季節は冬になり、世の中は師走を迎えている。
クリスマスや正月をひかえ、街は虚勢を張るかのように賑わっている。
やはり、世の中は明るい話題に乏しい。
経済の低迷、国力の低下、政治の混迷・・・それらから派生する数々に問題・・・
冬に寒さにも引けをとらない時代の冷たい空気が、人々の不安や不満を駆り立てている。
個人的にも同様。
相変わらず、現場には率先してでているものの、気分が浮かない。
ま、これは今始まったことではないわけで、もはや、思考法や精神力ではどうしようもない。
更に、今年は持病の喘息まで再発してしまい、困った状態である。
以前に書いたことがあるかどうか忘れたけど、私は“喘息もち”。
最初に喘息の発作に見舞われたのは、20代半ばの秋。
この仕事に就いて一年くらいの頃で、仕事上でかなりのプレッシャーを抱えていた頃のことである。
当時・・・ある日の晩、急に咳が続いたかと思ったら、呼吸が急激に苦しくなった。
それは一日だけでは終わらず、以降、毎晩続くように。
あまりの苦しさに気持ちはイラつき、身体は置き所をなくした。
外の空気を吸えば楽になるかと思い、夜の外を徘徊したこともあった。
そんな状態では夜もろくに眠れず、さすがに耐えられなくなった私は病院へ。
血液検査の結果、アレルギー対象物質はみつからず。
自分では、原因は仕事上のストレスだと思った。
何はともあれ、診断は「喘息」。
薬を処方してもらい、発作は薬で抑えることができるようになった。
以降、数年は、気管拡張剤を携帯する日々が続いた。
今にしてみれば懐かしいかぎりだが、作業中に発作が起こり、薬を吸いながら作業を続けたことも何度となくあった。
ただ、ここ何年も大きな発作に襲われたことはなく、自分が“喘息もち”であることさえ忘れていたくらい。
それが、今年の秋になって再発した次第なのである。
日常的ではないものの、普通に過ごしていてもたまに息苦しくなる。
更に、酒を飲むと、それが顕著にあらわれる。
20代の頃ほどの重症ではないものの、そんな具合だからあまり酒が飲めなくなってしまった。
先日行われた会社の忘年会でも酒は一滴も飲まなかった。
そんな具合だから、飲みの誘いも極力断っている。
酒って、我慢するものツラいけど、具合が悪くて飲めないのもまたツラい。
ま、健康のことを考えれば、その方がいいのかもしれない。
現場は古いアパートの二階。
間取りは1DK。
亡くなったのは初老の男性。
死後数日。
寒冷の季節、遺体の腐敗はさほど進行していなかった様子。
部屋には生ゴミ臭にも似た低異臭があったものの、遺体汚染痕と思われるような目立った汚れは見当たらなかった。
依頼者は、同じ敷地内の一軒家に住む大家。
「貴重品は警察から遺族に渡されたようです」
「たいしたものは残ってないでしょうが、遺族に渡したほうがよさそうなものがあったら私に預けて下さい」
とのこと。
故人には娘がいたが、何分にも遠方で、部屋の片付けは大家が一任されているようだった。
現場の規模は大勢でやるほどのものではなし。
家具も家電も一人で運べるような小型のものばかり。
その量もそれほど多くはなし。
時間に余裕のあった私は、この仕事は一人きりでやることにして、準備にとりかかった。
腐乱死体現場や自殺現場の処理は特にだが、作業を一人でやることに依頼者の多くが驚く。
死や死体を忌み嫌うことに由来する何かしらの固定観念があるのだろう。
ただ、私は、一人でやれることは一人でやる主義。
肉体的には大変だけど、精神的に重い分、精神の土台が安定するからである。
そしてまた、賃金が懐にたまり、自分という人間の核力が心にたまるからである。
特別汚損のないこの現場には、特殊清掃は必要なし。
必要な作業は、部屋に残置されている家財生活用品の荷造りをし、それを運び出し、一般的な清掃と簡易消毒消臭をするのみ。
私は、軽易な作業を軽易じゃない気持ちで黙々と進めた。
「?」
押入れの中に風呂敷に包まれた四角形。
持ち上げてみると、結構な重量感だった。
「?何だろう・・・」
風呂敷を解いてみると、中には漆黒の箱。
更に箱の蓋を開けてみると、中には分厚い本のようなものが入っていた。
「家系図?」
表紙には「○○家 家系図」の文字。
どうも、故人の家の家系図のようだった。
