「ハイ、チーズ!」
「おー、チーズか!」(旨そう)
「俺、ワインとチーズにはうるさいんだよ」
「食通なんだな」(おだてといてやるか)
「これは○○産の○○チーズで、すごく旨いんだよ!」
「へぇ~」(高そうだな)
「この匂い、嗅いでみろよ」
「どれどれ・・・グホッ!」(何だ?この臭いは!)
「これを臭く感じるようじゃまだまだだな」
「そうか・・・」(この臭いは・・・)
「んー、いい匂いだ」
「・・・!」(腐乱臭!)
「この匂いがたまんないんだよな!」
「た、確かに・・・たまんないな」(ホントにたまんねぇよ!)
「モグモグ・・・旨い!」
「よかったな・・・」(よく食えるなぁ)
「ん?遠慮しないでオマエも食えよ」
「ああ・・・」(食えない!)
「あれ?ひょっとして、この匂い苦手か?」
「んー・・・あまり得意じゃないな」(慣れた臭いだけど)
「そんなんじゃ、通になれねぇぞ」
「そうか・・・」(通になれなくたっていいよ)
「○○産の○○チーズはな、良質の脂肪分が高くてコクがあるんだよ」
「へぇ~」(別の物が頭に浮かんでしまう)
「それだけデリケートでな、常温に置いたままにすると溶けてくるんだよ」
「なるほど~」(分かるような気がする)
「やっぱ旨いなぁ、口に入れると溶けるよ」
「・・・口で溶けるのか・・・」(なんか凄そうだな)
「子供じゃないんだから、オマエも一つくらい食ってみろよ」
「俺はやめとくよ」(子供でもいい)
「もったいねぇな~めったに食えないのに」
「俺の脳が、食わない方がいいって指令を出してるんだよ」(一生食えなくたっていいよ)
「何?訳わかんねぇこと言うなよ」
「まぁ、鼻と胃の問題じゃなくて、脳が拒否してる訳よ」(脳、No!)
「変なヤツ・・・あー旨かった!」
「御馳走様」(あー臭かった!)
「オマエ、食ってねぇじゃん」
「脳が満腹になったよ」(コイツにも話さない方がよさそうだな)

「でも、ある意味オマエは偉いよなぁ・・・よくやってるよ、その仕事」
「全然、偉くなんかないよ」(色々あるんだよ)
「所詮は、俺の代わりなんて、会社にも社会にもゴロゴロいるんだよ」
「そんなことないだろぉ、オマエは出世頭なんだろ?」(でも、代わりはいくらでもいそうだな)
「でも、オマエの代わりができる人間なんて、そうはいないだろ?」
「だろうな・・・自分で言うのもおかしいけど」(いいこと言ってくれるじゃん)
「いくら金を積まれたって俺にはできねぇよ」
「それが普通さ」(ホントそう)
「死体が腐った臭いってスゴイんだろ?」
「まぁな・・・」(食事の場でその質問をしてくるとは、なかなかいい度胸してるな)
「例えて言うと何の臭いに似てる?」
「んー、食通はそんなこと知らない方がいいと思うな」(オマエが食ったばかりのモノだよ!)
「もったいつけないで教えろよー!」
「聞いて後悔するなよ?」(仕方ない、教えてやるか)
「しない!しない!」
「○○産の○○チーズにソックリな臭いだな」(言ってしまった)
「えっ!?・・・」
「あれ?ひょっとして、その臭い苦手か?」(苦手に決まってるか)
「ゲプッ・・・」
「オマエは食通、俺はショック通」(ハハハ)
「・・・わりー、ちょっとトイレに行ってくる」
「胃の高級チーズを粗末にするんじゃないぞ」(トイレ掃除は得意だけど、俺にやらせんなよ)

写真の話に戻る。
私は、わりと写真に写るのが好きな方だ。
そして、たいていは笑顔で写ることにしている。
たいして楽しい気分でない時でも。
知人の結婚式、新郎新婦と一緒に撮った写真で一番笑っていたのは自分だったこともあるくらい。

写真って、思い出として後から見るもの。
笑顔の自分を見ると気持ちが和むし、ちょっとは楽しい気分になる。
そして、その時また笑顔になれる。

人の笑顔っていいもんだ。
残された人生を歩くときも、来たるべき死を覚悟するときも、満面の笑顔でいたいもんだ。

何でもいいから、まず笑顔。
「ハイ、チーズ!」


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2006-09-11 18:16:42
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俺の靴、世の靴

