休業要請や自粛要請が緩和されてしばらく経ち、街は“日常”取り戻しつつある。
先月19日、都道府県を跨いでの移動が緩和され、観光地でも人が増えているよう。
しかし、それに合わせるように、報告される感染者数は増えている。
ある程度は想定内のことだろうけど、「東京一日200人超」まで想定していたかどうか・・・政治家の表情から漂うのは想定以上の状況になっているというような不安感。
「第二波がきている」という専門家もいる中、再び、緊急事態宣言は発令されたら経済は壊滅的な打撃をうけるらしいから、そう簡単には出せないらしい。
やっと動き始めた社会経済活動を再び止めることが、感染拡大と同じくらいリスキーなことは、素人の私でもわかる。
ただ、上からの指示がどうあれ、個々人が、事実上 緊急事態下にあることを認識し、感染しないこと・感染させないことに努めなければならないと思う。
5月上旬、緊急事態宣言下のある日、税金を納めるため、銀行の窓口に行ったときのこと。
メガバンクの支店なのだが、入口には消毒剤が置いてあり、「マスク非着用での入店禁止」の札も掲げられていた。
更に、「窓口は約120分待ち」と表示され、傍らに立つ行員は、「不要不急の用であれば日をあらためて下さい」と、どことなく“上から目線”で、客を追い返そうとするような案内。
“120分待ち”にも行員の態度にも不満を覚えた私だったが、納期も迫っていたし、“日をあらためて出直しても同じことだろう”と、諦めて列に並んだ。
その私のすぐ後ろには初老の男性が立った。
“120分待ち”なんてまったく想定してなかったのだろう、驚いた様子。
それでも並ばなければならない用事があるのだろう、イライラした様子でブツブツ・ブツブツ。
そのうち、案内係の行員に文句を言い始めた。
行員の態度もよくなかったけど、用を済ませたいなら順番がくるまで黙って待つしかない。
我慢できなければ帰ればいい。
にも関わらず、男性は行員に不満をぶつけ、行員も悪態ギリギリのところでチクチクと反論し、その場の空気は換気が必要なくらい汚れたのだった。
また、これはコロナ渦初期の頃、スーパーでの出来事。
レジ列の前の前、カップ麺を大量に箱買している男性がいた。
そこへ、私の前に立つ老人が「こんな人がいるから皆が困るんだよ」と、善人気取り?で文句を言った。
どうも、自分本位の買い占めだと思ったらしい。
すると、その声が聞こえた男性は、「何!?俺に言ったのか!?」と振り向き、「文句でもあんのか!?」と老人に喰ってかかった。
老人も、「買い占めはよくないだろ!」と応戦。
周囲の賛同を得られるとでも思ったのか、振り絞った勇気に満悦したのか、はたまた、振りあげた拳を降ろせなくなったのか、衰えた外見に似合わず強気に。
当然、男性も黙ってはいない。
“三密回避”はどこへやら、「この くたばり損ないのジジイが、妙な言いがかりつけやがって!」と、怒顔を老人の顔に近づけて睨みつけた。
傍にいた店員がすぐさま割って入り、大ゲンカに発展するのは抑えられたが、公衆の面前での小競り合いはしばし続いた。
結局、男性の行為は買い占めではなく、普段の買い物で、大人数で食べるための買い出しだったよう。
しかし、二人は和解することなく、周囲には殺伐とした虚無感が漂い、換気が必要なくらい汚れた空気だけが残ったのだった。
殺伐とした世の中は、今に始まったことではない。
この時代、殺人事件や傷害事件を筆頭に、そんなニュースが途絶えることはない。
ちょっとしたことでキレる・・・
ちょっとしたことで揉める・・・
コロナ渦によって、それが増長されているような気がする。
あの時、あの警官も、ある意味でキレてしまったのだろうか・・・
5月25日、アメリカで黒人男性が白人警察官に殺された事件。
警官が男性の首を膝で抑えつけている映像を観て、私も「ヒドい!」と思った。
既に抵抗できない状態で、明らかに苦しがっているにも関わらず、それを無視して抑え続ける様には嫌悪感しか覚えなかった。
これに抗議するデモは、アメリカだけにとどまらず世界中に広がった。
この日本にも。
私は、こういったデモに反対ではない。
しかし、度を越したもの・・・暴力をともなうものは反対。
考えを主張するのは自由かもしれないけど、とにかく、暴力はよくない。
暴力は暴力を呼ぶだけ、暴言は暴言を呼ぶだけ。
たとえ、それが、正義を貫くためであっても、暴発はしてはいけない。
団体行動が苦手な私は「デモ」というものに参加したことがないからわからないけど、独特の高揚感みたいなものがあり、日常にはない心地よい正義感が味わえるのだろう。
また、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、一種の集団心理も働くのだろう。
多数でやれば罪悪感が薄まり、大人数でやれば正義になる。
