彼は、私の二つ年下。
「親友」と呼べるほどの間柄ではなかったかもしれない・・・
が、非一般的な価値観の一つの共有できる数少ない友人だった。
普段、舌の潤滑剤として酒を用いることが多い私。
当初、彼とも、シラフの状態では、うまくコミュニケーションをとることができなかった。
しかし、何度目かの話題が深いところで合致し、以降の付き合いにアルコールの力を借りる必要はなくなった。
彼は、酒も飲まず、タバコも吸わず。
もちろん、ギャンブルや女遊びもやらず。
根本的に私とは違うタイプの人間だったが、私は、自分の信条を表裏なく表すスタイルに共感を覚えていた。
彼が卒業した大学は、私ごときでは“背伸び”どころかハシゴを使っても届かないレベル。
勤務先は名の知れた大手企業。
ただ、私が勝手に羨ましがるだけで、彼が、それらを自慢することは一切なかった。
彼には、妻と三人の幼い子があった。
「出世は望まない」「とにかく、いい家庭をつくりたい」「大学に入ったのも、この会社に就職したのもそのため」
一流企業のビジネスマンではありえないくらいの家事もこなす、真面目な男だった。
そんな彼が、晩冬のある日、体調を崩した。
腹部に不快感を抱きながら帰宅した彼は、家に到着するやいなや洗面所で嘔吐。
ドス黒い粘液を大量に吐いたのだった。
翌日、彼は、会社に常駐する産業医のもとへ。
診察した医師は、胃潰瘍を疑った。
ただ、そこで正式な診断を下すことはできず、病院で検査することになった。
検査結果は、胃潰瘍ではなく胃癌。
しかも悪性。
その回復事例は他種の癌に比べて極端に少なく、死というものを否応なく意識させられるものだった。
彼と家族は、各地に名医・名病院を探した。
色んな病院や医師の技術や治療方針を調べ、希望が持てる治療法を検討。
そして、暗中模索の中で、一つの方法を選んだ。
春の最中、彼は、胃の全摘手術を受けた。
私が病院に彼を見舞ったのは、その翌日。
病室に入ると、彼はベッドの上に座り空ろな目で天井を見上げていた。
私は、彼の病気を知ったとき、「自分じゃなくてよかった」と思ったことを打ち明けた。
しかし、彼は、「気にすることはない」と、私の肩を叩いて同情の顔をみせた。
他人に同情できる余裕なんかなかったはずなのに・・・
梅雨の頃、彼は自宅に戻っていた。
胃がないことが信じられないくらい、食欲は旺盛。
大病を患ったとは思えないほど、元気な姿をみせていた。
回復基調をみせていることに、本人も家族も明るかった。
「定年前に会社を辞めて、自然の中で暮らしたい」「そこで、子供向けの自然学校をやりたい」
将来への希望に、生力が漲っていた。
しかし、そんな平穏な日々は長くは続かなかった。
しばらくして後、腹部にあらたなシコリが発生。
それは、本人が最も恐れていたこと・・・癌が再発したのだった。
彼は、強い恐怖感に苛まれた。
極度の欝状態に陥ったり、自暴自棄になったり・・・r
忍び寄ってくる“死”という現実に恐怖し、病院に行くことさえできなかった。
それでも、生への希望を捨てることはできず・・・
藁をも掴むような思いで、託した療法を貫いた。
しかし、体調は悪化の一途をたどるばかりだった。
彼は、日に日に痩せ衰えていった。
一日一日とその命を短くしながら、家族とともに自宅で過ごした。
そして、晩夏の早朝、家族が看取る中で天にあげられた。
38年余の生涯だった。
私は、再発後の見舞いにも、葬式にも行かなかった。
葬式の日は、遠くの現場で、彼のことを想いながら汗を流した。
私は、心を痛めているフリができる人間。
私は、悲しんでいるフリができる人間。
ありきたりの礼儀や心遣い、薄っぺらい同情心はあっても、そこに真の愛があるだろうか・・・
私は、自分が偽善者であることは、わかっているつもり。
更に、偽善者を自称すればするほど、その偽善性が強まることも認識しているつもり。
だから、再発を知っても見舞いに行けなかったし、葬式にも行けなかった。
彼が勤めていた会社の高層ビルは、私がよく走る高速道路の脇に建っている。
