「人を見た目で判断してはいけない」
幼い頃、そんな教育を受けたおぼえがある。
拡大解釈すると、
「人は、見た目だけで判断することはできない」
となる。
更に、反対解釈すると、
「人は、見た目で判断できることもある」
となる。
私は、これまで体感してきた実社会においては、「人は外見で判断できる」といった場面に何度となく遭遇してきた。
そして、今は、“身だしなみ・ツラがまえ・物腰・言葉遣い・・・そういった外見で、その人に関するある程度のことは判断できる”といった考えを持つに至っている。
ちなみに、ここにいう“外見”とは、服や持ち物、顔かたちや背格好のことを指しているのではないので誤解なく。
人の品性や教養は、素行や嗜好、学問や交友関係によって養われ・蓄積されるもの。
批難を覚悟で言うけど、人の迷惑も省みず夜の街でバイクをブンブンやっている若者が一流大学に通っている風には見えないし、夜中のコンビニにたむろする金髪の青年が一流企業に勤めている風にも見えない。
(もちろん、この私が、一流企業のビジネスマンに見えることもないだろうけどね。)
そして、そんな人間に限って「人を外見で判断すんじゃねぇ!」とのたまい、品格と教養のなさを露呈させる。
逆もしかり。
一流大学に通う若者達が高校中退の不良少年だったとは思えないし、大手企業で働くビジネスマンが低学歴・低教養だとも思えない。
社会に合った道徳心や、貧欲に勝る理性を持っているように見える。
もちろん、これが当っているかどうかはわからないけど、当っているような気がするのは私だけではないだろう。
結局のところ、“その人の人間性は、その外見である程度判断できる”ということになるのである。
外見で判断できることは他にもある。
それは、年齢。
赤ん坊が大人に見えることはないし、老人が子供に見えることもまずない。
やはり、人の外観は年齢にあわせて変化していく。
それが自然。自然の摂理。
しかし、この世の中には、その摂理に果敢に立ち向かおうとする“戦士”がいる。
過ぎ行く時間なんて、人間ごときがとても立ち向かえるものではないにも関わらず・・・
それは、女性。
女性は、自分が若く見られるために勇敢に戦う。
ファッション、化粧品、サプリメント、美容機器、美容法、整形術・・・戦術に合った武器を調達しながら・・・
戦闘によって肌艶が奪われ、シワが深く刻まれようとも、粘り強く必死に・・・
その戦域は、もはや、「男にモテたいから」なんて理由だけでは片付けられない領域にまで達している(←大げさ過ぎる?)
また、聞いたところによると、女性は、若いときの友達とはお互いに歳を明かしあうけど、いい歳(30くらいが境目?)になってからの知り合った相手とは年齢を確認しないらしい。
知人の中には、自分の子供にさえ実年齢をごまかしている人もおり・・・
社会一般における真偽は不明だけど、女の世界では、それが暗黙のルール(礼儀)になっているのだそうだ。
この価値観は、男の世界には・・・少なくとも、私のコミュニティーにはない。
ただ、よく考えてみると、女性の価値を年齢で測るクセがあるのは女性だけではなく、私を含めた男性も同じこと。
この価値観形成には、男性も充分に加担しているわけで、男連中が反省すべきこともあると思う。
どちらにしろ、女性が女性であるかぎり、若づくりの戦いに終わりは来ないのだろう・・・
せめて、これが泥沼の戦いになって身体加齢を加速させないよう祈るほかないか・・・
でも、案外、年齢に抵抗せず素直に従うことが、若く見られる秘訣だったりするのかもしれないよね。
初老の男性が、自宅で孤独死。
死後一ヵ月。
現場は、故人が暮らしていたマンションの一室。
依頼者は、故人の息子。
私は、依頼者と現地調査の日時を約して、電話を終えた。
出向いたところは、1Rの部屋ばかりが造られた小規模マンション。
どうみても賃貸用に建てられたものだった。
依頼者の男性は、私よりに先に到着。
男性は、上は穴の開いたTシャツ、下は膝のでたスウェット、足はゴムサンダル。
顔には無精ヒゲ、頭はボサボサ。
お世辞もでないくらい貧相な風貌。
しかも、その表情は弱々しく・・・
