「いや~・・・まいった!夜も眠れなくてね・・・」
時は真夏の昼下がり、場所はマンションの共用通路。
私の傍に立つ男性は、深い溜息とともに葉巻タバコの煙を吐き出した。
現場は街中に建つマンション。
ほとんどの間取りが1Rまたは1DK、ありがちな“投資用マンション”。
部屋ごとにオーナーがおり、住人のほとんどが独居の賃借人だった。
その一室で、住人が孤独死。
暑い季節も手伝って、遺体はヒドく腐敗。
ベランダから玄関から、隙間という隙間から異臭は漏洩し、どこからどう出たのか ウジやハエまで室外に進出しているような始末だった。
「まいった!眠れない!」と私にボヤいたのは、その部屋の隣に暮らす男性。
年齢は七十手前といったところ。
ただ、醸し出す雰囲気は もっと若く、その辺にいるようなフツーの爺さんとは趣が異なっていた。
年齢を感じさせないくらいの鋭い眼光で、ドスのきいた低い声に荒い言葉づかい、常に葉巻タバコを吹かしている。
悪い言い方になるけど、“ヤクザっぽい”というか、“チンピラの風体”というか・・・
“そんなのどこで売ってんの?”と首を傾げるくらいド派手な半袖シャツの袖口から覗く くすんだ色の刺青が、私の斜め見が浅はかな偏見ではないことを証していた。
男性と故人は、隣人同士でも付き合いはなく、たまたま顔を合せたときに一言挨拶を交わす程度。
だから、お互い、身の上も知らず、情といった情もないよう。
それでも男性は、「可哀想になぁ・・・こんなことになっちゃって・・・」と、本来なら文句の一つ吐いてもおかしくないところで優しい気遣いをみせた。
亡くなったのは40代の男性。
独り暮らしで仕事はフリーランス。
結果的に、それが発見を遅らせ、肉体をヒドく腐らせてしまった。
出来事をきいて、遠く離れた実家から老親二人も駆けつけてきた。
ただ、警察からは「遺体は見ないほうがいい」「部屋は入らないほうがいい」と忠告を受けた。
それでも両親は甘く考えたのか、遺品チェックのため部屋に入ることを試みた。
腐乱死体現場って、一般の人には馴染みがないもの。
遺体が腐敗するとどうなるのか、部屋はどんな汚れ方をするのか、どんなニオイが出るのか、想像できないのも無理はない。
とにかく、その辺の生ゴミを腐らせるのとは訳が違う・・・違いすぎる。
玄関前は片側オープンの共用通路なのに、そこにはそれまで経験したことがない 腹をえぐるような異臭が滞留。
しかも、ドア下からはウジまで這い出ている。
そのインパクトは衝撃的で、結局、ドアを開けるのが恐ろしくなり、そのままの状態で鍵は私へ引き継がれた。
近隣住人からの苦情は、管理会社にガンガン寄せられていた。
しかし、それは仕方がないこと・・・
どこからどう見ても、「文句を言うな」という方が無理な状況だった。
故人宅は角部屋で、男性宅の反対側に隣室はない。
で、マンションの中で最も被害が大きいのが、すぐ隣の男性宅。
玄関だけじゃなくベランダ側からも悪臭とウジ・ハエが発生し、男性宅にまで及んでいた。
しかし、男性は、至って冷静。
他の住民が騒ぐ中、言葉は控えめ。
口から出るのは、「非難・苦情」というより、「独り言・愚痴」といった方がシックリくるくらいだった。
「しかし、“ウジ”ってのは気持ち悪いヤツだなぁ!」
「部屋ン中には、あんなのがウジャウジャいるんだろ?」
子供のように興味ありげにしつつも、気持ち悪そうに顔をしかめた。
「そんな中で仕事して、身体は大丈夫か?」
「精神ブッ壊れないか?」
ある意味で、とっくにブッ壊れてる私の心身を気にかけてくれた。
「アンタ、若い頃、相当悪かっただろ?・・・今は真面目にやってるんだろうけど」
「俺も悪かったから、わかるんだよ・・・人に言えないような事情があるんだろ?」
昔を思い出したのか、タバコをゆっくり吹かしながら感慨深そうな笑みを浮かべた。
「俺だって、お隣さん(故人)と似たような境遇さ・・・」
「いつか、アンタの世話になるかもしれないじゃない?」
手すりの向こうに落とす灰を見下ろしながら、ちょっと寂しげにそうつぶやいた。
「誰だっていつかは死ぬんだから、あんまり大騒ぎするもんじゃないよな」
「ただ、さすがに、このニオイにはまいるけどな・・・」
タバコの火が消え、葉巻特有の甘香煙と入れ換わった悪臭に、閉口気味に苦笑いした。
「え!?一人でやんの!? 肝が据わってんなぁ!」
「アンタが神様みたいに見えるよ!」
バカの使い方に慣れているのか、大袈裟な言い方をして私をおだててくれた。
「一服やってくか? え?吸わないの?」
「じゃぁ、景気づけに一杯ひっかけてくか? 嫌いじゃないだろ? 冷えたのがあるぞ?」
タバコを差し出したものの、私が吸わないことがわかると、“クイッ”と一杯飲む素振りをみせながらビールをすすめてきた。
「そうか・・・車で来てんのか・・・俺なら、一杯くらい飲んじゃうけどな・・・」
「じゃ、これ飲んで行きな!精がつくから!」
車どうこうの問題でもないのだが、ビールを断った私に冷えたエナジードリンクを持ってきてくれた。
「じゃぁさ、どうせ誰も見てないんだから、服脱いで裸でやれば!?」
