まだまだ春は遠いところ、間もなく、マスク生活も二年になろうとしている。
そして、多分、今年も、一年を通してマスクは手放せないだろう。
「新薬と三回目のワクチン次第」と、ある専門家は言っているが、今回のオミクロン株は、その感染力の強さをみると、いよいよ他人事にはできない感じがしている。
もちろん、私は、これまでも決して“他人事”にはせず、できるかぎりの感染対策をしながら生活してきた。
しかし、もう、それだけでは防ぎきれないようなイヤな予感がしている。
特に、「老齢の両親が感染してしまったら・・・」と思うとスゴく心配になる。
そのせいでもないが、まったく気分が上向かない。
寝ても覚めても、常に、精神が緊張している感じ。
とりわけ、一日が始まる朝が深刻。
倦怠感、疲労感、嫌悪感、不安感、恐怖心・・・そういったネガティブな感情が容赦なく襲ってくる。
昼間になると、瞬間的に気分に薄日がさすこともあるが、それはほんの束の間。
ほとんどの時間、私の心は、どんより曇ったまま。
いつまでも、どこまでも、厚い曇に覆われている。
ただ、奴隷のように諦めてはいけないこともわかっている。
で、「焼け石に水」とわかりつつも、適度な運動をし、陽にもあたっている。
調子が悪くても、日課のウォーキング(一時間余、約6km)は何とか継続。
少し前までは、かなり気合が入っており、余程の暴風雨でないかぎり、傘をさしてでも長靴を履いてでもやっていた。
何故、そこまで意地になっていたかというと、やれるのにやらないでいると自分が怠け者のように思えてしまうし、また、自分が弱い人間であることはイヤというほどわかっているわけで、一度そこに落ちてしまうとズルズルと堕落してしまうことも恐かったから。
「怠け者になりたくない」「自分の弱さに負けなくない」という一心で、ウォーキングを自分に強制していたわけ。
その目的は、もちろん、心身の健康管理。
やったらやったなりに、その後には、それなりの爽快感・達成感・安心感は得られるのだが、これまで経験したことがない次元にまで精神に支障をきたしているこの頃、それが本当に心身の健康に寄与しているのかどうか疑問に感じるようになってきた。
「そこまで自分にプレッシャーをかけて、いいことあるだろうか・・・」
「ストレスになるくらいならやめた方がいいよな・・・」
精神が元気なら、そんな疑問を抱かなかったのだろうが、今は、それが重荷に感じられるくらい弱っているわけで、元も子もないような状態なのである。
結局、「日課」から外すことに。
時間があっても天気がよくても気か向かないときは、無理はしないことに。
それで、少しでも、自分を余計なプレッシャー・ストレスから解放して、気分を軽くすることを心掛けることにしている。
そんな私のウォーキング。
一月三日(月)の昼下がり、犬を連れた一人の老人(以降「男性」)と会った。
男性を会ったのは二~三年ぶり・・・いや、もっとかもしれない。
以前は、夫妻で犬の散歩をしており、ウォーキング中に顔を会わせることも多く、お互い、名乗り合うほどのことでもなかったが、その都度、しばしの立ち話をしていたような間柄。
で、男性も私の事を憶えてくれており、
「どうも!お久しぶりですね!」
と、声を掛けてくれた。
いつもは、奥さんと二人で歩いていた男性。
しかし、そのとき、男性は一人きり。
私は、何の気なしに そのことを訊ねた。
「奥さんは?」
「それがね・・・体調を崩してしまってね・・・」
「そうなんですか・・・」
「もう、外に散歩に出かけられるような状態じゃないんです・・・」
「・・・」
「おまけに、こっちの方もダメになってしまって・・・」
男性は、リードを持っていない方の手の人差し指を自分のこめかみに当てた。
それは、奥さんが認知症を患ってしまったことを示唆しており、更に、もう普通の社会生活を送れなくなってしまっていることを物語っていた。
「自分の方が先にダメになるとばかり思ってたんだけどね・・・」
「七十を越えるとダメだね・・・あちこちダメになっていくばかりで・・・」
「まったく・・・寂しいもんだね・・・」
男性は、諦め顔でそうつぶやき、悲しそうに足元の犬に視線を落とした。
私も、元気だった頃の奥さんを知っていたので、まったくの他人のようには思えず。
月日の移ろいを薄情にも感じつつ、それに抗えない現実に溜息をついた。
同時に、その様が、自分の老親と重なり、神妙な心持ちに。
生まれ、老い、死にゆくことは人間(生き物)の宿命であり、自然の摂理であることは充分わかっていながらも、この時の流れに、私は、逃れようがない寂しさと切なさを覚えたのだった。
出向いた現場は、街中に建つ小規模の賃貸マンション。
間取りは1K。
独身者用、おそらく投資用のマンション。
暮らしていたのは高齢の男性。
無職で持病もあり、生活保護費を受け取って生活。
そして、ある日のこと、そこで、ひっそりと死を迎えた。
時は、今と同じような寒冷の季節。
夏場と違って、遺体は腐敗溶解することなく乾燥収縮。
鼻を突くような異臭や目を覆いたくなるほどの害虫も発生せず。
