特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

イテテ

2009-07-02 19:01:33 | Weblog
痛いことが好きな人は、あまりいないだろう。
整体やマッサージ等、快感と紙一重の痛みもあるけど、やはり、痛いのってイヤなもの。
病気でもケガでも、痛みが伴うものは、できるだけ避けて生きたいものだ。

顕著な例は、歯科医院。
他院との競争が激しい歯科業界では、患者を集めるにために必要な第一条件は、〝痛くない治療〟らしい。
歯医者の何が怖いかと言えば、やはり、アノ何とも言えない痛み。
これが怖いが故に、なかなか歯科にかかれないわけだから。

私なんかはモロにそうで、歯痛をもってしないと治療痛に耐えられないタイプ。
避けようと思えば避けられるのに、ダブルで痛みを食らってしまうのだ。
・・・まったくの愚考・愚行。
でも、そんな人、多くない?

そんな嫌われ者の〝痛み〟でも、自分の身を守るためには必要なのだという。
確かに、痛みを感じなければ、自分の身体に迫る危機に気づかない。
結果、何の対策もせずに、病気を悪化させたり、大ケガを負ったりするハメになる。
更には、それで命を落としてしまうことがあるかもしれない。
それを考えると、痛みの感覚は大切なものだということが分かってくる。

ただ、生きている人はそうでも、死んだ人は違う・・・〝多分〟。
「死人に口なし」と言われるように、殴られても蹴られても、遺体は、「痛い」も「痒い」も言わない。
(もちろん、遺体を殴ったり蹴ったりすることはないけど。)
〝多分〟、亡くなった人の身体・・・つまり、遺体は、痛みを感じないのだろう・・・
ここで、〝多分〟と言わざるを得ないのは、やはり、自分が死体になったことがないから。
〝99.999・・・%、遺体に痛み感覚はない〟と思っていても、100%の断言はできない。
そこのところを考えると、以下のエピソードに複雑な思いがする。


私が死体業を始めて間もない頃のことだから、もう、十数年も前のこと・・・

故人は、年配の男性。
死後処置・死化粧・死装束も整えられ、あとは柩に納められるのを待つばかり。
長寿をまっとうしたせいか、死を喜んで受け入れたような安らかな表情で横になっていた。

そんな中、遺族の一人が、
「爪が、随分、のびちゃってるね・・・」
と一言。
見ると、確かに、故人の爪はちょっと伸び気味。
遺族の一言が、〝できることなら、きれいに切ってほしい〟との意味に聞こえた私は、おもむろに爪切りを開始した。

人の爪を切るのって、なかなか難しい。
自分の爪を切るのとは要領が違って、力加減がわからない。
私は、緊張していた訳ではないし、逆に気が緩んでいた訳でもないのだが、気づいたら一本の指を深爪に・・・
指先に切り傷をつくってしまい、出血させてしまった。

私が焦りまくったのは、言うまでもない。
頭が真っ白になり、慌てふためいて平謝り。
人をキズつけた場合、キズつけた相手に謝るのが常道だが、当の本人は亡くなっていてウンともスンとも言わず。
だから、代わりに遺族に向かって平身低頭、謝罪した。

悲しみの面前でそんな粗相を見せられては、遺族もたまったものではない。
しかし、傷が小さかったせいか、出血量が少なかったせいか、それとも失態に縮みあがる私が不憫に思えたのか、遺族は文句の一つも言わずに赦してくれた。

遺体に治療は無用。
腐ることはあっても、治ることはないから。
そうは言っても、故人の指をそのままにしておく訳にはいかず。
私は、治るはずもない指にバンドエイドを貼って場をしのいだのだった。


故人は、年配の女性。
もともとの小柄に痩身が加わって、子供のように小さな身体。
最期は穏やかに迎えたのか、いい夢でもみているかのように、その表情は安らかなものだった。

ほとんどの遺体は、亡くなってから両手を組まれる。
心情的には〝合掌の代わり〟ということらしいが、実務的にもその方が都合がいい。
ブラブラと両腕が遊んだ状態では、何かと作業の邪魔になるから。
だから、近年では、太った故人や硬直の甘い故人・・・つまり、手を組ませづらい遺体専用の固定バンドなんて便利なものもある。
ちなみに、病院によっては、包帯や浴衣の帯紐を、痛々しいほどグルグル巻きにしているところもあるが・・・