「どうしよ・・・」
貴重品として返すか、ゴミとして処分するかどうか迷った。
しばし考えた結果、遺族に渡すことにした私は、箱の蓋を閉め、元通り風呂敷に包んだ。
その後、その家系図は大家を通して遺族の手に渡された。
それを受け取った故人の娘は、中を見ただろう。
そして、自分のルーツを目の当たりにして、何か感じるものがあったかもしれない。
少なくとも、“親切の押し売り”にはならなかっただろうと勝手に思っている。
家系・・・
私については、もう父方と祖父母も母方の祖父母も亡くなっている。
叔父や叔母にも既に亡くなっている人は多い。
平均寿命にはまだ間があるものの、両親も高齢になっており、死去していなくなるのもそんなに遠い未来のことではなさそう。
亡くなった人にもかつては“今”があり、老齢の両親にも“今”があり“今”があった。
その時々に苦悩や泣き笑いがあったはず。
それもみんな過去・・・夢幻と化した。
そういう私も立派な?中年オヤジ。
何となく生きていたら、いつの間にかこの歳になっている。
何歳まで生きることになるのかわからないけど、生きてきた月日と残された月日を比べると後者の方が短いはず。
もう、“今”を思慮なく浪費していい歳ではない。
気持ちが晴れない。
気分が浮かない。
私の頭からは、憂鬱が抜けることはない。
楽しく遊んでいても、楽しく酒を飲んでいても、ゆっくり風呂に入っていても、眠っていても、「必ず」と言っていいほど頭のどこかに憂鬱がある。
でもまぁ、それも「自分」。
元気に、明るく、前向きに、楽観的に生きられなくても、それが自分。
弱く、暗く、後ろ向きに、悲観的にしか生きられなくても、それが自分。
変りたいけど変れないのも現実の自分。
そんな人生や自分自身に価値を見出せない自分でも、誰かの役に立っていること、何かの役に立っていることがあるかもしれない。
自分の中で消化できない劣等感が、社会の中で消化されることもあるかもしれない。
自分の中で消化できない後悔が、歴史の中で消化されることがあるかもしれない。
ダメな自分と戦うことには意味がある。
ダメな自分を受け入れることも同じ。
そしてまた、ダメな自分と戦えなくて悩むこと、ダメな自分を受け入れられなくて苦しむことにも大きな意味がある。
どんな苦悩や艱難にも意味があり、“今”は、次々と過去になる。
人生の意味は、一人の人生だけで完結するものではなく、ある意味で、一人の人生を超えて、社会的に・歴史的に完結するものなのではないかと思う。
社会の中で自分自身をどう生かすか・・・
歴史の中で今をどう生きるか・・・
“今”という瞬間において自分が正しいと思うほうを選択し、“今”という瞬間において自分が正しいと思う行いをすること・・・
社会的な大正義を志すことも大切だけど、同じように、個人的な小正義を持つことも大切・・・
つまり、自分にとって本当に大切なものを大切にすること・・・
・・・「今を大切に生きる」って、そんなことじゃないかと思っている今の私である。
付録
「自分にとって大切なものは何?」という質問に対して「家族」と答える人は多いと思う。
しかし、実際のところ、本当に大切にしているだろうか。
家族を大切にしていることを、日々、実感できているだろうか。
また、家族は大切にされていることを、日々、実感しているだろうか。
自分が漠然と大切に思っているだけで、日常生活で表現していないことが多くないだろうか。
よい息子・娘、よい夫・妻、よい父・母であろうと意識・努力しているか・・・
それどころか、愚痴をこぼし不平不満をぶつけ、挙句の果てには外で抱えてきたストレスを家族に向かって発散していやしないか・・・
愛想よくするどころか、その顔は仏頂面で凝り固まっていないか・・・
家族同士、気持ちのいい挨拶を交わすこと、相手の労苦をねぎらうこと、相手の立場になって話を聞くこと、素直に謝ること、感謝の気持ちを言葉にすることetc・・・
たったそれだけのことでも、“今”は随分と充実するのではないかと思う。
善は急げ・・・・・「明日があるさ」との油断・慢心してはいけない。
“個人的な小正義”を表すべきは、刻一刻と過ぎている“今”なのである。
公開コメント版
