イヴの昨夜は、パーティーを楽しんだ人が多いのではないだろうか。
しかし、日本はキリスト教国ではない。
「キリスト教徒は100人に1人、またはそれ以下」とも言われる。
なのに、12月はクリスマスムード一色。
まるで、ほとんどの人がキリスト教徒であるかのように、「メリークリスマス!」と歓喜し、笑顔をふりまく。
正月は神式、葬儀は仏式、結婚式はキリスト教式等々、この節操を欠く無信心ぶりは、何ともおかしい。
それでも、クリスマスには、多くの人に幸せな時間が与えられるわけで、これもキリスト・イエスのお陰。
少なくとも、これくらいのことは覚えたいものである。
私は、例年通り、昨夜は静かに過ごした。
クリスマスケーキもなければ御馳走もなし。
夕飯はカレーにし、好物の酒も飲まなかった。
私にとってクリスマスイヴは、気分を騒がしくさせるものではない。
だからと言って、暗い気分で寂しくいたわけではない。
私なりに、幸せ気分を味わいながら、また、色んなことに感謝しながら過ごしたのである。
ある年の12月上旬、遺品処理の依頼が入った。
電話の向こうの声は、初老の男性。
落ち着いた話し方と丁寧な言葉遣いは、男性がそれなりの紳士であることを想像させた。
遺品の持ち主は、同居していた男性の母親。
葬式を終えて間もないようだった、男性は「クリスマスまでには片付けたい」と要望。
「年内中に片付けたい」という要望はよくあるけど、「クリスマスまで」というのはちょっと珍しい。
私は、「その辺のところに一事情あるかも」と思いながらも、「その辺の事情は会ったときにわかるだろう」と思い、男性と現地調査の日時を打ち合わせた。
訪問した御宅は、閑静な住宅街に建つ一戸建。
豪邸というほどの建物ではなかったが、「洋風」というより「洋館」といった方がしっくりくるような造りで、周囲の一般的な家とは一線を隔していた。
その特徴を更に際立たせていたのは、クリスマスの飾りつけ。
玄関にリースをつけたり、外構にちょっとしたイルミネーションを飾ったりしている家はよく見かけるけど、この家は、その次元ではなかった。
塀や門扉はもちろん、植木の下から上に至るまで、飾りがビッシリ。
そこには、葬儀をだして間もない寂しい雰囲気はなく、「家を間違ったか?」と思ってしまうほどだった。
私は、表示された番地が教えられていたものと違っていないか、また、表札が依頼者の名前かどうか、何度も確認。
その上で、インターフォンを押した。
やはり、その家は、依頼者の家に間違いなかった。
そして、依頼者の男性はすぐに玄関からでてきた。
想像のとおりの紳士。
電話と変わらず穏やかな物腰で、言葉も丁寧。
とても好感の持てる人物だった。
家に入らせてもらうと、そこにもまた外に負けないくらいの飾りつけがほどこしてあった。
目を見張るほどのそれらに何もコメントしないのは不自然なことのように思えた私だったが、近い過去に人が亡くなった家につき、それを口にする善し悪しを判断できず。
「すごい飾りつけですね」と言いたい気持ちを抑えて、とりあえず、男性の後をついて家の奥へ進んだ。
処分する遺品のほとんどは、故人の部屋に置いてあった。
故人が生きていたとき、そのままの状態で。
そこには、書籍・衣類・家具・調度品等々、長寿を表すかのように多くの家財が残されていた。
ただ、その部屋だけはクリスマスの装飾が一切なし。
それは、12月を迎える前に、故人がこの家からいなくなったことを物語っていた。
「自分達では片付けることができなくて・・・」
と、男性は、自分に言い訳をするように言った。
それは、単に、“片付けるための腕力や労力が不足しているせい”というだけではなく、“目に見える思い出を捨てるための心力も不足しているせい”ということを言っているようにも聞こえた。
遺品の種類や量によって作業内容と料金が決まる。
したがって、家中のあちこちに対象遺品が分散していると見積作成に時間がかかるのだが、この家の対象遺品はほとんど一部屋にまとまっており、見積をつくるのにそんな長い時間は要さず。
私は、テキパキと見分を済ませ、男性に作業内容と料金の説明。
