昨日は広島『原爆の日』だった。
『もはや戦後ではない』と言われた時代に
生まれ育った私は、当然のことながら
戦争の悲惨さは体験していない。
メディアを通じて知るのみだ。
hihiteraさんのブログを涙しながら読んだ。
8月6日は広島に生まれ育った人にとっては
また違った思いがあることだろう。
hihiteraさんのお母様は26キロほど離れた山間部にいて
原爆被災者の救援に携わったそうだ。
多感な14歳の少女だ。
中学3年生の女の子が目にした惨状と体験を思うと
言葉が詰まる。
爆心地周辺の惨状は、想像を絶するのもだったろう。
平和であることが当たり前であるかのように
毎日を送っているが
私たちの努力なくして、恒久の平和はありえないかもしれない。
あれこれと考えた。
ふと、気が付くと相変わらず蝉がにぎやかに鳴いている。
これをきっかけに来年もまた
にぎやかな蝉の声を耳にしたら、
戦争の悲惨さと平和について思うことだろう。
『もはや戦後ではない』と言われた時代に
生まれ育った私は、当然のことながら
戦争の悲惨さは体験していない。
メディアを通じて知るのみだ。
hihiteraさんのブログを涙しながら読んだ。
8月6日は広島に生まれ育った人にとっては
また違った思いがあることだろう。
hihiteraさんのお母様は26キロほど離れた山間部にいて
原爆被災者の救援に携わったそうだ。
多感な14歳の少女だ。
中学3年生の女の子が目にした惨状と体験を思うと
言葉が詰まる。
爆心地周辺の惨状は、想像を絶するのもだったろう。
平和であることが当たり前であるかのように
毎日を送っているが
私たちの努力なくして、恒久の平和はありえないかもしれない。
あれこれと考えた。
ふと、気が付くと相変わらず蝉がにぎやかに鳴いている。
これをきっかけに来年もまた
にぎやかな蝉の声を耳にしたら、
戦争の悲惨さと平和について思うことだろう。