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クリスマスや正月をひかえ、街は虚勢を張るかのように賑わっている。
やはり、世の中は明るい話題に乏しい。
経済の低迷、国力の低下、政治の混迷・・・それらから派生する数々に問題・・・
冬に寒さにも引けをとらない時代の冷たい空気が、人々の不安や不満を駆り立てている。
個人的にも同様。
相変わらず、現場には率先してでているものの、気分が浮かない。
ま、これは今始まったことではないわけで、もはや、思考法や精神力ではどうしようもない。
更に、今年は持病の喘息まで再発してしまい、困った状態である。
以前に書いたことがあるかどうか忘れたけど、私は“喘息もち”。
最初に喘息の発作に見舞われたのは、20代半ばの秋。
この仕事に就いて一年くらいの頃で、仕事上でかなりのプレッシャーを抱えていた頃のことである。
当時・・・ある日の晩、急に咳が続いたかと思ったら、呼吸が急激に苦しくなった。
それは一日だけでは終わらず、以降、毎晩続くように。
あまりの苦しさに気持ちはイラつき、身体は置き所をなくした。
外の空気を吸えば楽になるかと思い、夜の外を徘徊したこともあった。
そんな状態では夜もろくに眠れず、さすがに耐えられなくなった私は病院へ。
血液検査の結果、アレルギー対象物質はみつからず。
自分では、原因は仕事上のストレスだと思った。
何はともあれ、診断は「喘息」。
薬を処方してもらい、発作は薬で抑えることができるようになった。
以降、数年は、気管拡張剤を携帯する日々が続いた。
今にしてみれば懐かしいかぎりだが、作業中に発作が起こり、薬を吸いながら作業を続けたことも何度となくあった。
ただ、ここ何年も大きな発作に襲われたことはなく、自分が“喘息もち”であることさえ忘れていたくらい。
それが、今年の秋になって再発した次第なのである。
日常的ではないものの、普通に過ごしていてもたまに息苦しくなる。
更に、酒を飲むと、それが顕著にあらわれる。
20代の頃ほどの重症ではないものの、そんな具合だからあまり酒が飲めなくなってしまった。
先日行われた会社の忘年会でも酒は一滴も飲まなかった。
そんな具合だから、飲みの誘いも極力断っている。
酒って、我慢するものツラいけど、具合が悪くて飲めないのもまたツラい。
ま、健康のことを考えれば、その方がいいのかもしれない。
現場は古いアパートの二階。
間取りは1DK。
亡くなったのは初老の男性。
死後数日。
寒冷の季節、遺体の腐敗はさほど進行していなかった様子。
部屋には生ゴミ臭にも似た低異臭があったものの、遺体汚染痕と思われるような目立った汚れは見当たらなかった。
依頼者は、同じ敷地内の一軒家に住む大家。
「貴重品は警察から遺族に渡されたようです」
「たいしたものは残ってないでしょうが、遺族に渡したほうがよさそうなものがあったら私に預けて下さい」
とのこと。
故人には娘がいたが、何分にも遠方で、部屋の片付けは大家が一任されているようだった。
現場の規模は大勢でやるほどのものではなし。
家具も家電も一人で運べるような小型のものばかり。
その量もそれほど多くはなし。
時間に余裕のあった私は、この仕事は一人きりでやることにして、準備にとりかかった。
腐乱死体現場や自殺現場の処理は特にだが、作業を一人でやることに依頼者の多くが驚く。
死や死体を忌み嫌うことに由来する何かしらの固定観念があるのだろう。
ただ、私は、一人でやれることは一人でやる主義。
肉体的には大変だけど、精神的に重い分、精神の土台が安定するからである。
そしてまた、賃金が懐にたまり、自分という人間の核力が心にたまるからである。
特別汚損のないこの現場には、特殊清掃は必要なし。
必要な作業は、部屋に残置されている家財生活用品の荷造りをし、それを運び出し、一般的な清掃と簡易消毒消臭をするのみ。
私は、軽易な作業を軽易じゃない気持ちで黙々と進めた。
「?」
押入れの中に風呂敷に包まれた四角形。
持ち上げてみると、結構な重量感だった。
「?何だろう・・・」
風呂敷を解いてみると、中には漆黒の箱。
更に箱の蓋を開けてみると、中には分厚い本のようなものが入っていた。
「家系図?」
表紙には「○○家 家系図」の文字。
どうも、故人の家の家系図のようだった。
「どうしよ・・・」