モジモジしながら話す声は小さく、言葉数も最小限。
人を外見で判断するクセのある私は、「頼りなさそうだな・・・」「お金あんのかなぁ・・・」と、いけない先入観を抱いた。
部屋にある家財生活用品は少量。
しかし、異臭濃度は高く、涌いたウジ・ハエも大量。
主たる腐敗液は、布団とベッドに残留。
誰かが片付けを試みたのか、汚れたパイプベッドは腐敗液をそのままに中央から折り曲げられ、中途半端な状態で放置。
全体的な汚染度はミドル級だったが、ベッドをうまく処理すれば、一気にライト級に下げることができるレベルだった。
「ベッドだけでも早めになんとかした方がいいと思いますけど・・・」
私は、“押し売り”と思われることを懸念。
しかし、急を要すると判断し、早めに手を着ける必要があることを男性に伝えた。
「・・・でも、ちょっと、その金額では・・・」
男性は、恥ずかしそうに、私が提示した見積金額に難色を示した。
そして、顔をゆがめながら、何度も溜息をついた。
「きびしいですか・・・」
男性の経済力は、私が想像していた通りのもの。
私の頭には、“退散”の文字が過ぎり、男性の様子をうかがいながら、それを口にするタイミングをはかった。
「せっかく来てもらったのにスイマセン・・・仕事は頼めません・・・」
“検討する”などとテキトーなことを言っておくこともできたのに、男性は、正直にそう言った。
私にとって、男性のその姿勢は好感を持つに値するものだった。
「そうか・・・」
本件が仕事にならないことは、ほぼ確定。
それでも、部屋の始末をどうつけたらいいのか答が出せないで困っている男性を置いて立ち去るのには抵抗があった。
「んー・・・」
男性は、弱った表情。
場を“おひらき”にしようとするどころか、今後の策を一緒に考えてほしそうな雰囲気をプンプンと醸しだした。
「とりあえず、ベッドの分解梱包だけやりましょうか?・・・お金はいりませんから」
“これも何かの縁?”“乗りかかった舟?”と、私は、自分に質疑。
男性が作業する場合の難しさと私がやる場合の簡単さを天秤にかけ、わずかにしか持ち合わせていないボランティア精神を心の奥のほうから引っ張りだした。
「スイマセン・・・スイマセン・・・じゃ、交通費だけでも・・・」
男性は、平身低頭。
“交通費だけでも払う”と言ってくれたが、私は“お金はいらないと言ったはず”“約束は約束”とカッコつけてそれを固辞した。
「大丈夫ですよ・・・私にとっては簡単なことですから」
男性の低姿勢に乗じた恩着せがましい態度は、品性と教養のなさを露呈させるだけ。
私は、サバサバと受け答え、作業の支度を整えた。
やはり、男性は、自身が言っていたとおり、私に特掃作業を依頼せず。
私が見積もった料金は、どうやっても男性が負担しきれる額ではなかったようで、“自分の手でなんとかする”とのことだった。
悪臭が充満する中、荷物を分別・梱包・搬出し、腐敗液を拭き取る・・・
手伝ってくれる親戚がいるとはいえ、腐敗体液の始末は誰にも頼めるはずはなく・・・
技術的にも精神的にも、重い苦労を要するはず・・・
玄人の私にとってはわけない作業でも、素人の男性にとっては大変な作業になるであろうことは、容易に想像できた。
それからしばらく後、男性が、再び連絡を入れてきた。
“部屋は空けたけど異臭が残留している”“その消臭作業を依頼したい”“それくらいの費用は負担できる”とのこと。
男性は、“消臭は自分では無理”と判断したようだった。
ただ、動機はそれだけではなく、私には、現場まで足を運び、相談に乗り、簡易特掃までやったことに対する義理もあるように感じられた。
そして、それが何とも嬉しかった。
男性は、確かに貧相な風貌だった。
しかし、現実から逃げなかった。私にウソをつかなかった。私への義理を欠かなかった。
私は、そんな男性に対する見方を、反省とともに変えざるをえなかった。
そして、それは、無意識のうちに蔑ろにしていた「人は、外見だけで判断できないこともある」という一石を私に投じた。
と同時に、「見かけがさえないのは仕方がないけど、“中身は悪くない”と人から思ってもらえるくらいの人間になりたいもんだな・・・」という思いを私に与えてくれたのだった。