2024-10-25 06:45:21 | 特殊清掃
身の回りには色々な靴がある。
色んな仕事に、色んな靴がある。

私は、仕事用に三種類の靴を使っている。
一つは遺体処置と遺体搬送用で、黒い革靴。
ホワイトカラーのビジネスマンが履いているような、一般的な靴だ。
もう二つは特掃用の靴だ。
安全靴タイプ(紺)とスニーカータイプ(黒)の二つ。
手袋と違って、靴は使い捨てにはしない。
たまに消臭剤やエタノールをかけたり、そして、すご~くたまに洗ったりしながら使っている。

そんな特掃靴を、私は時々可哀相に思うことがある。
察してもらえる通り、特掃靴を履いて行く先は、並の場所ではないからね。
見積の時も作業の時も、容赦なく腐敗液の上を歩く。
ウジも潰すし、ハエも踏む。
靴が腐敗粘土に埋もれてしまうことも日常茶飯事。

私は、現場に行く度に思う。
「うわぁ・・・靴がヤバイことになっちゃったなぁ」
「この現場が終わったら、この靴ともサヨナラだな」
でも、作業が終わってみると、「次の仕事を最後にしよう」と思い直す。

情を持っている訳ではないのだが、私の靴は、どんな現場でも一番先に最前線へ突入していく、頼りになる有能な隊員。
まっ先に、しかも誰よりもヒドク汚れるイヤな役回りだ。
そんな靴を簡単に捨てることはできない。
結局、そんなことの繰り返しで、汚い靴を履き続けている。
物を大切にするのはいいことだしね。

思えば、靴によって助けられていることってたくさんある。
靴が汚れてくれるお陰で私の足は汚れないで済むし、靴が痛んでくれるお陰で私の足は痛まないで済む。

承知の通り、私が遭遇する汚れはハンパじゃない。
もし、店に売られている靴に買い手を選ぶ権利があったら、どの靴も私に買われることを拒むだろう。
無理矢理にでも買っさらっていこうものなら、靴は勝手に逃げてしまうかもしれない(靴だけに、逃げ足は速そうだね)。
私に買われた靴は災難だ。

金のため自分のためとは言え、私は世の靴みたいな役割をやらせてもらっている(?)。
そうだとすると、誰よりも汚れること、誰よりも汚い目に遭うことが、靴(私)の役割と存在価値(?)。

そう考えると、私の仕事がある故に、汚れなくて済む人がいるということか。
また、痛まなくて済む人がいるということか。
だとすると、少しは気分も軽くなる。

私の記事には、自分や自分の仕事を卑下するような文が少なくない。
その自覚も持っている。
ただ、決して、自己憐憫に陥っている訳でもないし、自分を謙虚な人間だと誤解している訳でもない(と思う)。
また、謙遜な人間になろうとしているのでもなければ、自分を虐めることに快感を覚えるSM嗜好も持っていない(と思う)。
もちろん、同情や理解が欲しい訳でもない(ホントは欲しいのかな?)。

現実を書こうとすると、おのずとそうなってしまう。
私を取り巻く現実に比べれば、これでも控え目に書いているつもり。
一般の人が想像する以上の戦いが、自分の内にあり、外にあるのだ。
ま、私が置かれている現実を少しは知ってもらうことで、それを知った人が何かの実を採ることができれば幸いだと思う。

この仕事をいつまで続けることになるか分からない。
一生やることになるのか、意外に早く止めることになるのか・・・先のことは誰にも分からない。
でも、やっている限りは世の靴になれるように頑張ろうかな。
汚く汚れて、クタクタになって捨てられるまで・・・

・・・できることなら捨てないでー!!


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2006-09-10 15:33:40
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真友(後編)

2024-10-14 05:41:15 | 特殊清掃
汚染部分の解体撤去から出た廃材を片付ける私に、依頼者の男性は意外なことを質問と依頼をしてきた。

「そのゴミはどうするのですか?」
「可燃ゴミですから、焼却処分します」
「もっと別な処分方法はありませんか?」
「?・・・リサイクルはできませんし・・・廃棄物ですからねぇ・・・」
「この廃材も、○○さん(故人の名前)の身体の一部のような気がして、ゴミとして捨てるのは偲びなくて・・・」
「んー・・・あとは、遺品の類でしたら、供養処分することがありますが・・・」
「そうですか!でしたら、その供養処分をお願いします」
「え!?費用が余分にかかりますよ」
「大丈夫ですから、供養して下さい」

