春。4月。
昨年より少し遅いが、東京には桜が咲き始めている。
青い空に薄桃色の花びらが眩しい。
今日、都内各所で新入生らしき子供達と正装した親達を見かけた。
桜と同じく、ピカピカの一年生も眩しく輝いている。
先に待っているのは幸せなことばかりではないだろうけど、子供たちには元気に正しく成長してもらいたい。
そして、短くも長い人生を、明るく歩いていってもらいたいと思う。
私が小学校にあがったのは、もう三十数年前のこと。
亡くなる直前の祖父が買ってくれた黒いランドセル、鉛筆を削ること、消しゴムのニオイ、何もかもが新鮮だった。
しかし、そられはとっくに過ぎ去った・・・遠い・遠い昔のこと。
「あの頃に戻れたら、人生をリセットできるのになぁ・・・」
そんな願望は歳を負うごとに増えるばかり・・・だけど、到底、かなえられるものではない。
「震災前に戻れたら・・・」
「夢であってほしい・・・」
子を亡くした親・・・
親を失った子供・・・
目の前で夫を流された妻・・・
妻を助けられなかった夫・・・
兄弟を、姉妹を、友人を、仲間を亡くした人々・・・
家を、財産を、仕事を失くした人々・・・
何十万・・・いや、それ以上の人々がそう思っていることだろう。
しかし、現実は、そんな人々の前に容赦なく立ちはだかっている。
外野にいる私には、その苦しみをリアルに感じることはできない。
ただ・・・
「この先、どうやって生活を立て直せばいいのか、何も思いつかない」
と苦悶する被災者の姿に、
「俺だったら、立ち直れないかもしれない・・・多分、無理だろう・・・」
と私は思う。
こんなときこそ“生”に固執しなければならないのに、私の頭には、逆の一文字ばかりが過ぎる。
だから、「頑張れ!」という思いを抱くことに、躊躇いと良し悪しの判断ができない無責任さを覚える。
頼りない電力に、降りそそぐ放射性物質・・・何事もなかったかのような日常を取り戻すには、しばらくの時間がかかりそうだ。
離れたところにいる私でもそうなのだから、被災地が復興するには何年もの時間がかかるだろう。
また、被災者の精神が復興するには、より多くの時間を要するだろう。
・・・ひょっとしたら、その傷は、生涯かかっても癒えないものかもしれない。
私も、“何かを楽しもう”という気になかなかなれない。
好きなはずの酒もすすまない。
しかし、これは、私が人の痛みがわかる人間だからではない。
被災地や被災者を慮ってのことではなく、単に社会全体の不安感に圧されているだけのこと。
私のネクラな性格からきているものである。
「不謹慎」と批難されるのかもしれないけど、社会的な節度と良識をもってすれば日常の飲酒やレジャーはあっていいと思う。
買占めや電気の無駄遣いにならないよう注意しながら、通常の経済活動は行ったほうがいいと思う。
経済活動がなかったら税金も集まらないわけで、その税金が復興の原資になるわけだから。
また、放射性物質に過剰反応しないことも肝要だと思う。
とりわけ、悲観的・神経質な性格をもつ私のような人間は。
公の安全情報を信じることもまた、復興の一要素。
乳製品・農産物・海産物・水・・・風評に惑わされないように、「客観的第三者」というよりも少し被災者の立場に寄った判断するよう努めたいと思う。
「部屋にゴミを溜めてしまった」
「恥ずかしいから顔を合わせたくない」
「近所にバレないようにしてほしい」
「スペアキーを送るから勝手に入って見てほしい」
ゴミの片付け依頼が入った。
依頼者は30代? 少なくとも、私よりは若い感じの男性。
言葉遣いは丁寧で、低姿勢。
私は、「恥ずかしいから顔を合わせたくない」という男性に妙な親近感を覚えた。
同時に、その心情を察し、現地を見れば回答が得られるような質問は省略。
短い会話を交わした後、とりあえず、部屋を見に行くことを約束した。
数日後、私は送られてきた鍵を持って現地へ。
現場は、小規模の分譲マンションで常勤の管理人はおらず。
男性の部屋がどちらかはわからなかったが、一部の部屋は所有居住用に、また一部の部屋は運用賃貸用として使われているようだった。
私は、まずエントランスの集合ポストを確認。
