“亡くなった者の娘”と名乗る女性から、特掃の依頼が入った。
女性は、私の返事をロクに聞きもせず、同じ説明を繰り返し・・・
そしてまた、私の返答をロクに聞きもせず、同じ質問を繰り返し・・・
そこに、女性の心の動揺が見えた私は、口のスピードを落として女性の話に付き合った。
現場は、2LDKの分譲マンション。
故人の性別は男性、年齢は60代。
故人がいた場所はトイレ。
発見したのは、設備メンテナンスの会社。
警察の見立ては、“死後二ヶ月”。
警察は、部屋への立ち入ることも遺体と面会することも反対。
結果、女性は、何一つ自分の目で確かめておらず。
“女性に、具体的な状況説明は無理”と判断した私は、必要最低限のことだけ聞いて、あとの情報は現地調査にて収拾することにした。
現地調査の当日・・・
マンションのエントランス前で待つ私の側へ、一人の若い女性が駆け寄ってきた。
電話で話した依頼者だった。
その表情は硬く、かなり緊張している様子。
何からどう話せばいいのか分からないみたいで、しどろもどろ。
その困惑ぶりに女性の心痛を感じた私は、普段はない男気を醸し、余裕を装った笑みを浮かべ、発する言葉を短い返事だけにとどめ女性の話に聞き入った。
亡くなったのは、女性の父親。
病院に通っていたような形跡はなく、また、自殺を疑わせるような事情もなし。
いわゆる“突然死”のようだった。
女性は、故人の一人娘。
比較的、仲のよい親子だったが、それでも、顔を合わせるのは数ヶ月に一度程度。
“音沙汰ないのは、お互い達者な証拠”という状態で過ごしていた。
不動産管理会社から連絡が入ったとき、女性はピンとこず。
どう考えても、何かの間違い・人違いにしか思えず。
亡くなったことだけでもすぐには信じられなかったのに、二ヶ月も放置されていたことなんて、とても信じることができなかった。
プライベートな事情を無闇に訊くのは躊躇われたが、女性を待ち受けている孤軍奮闘が気の毒に思えた私は、母親(故人の妻)の存在を質問。
すると、“母親はいない”とのこと。
“いない”の意味するところが死別なのか離別なのか・・・私は興味を覚えたが、女性の暗い顔にその理由を訊くことはできず・・・
とにかく、女性が一人で事の収拾にあたらなければならない状況に置かれていることだけは認識できた。
言葉にはでてこなかったものの、どこからどう見ても、女性は室内に入りたくなさそう。
かと言って、身内でもない私を一人で部屋に行かせることにも気がとがめるようで、女性は、人見知りした子供のようにオドオド・モジモジ。
そんな女性を、同行させる必要はどこにもなく・・・
結果、私は、部屋の鍵を預かって、一人で故人の部屋に向かうことに。
申し訳なさそうに頭を下げる女性に笑顔を返しながら、オートロックの扉をくぐった。
玄関の前に立っても、特段の異臭はなし。
栓が止められたガス・水道、ピクリとも動かない電気メーター盤、チラシや郵便物が溢れ出ているポスト・・・
先入観があるからかもしれなかったが、それら一つ一つが、部屋の中で起こったことを私に静かに教えてくれているように思えた。
玄関を開けると、その先は真っ暗。
電灯が点いてないせいもあったが、雨戸が閉まったままで、室内は暗闇に包まれていた。
私は、後ろポケットに突っ込んでいた懐中電灯を手に握り、一歩前進。
大きな明りが欲しくて、どこかの壁面に設置されてあるはずの電気ブレーカーを探した。
しかし、その期待も虚しく、ブレーカーを上げても壁のスイッチを入れても電灯は点かず。
電気は元線から切られており、完全に止められていた。
私は、電気が点かないことを早々に諦め、懐中電灯だけを頼りに二歩・三歩と前進。
一歩一歩に力を込めてトイレを探した。
それらしき所には、すぐに到達。