故人の愛用品や人形・布団、仏壇などの供養処分を依頼されることは多いが、廃材のそれを頼まれるのは極めて珍しい。
さすがに不思議に思って、そこまでやる理由を尋ねてみた。

「○○さんは強く・厳しく、まるで姉のような人でした・・そして、誰よりも優しかった」
男性は抱える事情を話し始めた。

かつて、男性は自分で商売をしていた。
景気のいい時代もあり、その頃は仕事も遊びも充実し、他人にも気前よく楽しくやっていた。
交友関係も広く、親しい友人もたくさんおり、更に色んな人が男性と仲良くなろうと近づいて来た。
故人もその時代に知り合った一人だった。

ところが、ある時から不況の闇雲が立ちこめ始め、次第に商売にも陰りが見え始めた。
同時に、経済的にも精神的にも行き詰まっていった。
そして、それに合わせるように、今までいい顔ばかり見せていた友人達も離れていった。
肩書も金も失っていく男性のもとから、友達・仲間だと思っていた人々が去ったのだ。

「世間は冷たい」
「頼れる者は自分だけ」そんなことは商売を始めた時から肝に命じて、シビアにやってきたつもりだった。
しかし、現実の厳しさはその時の覚悟を越えていた。
自分がその境遇に置かれてみて、世間の本当の冷たさを知った。
みんな、自分個人(人格)ではなく、自分の持つ肩書(社会的地位)と金(経済力)になびいていたに過ぎなかったことを痛感。

それを知って愕然とした。
人間不信に陥った。
強い虚無感に襲われた。
先のことが考えられなくなり、自殺願望にも囚われた。

しかし、故人だけは違った。
何も変わることなく、損得を抜きにして、以前と同じように付き合ってくれた。
そればかりか、金銭的にも精神的にも随分と支えになってくれた。

結局、男性は取り返しがつかなくなる一歩手前で商売をたたんだ。
その決断には勇気が要った。
それも、故人が後押ししてくれなかったら決断できなかった。
あのまま商売を続けていたら、本当に首をくくることになっていたかもしれない。

男性は故人に返しきれない恩を感じていた。
借りた金も、全額は返しきっていないようだった。
そして何よりも、故人が腐乱死体になるまでその死に気づかなかった不義理を悔やんでいた。

せめてもの罪滅ぼし・恩返しのつもりで、この腐乱現場の片付けと故人の供養を担ったらしい。

いちいち息子を伴っている理由も、その辺にあった。
息子にも、自分の弱さ、故人の強さ、世間の冷たさ、真友の温かさを教えたかったようだった。

今は亡き故人は、死んだ後も男性に大切なものを与え続けていた。

親友をたくさん持つ人は多いだろうけど、はたして、その中に真友はどれだけいるだろうか。
今の肩書と金を失っても、変わらず付き合って(助けて)くれる友はどれだけいるだろうか。

また、相手の社会的地位や経済力が変わっても、何も変わることなく付き合える(助けられる)自分であるだろうか。

幸か不幸か、私は別の面で世間の冷たさを知っている(そう言う私も世間の一人)。

そして、今の私には肩書も金もない。
その分?友達・またはそれらしき人も少なく、極めて狭い人間関係の中で生きている。
みんなが自分を守ることに精一杯、戦々恐々としている世の中で、たいした人格を持たない私には、それが合っているのだろう。


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2006-09-08 08:18:55
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真友(前編)

2024-10-13 15:37:46 | 特殊清掃
初老の男性から特掃の依頼が入った。
現場は古いマンション、トイレで腐乱していたらしい。
故人は年配の女性で身寄りがないらしく、依頼者の男性は「生前の故人に世話になった者」ということだった。

腐乱場所が風呂やトイレの場合、かなり酷い状態になっていることがほとんど。
私は、今までの経験から、相応の覚悟を持って現場に向かった。

依頼者の男性は、その息子と現場に現れた。
息子は、そこに連れて来られた意味が分からなそうにして戸惑いの表情を浮かべていた。
そして、腐乱現場にはビビっているようだった。
臆せず部屋に入る私と男性、息子はその後ろを恐る恐るついて来た。

男性との世間話から、故人は生涯独身・子供もなく、今で言う「キャリアウーマン」だったことが伺えた。
故人が女性と分かり、急に男性との関係が気になり始めた下衆な私だった。