しかし、着衣を着せ替える際には、組み合わされた手は解かなければならない。
そうでないと、服の袖に腕を通せないからだ。
この、手を解く作業や腕(肘間接)の硬直をとる作業は、そんなに難しくないのだが、たまに至難の場合がある。
重度の硬直がある場合や、ドライアイスで凍っている場合だ。
この場合は、一手間も二手間もかかり、往生することも間々ある。

この時の故人が、まさにその状態。
組まれた両手は、死後硬直を通り越し、ドライアイスで凍結。
結果、私は、冷たくて固い手と格闘することになった。

私は、少しずつ凍結を溶かしながら、少しずつ指を動かしながら、黙々と作業。
しばらくの時間を要することがわかっていたため、遺族は拘束せず。
故人を一人にするのに気が咎めたのか、それとも、私の作業に興味があったのか、それでも、2~3人の遺族が私と故人の傍に残って、私の作業を眺めていた。

そんな最中・・・
あと少しで、両手が分離しそうになった時、結果を急いた私は、思わず力んでしまい・・・
すると・・・〝ポキッ!〟と冷たい音・・・
そう、それは、故人の指の骨が折れた音だった。

私が焦りまくったのは、言うまでもない。
頭が真っ白になり、慌てふためいて平謝り。
人をキズつけた場合、キズつけた相手に謝るのが常道だが、当の本人は亡くなっていてウンともスンとも言わず。
だから、代わりに遺族に向かって平身低頭、謝罪した。

凍り付いていたのがわかっていたためか、老人の骨が弱いことの認識があったためか、それとも失態に縮みあがる私が不憫に思えたのか、遺族は文句の一つも言わずに赦してくれた。

遺体に治療は無用。
腐ることはあっても、治ることはないから。
そうは言っても、故人の指をそのままにしておく訳にはいかず。
私は、治るはずもない指に包帯を巻いて場をしのいだのだった。


この二件は、遺族に怒られても・クレームをつけられても仕方がない失態。
しかし、遺族は、何も言わずに見逃してくれた訳で・・・
その心痛を思い起こすと、申し訳なく思う気持ちが甦ってくる。
ただ、今の私が私でいられるのも、痛みを治療してきたから。
人に痛い思いをさせながら、自分も痛い目に遭いながら、何かを変えてきたから。
思い返すと、無駄な痛みは一つもなかった。


痛みは、身体だけのものではない。
身体に感じる痛みとはまったく異なるけど、心にも痛みを感じることがある。
不安・心配事・寂しさ・悲しみ・罪悪感・同情etc・・・
色んなことに起因する痛みがある。

では、人は何故、心に痛みを覚えるのだろうか。
心の痛みを抱えるのだろうか。
心の痛みなんか、ない方がよくないだろうか。
しかし、痛みはなくならない・・・

悲しいかな、人間は、生きているうちに、汚れ・傷み・悪くなる性質を持つ。
そんな心は、いわば、病気にかかった・ケガを負ったような不健康な状態・・・
そんな不健康な人生に問題があるとわかっていても、それでも、そこから抜け出せない。
健康的に生きることに人生の価値があるとわかっていても、それがなかなかできない。

身体の痛みがその身を正すのと同じように、心の痛みもその心を正すのかも・・・
心の痛みは、心を正しい状態に置くために必要なものなのかも・・・
ツラいことではあっても、心に痛みを感じることは、人間にとって必要なことであり、大切なことなのかもしれない。


「イテテ・・・」
そんな時でも、暗くなることはない。落ち込むことはない。
心に・身体に痛みを覚えたら、それはきっと、心のどこか・身体のどこかが良くなっていくためのチャンスが与えられたのだろうから。






公開コメントはこちら


特殊清掃プロセンター
遺品処理・回収・処理・整理、遺体処置等通常の清掃業者では対応出来ない
特殊な清掃業務をメインに活動しております。

◇お問い合わせ先◇
0120-74-4949(24時間応対いたします)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 魂の休息 | トップ | 死体慕い »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事