蝉が夏を謳歌し始めた。地中からやってきて、地中へまた帰っていく蝉が。
ジッと聞いていても、量に圧倒されて晴れやかな気持ちにはならない。
しかし「昆虫食として食べられすらしないなら駆除しちゃえ」となるかもしれないと思うと同情心は湧いてくる。
都会で暮らしていると、便利の数に比例してやたらと説明文や注意喚起が多くなっている。呪文の書かれたお札のように思うこともある。
懇切丁寧ともいえるし、新しい保険のかけ方とも思える。
機能的になっていくということは、意味を背負わないと存在価値を否定されていくことなのだろうか。
「何故、ただでさへ暑苦しい夏に、神経を逆なでするようにけたたましく鳴く蝉はいらない。ゴキブリより腹立たしい。」
きっとそう思っておられる人もあるだろう。
子供の声でさへ同じように感じる方が、昔からおられるのだから。
蝉の心配をしている場合ではなかった。自殺者が12か月連続で増加し続けているとNHKは報じている。
確かに非常事態だと感じた。
今年二月頃だっただろうか。コロナ自粛で病院へ通う人が減って年間死者数も減ったと聞いたのは。
一人当たりの国内総生産の数値が増えると自殺者が増えるというデータもあると聞いたことがある。
幸せを感じるのに理由や意義や意味が必要なんだろうか。
人を愛するのには条件が必要だという人もあるから、必要なのかもしれないか。