そして、契約が成立し、作業の段取りを組んだところで退散する用意に入った。
すると、
「せっかくだから、お茶でも飲んでいって下さい」
と、男性は、私を引き止めた。
「時間がないから」と遠慮することもできたのだが、私は、死を目近にした人の話に無駄話は少ないこと、そして、それが自分の糧になることが多いことを知っていた。
また、理由もないのに断ることが失礼なことのようにも思えたため、ソファーから上げかけた腰を再び下ろした。
男性一家は、キリスト教徒。
家の飾り付けが凝っているのは、そのせいもあるよう。
飾りを始めたのは、この家を建てて最初のクリスマスから。
当初はツリーとリースといくつかの置物を置く程度。
それでも、それらは、家族の日常にささやかな幸せをもたらした。
やがて、12月の飾りつけ作業は男性一家の恒例行事に。
飾り物やイルミネーションは、毎年、買い増され、年々その規模は大きくなっていった。
故人も、それを喜んだ。
そして、自分の部屋もおおいに飾りつけた。
しかし、それは、前年までのこと。
何分にも高齢だった故人は、この年の晩秋に体調を崩して入院。
そして、季節が晩秋から初冬に移り変わる頃、眠るように息を引きとった。
聖書を片手に100年近い紆余曲折を乗り越えた末の召天だった。
「悲しいけど悲しむことではない」
「寂しいけど寂しがることではない」
「母は天国に行ったのだから」
男性は、そういって笑顔をみせた。
そう言いながらも、人は弱いもの。
故人の遺品が目の前にあっては、ついつい悲しみや寂しさに負けてしまいそうになる。
男性は、クリスマスを明るい気分で迎えるため、それまでに遺品の処理を終えたいのだった。
遺品処理なんて、あまりめでたい仕事とはされない。
遺品の撤去を終えた部屋に塩をまいたり、お祓いをしたりする人もいるくらい。
“死”はそれだけ忌み嫌われるもの。
また、世間も、そんな風潮を“悪し”としない。
しかし、死に対しては、暗くなることだけが礼儀ではない。
男性一家も、世間の風潮に迎合せず。
「めでたいこと」と言ったら大袈裟だけど、それに近い感覚を持っているようだった。
だから、葬儀をだした直後であっても、世間体も気にせず、家を派手に飾り、家にハッピーな雰囲気をまとわせていた。
大方の人にとって死は恐いもの
大方の人にとって死は嫌悪されるべきもの。
それをそう捉えない男性の信心は、なんだか羨ましいものであった。
そして、その平安は、冷暗なところに追いやられがちな私の仕事に陽を当ててくれたのだった。
信じることによって救われることがある。
信じることで道が開けていくこともあれば、信じることで大きく前進できることもある。
しかし、現実には難しい。
これまでのブログにも何度となく書いてきたとおり、自分は自分にとって信用ならない者であり、自分は自分をよく裏切る者であるから。
そんな自分に裏切られるのが恐いから、裏切られて辛い思いをするのがイヤだから、裏切られて傷つくのがイヤだから、はじめか疑ってかかる
そうしているうちに、自分を疑うことに慣れてしまう。
自分を信じることが億劫になり、自分を信じることに臆病になる。
でも、人生なんてものは、自分と未来を信じないと開けないものでもある。
自分を疑ってばかりの私の人生が開いていかない一因も、そこにあるのだろう。
クリスマスが過ぎれば、今度は正月ムード。
時間は、一秒の狂いもなく確実に過ぎている。
この一生も、また同じ。
泣いても笑っても、寝ても醒めても、終わりは確実に近づいている。
せっかくのこの日々。
信じることは疑うことより難しく、また、信じることは疑うことより勇気がいることだけど、たまには、ダメな自分を信じてやってもいいのではないだろうか。
そうすることによって、自分が思っている以上に頑張れる自分が新たに姿を現すかもしれない。
そして、その姿に、信じたほうの自分も感化されるだろう。
「俺を幸せにしてくれるのは“そいつら”かもな」
終わりかけのクリスマスムードの中、ちょっとだけポジティブになっている私である。
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しかし、日本はキリスト教国ではない。
