特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

酔話

2012-01-30 10:25:04 | 特殊清掃
「ありがたいなぁ・・・」
酒を飲みながら、しみじみ思う。
一庶民の質素な晩酌だけど、それは、多くの幸いがあって成り立っているものであることを。

身の回りが平和であること、
買うためのお金があること、
稼ぐための仕事があること、
働くため・飲むための身体と健康があること、
酒をつくってくれる人がいること、
それを運んでくれる人・売ってくれる人がいること等々・・・
・・・感謝の念を持たずにはいられない。


私の休肝日は、心身の調子がヒドく悪いとき、帰宅がかなり遅くなったときくらい。
日々に生活において晩酌をほとんど欠かさない。
仕事も肝臓も、休みは少ないのである。

定番はビール。
値段が安いから“発泡酒”や“新ジャンル”にしていた時期もあったけど、やはり、口が納得せず。
「ビールとは別種の酒」と思って飲めばいいのかもしれないけど、下手に味が似ているものだから割り切れない。
結局、今は、ビールに戻している。
好みは、麦芽100%。
これは、学生の頃、味もロクにわからないクセに大人のウケウリで飲み始めたもの。
少しは味がわかるようになって、“ウケウリ”は“好み”に変わり現在に至っている。

この冬は、何年ぶりかに“にごり酒”が復活している。
やはり、うまい!
昨秋、口に合う味を求めて、わりと高いものから安いものまで何種類か買ってみた。
中には、大量の米粒が原型に近い状態で入っており、「飲む」というより「食べる」といった感のものもあり(限定品で値段は高め)、勉強になった。
やはり、糖類・酸味料が添加されているものはダメ。
あと、できることなら、醸造用アルコールも入っていないほうがいい。
そんなこんなで、結局のところ、以前に飲んでいたモノに落ち着いている。

逆に、飲まなくなったものもある。
缶チューハイをやめた。
味は飲みやすくビールに比べると値段も安いので、長年の友としてきたけど、知人から「糖分が高いから太る」「人工合成物がたくさん入ってるから身体に悪い」と言われたのだ。
しかも、これを複数の人から言われたものだから、飲む気が失せてしまったのだ。
しかし、健康にいいのは、酒をやめること。
飲むモノの毒を考えて飲むことの毒を考えないなんて“愚の骨頂”かもしれない。

日本酒は、福島県の酒を飲んでいる。
被災地支援のつもりは少しもなく、ただ、「口に合う」「値段も手ごろ」という理由のみ。
特徴のある味(濃厚甘口)で、口に合わない人にはとことん不味く感じるかもしれない。
言うまでもなく“高い酒=いい酒”“有名酒=銘酒”とはかぎらない。
そして、私には“山田錦信仰”や“吟醸信仰”はない。
無名だろうがファンが少なかろうが、口に合えばそれは「いい酒」。
ま、これは誰にとってもそうだろう。

ワインは飲まない。
今まで、いいワインを飲んだことがないせい、また、飲み方を知らないせいかもしれないけど、「美味しい」と思ったことが一度もない。
あと、一緒に飲んだ相手が悪かったせいもあるだろう。
“ワイン好き”は、やたらとソムリエを気取る。
話す方は気分よさそうにウンチクをたれるけど、聞かされる方はつまらなくて仕方がない。
(そういう私も、ここでウンチクをたれてるんだけどね。)

焼酎は、ごくたまに飲む程度。
味や香りが好みに合わないものが少なくなく、また、芋・麦・米など種類が多くて良し悪しがわかりにくい。
だから、いただき物を飲むくらいで、自分ではまず買わない。
もちろん、美味い焼酎は世の中にたくさんあると思う。
そして、今までに何度か「美味い!」と思う焼酎に出会ったこともある。
そのひとつは、ウイスキーに似た風味だった。
ただ、やはり、本物のウイスキーには劣っていた。

大のウイスキー嫌いだった私が、急にウイスキー好きになった経緯は、しばらく前に書いたことがあると思う。
そう、今もウイスキーは好んで飲んでいる。
好きなのは、スコッチと国産。
ウイスキーは、舌にまとわせたときの甘味が格別。
何より、香りが抜群。
酒が飲めない人でも、この香りが好きな人はいるんじゃないだろうか。

昨年末、いいウィスキーを何本ももらった。
自分では手が出せないようなブレンド品や17年モノ・18年モノ・25年モノなど。
ケチな性分だから、中でも一番安そうなものから手をつけている。
ただ、私はロックで飲むタチなので、寒い今はかなりスローペース。
肌寒い部屋で飲むには、ちょっと冷たい。
季節が暖かくなったらペースも上がるだろう(上げる必要ないけど)。

つかう器にも自分なりの“決まり”がある。
(「こだわり」というにはあまりにお粗末すぎるので「決まり」としておく。)
ビールは缶のまま、日本酒は白地の湯呑(by¥100ショップ)、にごり酒は黒地の湯呑(by¥100ショップ)、ウイスキーはイタリア製のロックグラス(by酒屋の景品)。
やっぱ、普通のコップやカップじゃ味気ないからね。
ケチ男としては、全部が頂き物と安物であることに満足しているわけである。