その昔、封建主義の世の正義は支配者が決めたが、今、民主主義の世の正義は“数”が決めるのだから。
それが、強い力を得たような錯覚をおぼえさせたり、それに陶酔させたりするのか。
そして、本来、人々が持ち合わせている理性を麻痺させるのかもしれない。
便乗した暴力・放火・略奪は、もはや抗議デモではなく、ただの犯罪。
いつの間にか、そこから正義は消えている。
ちょっとしたことがキッカケで、暴力・暴言が噴出するこの社会。
人間の悪性や人々のストレスが、言葉の暴力・文字の暴力・拳の暴力となって、いらぬところで、いらぬかたちで現れている。
刑事的犯罪の陰で、SNS上でのイジメや誹謗中傷がまかり通ったり、人知れずDVや児童虐待が行われていたり、あおり運転が横行したり。
そして、今や、銃や刃物だけじゃなく、言葉や文字が人を殺す凶器になる時代。
「個人情報保護」という鎧を着て、「匿名」という盾を持ち、文字(言葉)という刃物で容赦なく他人を突き刺す。
一体、これは、どういうことか・・・
私も含め、人間という生き物は、どうして そんなくだらないことをしてしまうのか、くだらないことがやめられないのか・・・
人間は、弱い者をいじめる習性をもち、他人の不幸を喜ぶ習性をもつ・・・
このまま、人々は理性・道徳心・正義感を失い、あたたかい笑顔を捨てていくのか・・・
他人に対する悪態が常態化し、弱肉強食が顕著な社会になっていくのか・・・
コロナ渦の第二波はもちろん、風水害や地震などの災害、減給や失業による貧困も恐いけど、もっと恐いのは、人々の心が荒むこと。
そして、それが人と人との絆を、人と人の情愛を、社会秩序を破壊していくこと。
先を楽観できない時代、とにかく、少しでも“人間の悪性”が影を潜めてくれることを祈るしかない。
かくいう私も他人事では済まされない。
SNSは一切やらないから、その世界での加害・被害はない。
また、暴言を吐くことも暴力をふるうこともない。
しかし、情緒不安定で感情の起伏が激しい。
人間の器が小さく、人間が弱い。
気も短く、ちょっとしたことイラつく。
恥ずかしながら、心の中で暴言を吐き、空想で拳を振りあげることがある。
それが自分を不幸にすることがわかっていても、理性で抑えることができない。
特に、このコロナ渦に見舞われてからは、減収・失業が現実味を帯びてきているから尚更。鬱だけではなく、持病の不眠症まで重症化し、心身を蝕んでいる。
ただ、とにかく、日本は、銃のない社会でよかった。
銃は、小さな引き金をちょっと引くだけで人を殺せるのだから、たった一瞬の感情、瞬間的に理性を失うことよって取り返しのつかないことが起こる。
拳で殴るのとはわけが違う。
カッ!となって、取り返しのつかないことをしてしまった、取り返しのつかない事態に陥ってしまった・・・
そうなったら、後悔しても遅い。
加害者・被害者を問わず、銃社会において、それで人生を狂わせた人間は少なくないのではないだろうか。
あんな、飛び道具ひとつで・・・まったく、悲惨である。
ある日の昼間。
“ズドン!!”
とある民家の二階で大きな爆発音がした。
驚いた家族が部屋に駆けつけてみると、部屋の模様は一変・・・
そこに横たわる故人も変わり果てた姿となり・・・
その光景はあまりにショッキングで・・・
失神寸前で、そのままその場にへたり込んでしまった。
私が現場の呼ばれたのは、その翌々日。
依頼の内容は、特殊清掃。
事件性がないことが確認され、警察から立入許可がでてからのこと。
事前にだいたいの状況を聞いていた私だったが、よくあるケースではないので、リアルに想像することが困難。
作業の難易度が高いことは想像できたものの、それがどこまでの高さなのかが見えず。
私は、重症の飛び降り自殺現場を思い浮かべながら、また、少し緊張しながら現地に向かった。
部屋のドアを開けた目の前には、ある部分は想像通り、ある部分は想像を越えた悲惨な光景が広がっていた。
故人が倒れていた床には大きな血痕・・・
更に、赤黒の血痕が天井・壁・床、上下左右、360℃に飛散・・・
凝視すると、白子を粉砕させたような脳片、木屑のようになった頭蓋骨片も・・・
そして、床のあちこちには、極小の鉄球が無数に転がり・・・
故人は、趣味を楽しむために所有していた散弾銃を、自分に向かって打ったのだった。
銃口を何処にあてたのかはわからなかったが、一発で死ぬことを目的とするなら頭を狙うのが自然。
ただ、銃身長を考えると、手指で引き金を引くことは困難。
おそらく、銃口を自分の額に向け、足指で引き金を引いたのだろう。
生きることを楽しむために持っていた銃で、生きることを終わらせた・・・
頭の上半分を粉々に吹き飛ばし、一瞬にして、この世から去ったのだった。
故人は、私と同年代の男性。
社会人としてバリバリ働いていたとき大病を罹患。