貴重品として返すか、ゴミとして処分するかどうか迷った。
しばし考えた結果、遺族に渡すことにした私は、箱の蓋を閉め、元通り風呂敷に包んだ。
その後、その家系図は大家を通して遺族の手に渡された。
それを受け取った故人の娘は、中を見ただろう。
そして、自分のルーツを目の当たりにして、何か感じるものがあったかもしれない。
少なくとも、“親切の押し売り”にはならなかっただろうと勝手に思っている。
家系・・・
私については、もう父方と祖父母も母方の祖父母も亡くなっている。
叔父や叔母にも既に亡くなっている人は多い。
平均寿命にはまだ間があるものの、両親も高齢になっており、死去していなくなるのもそんなに遠い未来のことではなさそう。
亡くなった人にもかつては“今”があり、老齢の両親にも“今”があり“今”があった。
その時々に苦悩や泣き笑いがあったはず。
それもみんな過去・・・夢幻と化した。
そういう私も立派な?中年オヤジ。
何となく生きていたら、いつの間にかこの歳になっている。
何歳まで生きることになるのかわからないけど、生きてきた月日と残された月日を比べると後者の方が短いはず。
もう、“今”を思慮なく浪費していい歳ではない。
気持ちが晴れない。
気分が浮かない。
私の頭からは、憂鬱が抜けることはない。
楽しく遊んでいても、楽しく酒を飲んでいても、ゆっくり風呂に入っていても、眠っていても、「必ず」と言っていいほど頭のどこかに憂鬱がある。
でもまぁ、それも「自分」。
元気に、明るく、前向きに、楽観的に生きられなくても、それが自分。
弱く、暗く、後ろ向きに、悲観的にしか生きられなくても、それが自分。
変りたいけど変れないのも現実の自分。
そんな人生や自分自身に価値を見出せない自分でも、誰かの役に立っていること、何かの役に立っていることがあるかもしれない。
自分の中で消化できない劣等感が、社会の中で消化されることもあるかもしれない。
自分の中で消化できない後悔が、歴史の中で消化されることがあるかもしれない。
ダメな自分と戦うことには意味がある。
ダメな自分を受け入れることも同じ。
そしてまた、ダメな自分と戦えなくて悩むこと、ダメな自分を受け入れられなくて苦しむことにも大きな意味がある。
どんな苦悩や艱難にも意味があり、“今”は、次々と過去になる。
人生の意味は、一人の人生だけで完結するものではなく、ある意味で、一人の人生を超えて、社会的に・歴史的に完結するものなのではないかと思う。
社会の中で自分自身をどう生かすか・・・
歴史の中で今をどう生きるか・・・
“今”という瞬間において自分が正しいと思うほうを選択し、“今”という瞬間において自分が正しいと思う行いをすること・・・
社会的な大正義を志すことも大切だけど、同じように、個人的な小正義を持つことも大切・・・
つまり、自分にとって本当に大切なものを大切にすること・・・
・・・「今を大切に生きる」って、そんなことじゃないかと思っている今の私である。
付録
「自分にとって大切なものは何?」という質問に対して「家族」と答える人は多いと思う。
しかし、実際のところ、本当に大切にしているだろうか。
家族を大切にしていることを、日々、実感できているだろうか。
また、家族は大切にされていることを、日々、実感しているだろうか。
自分が漠然と大切に思っているだけで、日常生活で表現していないことが多くないだろうか。
よい息子・娘、よい夫・妻、よい父・母であろうと意識・努力しているか・・・
それどころか、愚痴をこぼし不平不満をぶつけ、挙句の果てには外で抱えてきたストレスを家族に向かって発散していやしないか・・・
愛想よくするどころか、その顔は仏頂面で凝り固まっていないか・・・
家族同士、気持ちのいい挨拶を交わすこと、相手の労苦をねぎらうこと、相手の立場になって話を聞くこと、素直に謝ること、感謝の気持ちを言葉にすることetc・・・
たったそれだけのことでも、“今”は随分と充実するのではないかと思う。
善は急げ・・・・・「明日があるさ」との油断・慢心してはいけない。
“個人的な小正義”を表すべきは、刻一刻と過ぎている“今”なのである。
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