さて、汚染場所に案内された私は驚いた。
予想していた状況とは逆で、軽い腐敗臭はするものの腐敗液・腐敗粘土の類が見当たらなかったのだ。
明らかに誰かが掃除をした後だった。

「ここで亡くなっていたんですよ」
と、男性はトイレと脱衣場を指しながら、
「でも、発見が遅れてしまって・・・」
と、後ろめたそうに言葉を濁した。

確かに、よく観察すると木部にシミや隅々に汚染痕が確認できた。
しかし、そこは私の出る幕ではないくらいに掃除されていた。

「ここは清掃されてますよね?」
「ええ」
「どなたが掃除されたんですか?」
「私です」
「!・・・よくここまできれいにされましたね」
「いえいえ・・・」
「大変だったでしょう?」
「でも、私にはやらなきゃいけない訳がありますから・・・」
「?・・・ところで、私は何をやればいいですか?」

私は、男性が掃除したと聞いて感心した。
汚染痕から想像するに、ライトな腐乱だったとは思えなかったし、その清掃作業の大変さは誰よりも分かっているので。
男性が一人で掃除している姿を思い浮かべると、ホント、頭が下がる思いだった。

男性の要望は、腐敗痕と腐敗臭を完全に消して欲しいとのことだった。
これ以上の清掃もあまり効果を期待できず、「要望に応えるには汚染箇所の解体撤去しかない」と判断、その旨を伝えた。
併せて、その費用を誰が負担するのかも確認(私にとっては大事なことなので)。
費用は全て男性が負担するとのことだった。

「清掃作業といい費用負担といい、身内でもないのにそこまで負うとは・・・」
ちょっと不思議に思った。
そして、嫌がる?息子をわざわざ連れて来ている訳も。

「何か、相応の事情があるんだろうな」
下衆の勘繰りに拍車がかかった。

数日後、汚染箇所の解体撤去を行う日。
男性は、また息子を伴って来た。

ビニールクロスを剥がしてみると、その下のベニア板には腐敗液が生々しく染み着いていた。
一時的に濃い腐敗臭が甦った。
ま、これはよくある状態。
壁も一部壊す必要があった。
隅々や細かい隙間にウジが潜んでいることがよくあるのだが、幸いここでは彼等と会うことはなかった。
汚染箇所を切り取るような作業は、特掃というより内装工事に近いものだった。

作業も終盤、悪臭のする廃材を片付ける私に、男性が意外なことを言ってきた。

つづく


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2006-09-07 08:38:29
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人間のクズ

2024-09-20 05:06:10 | 特殊清掃
この季節、朝夕には鈴虫の声が聞かれるようになってきた。
昼間は、まだ蝉が威勢よく鳴いている。
蝉は数年間、陽のあたらない地下生活をした後、最後の一週間だけ明るい地上にでて最期の時を燃焼・満喫するらしい。

蝉の一生には自分と重なる部分がある。
今は陽のあたらない生き方をしている私だが、いつかは陽のあたる明るい日が来るもしれない?
でも、仮にそんな日が来ても「長続きはしない」と思った方がいいかもね。

特掃の依頼が入った。
現場は古い一戸建、埃をかぶった生活用品(ゴミ?)が山積み状態。
昼間なのに家の中は薄暗く湿っぽい感じで、どことなく不気味な雰囲気だった。
いつもの様に私は、誰にでもなく「失礼しま~す」と言いながら奥へ進んだ。

汚染場所は奥の和室だった。
汚腐団は、例の木屑のような茶色の粉(以降、腐敗屑と呼ぶ)に覆われ、所々に小さな山ができていた。
「死後2~3ヶ月経過」「遺体は白骨化」ということは聞いていたので、この状況は想定の範囲だった。

周辺にはウジの死骸が無数に散乱(ハエの死骸は少なかった)。
前にも書いたが、ウジの死骸はサクサクの菓子のよう。
具体的に説明すると、柿の種と米菓子をかけ合わせたみたいなもの(分かるかなぁ)。
それをサクサクと踏みながら、更に近づいてみた。

すると、腐敗屑の中に無数の何かがシャワシャワと動いている。
「ん!?」
更に近づいてみると、それは得体の知れない虫の大群だった。
世間では見たこともない虫、名前も分からないその虫は、腐敗痕の上を腐敗屑と混ざり合いながらワサワサと動いていた。