すると、案の定、そこには大量のチラシや郵便物が押し込められ、その一部は口からハミ出ていた。
そして、郵便物に記された宛名によって、私は、男性が偽名を使っていないことと部屋番号に間違いがないことを確認し、エレベーターに乗り込んだ。
男性宅の玄関ドアに手をかけたところで、隣の玄関から一人の女性がでてきた。
女性は幼児を連れており、どこかに出掛ける風。
私と目が合うと軽く会釈してくれた。
私は、子供に向かって「こんにちは~」と似合わない笑みを浮かべ、“気のいいおじさん”に変身。
すると、女性は、私の方へ数歩近寄り声をかけてきた。
「こんにちは・・・隣の者なんですけど、○○さん(依頼者男性)はいらっしゃるんですか?」
「いえ・・・」
「中に入られるんですか?」
「はい・・・」
「点検かなにかですか?」
「まぁ・・・そんなもんです・・・」
「ひょっとして引越屋さん?」
「いえ・・・」
「引越しじゃないんですか?」
「えぇ・・・」
「なんだ・・・」
「・・・」
私が引越業者ではないことが知って、女性は残念そうにした。
ただ、それだけで話は終わらず。
女性は、私に声を掛けた動機の核心に向かって話を続けた。
「部屋の中は、フツーですかね?」
「???」
「なんかおかしくないですかねぇ・・・」
「さ、さぁ・・・今日、初めて来たものですから・・・」
「そうですか・・・」
「・・・」
「よその御宅ですから、“私にも見せて下さい”とは言えませんよね?」
「え!? そ、それはちょっと・・・」
「ですよねぇ・・・」
「・・・」
「じゃ、どんな風だったか、あとで教えていただけませんか?」
「え!?」
女性が何かを疑っているのは明らか。
室内の状況に、ひとかたならぬ興味を持っている様子。
一方、私の頭には、「近所にはバレないように・・・」と念を押した男性の言葉が過ぎり・・・
それは、女性の疑念と相反することによって、私にイヤな展開を予感させたのだった。
つづく
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昨年より少し遅いが、東京には桜が咲き始めている。
青い空に薄桃色の花びらが眩しい。
今日、都内各所で新入生らしき子供達と正装した親達を見かけた。
桜と同じく、ピカピカの一年生も眩しく輝いている。
先に待っているのは幸せなことばかりではないだろうけど、子供たちには元気に正しく成長してもらいたい。
そして、短くも長い人生を、明るく歩いていってもらいたいと思う。
私が小学校にあがったのは、もう三十数年前のこと。
亡くなる直前の祖父が買ってくれた黒いランドセル、鉛筆を削ること、消しゴムのニオイ、何もかもが新鮮だった。
しかし、そられはとっくに過ぎ去った・・・遠い・遠い昔のこと。
「あの頃に戻れたら、人生をリセットできるのになぁ・・・」
そんな願望は歳を負うごとに増えるばかり・・・だけど、到底、かなえられるものではない。
「震災前に戻れたら・・・」
「夢であってほしい・・・」
子を亡くした親・・・
親を失った子供・・・
目の前で夫を流された妻・・・
妻を助けられなかった夫・・・
兄弟を、姉妹を、友人を、仲間を亡くした人々・・・
家を、財産を、仕事を失くした人々・・・
何十万・・・いや、それ以上の人々がそう思っていることだろう。
しかし、現実は、そんな人々の前に容赦なく立ちはだかっている。
外野にいる私には、その苦しみをリアルに感じることはできない。
ただ・・・
「この先、どうやって生活を立て直せばいいのか、何も思いつかない」
と苦悶する被災者の姿に、
「俺だったら、立ち直れないかもしれない・・・多分、無理だろう・・・」
と私は思う。
こんなときこそ“生”に固執しなければならないのに、私の頭には、逆の一文字ばかりが過ぎる。
だから、「頑張れ!」という思いを抱くことに、躊躇いと良し悪しの判断ができない無責任さを覚える。
頼りない電力に、降りそそぐ放射性物質・・・何事もなかったかのような日常を取り戻すには、しばらくの時間がかかりそうだ。
離れたところにいる私でもそうなのだから、被災地が復興するには何年もの時間がかかるだろう。
