秋は短し・・・
猛暑から開放されたと気を緩めていたら、いつの間にか外は肌寒くなっている。
春暖と秋涼の短さは、毎年のように感じることだが、それにしても短すぎる。
冬の寒さと夏の暑さは、「イヤ!」と言うほど長いのに、春の暖かさと秋の涼しさは「もうおしまい?」と思うほど短い。
食欲の秋も行楽の秋も、まだ何も満喫していないのに、もう秋は終わってしまうというのか・・・
どうも、季節を満喫するのは、後回しにしない方がよさそうだ。
そう・・・人生を満喫するのもね。
私は、“寒がり”な方ではないと思っている。
どちらかというと、“暑がり”ではないだろうか。
しかし、心は“寒がり”。
その本性に冷酷さを抱えながらも、常に、“ぬくもり”を必要としている。
そして、“ぬくもり”を得るため、ついつい、社会的な体裁や経済的な効果に寄り添ってしまう。
“ぬくもり”の本質は、そんなところにはないことを薄々気づいていながら・・・
先日、都内某所を車で走っていたときのこと。
両手に買い物袋をさげた一人の老人が、横断歩道をトボトボと歩いていた。
その歩調は、かなりのスローペース。
歩行者信号「青」が点滅し始めても、横断歩道の半ば。
青信号の点滅が終わるまでに渡りきれないことは、誰の目にも明らかだった。
その姿は、私を含め、多くの人の目を引いていたと思う。
そんな中、少しすると、歩道にいた若い男女が進み出てきた。
そして、男性は老人の荷物を持ち、女性は老人の腕を支えて、老人をサポート。
そのお陰で、赤信号の中、老人は無事に横断歩道を渡りきれたのだった
車であちこち走り回っている私は、同様の光景を何度も見かけることがある。
また、電車に乗っていても、老人や妊婦に席を譲る光景がよく見られる。
その親切は、小さなものかもしれない。
それでも、親切にした人、親切にされた人それぞれに、人の“ぬくもり”が感じられたはず。
そしてまた、私のような傍観者でさえも、心があったまるのである。
しかし、これとは逆に、人は、他人の不幸で自分の不幸を中和しようとする性質を持つ。
また、他人の不幸にスリルを求め、それを楽しむ冷たい性質もある。
・・・「人の不幸は蜜の味」と言われる類のものだ。
私は、これをよく“人間の悪性”と表現しているが、残念ながら、人の本性には、前記のような良性がありながらも、この悪性も混在している。
それでも、悪性を抑えようと奮闘努力したり、妥協したり、迎合したり、開き直ったり、深く考えないようにしたり・・・
はたまた、私のように、「偽善者」を自称して誤魔化したり・・・
・・・色々な策を講じて折り合いをつけながら、自分とその社会を成り立たせているのである。
現地調査の依頼が入った。
依頼者は、年配の女性。
亡くなったのは、女性の弟。
現場は、古いアパート。
「発見が遅れた」とのことで、特有のニオイと汚れがある様子。
私は、片方の脳で女性の話を聞きながら、もう片方の脳で現場急行の仕度を整えた。
女性が提供してくれる情報を整理すると、私には、現地調査は急務と思われた。
しかしながら、女性は、落ち着いた様子。
何かに急かされているような雰囲気はなし。
「まだ、何も手をつけていないものですから・・・」と、現地調査の日時を二週間余後に希望してきた。
私は、急行を要望されるものとばかり思っていたため、ちょっと拍子抜け。
同時に、“まだ、何も手をつけていない”という言葉が引っかかった私は、“その類の清掃を請け負うこともできる”旨を伝えた。
ただ、その作業を無料で行うわけではないため、それ以上の御節介はやかなかった。
そして、結局、現地調査の日程は、女性の希望した日となった。
現場は、ビルが建ち並ぶ繁華街。
教わった住所をカーナビが案内してくれたが、入り組んだ路地に車は入っていけず。
結果、近くのコインPに車を置き、徒歩で目的のアパートに向かうことに。
方向音痴の私は、何度も後ろを振り返り、その景色を目に焼き付けながら歩を進めた。
目的のアパートは、周囲の景色に溶け込んでおらず。
日当たりの悪そうなビルの陰に、押し潰されるように建っていた。
依頼者の女性が言っていた通り、かなり古そうで、いたるところが朽廃。
全体的に傾いているようにも見受けられ、「ホントに人が住んでるの?」と疑いたくなるくらいだった。
私は、共同玄関らしき入口を発見。
薄暗い土間で靴を脱ぎ、土足のまま上がってもよさそうな汚れ具合の廊下を進んだ。