会社は休職し、入院、治療。
療養の結果、病状は随分と落ち着いたが、それは完治を見込みにくい難病。
勤務先は、そんな故人に“いい顔”をせず冷遇。
結果、追い立てられるように退職。
表向きは“自己都合による退職”だったが、事実上の“クビ”だった。
故人は、病と闘いながら社会復帰を目指した。
しかし、当然、企業は健康な人を優先して採用する。
少しでも経験が活かせるよう、前職と同業種を目指し、中小零細にこだわらず 多くの会社に応募するも、ことごとく採用には至らず。
願望を捨て、異業種や非正規の求人にも応募したが、それでも、なかなか色よい返事は得られず。
不採用の理由をハッキリ告げられることは少なかったが、結局、持病があることが敬遠される原因であることは明白だった。
そんな故人の生計は同居の家族が支えていた。
それは、家族として当然のこととしてなされており、故人を責めるようなことはもちろん、社会復帰へのプレッシャーをかけるようなことも一切なかった。
しかし、
「家族に迷惑をかけている・・・」
「家族の負担になっている・・・」
と、その家族愛が、一層、故人を苦しめていたのかもしれなかった。
働きたくても働けないツラさがどんなものか・・・
怠けるつもりはないのに怠け者に見られる惨めさがどんなものか・・・
そんな生活は、まさに“生地獄”・・・
自ずと心身は衰弱していき、始めは小さな石コロだったものが 次第に大きな岩になり、始めは薄低の壁だったものが 次第に厚高の壁になり、社会に戻ろうとする故人の行く手を阻む・・・
ともなって、その精神は、病んでいくばかり・・・狂ったように・・・
「甘やかすからそうなる」
「生きていれば楽しいこともある」
「死ぬ気になれば何でもできる」
と、人は言う。
一理あるかもしれないけど、これは、まったくわかっていない人間がいうセリフ。
生きる力を失った者にとっては、日常生活ほとんどのことが虚無・疲労の原因となる。
生きる力を失った者にとっては、人生の楽しみさえもどうでもよくなる。
生きる力を失った者とって“死”は、最悪のことではなく最良のことのように思えてしまう。
そして、家族を悲しませることがわかっていても、抱える苦しみは、それを超越してしまうのである。
事情や境遇はまったく違うけど、私にも似たような経験があり、生きる意欲を失った時期・・・自分に刃を向けた過去がある。
あれからもう三十年近くが経とうとしているけど、ヒドく苦しみ、両親もヒドく苦しめた。
その後遺症は今でもあり、遠い昔のことなのに、思い出すと息が重くなる。
だから、故人の苦悩が痛いほど・・・涙が出るほどわかった。
私は、黙々と血・肉・骨を除去・・・
天井や壁の高部は、脚立に昇って・・・
点々と無数に広がる汚れと格闘・・・
無数に転がる散弾も、床を這って探し回り・・・
静かに流れる汗と、寂しく潤む目を拭きながら・・・
手間と時間がかかる作業であったことはもちろん、湧いてくる想いが多すぎて、考えさせられることが多すぎて、重い心労をともなう作業となった。
結局、想い描いていた人生をまっとうすることなく、最期を決断した故人。
愛用の銃を手に取り、弾を込め、銃口を額に当てて決行・・・
その様を思い浮かべると、自然と目に涙が滲んできた。
ただの同情・・・ただの感傷・・・しかし、身に覚えがある私には、心の奥深くに突き刺さるものがあった。
あの時、私が、銃を持っていたら、今、こうして生きているかどうかわからない・・・
一瞬の“魔”で決まるのだから。
ただ、銃を持っていなかったから、そうならなかっただけかも・・・
だから、こうして生きていられるのかもしれない。
生きることは素晴らしい。
生きることは楽しい。
同時に、
生きることは苦しい。
生きることは辛い。
しかし、“始まり”があれば、必ず“終わり”がある。
生まれてきたからには、いずれ死んでいかなければならない。
だから、それまで、耐え忍んで待つしかないのだ。
けれど、この世には、耐えきれない苦悩・苦痛がある。
他人が推し量ることができない苦しみが。
故人は、それに負けたのかもしれない・・・
そこから逃げたのかもしれない・・・
しかし、弱虫や卑怯者なんかではなかったと思う。
本当の弱虫や卑怯者は、苦しむことはないし、悩むこともない。
悪い意味で開き直って、悪い意味で堂々と生きていくもの。
そうはせず、悩みに悩んで、苦しんで苦しみ抜いて、戦いに戦って散らせた命の誠実さを、私は、生きることにくじけやすい自分に刻み込んだ。
「しんどかったね・・・お疲れ様・・・」
「俺は・・・もうちょっと頑張ってみるよ・・・」
私は、一仕事を終えた自分と 一人生を終えた故人にそう言い、くたびれた命を新たにして現場を後にしたのだった。
特殊清掃についてのお問い合わせは
0120-74-4949