私と酒の関係は、子供の頃にまでさかのぼる。
その頃、母親は、冬になると甘酒をつくってくれた。
これが実にうまかった。
つくり方は簡単で、そのうち、自分でつくって飲むように。
自分でつくるからには、好きなようにつくらない手はない。
私は、酒粕を多めに入れた濃い甘酒をつくった。
しかし、しばらく飲んでいると、その味にも慣れてきてモノ足りなくなってきた。
そこで登場したのが、父親の日本酒。
これを甘酒にブレンドすると、その味は格段に向上。
感動モノの味に仕上がった。
それ以降、私の甘酒には、隠れていない隠し味として日本酒が入るように。
そして、加える日本酒が次第に増えていったことは言うまでもない。

また、当時、自宅には自家製の梅酒があった。
もちろん、子供がこれを飲むことを親は許さなかった。
ただ、中にある梅を食べることはスンナリ許してくれた。
食べてみると、これまた実に美味。
梅酒の味を知ってしまった私は、梅を食べることを口実に酒も一緒にすくい取って飲むようになったのだった。


私が幼少の頃に亡くなった父方の祖父も、酒好きだった。
ご飯に日本酒をかけ、お茶漬けのようにして食べていたというくらい。
結局、最期は肝臓の病で逝ってしまった。
その息子(私の父親)も無類の酒好き。
ケンカ、車の事故、“小指”の問題など、今なら“お縄”になってもおかしくないような武勇伝はいくつもある。
ただ、思うところがあるみたいで、老年になった今はほとんど酒をやめている。
そのまた息子(私)も酒好き。
遺伝のせいにしてはいけないか、遺伝なのかもしれない。
ホドホドにしておきたいと思いつつ、ホドホドにできないまま現在に至っている。

ちょうど30歳の頃だったか、肝ガンか肝硬変が疑われたことがあった。
健康診断ででた数値が、かなりの異常値だったのだ。
「沈黙の臓器」といわれるだけあって、自覚症状は皆無。
私は、医師の脅しに冷や汗をかきながら精密検査を受診。
検査結果がでるまでの約一週間、ブルー気分で過ごしたのを憶えている。
幸い、原因は肝ガンでも肝硬変でもなかった。
ただ、私の肝臓は相当に弱っており、しばらくの禁酒を余儀なくされたのだった。

当時、その出来事はいい薬になった。
キッパリ酒をやめ、ついでに減量にも励んだ。
だが、咽元すぎればなんとやら。
それを機に少しは肝臓のことを気にかけるようになったものの、近年はかなりルーズに。
効いているのかいないのかわからないサプリメントを傍らに、節制なく飲んでいる。
毎月の酒代を服や持ち物につかったら、もうちょっとマシな格好になるだろうに、それがそういかない。
ま、人に迷惑をかけているわけじゃないからヨシとしている。


いい意味でも、悪い意味でも、酔いにはコミュニケーション能力を高める働きがある。
酔いは、人の本性を剥き出しにし、感情を曝け出させ、本音を吐き出させる。
泣いたり笑ったり、熱く語ったり、時にはケンカしたり・・・酒の席では、こんな光景をよく見かける。
酒の交わりを機に親しみが増したり、逆に、本性がバレて疎遠になったりすることもある。
“飲みニケーション”が好きな人の中には、「酒を飲まない人間は信用しない」とまで言う人もいる。
諸手を挙げては賛成できないけど、その趣旨には賛同できるものがある。
人と会話することが不得意な私も、以前は、よく酒の力を借りたもの。
そこで、足がよろめくほどに飲み、熱く語り、笑い、ときに泣いたものだ。

そんな私だったが、いつの頃からか飲み会が嫌いになっている。
人の顔色をうかがいながら、場の雰囲気を読みながら酒を飲むなんて、面倒臭くてたまらない。
幸い、仕事上で必要な酒の付き合いはほとんどない。
酒は、人のために飲むものではなく自分のために飲むもの、明日のために飲むものではなく今日のために飲むもの。
好きな肴と好きな酒を用意して、自宅でゆっくり手酌酒・・・これが一番いい。



特殊清掃は、基本的に一人でやる作業。
現場には自分のほかには誰もいない。
感情を移入する先はない。

人目を気にする必要はない。
恥じも外聞も関係ない。
弱音を吐き、愚痴をこぼし、ときに泣く。

目眩がするくらい凄惨な光景に遭遇することがある。
強い遺志に圧され、足がよろめくことがある。
剥き出しの自分がその身を支える。

残っているのは“死の痕”ではない。
残っているのは“生の痕”。
そこに問う・・・生と死と人生と、その意味と理由と目的を。

すぐにくる返事もある。
しばらく後にくる返事もある。
いつまでたっても返事がこないこともある。

死体業は嫌いだ。
人から奇異に思われ、人から気持ち悪がられる。
何かに酔わなければやりきれない。

業に酔い、感傷に酔い、自分に酔う。
酔わずにはやれないこと、酔わずには言えないこと、酔わずには考えられないことがあるから。
しかし、酔えば、目を覆いたくなるような自分の愚かさが見え、耳を塞ぎたくなるような自分の嘆きが聞こえてくる。

この仕事に携わるようになって20年目。
もうじき“大人”、酔っていい歳、酔い方がわかっていい歳。
自分は、何がわかったのか、何を知ったのか、少しは強くなったか、少しは賢くなったか・・・

今宵も、私は、心の想いを頭でさばき、それを肴に妙味の酒を飲むのである。



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特殊清掃プロセンター
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