また、被災者の精神が復興するには、より多くの時間を要するだろう。
・・・ひょっとしたら、その傷は、生涯かかっても癒えないものかもしれない。
私も、“何かを楽しもう”という気になかなかなれない。
好きなはずの酒もすすまない。
しかし、これは、私が人の痛みがわかる人間だからではない。
被災地や被災者を慮ってのことではなく、単に社会全体の不安感に圧されているだけのこと。
私のネクラな性格からきているものである。
「不謹慎」と批難されるのかもしれないけど、社会的な節度と良識をもってすれば日常の飲酒やレジャーはあっていいと思う。
買占めや電気の無駄遣いにならないよう注意しながら、通常の経済活動は行ったほうがいいと思う。
経済活動がなかったら税金も集まらないわけで、その税金が復興の原資になるわけだから。
また、放射性物質に過剰反応しないことも肝要だと思う。
とりわけ、悲観的・神経質な性格をもつ私のような人間は。
公の安全情報を信じることもまた、復興の一要素。
乳製品・農産物・海産物・水・・・風評に惑わされないように、「客観的第三者」というよりも少し被災者の立場に寄った判断するよう努めたいと思う。
「部屋にゴミを溜めてしまった」
「恥ずかしいから顔を合わせたくない」
「近所にバレないようにしてほしい」
「スペアキーを送るから勝手に入って見てほしい」
ゴミの片付け依頼が入った。
依頼者は30代? 少なくとも、私よりは若い感じの男性。
言葉遣いは丁寧で、低姿勢。
私は、「恥ずかしいから顔を合わせたくない」という男性に妙な親近感を覚えた。
同時に、その心情を察し、現地を見れば回答が得られるような質問は省略。
短い会話を交わした後、とりあえず、部屋を見に行くことを約束した。
数日後、私は送られてきた鍵を持って現地へ。
現場は、小規模の分譲マンションで常勤の管理人はおらず。
男性の部屋がどちらかはわからなかったが、一部の部屋は所有居住用に、また一部の部屋は運用賃貸用として使われているようだった。
私は、まずエントランスの集合ポストを確認。
すると、案の定、そこには大量のチラシや郵便物が押し込められ、その一部は口からハミ出ていた。
そして、郵便物に記された宛名によって、私は、男性が偽名を使っていないことと部屋番号に間違いがないことを確認し、エレベーターに乗り込んだ。
男性宅の玄関ドアに手をかけたところで、隣の玄関から一人の女性がでてきた。
女性は幼児を連れており、どこかに出掛ける風。
私と目が合うと軽く会釈してくれた。
私は、子供に向かって「こんにちは~」と似合わない笑みを浮かべ、“気のいいおじさん”に変身。
すると、女性は、私の方へ数歩近寄り声をかけてきた。
「こんにちは・・・隣の者なんですけど、○○さん(依頼者男性)はいらっしゃるんですか?」
「いえ・・・」
「中に入られるんですか?」
「はい・・・」
「点検かなにかですか?」
「まぁ・・・そんなもんです・・・」
「ひょっとして引越屋さん?」
「いえ・・・」
「引越しじゃないんですか?」
「えぇ・・・」
「なんだ・・・」
「・・・」
私が引越業者ではないことが知って、女性は残念そうにした。
ただ、それだけで話は終わらず。
女性は、私に声を掛けた動機の核心に向かって話を続けた。
「部屋の中は、フツーですかね?」
「???」
「なんかおかしくないですかねぇ・・・」
「さ、さぁ・・・今日、初めて来たものですから・・・」
「そうですか・・・」
「・・・」
「よその御宅ですから、“私にも見せて下さい”とは言えませんよね?」
「え!? そ、それはちょっと・・・」
「ですよねぇ・・・」
「・・・」
「じゃ、どんな風だったか、あとで教えていただけませんか?」
「え!?」
女性が何かを疑っているのは明らか。
室内の状況に、ひとかたならぬ興味を持っている様子。
一方、私の頭には、「近所にはバレないように・・・」と念を押した男性の言葉が過ぎり・・・
それは、女性の疑念と相反することによって、私にイヤな展開を予感させたのだった。
つづく
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