扉を開けると、懐中電灯の光は、日常にはない茶色の粘土質を照らし出した。
そこは、トイレではなく、便器・洗面台が併設されているタイプの浴室。
一昔前に流行ったタイプのユニットバスだった。
その床面は、腐敗汚物が占領。
更に、それは排水口にまで流れ込み、蓋を覆うほどに滞留していた。
その厚さと広がり方、そして乾き具合から、私は死後経過日数を想定。
私の答も、警察の見立てと同じ“死後二ヶ月”だった。
見上げた天井や壁には、天空の星のように無数の蛹殻。
それは、相当数のウジ・ハエが発生したことを物語っていた。
死体は、ミイラのように大人しくしているものと思ってしまうのか、一般的に、人体が朽ちていく過程を具体的に認識している人は少ない。
この時の女性もそうで、故人がいた浴室が、どれほど悲惨なことになっているのか、まったく想像できていないようだった。
ただ、お金をいただく以上、ある程度のことは理解してもらう必要がある。
私は、グロテスクな状況を、言葉の使い方に気をつけながら説明した。
が、表現はソフトでも、話の内容はやはりハード。
いくら私が神経を使っても、女性には無神経にしか聞こえなかったかもしれず・・・
話が浴室のことに及ぶと、女性は私の話を手で遮り、その手を自分の顔に当てて泣き始めた。
それまでにも何人もの女性を泣かしてきた私だったが、それでも、その雰囲気に免疫がつくことはなく、例によっての気マズイ思いに視線は泳ぐばかり・・・
そんな中でも、私は、場の雰囲気を変えるべく、女性のプレッシャーが軽くなるような材料を探した。
「ここ、分譲ですよね?」
「はい・・・亡くなった父の名義です」
「ニオイも虫も外には出ていないようですし、ここを片付けるのはご自分が落ち着いてやれるペースでいいと思いますよ」
「それで、大丈夫なんですか?」
「ええ・・・賃貸物件やニオイや虫が近所に迷惑をかけているような場合は、そんなこと言ってられませんけどね」
「はぁ・・・」
「そうして一つ一つやっていけば、きれいに片付きますよ」
「そうですか・・・そう言っていただけると、少しは気が楽になります」
私の提案に、女性のプレッシャーは少し和らいだよう。
笑みこそこぼれなかったけど、わずかに表情が明るくなった。
「でも、掃除だけは一日でも早くやっていただきたいんですが・・・」
「はい・・・」
「このままだと、いつまでも父を放っておくような気がしまして・・・」
「なるほど・・・」
「いつできます?」
「掃除だけなら、今からでもできますよ」
「え?今から?」
「ええ・・・消臭には何日かかかると思いますけど、見た目の掃除だけなら、2~3時間あればいけると思いますよ」
「そんなにはやく!?他に誰かいらっしゃるんですか?」
「いえ、私一人で・・・」
「お一人!?一人でやるんですか!?」」
「はい・・・浴室の掃除に二人はいりませんから・・・」
「それはそうかもしれませんけど・・・」
女性は、驚きを隠さず。
私が一人でやろうとしていることが、稀有(奇異?)なことのように思えて仕方がないみたいだった。
実のところ、“特掃は一人でやるもの”と聞いて驚く人は多い。
しかし、“特殊清掃”ったて掃除は掃除。
(ちなみに、今ではあちこちで使われている“特殊清掃”って名称は、その昔、うちの社長が考えだしたもの。)
大きなものを動かしたり、重いものを運んだりする時は、一人では手に負えないけど、そうでない時は原則一人。二人分の作業量はない。
“一人が汚したものは一人で片付く”と言えばわかりやすいかな。
しかし、一般の人は、理屈は飲み込めても理性が理解しないよう。
多分、腐乱死体に対して、独特の先入観と恐怖感を持ってしまうからだろうと思う。
そんな特掃は、孤独な作業。
一人でやる以上、やはり、相応の孤独感は抱えてしまう。
特に、作業開始時は心細い。