「何だろう、この虫は・・・」
「ウジ・ハエを前座に、真打登場か?」
私にとっては「気持ち悪い」というより「興味深い」光景だった。
子供がカブト虫でも眺めるみたいに、私は目を輝かせて?しばらくその虫を眺めていた。

しかし結局、それが何の虫で、何のために居て、何をしているのかは分からなかった。
ずっと眺めてばかりいても仕方がない。
私は見積作業を開始した。

特掃作業は翌日になった。
ウェットな現場が大半の特掃業務、乾いた汚染箇所を片付けるのは新鮮だった。
気のせいか、熟成された腐敗臭もやわらかく感じられた。
私は、得体の知れないその虫と腐敗屑とを一緒にすくってサラサラと汚物袋に入れた。
腐敗屑には頭髪が絡み合っており、この原形が人間だったことを思い起こさせた。

腐敗屑は、腐敗液や腐敗粘土とは違って簡単にすくい取ることができ、爽快感すら覚えたくらい。
生きていても死んでいても、湿っぽいよりカラッと乾いていた方がいい。

ここでは当然、畳や床板もバッチリ汚染され腐っていた。
でも、これらも乾いていたので作業はしやすかった。
それらも全て撤去し、作業は無事に終了。

私はこの仕事を通じて、「人間も、腐って虫に食われれば屑になるんだな」としみじみ思った。
そして、屑になった人体は風に吹かれて消えていく。

現在の埋葬法では無理な相談なのだろうが、自分が死体になった時も、焼かないで自然の腐敗にまかせてほしい。
虫にたかられたって、虫に食われたっていい。
孤独死+腐乱では困るけど。

死んだら、私も人間の屑になりたい・・・
え?死ぬ前にもうなってる?



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2006-09-05 16:25:26
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残り香(後編)

2024-09-14 15:04:35 | 特殊清掃
うちは死体業が本業なのだが、たまに死体に関係ない仕事も入ってくる。
ゴミの片付け、消臭・消毒、害虫駆除etc。

今回のハウスクリーニング業者が依頼してきたのは消臭。
消臭は成果が目に見えないので、簡単にはできない仕事である。
特掃とは違った難しさとプレッシャーがある。

現場は今風のアパート。築年数も浅く、見た目にもきれいな建物だった。
相談してきたハウスクリーニング業者とは、建物の前で待ち合わせて一緒に部屋に入った。
私とは違って、腐乱死体のことは夢にも考えていないようだった。

部屋の中も見た目にはきれいだったが、確かに異臭がした。
軽い異臭なのだが、その臭いを嗅いだ途端にピン!ときた。
予想していた通り、腐乱死体臭と酷似していたのだ。
そして、部屋の細部を観察すると、更にピン!ときた。
極めて目につきにくい所々に、妙な汚れ痕がある。
私は内心で腐乱死体現場であることを断定した。

しかし、私はすぐにはそれを伝えなかった。
自信がなかった訳ではなく、問題が大きくなるのを避けるために。

ハウスクリーニング業者は、ある程度の改装が済んだ後の仕上げクリーニングだけをやるためにこの部屋に呼ばれているので、腐乱現場の可能性があることは全く知らず、考えてもいない様子だった。
念入りに観察するフリをしながら「これからどうしよう・・・」と思案した。

私は一旦外に出て、この物件を管理している不動産会社に電話した。
そして、この部屋に何か特別な事情がないかをそれとなく確認した。
始めは、何も言いたくなさそうにとぼけていた不動産会社も、私が死体業者である素性を明かすうちに態度が変わってきた。
そして、「私は10年以上も死体の臭いを嗅ぎ続けているんで・・・」の一言に真実を話し始めた(私のような者の存在に驚いたんだと思う)。

やはり、この部屋は腐乱死体現場だった。
遺族が自力で清掃して、素人目には気づかないくらいまできれいにしたらしい。
近隣住民に知られることを最も警戒しながら。
確かに、素人だったら気づかないであろうレベルまできれいになっていた。
元々の汚染度も軽かったのだろうけど。

しかし、腐敗臭はそう簡単に片付くものではない。
不動産会社は腐乱現場であることを伏せたうえで、ハウスクリーニング業者に作業を外注したのだった。
そして、手に負えなくなったハウスクリーニング業者がうちに相談してきた訳。

