働く女性向けメルマガ「日経Woman Online」2月1日号に「深澤真紀」さんというライターが次のように書いていた、そんな考えもあるなと感じた次第。
~参考までに、そのまま全文引用~
「断捨離」という考え方が流行しています。「捨てる技術」や「清貧の思想」などが流行したこともありました。
確かに、「いらないものを捨てて」「好きなものだけに囲まれて」「丁寧に暮らし」「早起きして」「いろいろな勉強をする」…といった生活はステキですよね。
けれど、私も含めて、そうした生活が向いている人ばかりではありません。そうした生活が無理なくできる人は、それが「合っている」のであって、「合わない」人もいるのです。
処世術では、「断捨離」が苦手な人はしなくていいのです。
たとえば陸上選手とひと言で言っても、種目はマラソン、100m走、ハードル…と多岐に渡ります。そして、それらすべての種目に秀でている人はいません。それぞれ全く違うものであり、簡単に転向はできません。
暮らし方も、それと同じです。
人間というのは、得意なことの幅は案外狭いものです。
私の場合は、朝が弱くて、なかなか起きられません。どうかすると、朝の8時まで仕事して起きていて、それから寝ることもあります(会社勤めでないからできる生活ではありますが)。
もちろん「こんな生活はよくないんだろうな~」と思います。でも、あれこれ試してわかったことは、私には早起きが向いていないのです。
「早起きして、“朝活”して…」といったことが奨励されていますが、私の場合、むしろ早起きするほうが時間が無駄になったりします。今ひとつエンジンがかからないので、ぼーっとテレビを見たりして、お昼ごろにはぐったり、なんてこともあります。
その点、夜遅く起きていると、電話もファクスもメールもこないので、仕事がはかどるのです。同じ「18時間起きている」にしても、どの時間帯に起きているのが最適かは人によって違います。
同じように、「余計なものを捨てる」のも素晴らしいことですが、捨てられないものがあってもいいのです。
私は、子供の頃の作文とか手紙といった類のものは、躊躇なく捨てられます。大学卒業までの“思い出の品”は、ダンボール1箱分もありません。
一方で、どうしても捨てられないものがあります。それは、使わなくなったケータイやデジカメなどの、電池(電気)で動く機械類です。もちろん今は全く使わないものなのですが、捨てられないのです。これはダンボールに3箱あります。邪魔なのですが、機械が好きなので、これは捨てられません。
私の場合には機械ですが、これが、靴や洋服の人もいるでしょうし、キッチングッズという人もいるでしょう(古いキッチングッズも私は捨てられなかったものです…)。
「捨てる」ことを徹底すると、味気ないという人も多いでしょう。「無駄を憎む」という考え方は、時として疲れてしまいます。
無駄な過ごし方も悪くないものです。
すぐ影響受ける、信念フラフラの 忠太”
~参考までに、そのまま全文引用~
「断捨離」という考え方が流行しています。「捨てる技術」や「清貧の思想」などが流行したこともありました。
確かに、「いらないものを捨てて」「好きなものだけに囲まれて」「丁寧に暮らし」「早起きして」「いろいろな勉強をする」…といった生活はステキですよね。
けれど、私も含めて、そうした生活が向いている人ばかりではありません。そうした生活が無理なくできる人は、それが「合っている」のであって、「合わない」人もいるのです。
処世術では、「断捨離」が苦手な人はしなくていいのです。
たとえば陸上選手とひと言で言っても、種目はマラソン、100m走、ハードル…と多岐に渡ります。そして、それらすべての種目に秀でている人はいません。それぞれ全く違うものであり、簡単に転向はできません。
暮らし方も、それと同じです。
人間というのは、得意なことの幅は案外狭いものです。
私の場合は、朝が弱くて、なかなか起きられません。どうかすると、朝の8時まで仕事して起きていて、それから寝ることもあります(会社勤めでないからできる生活ではありますが)。
もちろん「こんな生活はよくないんだろうな~」と思います。でも、あれこれ試してわかったことは、私には早起きが向いていないのです。
「早起きして、“朝活”して…」といったことが奨励されていますが、私の場合、むしろ早起きするほうが時間が無駄になったりします。今ひとつエンジンがかからないので、ぼーっとテレビを見たりして、お昼ごろにはぐったり、なんてこともあります。
その点、夜遅く起きていると、電話もファクスもメールもこないので、仕事がはかどるのです。同じ「18時間起きている」にしても、どの時間帯に起きているのが最適かは人によって違います。
同じように、「余計なものを捨てる」のも素晴らしいことですが、捨てられないものがあってもいいのです。
私は、子供の頃の作文とか手紙といった類のものは、躊躇なく捨てられます。大学卒業までの“思い出の品”は、ダンボール1箱分もありません。
一方で、どうしても捨てられないものがあります。それは、使わなくなったケータイやデジカメなどの、電池(電気)で動く機械類です。もちろん今は全く使わないものなのですが、捨てられないのです。これはダンボールに3箱あります。邪魔なのですが、機械が好きなので、これは捨てられません。
私の場合には機械ですが、これが、靴や洋服の人もいるでしょうし、キッチングッズという人もいるでしょう(古いキッチングッズも私は捨てられなかったものです…)。
「捨てる」ことを徹底すると、味気ないという人も多いでしょう。「無駄を憎む」という考え方は、時として疲れてしまいます。
無駄な過ごし方も悪くないものです。
すぐ影響受ける、信念フラフラの 忠太”