それにしても、速かった!
オミクロン株の拡大スピードは。
先月初頭、にわかに感染者が増え始めたかと思うと、すぐに倍々、いや、もっとはやいスピードで感染者は増えていった。
全体的にみると重症化する確率は従来株より低いらしいが、それは、自分が重症化しない根拠にはならないうえ、「軽症」に類されても、実際の症状はけっこうな重症ときく。
また、医療従事者の感染、幼稚園・保育園や学校の閉鎖、自宅待機者や自宅療養者の急増など、今までにない問題が勃発。
従来通りの動きができない人が増えすぎて、社会インフラが麻痺し始めている。
色々考えると、心配は尽きない。
ワクチンを二回接種していても、まったく油断できず。
はやいところ三回目のワクチンを打ちたいところだけど、私のような一般人に回ってくるのは春・・・いや、夏頃になるかもしれない。
となると、私の場合、オミクロンのピークは、下がりゆく抗体のまましのがなければならないわけだ。
マスク着用・こまめは消毒・三密回避は当然のこと。
外で飲食はしないし、買い物に行く回数も最低限で、手早く目的の品だけ買う。
仕事先で人と会うときも、できるだけ換気のいい状態のところで、できるだけ距離をあけ、味気ないけど、“密”になってしまう場合、余計な会話はしないよう心掛けている。
また、街で人とすれ違うときも、できるだけ端に寄って距離をあけるようにしている。
意味ないとは思うけど、距離が空けきれないときは息を止めることもある。
そういった具合に、私は、感染対策にかなり気をつかっている方だと思うのだが、日々のニュースでオミクロン株の威力を目の当たりにしていると、「今回は防ぎきれないかもな・・・」という諦めの気持ちも湧いてくる。
それでも、第六波だっていつかは収束する。
それが、春なのか夏なのか、はたまた秋になるのかわからないけど。
既に、“ステルス”による第七波もささやかれ始めているが、それがくるかどうかは別として、昨秋のように、再び一息つける時期がくるとありがたい。
特に、何がしたいわけでもないけど、そうなったら、この日常から脱出して、どこかに出かけたい。
ドライブに出かけるのもヨシ、温泉旅行とかで遠出するものヨシ、再び老親の顔を見行くのもヨシ。
とにかく、この曇天の生活圏から脱出して気分転換したい!
1月11日「誤算」の現場。
遺族が後始末から手を引いたものの、そのまま放置することは、大家にとって、自分で自分の首を絞めるようなもの。
結局、特殊清掃・消臭消毒は、大家の負担で実施することに。
間取りは1DK。
時季は真夏で、故人の肉体は猛スピードで腐敗溶解。
故人が倒れていたのは部屋の真ん中で、下半身は布団、上半身は床。
その人型は、腐敗物となってハッキリと残留。
布団は、タップリの脂が浸み込んだような状態でグッショリ!
床は、タップリのタールを流したような状態でベッタリ!
おまけに、頭皮ごとズレ落ちた頭髪がカツラのごとく残留。
光景もさることながら異臭濃度も凄まじく、フツーの人なら嘔吐してしまうようなレベル。
しかし、私にとっては、これも、ある種の“日常”。
部屋はどんでもないことになってはいたけど、慌てふためく程のことではなかった。
それよりも、私が閉口したのは、部屋の温度。
密閉された室内はサウナ状態で、一つ一つの汗腺から汗がフツフツと噴き出していることが感じられるくらい。
また、頭に巻いたタオルがジトッと濡れてくる感覚と、作業着の下、首筋から腹部に向かって汗が流れる感覚もあった。
ちなみに、私は、子供の頃から風呂に長く浸かるのが好き。
好みは、ぬるめの湯。
それに長く浸かっているのが好きなのだ。
一方、サウナは苦手。
昨今は、「ととのう」等と言われて、ちょっとしたブームのようになっているみたいだが、
あの不自然な高温に恐怖心を抱くのだ。
あと、それが本当に身体にいいのかどうか疑問もある。
スーパー銭湯で、よく、真っ赤な顔でサウナ室からでてきて、そのまま水風呂に飛び込んでいく人を見かけるけど、あれは、心臓や血管に悪くはないのだろうか。
もちろん、この“腐乱サウナ”は、それとは別物。
辛抱して入っていなければならないことに変わりはないのだが、そのニオイとビジュアルのインパクトは、あまりにも過激。
「ととのう」どころか、心も身体も、何もかも乱れまくる。
サウナに強い人でも、一秒たりと耐えられないだろう。
時は、外気でさえ尋常な温度ではない季節。
私は、大家からエアコンの使用許可をもらっていた。
換気扇とは違い、室内でエアコンを回しても、近隣へ迷惑はかからない。
しかし、肝心のリモコンが見当たらず。
それは、私にとっては、ある意味の死活問題。
私は、少し焦りながら、少し緊張しながら、キョロキョロと部屋のどこかにあるはずのリモコンを目で追った。
目当てのリモコンは、床に落ちていた・・・
残念ながら、腐敗液に溺れた状態で・・・
拾い上げてみると、液晶仮面はのっぺらぼう・・・
私は、かすかな希望を胸に冷房スイッチを押してみた・・・
が、「ピッ」という音もせず、エアコン本体もウンともスンとも言わず・・・
直接、本体を操作する方法もわからずじまい・・・
とは言え、未練がましく、動かないエアコンを見上げて途方に暮れていても仕方がない。
また、その後に、きれいな女性と会う約束があるわけでもない。
汗みどろになろうが、クサくなろうが、カッコなんて気にする必要はまったくないわけで、私は、頭を切り替えて、己の方位を特掃に向けなおした。
とにもかくにも、そんな所に、長時間、居続けるのは危険。
