日本人の平均寿命は男性が77.64歳、女性が84.62歳らしい。
世界的にも長寿国。
現実を見ても、80歳を越えても元気なお年寄りが多く、そんなに長寿というイメージはない。
90歳を越えると長寿という印象がでてきて、100歳を越えると「長生き!」になるのではないだろうか。
実際にも、100歳を超えた故人に合うことはあまり多くない。
葬式というものは普段は顔を合わさない遠い親戚や、疎遠になっていた友人・知人と再会する社交場としての役割もある。
そして、多くの人達が故人の死を忘れて久し振りに会う人との交流に没頭したりするのである。そんな光景は、故人にとっても不快なものでもないと思うし、私的には悪くないことだと思っている。
葬式だからと言って意識して辛気臭くしているよりも、自然体で人と関わり、時には笑顔を浮かべたり笑い声を上げたって一向に構わないと思う。
100歳を越えた老婆が死んだ。
その家に訪問したときは、大勢の人達が集まって酒盛りをしていた。
「100年以上の生涯をまっとうしたのだから立派なもの」「めでたい、めでたい」と。
老年の息子や娘達に中年の孫達、そして年頃の曾孫に幼年の玄孫までいて、それはそれはとても賑やかな宴だった。
一人の人間が死んだのに、そこには悲くて淋しい雰囲気はなかった。
外では、よそ者の私に対して犬が吠え続けていた。
生前の故人が可愛がっていたらしい飼い犬だ。
遺族の中の男性(故人の孫)が、外の犬に向かって「うるせー!このヤロー!黙ってろ!」と怒鳴りちらしながら私には「スイマセンね、バカ犬がうるさくて」と。
私にとっては吠える犬よりも怒鳴る男性の方がうるさかった(笑)
そんな中で、「こういう別れ方があってもいいんだよな」と微笑ましく思いながら私は遺体処置作業を進めた。
酒や食べ物を手に持ったままの人が、故人に近づいては一声掛けたり触ったりして、再び宴に戻っていく。
子々孫々、色んな人が故人に近づいては、そんな別れを繰り返していた。
そんな状況だから、「そのうち自分にも声がかかるだろう」と心の準備をしていたら、やはり「アンタも一杯やって下さいよ」と声が掛かった。
心を許してもらえたような気がして、ちょっと嬉しかった。
「仕事中ですから」なんて言って断るのは野暮ってもの。
死体業はただの仕事ありながらも遺族にとってビジネスとは感じにくい性質を持つ。
死体業は、故人や遺族の極めてプライベートな所まで入り込まないといい仕事ができないし、そこに入れてもらえる嬉しさみたいなものがある。
社会からは嫌悪されても、他人である依頼者に心を許してもらえるような、信頼してもらえるような、そんな嬉しさである。
この宴は故人との別れの宴。
その場の雰囲気を乱さないことを心掛けて宴に混ざった。
誰かが、「庭の柿を食べよう」と言い出した。
生前の故人も柿が好物で、庭に立つ柿の木は、故人に長男が産まれた時の記念樹らしかった。
何人かの男性が外へ出て、たくさんの柿を採ってきた。
もちろん、私も一緒に食べた。その甘さは格別だった。
「柩に入れてあげたらどうですか」と言ったら皆が同意、一人一個づつの柿を柩に納めた。
遺体の回りは小さな柿の実でいっぱいになった。
そこに集まった老若男女すべてが、みんな故人の血を受け継いだ人達だった。
そこに、故人が生きた証と力があった。
外では、相変わらず犬が吠えていた。
そして、ますます酔いが回ってきたアノ男性が「うるせー!」と怒鳴っていた(笑)。
聞けば、その犬は、男性の亡き父親と名前が同じとのこと。
その男性の父親ということは故人の息子(長男)になる訳で・・・産まれた時に柿の木を記念樹にしたときの子供・・・。
先に逝った息子の名前を飼犬につけて可愛がっていた故人だったらしい。
私はもちろん酔いが回るほどは飲んでいなかったけど、賑やかに送ってもらっている故人の顔が笑っているように見えた。
長寿だろうが短命だろうが、誰にでも生きた証は残る。
犬が元気に吠える声、柿の甘さ、宴の活気から生きることのエネルギーを感じた。
「この故人は、かけがえのない多くの宝物を残したな」としみじみ思いながら、宴を静かに抜けた私であった。
トラックバック 2006/07/25 12:32:16投稿分より