COSMOS

"忠太"奮闘記

またひとり (!_!)

2011-02-20 09:08:35 | オーディオ
元SONY専務だった「木原 信敏」氏が今月13日に急性心不全で亡くなった、享年84歳。
ご縁はないが謹んでお悔やみ申し上げる。
木原氏と言えば国産初のテープレコーダー開発者、また世界初の家庭用ビデオテープレコーダーの開発者としても広く知られる。
想えば、“忠太”のテープレコーダーとの出会いは1950年(昭和25年)東京通信工業(略して、東通工=トーツーコー、現在のソニーの前身)が発表した頃にさかのぼる。
高校の文化祭で物理部が展示・実演した、オープンリールのテレコ、確かテープベースは「紙」だったと記憶する。
当時、軍用・放送局用として使われていた、極細のピアノ線に記録する「ワイヤー・レコーダー」から画期的な進歩だった。
なにしろ、切れたら補修テープで張り合わせるだけだから使いやすいし、金属素材に比べローコストでもあった。
同窓生が録音実験希望者として飛び入り出演、題目は忘れたが「エ~ェ、相変わらず馬鹿々々しいお話を・・・」と落語を一席。
直後にプレイバック! 音質は平成のオーディオ機器とは比べ物にならぬが、
「直後に再生」と言うのでびっくり・感激したものだ。
我がオーディオ機器工作の大きなきっかけになったのだと思う。
学生時代、東京・秋葉原のラジオ会館(センター?)に日参し「値切り交渉」の末、仕送り2か月分位はたいたと思うが「アカイ」の自作用1/4インチテープ用オープンリール・デッキをやっと手に入れた。金額的にこれしかなかった。
この話きりがないので…・また今度 (^O^)/

技術集団SONYがコマーシャリズムの波に飲み込まれかけたが、根性だけは忘れないでほしい。
やはり、あなたは独立独歩がふさわしい。

 頑張れ♪エス・オー・エヌ・ワイ~SONY~♪ 自動車保険もSONYだぞ! “忠太”