「もっと生きたかっただろうに・・・」
そのビルを見るたびに、彼のことを想い出し、その名をつぶやく。
愛する家族を残して逝かなければならない運命を背負った彼・・・
残された日々に何を思っただろうか・・・
自分がいなくなった後の妻子を案じ、身が引き裂かれるような苦痛を味わったのではないだろうか・・・
彼がいなくなってからも、何事もなかったかのように季節は巡っている・・・
重なる春夏秋冬の中で、将来、私が、彼と同じような境遇にならないという確証はない。
「死んでしまいたい」と泣く日々に、「死にたくない」と泣くときがくるかもしれない。
彼の死によって、結ばれた実は多い・・・
少なくとも、私の中には。
私は、その実をどう熟させ、どう収穫するべきか、今でも考えている。
今回の震災でも、多くの命が失われた。
「宿命」とか「運命」では、片付けられないくらい多くの命が・・・
残された人々の苦痛と悲哀がどれほど深刻なものか・・・離れたところで平穏に暮す私に量ることはできない。
命の価値は、死をもってなくなるものではない。
命の意義は、死をもって終わるものではない。
命の意味は、死をもってわかることがある。
死は、すべてを失わせるものではない。
命が失われることによって、新たな実が結ばれることがある。
先に逝った彼が、その死によって私の内に実を結ばせたように、亡くなった人々もまた、その死によって多くの人に多くの実を結ばせるのだと思う。
悲しむ、哀れむ、憂う、泣く・・・今は、それしかできないかもしれない。
ただ、命は、命を継承し、命を更に強くさせるもの。
悲しく辛いことではあるけど、私は、実をなさない死を遂げた人は一人もいないと思っている。
これから、その実をどう探し、どう収穫するべきか・・・
我々は、これをよくよく考える必要があると思う。
そこに得た命が、自分に、周りの人に、次の人に多くの実を結ばせるのだから。
公開コメント版はこちら
「親友」と呼べるほどの間柄ではなかったかもしれない・・・
が、非一般的な価値観の一つの共有できる数少ない友人だった。
普段、舌の潤滑剤として酒を用いることが多い私。
当初、彼とも、シラフの状態では、うまくコミュニケーションをとることができなかった。
しかし、何度目かの話題が深いところで合致し、以降の付き合いにアルコールの力を借りる必要はなくなった。
彼は、酒も飲まず、タバコも吸わず。
もちろん、ギャンブルや女遊びもやらず。
根本的に私とは違うタイプの人間だったが、私は、自分の信条を表裏なく表すスタイルに共感を覚えていた。
彼が卒業した大学は、私ごときでは“背伸び”どころかハシゴを使っても届かないレベル。
勤務先は名の知れた大手企業。
ただ、私が勝手に羨ましがるだけで、彼が、それらを自慢することは一切なかった。
彼には、妻と三人の幼い子があった。
「出世は望まない」「とにかく、いい家庭をつくりたい」「大学に入ったのも、この会社に就職したのもそのため」
一流企業のビジネスマンではありえないくらいの家事もこなす、真面目な男だった。
そんな彼が、晩冬のある日、体調を崩した。
腹部に不快感を抱きながら帰宅した彼は、家に到着するやいなや洗面所で嘔吐。
ドス黒い粘液を大量に吐いたのだった。
翌日、彼は、会社に常駐する産業医のもとへ。
診察した医師は、胃潰瘍を疑った。
ただ、そこで正式な診断を下すことはできず、病院で検査することになった。
検査結果は、胃潰瘍ではなく胃癌。
しかも悪性。
その回復事例は他種の癌に比べて極端に少なく、死というものを否応なく意識させられるものだった。
彼と家族は、各地に名医・名病院を探した。
色んな病院や医師の技術や治療方針を調べ、希望が持てる治療法を検討。
そして、暗中模索の中で、一つの方法を選んだ。
春の最中、彼は、胃の全摘手術を受けた。
私が病院に彼を見舞ったのは、その翌日。
病室に入ると、彼はベッドの上に座り空ろな目で天井を見上げていた。