前方をみると、扉の開いた部屋が一室。
漂ってくるニオイと人の気配から、そこが目的の部屋であることを察した。
部屋には、年配の女性が一人。
過日、電話で話した依頼者だった。
私は、名を名乗って挨拶。
鼻に独特と異臭と、足の裏に独特の冷たさを感じながら、室内に足を踏み入れた。
部屋は四畳半の一間。
玄関もトイレも水道も共同。当然、風呂もなし。
家財生活用品も少なめで、全体的にモノクロの雰囲気。
何の説明がなくとも、故人の質素な生活ぶりがリアルに想像できた。
汚染痕は、足元の畳に、若干の頭髪をともなって薄く残留。
そして、その脇には、大きく膨らんだビニール袋。
私の目には、そこに汚腐団が詰められていることは明らかだった。
そして、その作業を女性がやったことも。
汚腐団を梱包し、腐敗液を掃除する作業が、身体的にも心的にも女性にとってどれだけ負担のかかるものだったか・・・
それを思い浮かべると、ちょっと切ない思いがした。
このアパートは、住人全員がいなくなったら取り壊される予定とのこと。
したがって、原状回復は無用。
家財生活用品を撤去処分するだけで、少々の汚損は放置していいとのことだった。
しかし、女性は、そのことを躊躇。
畳の汚染痕や部屋にこもる異臭を放置していくのに抵抗がある様子。
それは、“大家に申し訳ない”というよりも、“弟(故人)に申し訳ない”という想いからきているようだった。
故人は、60代の男性。
布団に寝転がり、テレビを観ながらの孤独死だった。
故人がそこに暮らしたのは40年弱。
若い頃、妻子と別れ、ここに移り住み、長年に渡って慎ましい生活を続けてきていた。
ずっとまじめに働いていたのだが、数年前に大病を患ってからは療養中心の生活。
周囲に迷惑をかけることを嫌い、晩年は、貯金を切り崩して生活を成り立たせていた。
それでも、故人は、大きく積み上がった定期預金を残していた。
「自分が死んだときは、娘に渡してほしい」との遺言とともに・・・
「兄弟(姉妹)は、他人のはじまり」という言葉を聞いたことがある。
なるほど・・・確かに、そうかもしれない。
自分の家庭を持ったりした場合、特にそうかも。
愛情や絆は、親兄弟(姉妹)より配偶者や子にスライドしていく。
しかし、女性と故人は、そうではなかったよう。
若いときに親を亡くした女性は、歳の離れた弟(故人)に対して半分母親みたいな感覚をもっていた。
そして、故人は故人で、そんな女性と別れた娘のことを大切に思っていたようだった。
「“うちに来なさい(一緒に暮らそう)”って何度も言ったんですけどねぇ・・・」
「・・・」
「“大丈夫!大丈夫!”って、言うことをきかなかったんですよ」
「そうだったんですか・・・」
「こんなに汚いところに40年も暮らして・・・」
「この部屋にもこの街にも、愛着があったんじゃないですかね・・・」
「・・・」
「でも、内心では嬉しかったと思いますし、そう言ってくれる人がいて心強かったと思いますよ」
「・・・だといいんですけどね・・・」
そこにいる女性からは、“悲しい”とか“寂しい”とかいった感情を超越した“ぬくもり”が滲み出ていた。
そして、そこには、人の“ぬくもり”を“ぬくもり”として感じる私もいた。
常日頃、寒風ばかり吹きさらしているように感じられる世の中・・・
懐の温かさと心の温かさが区別しにくい世の中・・・
クールに生きることがスマートに生きることと混同され、カッコいいとされる世の中・・・
しかし、人を思いやる気持ちや、人に親切にした経験は、誰しも持っているはず。
そう・・・一人一人は、結構あたたかいものだと思う。
この冬、私の精神は、どれだけ冷え込むことになるのか・・・
自分のために生きようとするから、ちょっとしたことで行き詰る。すぐにへこたれる。
しかし、自分以外の誰か、自分以外の何かのために生きることを覚えれば、もっと強くなれるのではないだろうか。
そのために、今、人の“ぬくもり”が心を支えることを学ばせてもらっているのかも・・・
人の冷たさばかりに気をとられて震えるのではなく、温かさを感じて喜ぶことの大切さを学ばせてもらっているのかも・・・
・・・私は、この歳になり、人生の秋を満喫させてもらっているのかもしれない。
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猛暑から開放されたと気を緩めていたら、いつの間にか外は肌寒くなっている。