公開コメント版
幼い頃、そんな教育を受けたおぼえがある。
拡大解釈すると、
「人は、見た目だけで判断することはできない」
となる。
更に、反対解釈すると、
「人は、見た目で判断できることもある」
となる。
私は、これまで体感してきた実社会においては、「人は外見で判断できる」といった場面に何度となく遭遇してきた。
そして、今は、“身だしなみ・ツラがまえ・物腰・言葉遣い・・・そういった外見で、その人に関するある程度のことは判断できる”といった考えを持つに至っている。
ちなみに、ここにいう“外見”とは、服や持ち物、顔かたちや背格好のことを指しているのではないので誤解なく。
人の品性や教養は、素行や嗜好、学問や交友関係によって養われ・蓄積されるもの。
批難を覚悟で言うけど、人の迷惑も省みず夜の街でバイクをブンブンやっている若者が一流大学に通っている風には見えないし、夜中のコンビニにたむろする金髪の青年が一流企業に勤めている風にも見えない。
(もちろん、この私が、一流企業のビジネスマンに見えることもないだろうけどね。)
そして、そんな人間に限って「人を外見で判断すんじゃねぇ!」とのたまい、品格と教養のなさを露呈させる。
逆もしかり。
一流大学に通う若者達が高校中退の不良少年だったとは思えないし、大手企業で働くビジネスマンが低学歴・低教養だとも思えない。
社会に合った道徳心や、貧欲に勝る理性を持っているように見える。
もちろん、これが当っているかどうかはわからないけど、当っているような気がするのは私だけではないだろう。
結局のところ、“その人の人間性は、その外見である程度判断できる”ということになるのである。
外見で判断できることは他にもある。
それは、年齢。
赤ん坊が大人に見えることはないし、老人が子供に見えることもまずない。
やはり、人の外観は年齢にあわせて変化していく。
それが自然。自然の摂理。
しかし、この世の中には、その摂理に果敢に立ち向かおうとする“戦士”がいる。
過ぎ行く時間なんて、人間ごときがとても立ち向かえるものではないにも関わらず・・・
それは、女性。
女性は、自分が若く見られるために勇敢に戦う。
ファッション、化粧品、サプリメント、美容機器、美容法、整形術・・・戦術に合った武器を調達しながら・・・
戦闘によって肌艶が奪われ、シワが深く刻まれようとも、粘り強く必死に・・・
その戦域は、もはや、「男にモテたいから」なんて理由だけでは片付けられない領域にまで達している(←大げさ過ぎる?)
また、聞いたところによると、女性は、若いときの友達とはお互いに歳を明かしあうけど、いい歳(30くらいが境目?)になってからの知り合った相手とは年齢を確認しないらしい。
知人の中には、自分の子供にさえ実年齢をごまかしている人もおり・・・
社会一般における真偽は不明だけど、女の世界では、それが暗黙のルール(礼儀)になっているのだそうだ。
この価値観は、男の世界には・・・少なくとも、私のコミュニティーにはない。
ただ、よく考えてみると、女性の価値を年齢で測るクセがあるのは女性だけではなく、私を含めた男性も同じこと。
この価値観形成には、男性も充分に加担しているわけで、男連中が反省すべきこともあると思う。
どちらにしろ、女性が女性であるかぎり、若づくりの戦いに終わりは来ないのだろう・・・
せめて、これが泥沼の戦いになって身体加齢を加速させないよう祈るほかないか・・・
でも、案外、年齢に抵抗せず素直に従うことが、若く見られる秘訣だったりするのかもしれないよね。
初老の男性が、自宅で孤独死。
死後一ヵ月。
現場は、故人が暮らしていたマンションの一室。
依頼者は、故人の息子。
私は、依頼者と現地調査の日時を約して、電話を終えた。
出向いたところは、1Rの部屋ばかりが造られた小規模マンション。
どうみても賃貸用に建てられたものだった。
依頼者の男性は、私よりに先に到着。
男性は、上は穴の開いたTシャツ、下は膝のでたスウェット、足はゴムサンダル。
顔には無精ヒゲ、頭はボサボサ。
お世辞もでないくらい貧相な風貌。
しかも、その表情は弱々しく・・・
モジモジしながら話す声は小さく、言葉数も最小限。