私は、彼の病気を知ったとき、「自分じゃなくてよかった」と思ったことを打ち明けた。
しかし、彼は、「気にすることはない」と、私の肩を叩いて同情の顔をみせた。
他人に同情できる余裕なんかなかったはずなのに・・・
梅雨の頃、彼は自宅に戻っていた。
胃がないことが信じられないくらい、食欲は旺盛。
大病を患ったとは思えないほど、元気な姿をみせていた。
回復基調をみせていることに、本人も家族も明るかった。
「定年前に会社を辞めて、自然の中で暮らしたい」「そこで、子供向けの自然学校をやりたい」
将来への希望に、生力が漲っていた。
しかし、そんな平穏な日々は長くは続かなかった。
しばらくして後、腹部にあらたなシコリが発生。
それは、本人が最も恐れていたこと・・・癌が再発したのだった。
彼は、強い恐怖感に苛まれた。
極度の欝状態に陥ったり、自暴自棄になったり・・・r
忍び寄ってくる“死”という現実に恐怖し、病院に行くことさえできなかった。
それでも、生への希望を捨てることはできず・・・
藁をも掴むような思いで、託した療法を貫いた。
しかし、体調は悪化の一途をたどるばかりだった。
彼は、日に日に痩せ衰えていった。
一日一日とその命を短くしながら、家族とともに自宅で過ごした。
そして、晩夏の早朝、家族が看取る中で天にあげられた。
38年余の生涯だった。
私は、再発後の見舞いにも、葬式にも行かなかった。
葬式の日は、遠くの現場で、彼のことを想いながら汗を流した。
私は、心を痛めているフリができる人間。
私は、悲しんでいるフリができる人間。
ありきたりの礼儀や心遣い、薄っぺらい同情心はあっても、そこに真の愛があるだろうか・・・
私は、自分が偽善者であることは、わかっているつもり。
更に、偽善者を自称すればするほど、その偽善性が強まることも認識しているつもり。
だから、再発を知っても見舞いに行けなかったし、葬式にも行けなかった。
彼が勤めていた会社の高層ビルは、私がよく走る高速道路の脇に建っている。
「もっと生きたかっただろうに・・・」
そのビルを見るたびに、彼のことを想い出し、その名をつぶやく。
愛する家族を残して逝かなければならない運命を背負った彼・・・
残された日々に何を思っただろうか・・・
自分がいなくなった後の妻子を案じ、身が引き裂かれるような苦痛を味わったのではないだろうか・・・
彼がいなくなってからも、何事もなかったかのように季節は巡っている・・・
重なる春夏秋冬の中で、将来、私が、彼と同じような境遇にならないという確証はない。
「死んでしまいたい」と泣く日々に、「死にたくない」と泣くときがくるかもしれない。
彼の死によって、結ばれた実は多い・・・
少なくとも、私の中には。
私は、その実をどう熟させ、どう収穫するべきか、今でも考えている。
今回の震災でも、多くの命が失われた。
「宿命」とか「運命」では、片付けられないくらい多くの命が・・・
残された人々の苦痛と悲哀がどれほど深刻なものか・・・離れたところで平穏に暮す私に量ることはできない。
命の価値は、死をもってなくなるものではない。
命の意義は、死をもって終わるものではない。
命の意味は、死をもってわかることがある。
死は、すべてを失わせるものではない。
命が失われることによって、新たな実が結ばれることがある。
先に逝った彼が、その死によって私の内に実を結ばせたように、亡くなった人々もまた、その死によって多くの人に多くの実を結ばせるのだと思う。
悲しむ、哀れむ、憂う、泣く・・・今は、それしかできないかもしれない。
ただ、命は、命を継承し、命を更に強くさせるもの。
悲しく辛いことではあるけど、私は、実をなさない死を遂げた人は一人もいないと思っている。
これから、その実をどう探し、どう収穫するべきか・・・
我々は、これをよくよく考える必要があると思う。
そこに得た命が、自分に、周りの人に、次の人に多くの実を結ばせるのだから。
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