たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

さくら、さくら、さくら

2014年04月03日 | 日記

昨年の写真のリサイクルです。今日も同じように岐阜県各務原市(かかみはがはらし)境川堤は満開です。5キロの区間1,200本の桜が両堤防沿いに咲き誇っています。昔、歌舞伎役者の市川百十郎という人の寄付をもとに植えられた由来から「百十郎桜」と呼ばれます。
今は堤防に植栽をすることは河川法で禁じられています。枯れるとそこに自然に生えてくるという理屈で維持されています。
夏は毛虫が大量発生するので、大規模な消毒を市が行います。一時期下を通ると毛虫を車が踏み潰して道路が油だらけという時代もありました。市はここ10年程前から都市計画「さくらの回廊」づくりに取組んでいます。各所が桜だらけです。
私の庭木の松も毛虫が巣くっていて、越冬するので春先か新芽の頃殺虫剤スミチオンを噴霧器で消毒するよう庭師に言われています。薬剤は買ってきてありますが作業はこれからです。展着剤ダインも混合します。

今日は花晴れから午後花曇りの暖かい日になりました。「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」。
お隣のお爺ちゃん、ご主人の葬儀の日でした。昨晩のお通夜は私がお参りし、今日は嫁が自治会長兼務のお参りをしました。
明日が友引なので、仮通夜なしの慌ただしさでした。ご遺族は大変だったようです。いざとなると哀しみに浸ってなんかおれません。
日ごろから「死んだら帳」をつけておき、写真やそこそこの遺言をしておくのも良いでしょう。
昨晩の導師のお説教も「人は生きているのではない、生かされているのだ、諸行無常、一時(いっとき)も留まることはない。赤ん坊が老化しなかったら大人に成れないではないか」と話されました。
誰でも生き急ぎ、死に急ぎして、お前の番だと言われたら彼岸へ渡らねばなりません。両隣のご主人様が仕舞っていかれました。当方の家内も逝きました。