人を外見で判断するクセのある私は、「頼りなさそうだな・・・」「お金あんのかなぁ・・・」と、いけない先入観を抱いた。
部屋にある家財生活用品は少量。
しかし、異臭濃度は高く、涌いたウジ・ハエも大量。
主たる腐敗液は、布団とベッドに残留。
誰かが片付けを試みたのか、汚れたパイプベッドは腐敗液をそのままに中央から折り曲げられ、中途半端な状態で放置。
全体的な汚染度はミドル級だったが、ベッドをうまく処理すれば、一気にライト級に下げることができるレベルだった。
「ベッドだけでも早めになんとかした方がいいと思いますけど・・・」
私は、“押し売り”と思われることを懸念。
しかし、急を要すると判断し、早めに手を着ける必要があることを男性に伝えた。
「・・・でも、ちょっと、その金額では・・・」
男性は、恥ずかしそうに、私が提示した見積金額に難色を示した。
そして、顔をゆがめながら、何度も溜息をついた。
「きびしいですか・・・」
男性の経済力は、私が想像していた通りのもの。
私の頭には、“退散”の文字が過ぎり、男性の様子をうかがいながら、それを口にするタイミングをはかった。
「せっかく来てもらったのにスイマセン・・・仕事は頼めません・・・」
“検討する”などとテキトーなことを言っておくこともできたのに、男性は、正直にそう言った。
私にとって、男性のその姿勢は好感を持つに値するものだった。
「そうか・・・」
本件が仕事にならないことは、ほぼ確定。
それでも、部屋の始末をどうつけたらいいのか答が出せないで困っている男性を置いて立ち去るのには抵抗があった。
「んー・・・」
男性は、弱った表情。
場を“おひらき”にしようとするどころか、今後の策を一緒に考えてほしそうな雰囲気をプンプンと醸しだした。
「とりあえず、ベッドの分解梱包だけやりましょうか?・・・お金はいりませんから」
“これも何かの縁?”“乗りかかった舟?”と、私は、自分に質疑。
男性が作業する場合の難しさと私がやる場合の簡単さを天秤にかけ、わずかにしか持ち合わせていないボランティア精神を心の奥のほうから引っ張りだした。
「スイマセン・・・スイマセン・・・じゃ、交通費だけでも・・・」
男性は、平身低頭。
“交通費だけでも払う”と言ってくれたが、私は“お金はいらないと言ったはず”“約束は約束”とカッコつけてそれを固辞した。
「大丈夫ですよ・・・私にとっては簡単なことですから」
男性の低姿勢に乗じた恩着せがましい態度は、品性と教養のなさを露呈させるだけ。
私は、サバサバと受け答え、作業の支度を整えた。
やはり、男性は、自身が言っていたとおり、私に特掃作業を依頼せず。
私が見積もった料金は、どうやっても男性が負担しきれる額ではなかったようで、“自分の手でなんとかする”とのことだった。
悪臭が充満する中、荷物を分別・梱包・搬出し、腐敗液を拭き取る・・・
手伝ってくれる親戚がいるとはいえ、腐敗体液の始末は誰にも頼めるはずはなく・・・
技術的にも精神的にも、重い苦労を要するはず・・・
玄人の私にとってはわけない作業でも、素人の男性にとっては大変な作業になるであろうことは、容易に想像できた。
それからしばらく後、男性が、再び連絡を入れてきた。
“部屋は空けたけど異臭が残留している”“その消臭作業を依頼したい”“それくらいの費用は負担できる”とのこと。
男性は、“消臭は自分では無理”と判断したようだった。
ただ、動機はそれだけではなく、私には、現場まで足を運び、相談に乗り、簡易特掃までやったことに対する義理もあるように感じられた。
そして、それが何とも嬉しかった。
男性は、確かに貧相な風貌だった。
しかし、現実から逃げなかった。私にウソをつかなかった。私への義理を欠かなかった。
私は、そんな男性に対する見方を、反省とともに変えざるをえなかった。
そして、それは、無意識のうちに蔑ろにしていた「人は、外見だけで判断できないこともある」という一石を私に投じた。
と同時に、「見かけがさえないのは仕方がないけど、“中身は悪くない”と人から思ってもらえるくらいの人間になりたいもんだな・・・」という思いを私に与えてくれたのだった。
公開コメント版