「キリスト教徒は100人に1人、またはそれ以下」とも言われる。
なのに、12月はクリスマスムード一色。
まるで、ほとんどの人がキリスト教徒であるかのように、「メリークリスマス!」と歓喜し、笑顔をふりまく。
正月は神式、葬儀は仏式、結婚式はキリスト教式等々、この節操を欠く無信心ぶりは、何ともおかしい。
それでも、クリスマスには、多くの人に幸せな時間が与えられるわけで、これもキリスト・イエスのお陰。
少なくとも、これくらいのことは覚えたいものである。
私は、例年通り、昨夜は静かに過ごした。
クリスマスケーキもなければ御馳走もなし。
夕飯はカレーにし、好物の酒も飲まなかった。
私にとってクリスマスイヴは、気分を騒がしくさせるものではない。
だからと言って、暗い気分で寂しくいたわけではない。
私なりに、幸せ気分を味わいながら、また、色んなことに感謝しながら過ごしたのである。
ある年の12月上旬、遺品処理の依頼が入った。
電話の向こうの声は、初老の男性。
落ち着いた話し方と丁寧な言葉遣いは、男性がそれなりの紳士であることを想像させた。
遺品の持ち主は、同居していた男性の母親。
葬式を終えて間もないようだった、男性は「クリスマスまでには片付けたい」と要望。
「年内中に片付けたい」という要望はよくあるけど、「クリスマスまで」というのはちょっと珍しい。
私は、「その辺のところに一事情あるかも」と思いながらも、「その辺の事情は会ったときにわかるだろう」と思い、男性と現地調査の日時を打ち合わせた。
訪問した御宅は、閑静な住宅街に建つ一戸建。
豪邸というほどの建物ではなかったが、「洋風」というより「洋館」といった方がしっくりくるような造りで、周囲の一般的な家とは一線を隔していた。
その特徴を更に際立たせていたのは、クリスマスの飾りつけ。
玄関にリースをつけたり、外構にちょっとしたイルミネーションを飾ったりしている家はよく見かけるけど、この家は、その次元ではなかった。
塀や門扉はもちろん、植木の下から上に至るまで、飾りがビッシリ。
そこには、葬儀をだして間もない寂しい雰囲気はなく、「家を間違ったか?」と思ってしまうほどだった。
私は、表示された番地が教えられていたものと違っていないか、また、表札が依頼者の名前かどうか、何度も確認。
その上で、インターフォンを押した。
やはり、その家は、依頼者の家に間違いなかった。
そして、依頼者の男性はすぐに玄関からでてきた。
想像のとおりの紳士。
電話と変わらず穏やかな物腰で、言葉も丁寧。
とても好感の持てる人物だった。
家に入らせてもらうと、そこにもまた外に負けないくらいの飾りつけがほどこしてあった。
目を見張るほどのそれらに何もコメントしないのは不自然なことのように思えた私だったが、近い過去に人が亡くなった家につき、それを口にする善し悪しを判断できず。
「すごい飾りつけですね」と言いたい気持ちを抑えて、とりあえず、男性の後をついて家の奥へ進んだ。
処分する遺品のほとんどは、故人の部屋に置いてあった。
故人が生きていたとき、そのままの状態で。
そこには、書籍・衣類・家具・調度品等々、長寿を表すかのように多くの家財が残されていた。
ただ、その部屋だけはクリスマスの装飾が一切なし。
それは、12月を迎える前に、故人がこの家からいなくなったことを物語っていた。
「自分達では片付けることができなくて・・・」
と、男性は、自分に言い訳をするように言った。
それは、単に、“片付けるための腕力や労力が不足しているせい”というだけではなく、“目に見える思い出を捨てるための心力も不足しているせい”ということを言っているようにも聞こえた。
遺品の種類や量によって作業内容と料金が決まる。
したがって、家中のあちこちに対象遺品が分散していると見積作成に時間がかかるのだが、この家の対象遺品はほとんど一部屋にまとまっており、見積をつくるのにそんな長い時間は要さず。
私は、テキパキと見分を済ませ、男性に作業内容と料金の説明。
そして、契約が成立し、作業の段取りを組んだところで退散する用意に入った。