床に敷かれた布団に横たわり、敷布団に薄いシミを残しながら、遺体は、ただ静かにミイラ化していった。
故人は、ここに十年余り居住。
生活保護を受けることになったのを機に、このマンションに越してきたよう。
ただ、長く暮らしていた割に、置いてある家財は少量。
家具らしい家具はなく、越してきた当時の段ボール箱をそのまま収納に利用。
TV台もテーブルも段ボール箱。
台所回りには、調理器具らしい調理器具はなく、小さなフライパンと小さな鍋、二~三の皿や椀があるくらい。
冷蔵庫の中も生鮮食品はほとんどなく、若干の調味料と飲料があるくらい。
こまめに自炊していたような雰囲気はなく、たまには、美味しいものを食べていたような雰囲気もなく。
とにかく、余計なことはせず、余計なモノは買わず、シンプルな生活を貫いていたようだった。
しかし、部屋には、その全体に漂う“味気ない生活”を払拭するモノがあった。
それは、台所の隅に並べられた焼酎の大ボトル。
それだけは、雰囲気を異にしていた。
どれだけの保護費を受け取っていたのか知る由もなかったが、質素な生活をしながらも酒だけは飲みたかったのだろう。
おそらく、のっぺりした日々の細やかな楽しみにしていたのだろう。
「せっかく生きてるんだから、ちょっとでも楽しみがあった方がいいよな・・・」
もともと、生活保護受給者が酒を飲んだりタバコを吸ったりギャンブルをしたりすることを快く思わない私だが、整然と並べられた焼酎ボトルには何ともホッとするものを感じた。
七十数年、故人がどんな人生を歩いてきたのか、私は知る由もなかった。
ただ、一人一人の人生には一人一人のドラマがあるように、故人の人生にもドラマがあったはず。
故人には娘がいた。
しかし、完全な絶縁状態。
相続を放棄したことはもちろん、遺骨の引き取りも拒否したそう。
もちろん、それは、相応の経緯と理由があってのことのはず。
何の証もなかったが、私には、その原因が故人側にあったことを想像する方が合理的に思われた。
ここに越してきて以降、最期の十年余りは、楽しく賑やかなものではなかったことは容易に想像できた。
家族とも別離し、自分を必要としてくれる人もおらず、人付き合いもせず、ただただ一人で、終わりがありながらも終わりが見えない日々をやり過ぎしてきたであろう故人。
毎年 毎年、クリスマスも、大晦日も、正月も、多分、一人で質素に過ごしてきたのだろう。
自分が納得しようがしまいが、その現実を受け入れるしかなかったのだろう。
孤独を意識するとツラいから、「一人の方が気楽」として、余計なことは考えないようにしていたかもしれない。
何とも寂しいことだが、そういった現実は意外に多く、社会の陰に、同じような境遇にある人がごまんといることを想像すると、自分自身を含めて「人間って、何でそうなんだろう・・・」と、苦々しい思いが湧いてきた。
コロナ禍によって、安易に人と会うことがはばかられるようになり、ときには、大勢集まることが犯罪視されるようにもなった。
これまで当り前のように行われてきた団体旅行や大人数での宴会も、ほとんど行われなくなったよう。
それらは、リモートや家にこもる時間に取って代わった。
それによって、今まで味わったことのないような孤独感に苛まれている人も多いだろう。
それは、画面の向こうにいる人達と接しても、画面の向こうにある賑やかな世界を覗いても、癒しきれるものではない。
気分を紛らわすには、映画やドラマ等の仮想世界や、ゲームや空想等の架空世界に自分をスリップさせるしかない。
もしくは、薬や酒の力を借りて、束の間でも現実から離れるしかなかったりする。
一体、この心細さは何だろう・・・
一体、この心の寂しさは何だろう・・・
一見、私は、孤独を愛する人間。
しかし、孤独に弱い人間。
孤独に強いフリをしてきたけど、実は、孤独に弱い。
このところ、それがヒシヒシと身に滲みている。
私の孤独感はコロナ禍から派生したものではないが、深刻な孤独感に苛まれている。
とりわけ、この頃は、老親との死別が頭を過ることが多くなっている。
先月、久しぶりに再会したことの余韻がそうさせているのだろうと思うけど、それもまた、私の心に影を落としている。
仕方がない・・・生まれ、老い、死にゆくことは人の宿命であり、自然の摂理なのだから。
ただ、寂しい・・・想像すると、寂しくて仕方がない・・・
「親孝行、したいときに親はなし」とはよく言ったもの。
こんないい歳になっても、心の準備も、受け入れる覚悟もできない。
「自然の摂理だ・・・仕方がない・・・」
どんなに悩んでも、どんなに悲しんでも、どんなに嘆いても、その言葉しかでてこないことに、人の無力さ、人の儚さ、人の切なさを今更ながらに思い知らされる。
同時に、「残された時間は少ない・・・」と、何かと疎遠になりがちだった両親だけでなく、自分が大切に想う人との時間を、これからは、もっと大切にしていこうと強く思っている。
それが、今まで、そのようにして生きてこなかった私を孤独から救い出してくれる手立てなのかもしれないから。
-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社