「そんで、うちでシャワー浴びて、服着て帰りゃいいじゃん!」
作業後は、私が凄まじい“ウ○コ男”になって出てくることを説明すると、意外な応えが返ってきた。
親切な人とは今まで何人も関わってきたけど、“裸特掃”なんていう珍アイデアをくれたのは、この男性が初めて。
しかし、無数のウジが這いまわり、無数のハエが飛び回り、高濃度の悪臭が充満し、大量の腐敗汚物が広がるサウナ部屋で、裸で作業するなんて、もう、達人なのか変態なのかわからなくなる(“超人”には違いない)。
その前に、その姿は、私の理性が受け入れないし、その羞恥心には耐えられない。
いくら「誰も見てない」ったってね・・・
目に見えないだけで、近くに見てる人がいるかもしれないし・・・
とか言いながら、一回やったらクセになったりして・・・
それにしても、マスク・手袋・靴だけ身に着けて、あとは素っ裸なんて・・・
しかも、その場所が場所なわけで・・・特掃隊長の秘密兵器、自慢の“巨砲”(?)も何の役にも“立たず”、ヘチマのように ただブラ下ってるだけ。
実際にやるわけないけど、想像すると、かなり笑える!・・・故人でさえ笑うかも。
世間の鼻つまみ者、“ウ○コ男”を自宅に入れてくれるだけでも相当に奇特なのに、風呂にまで入れてくれようとするなんて、もう、フツーじゃない。
私が逆の立場だったら、絶対にそんなことはしないし、それどころか近寄りもしない。
その善意と心遣いは、乱暴にもみえる人柄の対面で際立ち、目が潤むくらい気持ちを熱くさせるものだった。
男性は、型やぶりな性格で、破天荒な生き方をしてきたのだろう。
ただ、その見た目や物腰に似合わず、物事を冷静に見極める力をもっているように思えた。
過去の苦い経験が、そういう能力を身につけさせ、慈愛の人柄をつくっていったのかもしれなかった。
ドアを開けてみるまでもなく、想像されるのはヘヴィー級・・・無差別級の現場。
その状況に怖気づくほど青くはなかったけど、あまりの状況に一時停止。
仕事とはいえ、これからそこへ身を投じなければならない災難と“裸案”のミスマッチがコントのようにおかしくて、クスリと笑いがこぼれた。
泣こうわめこうが、その場から逃れる術はない。
私は、男性がくれたエナジードリンクを一気飲みし、いつものように額にタオルを巻き、手袋と専用マスクを装着。
そして、鍵を挿入、ドアを最小限開け、不穏な空気が充満する室内に身体を滑り込ませた。
中は凄まじい熱気、そして、超芳醇・・・・・もとい・・・超濃厚な悪臭。
鼻は専用マスクに守られていたものの、目がその臭い嗅ぎ取った。
更に、それがジリジリと皮膚にまで浸みこんでくるような感覚に悪寒が走り、猛暑の中でも鳥肌が立つくらいの状況だった。
遺体が残した腐敗物・・・腐敗粘土・腐敗液・腐敗脂が、六畳の床を半分くらいまで汚染。
室内には熱気がムンムン、足元にはウジがウヨウヨ、頭上にはハエがブンブン。
頭髪の塊もシッカリ残っており、爪や歯、指先の小骨等がどこかに置き去りにされていてもおかしくないレベルだった。
こういった現場で注意しなければならないのは熱中症。
根性だけに頼った無理な長居は危険。
私は、自分を客観視することを忘れないようにしながら、汚染部分を中心に部屋中を見て回った。
作業が困難を極めたのは言うまでもない。
汚物処理をはじめ、清掃、害虫駆除、そして消臭消毒、作業は何日にも渡った。
そして、重なる日々の中で、何人ものウ○コ男が生まれていった。
結局、私は、最後まで迷いなく裸にはならなかった。
男性宅に上がり込んで風呂を借りることも。
ただ、時折 顔を合わせた男性との どうでもいいようなくだらない話は、ただの気分転換にとどまらず、私に染みついた汚れ・・・非情さや薄情さを洗い流してくれているようにも感じられた。
“愛”は、“言葉”ではなく“行為”。
また、“愛”って多くのかたちがあるけど、“究極の愛”は「隣人愛」だという。
「利他愛」「自己犠牲」ともいわれ、「慈愛」「親切心」にも似ている。
一方、私は自他ともに求める「利己主義者」、“自分が一番大事”“自分さえよければ それでいい”という思考癖がある。
事実、人の為っぽく見えていることでも、何らかの打算があり、何らかの見返りを期待している。
しかし、こんな時代だからこそ、こんな時世だからこそ、隣人愛は必要とされる。
この利己主義者は利他主義者に生まれ変わることはできないかもしれないけど、心に響く一場面で変わることくらいはできるかもしれない。
私を激励し、エナジードリンクをくれた男性のように。
汚れた私にシャワーを使わせてくれようとした男性のように。
それは、誰のためでもなく、
今の自分のためでもなく、
明日の自分のため・・・その先の自分のため。
時を廻り、人を廻り、かたちを変え、やがて自分のところに戻ってくる・・・
目に見えない恵み、気づかない幸運を連れてきて、それが、知らず知らずのうちに 飢え乾いた心を満たしてくれる・・・
せっかく、人間として生を受け、愛の中で生かされているのだから、残り少ない人生の中、一度くらいは そう信じて、愛ある人間になってみたいものである。
特殊清掃についてのお問い合わせは