しかし、やっているうちに“一人でやらなければならない作業”のように思えてくる。
それは、作業効率や費用対効果などビジネス上の都合ではなく、私個人の理由として。
キザな使命感でも、カッコいい責任感でもない、私自身の鍛錬として。
そして、そうしてやっていると、孤独感は自然に消えていく。
そのうち、誰かが私を手伝ってくれているような、一人じゃないような心強さを覚えてくる。
変態みたいに思われるかもしれないが、その感覚は、決して冷たいものではなく、わりと温かいもの。
そういったものが、自分の中から湧いてくるのである。
人は、艱難に遭うと孤独になりやすい。
相談にのってくれる人・手助けをしてくれる人はいたとしても、重荷を一緒に負ってくれる人なんていないような気がしてくる。
そして、人の心は冷たく凍える。
そんな孤独を癒すのは、やはり人の温かみ。
しかし、人は、温かくとも冷たいもの。
自分の温度によって、人は、冷たくもなり温かくもなる。
結局、孤独感を本当に癒せるのは、自分の温かみ。
人を想う温かい心が、結果的に自分の孤独感を癒すのである。
故人は、孤独に死んだ。
しかし、その心には愛する娘(女性)がいたはず。
女性は、孤独に後始末をした。
しかし、そこには、父親(故人)を想う気持ちがあった。
私は、孤独に特掃作業をした。
しかし、そこには、人から必要とされることの温かさがあった。
一人一人、独りではなかった。
一人分の死に向かって歩く人生は、孤独なものかもしれない。
そう・・・人は、一人かもしれない。
しかし、人は、独りではない。
孤独に震える必要はない。
少なくとも、今、これを読んでいる貴方には私がいる。私には、貴方がいる。
その間に何らかの温度が生まれているとするならば、もう、私も貴方も孤独ではないのだ。
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女性は、私の返事をロクに聞きもせず、同じ説明を繰り返し・・・
そしてまた、私の返答をロクに聞きもせず、同じ質問を繰り返し・・・
そこに、女性の心の動揺が見えた私は、口のスピードを落として女性の話に付き合った。
現場は、2LDKの分譲マンション。
故人の性別は男性、年齢は60代。
故人がいた場所はトイレ。
発見したのは、設備メンテナンスの会社。
警察の見立ては、“死後二ヶ月”。
警察は、部屋への立ち入ることも遺体と面会することも反対。
結果、女性は、何一つ自分の目で確かめておらず。
“女性に、具体的な状況説明は無理”と判断した私は、必要最低限のことだけ聞いて、あとの情報は現地調査にて収拾することにした。
現地調査の当日・・・
マンションのエントランス前で待つ私の側へ、一人の若い女性が駆け寄ってきた。
電話で話した依頼者だった。
その表情は硬く、かなり緊張している様子。
何からどう話せばいいのか分からないみたいで、しどろもどろ。
その困惑ぶりに女性の心痛を感じた私は、普段はない男気を醸し、余裕を装った笑みを浮かべ、発する言葉を短い返事だけにとどめ女性の話に聞き入った。
亡くなったのは、女性の父親。
病院に通っていたような形跡はなく、また、自殺を疑わせるような事情もなし。
いわゆる“突然死”のようだった。
女性は、故人の一人娘。
比較的、仲のよい親子だったが、それでも、顔を合わせるのは数ヶ月に一度程度。
“音沙汰ないのは、お互い達者な証拠”という状態で過ごしていた。
不動産管理会社から連絡が入ったとき、女性はピンとこず。
どう考えても、何かの間違い・人違いにしか思えず。
亡くなったことだけでもすぐには信じられなかったのに、二ヶ月も放置されていたことなんて、とても信じることができなかった。