一口に「消臭」と言っても、「特掃+消臭」or「消臭のみ」では、はるかに「消臭のみ」の方がやりにくいし、やりたくない。意外?
清掃後だと、汚染箇所や汚染度、汚染物質が特定できないからだ。
今回のようなケースがまさにそう。

更に悪いことに、この部屋には中途半端な内装リフォームが入っており、余計にやっかいだった。

不動産会社は、近隣住民に事情が知れるのを避けたいようだった。
確かに、腐乱死体が原因でアパート一棟が丸ごと空部屋になってしまうことも有り得る。
仮にそうなっても、新しい入居者は獲得しにくいし。
それを考えると、不動産会社が受ける打撃と秘密したい気持ちは容易に察することができる。
しかし、商売を優先するあまり、他の住人に対して秘密にしたままで処理するのは不誠実だと思った。

ハウスクリーニング業者には適当なことを言って、その後の作業を引き継いだ。

翌日になって私が出した結論は、「内装全解体」「それができないなら、この仕事に責任は持てない」というものだった。
結果、見積も結構な金額になった。
不動産会社からの返答は、「検討してから連絡する」というものだった。

それからしばらくして、忘れた頃に連絡が入った。
「なかなか結論がまとまらないので、あの部屋はしばらく空部屋のままにしておく」とのことだった。
「まぁ、それもベターな選択かもしれないな」と、私は思った。
他の住人に知らせたかどうかは知らないが。

まったく、腐敗臭というヤツは人々を困らせる。
私の身体にも、腐敗臭の残り香があるだろうか。
たまには、女性の移り香でも残してみたいものだ(冗談)。

エロい話には無縁な私、グロい話ならたくさん持っている・・・腐るほどね。


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2006-09-04 08:48:27
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残り香(前編)

2024-09-13 07:40:57 | 特殊清掃
死体業をやるうえで臭覚は大事。
ある程度は臭いを嗅ぎ分けられないと仕事にならない。
基本的な部分は臭気測定機でもクリアできるが、やはり最終的には自分の臭覚が頼りになる。
また、臭覚には大きな個人差があることを理解しておくこともポイント。

ちなみに、私は自分の臭覚は標準レベルだと思っている。
あまり鋭い臭覚を持っているど、かえって仕事の障害になるかもしれない。
なにせ、いつも私が嗅いでいる腐敗臭はハンパじゃなく臭い!ので、鋭い臭覚を持っていたらそれだけでダウンしてしまうかもしれないから。

ホント、希望する読者がいたら一度は嗅がせてあげたいくらいだ。
惰性の(退屈な)生活には、抜群のカンフル剤になるかもよ!

私の仕事には、悪臭とウジは当然のつきものである。
いちいち言うまでもないことなので、最近は記述することを省略しているが、ほとんどの現場がそれらも含まれていることを承知して読んでもらえると幸い。

話を戻そう。
臭気測定機では臭いのレベルしか測ることができず、その内容まで追うことができない。
更には、メンタルな臭気はとうてい測ることはできない。

「メンタルな臭い」とは、臭気測定機は通常値を示し、更に私の臭覚でも問題のないレベルになった現場においても「まだ匂うような気がする」と言われるケースのこと。

このケースに当てはまりやすいのは近隣住民と賃貸物件の大家。
腐乱死体から受けた精神的なショックから抜け出せていない証拠でもある。
こういう人がいる場合は過剰なくらいの消臭作業を行い、同時に丁寧な説明が大事になる。
作業効率ばかりを優先してそれを怠ると、逆に作業効率を落とすことになりかねない。

片や、依頼者や遺族は少々の匂いくらいだったら「匂わない」とするケースが多い。
身内(関係者)が腐乱死体になったことを過去のものとしてさっさと葬り去りたいのだろう。

こういったケースでは、当然、私は客観的な感覚と第三者的な立場をキープしなければならない。
お金をくれるのが依頼者側であっても、できるだけ客観公正なスタンスで臨む。
それが、結果的に依頼者のためでもあるから。

ある時、ハウスクリーニングの専門業者から問い合わせが入った。
賃貸物件の引越後をクリーニングする会社だ。

「何の臭いだか分からない」
「どこから臭うのかも分からない」
「とにかく変な臭いがする」
「何とかならないか?」
と言う相談だった。

「出番かな?」
私は、イヤ~な予感を抱えながら現場に向かった。

つづく


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2006-09-03 08:38:04
投稿分より

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