春暖と秋涼の短さは、毎年のように感じることだが、それにしても短すぎる。
冬の寒さと夏の暑さは、「イヤ!」と言うほど長いのに、春の暖かさと秋の涼しさは「もうおしまい?」と思うほど短い。
食欲の秋も行楽の秋も、まだ何も満喫していないのに、もう秋は終わってしまうというのか・・・
どうも、季節を満喫するのは、後回しにしない方がよさそうだ。
そう・・・人生を満喫するのもね。
私は、“寒がり”な方ではないと思っている。
どちらかというと、“暑がり”ではないだろうか。
しかし、心は“寒がり”。
その本性に冷酷さを抱えながらも、常に、“ぬくもり”を必要としている。
そして、“ぬくもり”を得るため、ついつい、社会的な体裁や経済的な効果に寄り添ってしまう。
“ぬくもり”の本質は、そんなところにはないことを薄々気づいていながら・・・
先日、都内某所を車で走っていたときのこと。
両手に買い物袋をさげた一人の老人が、横断歩道をトボトボと歩いていた。
その歩調は、かなりのスローペース。
歩行者信号「青」が点滅し始めても、横断歩道の半ば。
青信号の点滅が終わるまでに渡りきれないことは、誰の目にも明らかだった。
その姿は、私を含め、多くの人の目を引いていたと思う。
そんな中、少しすると、歩道にいた若い男女が進み出てきた。
そして、男性は老人の荷物を持ち、女性は老人の腕を支えて、老人をサポート。
そのお陰で、赤信号の中、老人は無事に横断歩道を渡りきれたのだった
車であちこち走り回っている私は、同様の光景を何度も見かけることがある。
また、電車に乗っていても、老人や妊婦に席を譲る光景がよく見られる。
その親切は、小さなものかもしれない。
それでも、親切にした人、親切にされた人それぞれに、人の“ぬくもり”が感じられたはず。
そしてまた、私のような傍観者でさえも、心があったまるのである。
しかし、これとは逆に、人は、他人の不幸で自分の不幸を中和しようとする性質を持つ。
また、他人の不幸にスリルを求め、それを楽しむ冷たい性質もある。
・・・「人の不幸は蜜の味」と言われる類のものだ。
私は、これをよく“人間の悪性”と表現しているが、残念ながら、人の本性には、前記のような良性がありながらも、この悪性も混在している。
それでも、悪性を抑えようと奮闘努力したり、妥協したり、迎合したり、開き直ったり、深く考えないようにしたり・・・
はたまた、私のように、「偽善者」を自称して誤魔化したり・・・
・・・色々な策を講じて折り合いをつけながら、自分とその社会を成り立たせているのである。
現地調査の依頼が入った。
依頼者は、年配の女性。
亡くなったのは、女性の弟。
現場は、古いアパート。
「発見が遅れた」とのことで、特有のニオイと汚れがある様子。
私は、片方の脳で女性の話を聞きながら、もう片方の脳で現場急行の仕度を整えた。
女性が提供してくれる情報を整理すると、私には、現地調査は急務と思われた。
しかしながら、女性は、落ち着いた様子。
何かに急かされているような雰囲気はなし。
「まだ、何も手をつけていないものですから・・・」と、現地調査の日時を二週間余後に希望してきた。
私は、急行を要望されるものとばかり思っていたため、ちょっと拍子抜け。
同時に、“まだ、何も手をつけていない”という言葉が引っかかった私は、“その類の清掃を請け負うこともできる”旨を伝えた。
ただ、その作業を無料で行うわけではないため、それ以上の御節介はやかなかった。
そして、結局、現地調査の日程は、女性の希望した日となった。
現場は、ビルが建ち並ぶ繁華街。
教わった住所をカーナビが案内してくれたが、入り組んだ路地に車は入っていけず。
結果、近くのコインPに車を置き、徒歩で目的のアパートに向かうことに。
方向音痴の私は、何度も後ろを振り返り、その景色を目に焼き付けながら歩を進めた。
目的のアパートは、周囲の景色に溶け込んでおらず。
日当たりの悪そうなビルの陰に、押し潰されるように建っていた。
依頼者の女性が言っていた通り、かなり古そうで、いたるところが朽廃。
全体的に傾いているようにも見受けられ、「ホントに人が住んでるの?」と疑いたくなるくらいだった。
私は、共同玄関らしき入口を発見。
薄暗い土間で靴を脱ぎ、土足のまま上がってもよさそうな汚れ具合の廊下を進んだ。