プライベートな事情を無闇に訊くのは躊躇われたが、女性を待ち受けている孤軍奮闘が気の毒に思えた私は、母親(故人の妻)の存在を質問。
すると、“母親はいない”とのこと。
“いない”の意味するところが死別なのか離別なのか・・・私は興味を覚えたが、女性の暗い顔にその理由を訊くことはできず・・・
とにかく、女性が一人で事の収拾にあたらなければならない状況に置かれていることだけは認識できた。
言葉にはでてこなかったものの、どこからどう見ても、女性は室内に入りたくなさそう。
かと言って、身内でもない私を一人で部屋に行かせることにも気がとがめるようで、女性は、人見知りした子供のようにオドオド・モジモジ。
そんな女性を、同行させる必要はどこにもなく・・・
結果、私は、部屋の鍵を預かって、一人で故人の部屋に向かうことに。
申し訳なさそうに頭を下げる女性に笑顔を返しながら、オートロックの扉をくぐった。
玄関の前に立っても、特段の異臭はなし。
栓が止められたガス・水道、ピクリとも動かない電気メーター盤、チラシや郵便物が溢れ出ているポスト・・・
先入観があるからかもしれなかったが、それら一つ一つが、部屋の中で起こったことを私に静かに教えてくれているように思えた。
玄関を開けると、その先は真っ暗。
電灯が点いてないせいもあったが、雨戸が閉まったままで、室内は暗闇に包まれていた。
私は、後ろポケットに突っ込んでいた懐中電灯を手に握り、一歩前進。
大きな明りが欲しくて、どこかの壁面に設置されてあるはずの電気ブレーカーを探した。
しかし、その期待も虚しく、ブレーカーを上げても壁のスイッチを入れても電灯は点かず。
電気は元線から切られており、完全に止められていた。
私は、電気が点かないことを早々に諦め、懐中電灯だけを頼りに二歩・三歩と前進。
一歩一歩に力を込めてトイレを探した。
それらしき所には、すぐに到達。
扉を開けると、懐中電灯の光は、日常にはない茶色の粘土質を照らし出した。
そこは、トイレではなく、便器・洗面台が併設されているタイプの浴室。
一昔前に流行ったタイプのユニットバスだった。
その床面は、腐敗汚物が占領。
更に、それは排水口にまで流れ込み、蓋を覆うほどに滞留していた。
その厚さと広がり方、そして乾き具合から、私は死後経過日数を想定。
私の答も、警察の見立てと同じ“死後二ヶ月”だった。
見上げた天井や壁には、天空の星のように無数の蛹殻。
それは、相当数のウジ・ハエが発生したことを物語っていた。
死体は、ミイラのように大人しくしているものと思ってしまうのか、一般的に、人体が朽ちていく過程を具体的に認識している人は少ない。
この時の女性もそうで、故人がいた浴室が、どれほど悲惨なことになっているのか、まったく想像できていないようだった。
ただ、お金をいただく以上、ある程度のことは理解してもらう必要がある。
私は、グロテスクな状況を、言葉の使い方に気をつけながら説明した。
が、表現はソフトでも、話の内容はやはりハード。
いくら私が神経を使っても、女性には無神経にしか聞こえなかったかもしれず・・・
話が浴室のことに及ぶと、女性は私の話を手で遮り、その手を自分の顔に当てて泣き始めた。
それまでにも何人もの女性を泣かしてきた私だったが、それでも、その雰囲気に免疫がつくことはなく、例によっての気マズイ思いに視線は泳ぐばかり・・・
そんな中でも、私は、場の雰囲気を変えるべく、女性のプレッシャーが軽くなるような材料を探した。
「ここ、分譲ですよね?」
「はい・・・亡くなった父の名義です」
「ニオイも虫も外には出ていないようですし、ここを片付けるのはご自分が落ち着いてやれるペースでいいと思いますよ」
「それで、大丈夫なんですか?」
「ええ・・・賃貸物件やニオイや虫が近所に迷惑をかけているような場合は、そんなこと言ってられませんけどね」
「はぁ・・・」