すると、
「せっかくだから、お茶でも飲んでいって下さい」
と、男性は、私を引き止めた。
「時間がないから」と遠慮することもできたのだが、私は、死を目近にした人の話に無駄話は少ないこと、そして、それが自分の糧になることが多いことを知っていた。
また、理由もないのに断ることが失礼なことのようにも思えたため、ソファーから上げかけた腰を再び下ろした。
男性一家は、キリスト教徒。
家の飾り付けが凝っているのは、そのせいもあるよう。
飾りを始めたのは、この家を建てて最初のクリスマスから。
当初はツリーとリースといくつかの置物を置く程度。
それでも、それらは、家族の日常にささやかな幸せをもたらした。
やがて、12月の飾りつけ作業は男性一家の恒例行事に。
飾り物やイルミネーションは、毎年、買い増され、年々その規模は大きくなっていった。
故人も、それを喜んだ。
そして、自分の部屋もおおいに飾りつけた。
しかし、それは、前年までのこと。
何分にも高齢だった故人は、この年の晩秋に体調を崩して入院。
そして、季節が晩秋から初冬に移り変わる頃、眠るように息を引きとった。
聖書を片手に100年近い紆余曲折を乗り越えた末の召天だった。
「悲しいけど悲しむことではない」
「寂しいけど寂しがることではない」
「母は天国に行ったのだから」
男性は、そういって笑顔をみせた。
そう言いながらも、人は弱いもの。
故人の遺品が目の前にあっては、ついつい悲しみや寂しさに負けてしまいそうになる。
男性は、クリスマスを明るい気分で迎えるため、それまでに遺品の処理を終えたいのだった。
遺品処理なんて、あまりめでたい仕事とはされない。
遺品の撤去を終えた部屋に塩をまいたり、お祓いをしたりする人もいるくらい。
“死”はそれだけ忌み嫌われるもの。
また、世間も、そんな風潮を“悪し”としない。
しかし、死に対しては、暗くなることだけが礼儀ではない。
男性一家も、世間の風潮に迎合せず。
「めでたいこと」と言ったら大袈裟だけど、それに近い感覚を持っているようだった。
だから、葬儀をだした直後であっても、世間体も気にせず、家を派手に飾り、家にハッピーな雰囲気をまとわせていた。
大方の人にとって死は恐いもの
大方の人にとって死は嫌悪されるべきもの。
それをそう捉えない男性の信心は、なんだか羨ましいものであった。
そして、その平安は、冷暗なところに追いやられがちな私の仕事に陽を当ててくれたのだった。
信じることによって救われることがある。
信じることで道が開けていくこともあれば、信じることで大きく前進できることもある。
しかし、現実には難しい。
これまでのブログにも何度となく書いてきたとおり、自分は自分にとって信用ならない者であり、自分は自分をよく裏切る者であるから。
そんな自分に裏切られるのが恐いから、裏切られて辛い思いをするのがイヤだから、裏切られて傷つくのがイヤだから、はじめか疑ってかかる
そうしているうちに、自分を疑うことに慣れてしまう。
自分を信じることが億劫になり、自分を信じることに臆病になる。
でも、人生なんてものは、自分と未来を信じないと開けないものでもある。
自分を疑ってばかりの私の人生が開いていかない一因も、そこにあるのだろう。
クリスマスが過ぎれば、今度は正月ムード。
時間は、一秒の狂いもなく確実に過ぎている。
この一生も、また同じ。
泣いても笑っても、寝ても醒めても、終わりは確実に近づいている。
せっかくのこの日々。
信じることは疑うことより難しく、また、信じることは疑うことより勇気がいることだけど、たまには、ダメな自分を信じてやってもいいのではないだろうか。
そうすることによって、自分が思っている以上に頑張れる自分が新たに姿を現すかもしれない。
そして、その姿に、信じたほうの自分も感化されるだろう。
「俺を幸せにしてくれるのは“そいつら”かもな」
終わりかけのクリスマスムードの中、ちょっとだけポジティブになっている私である。
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