前方をみると、扉の開いた部屋が一室。
漂ってくるニオイと人の気配から、そこが目的の部屋であることを察した。
部屋には、年配の女性が一人。
過日、電話で話した依頼者だった。
私は、名を名乗って挨拶。
鼻に独特と異臭と、足の裏に独特の冷たさを感じながら、室内に足を踏み入れた。
部屋は四畳半の一間。
玄関もトイレも水道も共同。当然、風呂もなし。
家財生活用品も少なめで、全体的にモノクロの雰囲気。
何の説明がなくとも、故人の質素な生活ぶりがリアルに想像できた。
汚染痕は、足元の畳に、若干の頭髪をともなって薄く残留。
そして、その脇には、大きく膨らんだビニール袋。
私の目には、そこに汚腐団が詰められていることは明らかだった。
そして、その作業を女性がやったことも。
汚腐団を梱包し、腐敗液を掃除する作業が、身体的にも心的にも女性にとってどれだけ負担のかかるものだったか・・・
それを思い浮かべると、ちょっと切ない思いがした。
このアパートは、住人全員がいなくなったら取り壊される予定とのこと。
したがって、原状回復は無用。
家財生活用品を撤去処分するだけで、少々の汚損は放置していいとのことだった。
しかし、女性は、そのことを躊躇。
畳の汚染痕や部屋にこもる異臭を放置していくのに抵抗がある様子。
それは、“大家に申し訳ない”というよりも、“弟(故人)に申し訳ない”という想いからきているようだった。
故人は、60代の男性。
布団に寝転がり、テレビを観ながらの孤独死だった。
故人がそこに暮らしたのは40年弱。
若い頃、妻子と別れ、ここに移り住み、長年に渡って慎ましい生活を続けてきていた。
ずっとまじめに働いていたのだが、数年前に大病を患ってからは療養中心の生活。
周囲に迷惑をかけることを嫌い、晩年は、貯金を切り崩して生活を成り立たせていた。
それでも、故人は、大きく積み上がった定期預金を残していた。
「自分が死んだときは、娘に渡してほしい」との遺言とともに・・・
「兄弟(姉妹)は、他人のはじまり」という言葉を聞いたことがある。
なるほど・・・確かに、そうかもしれない。
自分の家庭を持ったりした場合、特にそうかも。
愛情や絆は、親兄弟(姉妹)より配偶者や子にスライドしていく。
しかし、女性と故人は、そうではなかったよう。
若いときに親を亡くした女性は、歳の離れた弟(故人)に対して半分母親みたいな感覚をもっていた。
そして、故人は故人で、そんな女性と別れた娘のことを大切に思っていたようだった。
「“うちに来なさい(一緒に暮らそう)”って何度も言ったんですけどねぇ・・・」
「・・・」
「“大丈夫!大丈夫!”って、言うことをきかなかったんですよ」
「そうだったんですか・・・」
「こんなに汚いところに40年も暮らして・・・」
「この部屋にもこの街にも、愛着があったんじゃないですかね・・・」
「・・・」
「でも、内心では嬉しかったと思いますし、そう言ってくれる人がいて心強かったと思いますよ」
「・・・だといいんですけどね・・・」
そこにいる女性からは、“悲しい”とか“寂しい”とかいった感情を超越した“ぬくもり”が滲み出ていた。
そして、そこには、人の“ぬくもり”を“ぬくもり”として感じる私もいた。
常日頃、寒風ばかり吹きさらしているように感じられる世の中・・・
懐の温かさと心の温かさが区別しにくい世の中・・・
クールに生きることがスマートに生きることと混同され、カッコいいとされる世の中・・・
しかし、人を思いやる気持ちや、人に親切にした経験は、誰しも持っているはず。
そう・・・一人一人は、結構あたたかいものだと思う。
この冬、私の精神は、どれだけ冷え込むことになるのか・・・
自分のために生きようとするから、ちょっとしたことで行き詰る。すぐにへこたれる。
しかし、自分以外の誰か、自分以外の何かのために生きることを覚えれば、もっと強くなれるのではないだろうか。
そのために、今、人の“ぬくもり”が心を支えることを学ばせてもらっているのかも・・・
人の冷たさばかりに気をとられて震えるのではなく、温かさを感じて喜ぶことの大切さを学ばせてもらっているのかも・・・
・・・私は、この歳になり、人生の秋を満喫させてもらっているのかもしれない。
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