「そうして一つ一つやっていけば、きれいに片付きますよ」
「そうですか・・・そう言っていただけると、少しは気が楽になります」
私の提案に、女性のプレッシャーは少し和らいだよう。
笑みこそこぼれなかったけど、わずかに表情が明るくなった。
「でも、掃除だけは一日でも早くやっていただきたいんですが・・・」
「はい・・・」
「このままだと、いつまでも父を放っておくような気がしまして・・・」
「なるほど・・・」
「いつできます?」
「掃除だけなら、今からでもできますよ」
「え?今から?」
「ええ・・・消臭には何日かかかると思いますけど、見た目の掃除だけなら、2~3時間あればいけると思いますよ」
「そんなにはやく!?他に誰かいらっしゃるんですか?」
「いえ、私一人で・・・」
「お一人!?一人でやるんですか!?」」
「はい・・・浴室の掃除に二人はいりませんから・・・」
「それはそうかもしれませんけど・・・」
女性は、驚きを隠さず。
私が一人でやろうとしていることが、稀有(奇異?)なことのように思えて仕方がないみたいだった。
実のところ、“特掃は一人でやるもの”と聞いて驚く人は多い。
しかし、“特殊清掃”ったて掃除は掃除。
(ちなみに、今ではあちこちで使われている“特殊清掃”って名称は、その昔、うちの社長が考えだしたもの。)
大きなものを動かしたり、重いものを運んだりする時は、一人では手に負えないけど、そうでない時は原則一人。二人分の作業量はない。
“一人が汚したものは一人で片付く”と言えばわかりやすいかな。
しかし、一般の人は、理屈は飲み込めても理性が理解しないよう。
多分、腐乱死体に対して、独特の先入観と恐怖感を持ってしまうからだろうと思う。
そんな特掃は、孤独な作業。
一人でやる以上、やはり、相応の孤独感は抱えてしまう。
特に、作業開始時は心細い。
しかし、やっているうちに“一人でやらなければならない作業”のように思えてくる。
それは、作業効率や費用対効果などビジネス上の都合ではなく、私個人の理由として。
キザな使命感でも、カッコいい責任感でもない、私自身の鍛錬として。
そして、そうしてやっていると、孤独感は自然に消えていく。
そのうち、誰かが私を手伝ってくれているような、一人じゃないような心強さを覚えてくる。
変態みたいに思われるかもしれないが、その感覚は、決して冷たいものではなく、わりと温かいもの。
そういったものが、自分の中から湧いてくるのである。
人は、艱難に遭うと孤独になりやすい。
相談にのってくれる人・手助けをしてくれる人はいたとしても、重荷を一緒に負ってくれる人なんていないような気がしてくる。
そして、人の心は冷たく凍える。
そんな孤独を癒すのは、やはり人の温かみ。
しかし、人は、温かくとも冷たいもの。
自分の温度によって、人は、冷たくもなり温かくもなる。
結局、孤独感を本当に癒せるのは、自分の温かみ。
人を想う温かい心が、結果的に自分の孤独感を癒すのである。
故人は、孤独に死んだ。
しかし、その心には愛する娘(女性)がいたはず。
女性は、孤独に後始末をした。
しかし、そこには、父親(故人)を想う気持ちがあった。
私は、孤独に特掃作業をした。
しかし、そこには、人から必要とされることの温かさがあった。
一人一人、独りではなかった。
一人分の死に向かって歩く人生は、孤独なものかもしれない。
そう・・・人は、一人かもしれない。
しかし、人は、独りではない。
孤独に震える必要はない。
少なくとも、今、これを読んでいる貴方には私がいる。私には、貴方がいる。
その間に何らかの温度が生まれているとするならば、もう、私も貴方も孤独ではないのだ。
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