小刻みに外へでて休息し、水分を摂らないと、下手したらこっちも死んでしまう。
孤独死現場で死んでしまったらスゴ~く残念であるのはもちろん、他人様の部屋で事故っては申し訳ない気もするし、故人にも悪いような気がする。
しかも、一人きりの作業だから、「そんなリスクはない」とは言い切れず、用心には用心を重ねないといけない。
ただ、本来、人並外れて神経質(臆病)な性質の私なのだが、特掃に入ると、そんなことお構いなしに没頭してしまうクセがある。
そして、それを自戒しながらも、やり遂げた後の達成感や爽快感が大きいものだから、あちこちの現場で、麻薬(やったことないけど)のように繰り返してしまうのである。
故人が滲みだしたものをタップリ吸い込んでいる布団の重いこと重いこと。
手を当てた部分からは腐敗脂がジュワッ!滲み出てきて、その感触は、手袋が破れたのかと思うくらいリアル。
しかも、ヌルヌルと滑りやすく、また、身体に着けたくないものだから、うまく持ち上がらず。
また、室温のせいか何かが発酵しているせいか、かなりの熱を持っており、それが人の体温にも感じられて、猛烈に暑いのに背筋に悪寒が。
更には、無数のウジが潜んでおり、そいつらの逃亡も阻止しなければならず。
敷布団一枚を畳んで袋詰めするたけでも悪戦苦闘する始末だった。
床の掃除も同様。
腐敗脂は、ヌルヌル・ベトベトの状態で部屋の床面の半分近くまで拡散。
隅に置かれたタンスやTV台の下にも侵入。
汚染された面積もさることながら、上半身があった場所には、腐敗粘土が結構な厚みで堆積。
その上には、必死に(?)走る輩が・・・
「蜘蛛の子を散らす」とは、まさにこのこと。
安住の地(御布団=汚腐団)を失ったウジが四方八方に拡散逃亡。
一匹一匹のスピードは遅いものの、敵は、中年男一人で相手ができるほど少数にあらず。
私は、「外に逃げられなきゃいい」と考え、萎えそうになる根性から、やる気と根気を引きずり出して、腐敗物の除去作業に入った。
ただ、そんな凄惨な現場にも、過酷な作業にも救いはある。
それは、自分の裁量でやれること。
「あぁやれ、こうやれ」と指示してくる者もいなければ、文句を言ってくる者もいない。
自らの判断で、必要なだけ頑張り、必要なだけ休憩をとればいい。
焦る必要もないし、慌てる必要もない、落ち着いてやればいいだけのこと。
あと、まったくの独り善がりなのだけど、仮に、この作業を故人が見ていたとしたら、きっと感謝してくれるんじゃないかな・・・と思えること。
そこに、この仕事の“楽”がある。
誰しも経験があるだろう・・・
楽しいとき、楽なときは時間が過ぎるのがはやい。
日常的なのは、朝の起床時。
「ウソじゃないか!?」と思うくらい、時計が進むスピードは速い!
先日、両親と共に過ごした時間も、やたらと短く感じた。
逆に、楽しくないとき、苦しいときは時間が過ぎるのが遅く感じる。
昔、十代の頃、工場で単純作業のアルバイトをしていたときは、本当に時間が過ぎるのが遅く感じられた。
「もう30分は経っただろう・・・」と思って時計をみると、たった10分しか経ってなかったりしたもの。
あと、最近では、一日一日が過ぎるのが遅く感じる。
多分、今の精神状態が・・・この日々が苦しいからだと思う。
特殊清掃における時間感覚も特有のものがある。
この仕事においては熟練者を自負している私。
自分では効率のいい作業手順を組み立ててテキパキやっているつもりだけど、終わってみると感覚以上の時間が経過していることが多い。
決して楽しい仕事でもなければ楽な仕事でもないのだけど、時間が経つのがはやく感じる。
作業に没頭し夢中になっている証か・・・
良きにしろ悪きにしろ、特掃根性が沁みついてしまっているのだろう。
日常が平坦なのは、とにかく、ひたすらありがたいことなのだけど、その分、つまらない考えやくだらない想いが涌いてきて、それに苛まれやすい。
本当に愚かなことなのだけど、小さいことをグズグズと考える負のスパイラルに陥りやすい。
で、時間が過ぎるのが、やたらと遅く感じ、一日が長く感じられてしまう。
しかし、特殊清掃ってヤツは、心の余裕を奪い、私を、精神力を超えたところに導いてくれる。
人目には最悪に見える状況から、私を最善の状況に救い出してくれる。
言うまでもなく、“時”は、万民平等のスピードで流れている。
ただ、私という人間は、まったく身勝手な生き物。
その時々で、そのスピード感は異なる。
この先の人生、どのようなスピードで過ぎるのだろう・・・
はやく過ぎる感覚でありたいような、はやく過ぎてもらっては困るような・・・
どうあれ、「過ぎてみればアッと言う間だった」という人生でありたい。
そして、「悩んだことも、苦しかったことも、辛かったことも、悲しかったことも、たくさん たくさんあったけど、ま、それでも、おもしろかったかな」と思える人生でありたい。
そのためには、今、ただ楽を求めるのではなく、楽しく遊ぼうとするのではなく、一心不乱に何かに取り組むこと、何かに熱中することが大切なのではないかと思う。
理想を言えば、それは、仕事や生活から離れたところにある、趣味や娯楽なんだけど、今のところ、私は、その類の持ち合わせがない。
不本意ながらも、やはり、私の場合は、特殊清掃に励むのが手取り早い。
当然、一件一件は、おもしろくも何ともない。
だけど、人生としては、おもしろいかもしれないから。
-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社