特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

椅子とりゲーム

2016-03-22 08:44:29 | 遺品整理
“椅子とりゲーム”
子供の頃、やったことがある人は多いと思う。
頭数より少ない椅子を並べ、その回りを音楽に合わせてグルグルまわり、合図とともに座るってヤツ。
競い争い、最後まで残るのが、このゲームの目的と娯楽性。

当然、ゲームの途中で、一人一人、脱落者が生まれる。
生き残るには、相手を押しのける必要がある。
時に強引に、時に乱暴に、そして、奪い取ることが必要なときもある。
そうして、最後まで座り続けることができた者が最終的な勝者となる。
私だけかもしれないけど、何故だか、この遊びは、負けたときに独特の寂しさを覚え、勝ったとしても独特の切なさを覚える。
結局のところ、独特の虚無感を覚えるため、私のとっては、あまり楽しい遊びではなかったように記憶している。

大人になって社会にでると、また別の“椅子とりゲーム”をやるハメになる。
そう・・・朝夕の満員電車だ。
多くの人が座りたいのに、限られた人しか座れない。
車内は、冷静を装った熱気と緊迫したムードに包まれる。

通勤時間帯、始発駅でもないかぎり、乗ってすぐ座れることなんてない。
何駅が通過して、先客が降りて席が空かないと座れない。
そのためには、まず、座席の前に立つ必要がある。
ドア付近や通路に立っていては、立つ客と入れ替わって座ることなんてできないから。
更に、自分の真ん前の人が立たないかぎり座れない。
どれだけの可能性と確率があるのか、運に任せるほかない。
毎日のことだから、中には、特定の人の顔を憶え、その人が降りる駅を把握し、その人が座っている前に立つような達人もいるよう。
しかし、大方の人は、運と可能性に身を任せるしかないのである。

会社に行くと、今度は、本格的な“椅子とりゲーム”が始まる。
そう、出世競争。
電車とは違って、これは、かなりの長期戦。
新卒20代の頃は、一人前になるのが精一杯。
同年代も無役が多くて、役職はあまり気にならない。
しかし、30代に入ると役に就く者が現れ、ギアチェンジを余儀なくされる。
そうして、限られた椅子を巡っての戦いが始まる。
主任・係長・課長・部長・取締役・常務・専務・社長・会長・・・
上位にいくに従って椅子の数は減っていき、競争は激化。
篩(ふるい)は容赦なく揺れ動き、力のない者は落とされていく。
そして、勝ち残った者だけが上へ上へと登っていく。

こんな私にも大手企業に勤める知人が何人かいるけど、同期に先を越されると、かなりの敗北感や劣等感を覚えるらしい。
ましてや、後輩に追い抜かれるなんてことがあると、それが会社を辞める原因になることさえあるという。

会社や社会に競争原理は必要。
それは人に向上心をもたせ、努力や自己啓発をうながし、広くは、社会成長や経済発展につながる。
しかし、それが過度に働くと、多くの敗北感や大きな劣等感がうまれる。
そして、それらは、人の心と人生を暗い方へ追いやるようになる。
社会の競争原理と人の競争心は、適度なところで保たなければ、大きなマイナスを生むことがあるのである。

幸い?私の会社は超零細企業。
しかも、職種もかなりマイナー。
したがって、会社組織として競争原理が働くほどの体もなければ、そんな場面もない。
「特掃隊長」なんて椅子は、座りたくて座っているわけでもないし、そもそも誰も座りたがらないから競争は起こらない。
ある意味で平和である。

そのせいでもないだろうけど、私は、“椅子とりゲーム”が下手。
人を押しのけてまで座ることができない。
もちろん、座りたくなるような椅子そのものがないのだが、仮に、あったとしても大した椅子に座ることはできないだろう。
勝ち残るための能力もさることながら、競う勇気がないのである。


出向いた現場は、郊外に建つ古い一戸建。
高級住宅地に建っているわけでもないし、「豪邸」というほどでもなかったが、わりと大きくて立派な建物。
ただ、庭は荒れ、長く空き家になっているような、寂れた雰囲気。
約束の時間を待って、私はインターフォンをプッシュ。
すると、すぐに「お待ちしてました」と言う声が返ってきて、玄関から依頼者である中年の男性が出てきた。

「腐乱死体現場」と聞いてやって来たのだが、家の中に入って気になったのは、ジメっとしたカビ臭さくらいで、例の異臭は感じられなかった。
ただ、庭同様、少々荒れ気味。
全体的に薄汚れた感じで、いたるところホコリだらけ。
ゴミが散らかっているということはなく整然とはしていたけど、印象としては、モノクロの冷たい世界。
そんな荒んだ(すさんだ)雰囲気に、よんどころない事情があることを察した私だったが、その心情は男性にとって不愉快なものかもしれなかったため、平然を装い、あえて呑気な表情を浮かべた。

男性は、一階リビングにあるソファーに私を座らせると、
「何からお話すればいいんでしょうか・・・」
「恥ずかしい話なんですけど、亡くなった父と私達家族は、あまりうまくいってなくて・・・」
と、言いにくそうに事の経緯を話しはじめた。


亡くなったのは、男性の父親。
仕事はしばらく前に引退し、晩年は、慎ましい年金生活。
故人の妻、つまり男性の母は健在だったが、この家を出て男性(息子)家族と同居。
結果的に、故人は、この広い家で一人暮しとなっていた。

現場の家と男性宅は、そんなに離れていなかった。
歩いて行き来できるほど近くはなかったが、車で30分もかからない程度。
それでも、男性と故人は疎遠だったよう。
男性の母親(故人の妻)もまた同様で、特段の用事でもないかぎり連絡を取り合うこともなかった。
その結果、故人の死に気づくのも遅れてしまったようだった。

妻がいるのに一人暮らしなんて、一般的にみると不自然。
家族間に難しい問題があったことは容易に察することができた。
が、それは、私が詮索する必要のないこと。
ただ、男性は、プライベートな事情をどこまで話す必要があるのか線を引けないよう。
男性が、
「“体調が悪い”とか“病院にかかっている”等といったことは聞いてなかったんですけどね・・・」
と言ったところで、あえて私の方から話を切り、話題を実務的なことにスライドさせ、依頼の内容を尋ねた。

「父(故人)が使っていた椅子を始末と、書斎の消毒と消臭をお願いしたいんですけど・・・」
依頼を受けた私は、とりあえず、二階の書斎へ。
そこは、ドラマのセットかと思われるような本格的な書斎で、ホコリをかぶった机と、古ぼけて傷んだ椅子があった。
故人は、その椅子に座ったまま亡くなっていたよう。
ただ、不幸中の幸いで、寒い季節で暖房もついておらず、肉体の腐敗は軽度。
椅子に残った痕も、素人目にはわからないくらい薄いもの。
また、異臭レベルも低く、素人鼻には、少し強めの体臭くらいにしか感じられない程度だった。

他例では・・・
少ないけど、重汚染でも家族が自分達の手で掃除するケースはある。
「家族なんだから・・・」といった具合で。
今回の現場のような軽汚染なら尚更で、家族が始末するケースは珍しくない。
その場合、私の仕事(売上)は減ることになるのだけど、私は、そんな人達に好感を覚える。

しかし、男性と家族は、自分達の手でその椅子を片付けるのはイヤなよう。
それが、死を怖れてのことなのか、孤独死を悼んでのことなのか、はたまた、単に気持ち悪いだけのことだったのか・・・
それとも、その椅子が、故人と家族を隔てる象徴のように思えて、抵抗があったのか・・・
どちらにしろ、そこに、あたたかな家族愛は感じられなかった。

デスクマットには、何枚もの名刺が並んでいた。
そこに記されていたのは、某企業の名
そして、氏名はすべて同じ、故人の名。
ただ、所在地・部署・役職はそれぞれ異なっていた。
どうも、それは時系列に並べてあるらしく、順を追って見ていくと、故人が出世街道を歩いていく様が浮かび上がってきた。

最後は重役の肩書き。
そう・・・故人は、重役にまで登りつめたよう。
ただ、その“椅子とりゲーム”を勝ち抜くために故人がなした努力・忍耐・戦いも相当なものだったはず。
家族より仕事を優先せざるを得なかったことも多かっただろう。
家でストレスを吐き出すことも少なくなかっただろう。
知らず知らずのうちに、結構な“ワンマン親父”になっていたかもしれない。
ただ、そんな故人が獲得した経済力によって、家族の生活が守られていたのも事実のはず。
その利害が生み出す矛盾と葛藤が、徐々に故人と家族との距離をあけていったのかもしれなかった。


生前、故人は、時折この椅子に座っては、一人で過去の名刺を眺めたことだろう。
華々しい戦歴が刻まれた名刺に何が見えたか・・・
そして、どんな思いが湧いてきたか・・・
達成感を抱いたか、満足感を得たか、誇らしく思ったか・・・
疲労感を覚えたか、虚しさに苛まれたか、寂しさに襲われたか・・・
根底に流れる懐かしさは、あたたかいものだったか、それとも、冷たいものだったか・・・

冷たくくたびれた故人の椅子は、“椅子とりゲーム”の勝者が味わう人生の機微を語っているように見え、私に妙な切なさを抱かせたのだった。


公開コメント版

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