ご承知のように、カウンセリングは、精神科医のように投薬という方法論を持っていません。何故か具体的なものを手にしたとき、人間は満足感を得るものですが、カウンセリングは、目に見える具体的な要素がありません。ですから、一体、カウンセリングなど、何の意味があるのか? という疑問をもたれる方もいらっしゃるでしょう。
カウンセリングは言葉でクライアントの心労をとることをその目的としています。つまりは、言葉というものには、力があるのです。言葉が人間の世界観を創り、言葉が、人間の心という不思議な存在を表現する大切な手段であることを思い起こせば、理解できることがたくさんあります。つまり、カウンセラーのもつ手段とは言葉でしかなく、換言すれば、言葉があってこそ有効な世界を構築出来るのが、カウンセリングというものです。
考えてもみてください。人がどれほど言葉によって勇気づけられ、また反対に傷つけられ、落ち込み、場合によっては、仕事をダメにしてしまったり、最も恐れるべきは、自殺にも追い込まれる危険性がある、ということです。職場の人間関係を考えれば分かることでしょう。あるいは家族関係を考えれば想像がつくことでしょう。仕事上の問題で上司にひどく叱責されたせいで、会社へ行くのがつらくなってしまった、というようなことはしばしば起こります。ひどい場合は会社に行けなくなる場合もあります。現在いったいどれほど多くの人々が、精神的な疾患によって、行くべきところへ行けなくなったり、やるべきことをやれなくなったりしているでしょうか。
カウンセリングは、傷ついた心を言葉の力によって修復するばかりでなく、新たな世界観を構築することが出来る大いなる可能性を秘めた方法論です。具体的に投薬する精神科医には出来ないことをカウンセラーには出来る可能性があります。なぜなら、言葉の力の本質を最もよく識っているのが、医師ではなく、カウンセラーなのです。医師にはまだ、その訓練が出来ていない人々がたくさんいます。ですから、インフォームド・コンセントという基本的なことが、出来の悪い医師には害のある死亡宣告をしているようなことにもなりかねないのです。
日本の医療施設は、手術や、薬や、検査方法などの点ではあまり劣るとは思いません。その点では優れた医師はたくさん日本にもいます。しかし、医療という発想をするとき、人間の命は大切であるという前提に立った上でのことですが、必ず死を受け入れなければならない存在でもあるということです。そして動物とは違って、自分の死というものを、心の世界で受容しなければならない、という存在なのです。勿論立派な精神力をお持ちの方々もいらっしゃいます。ご自分で、自己の死を受容なさる方々もいらっしゃいますし、また逆に、ご自分の死というものを受け入れられなくて、ジタバタする方々もいらっしゃいます。結局はその方がどのような生き方をしてきたのか、という問題に集約される結論ですが、たとえばご自分の死に対して受け入れられない方々に対しては、ホスピスにおいて、諦めるのではなく、どこにいても、積極的に自己の死の意味を言葉の力によって諒解した上で、死の意味を受容していくようなカウンセリングがもっと行なわれてしかるべきであろう、と思います。そのような心構えができる方は生を最大限に楽しむことが出来ます。落ち込んだり、うつ症状をかかえたまま生き続けるのと、生を楽しむことの間には、はかりきれない距離があります。人間が生きる意味を与え得る仕事として、僕は、カウンセラーという役割を担ってよかった、といまさらながら思って生きているのです。
〇推薦図書「生き延びるためのラカン」斉藤 環著。バジリコ(株)刊。「心の闇」を詮索するよりは、幻想と現実が紙一重のこの世界で、できるだけリアルに生き延びようではありませんか、という謳い文句を信じて読んでみられてはいかがでしょうか。ラカンは少し難し過ぎて読めなかったという方の入門書としてもよい本です。
カウンセリングは言葉でクライアントの心労をとることをその目的としています。つまりは、言葉というものには、力があるのです。言葉が人間の世界観を創り、言葉が、人間の心という不思議な存在を表現する大切な手段であることを思い起こせば、理解できることがたくさんあります。つまり、カウンセラーのもつ手段とは言葉でしかなく、換言すれば、言葉があってこそ有効な世界を構築出来るのが、カウンセリングというものです。
考えてもみてください。人がどれほど言葉によって勇気づけられ、また反対に傷つけられ、落ち込み、場合によっては、仕事をダメにしてしまったり、最も恐れるべきは、自殺にも追い込まれる危険性がある、ということです。職場の人間関係を考えれば分かることでしょう。あるいは家族関係を考えれば想像がつくことでしょう。仕事上の問題で上司にひどく叱責されたせいで、会社へ行くのがつらくなってしまった、というようなことはしばしば起こります。ひどい場合は会社に行けなくなる場合もあります。現在いったいどれほど多くの人々が、精神的な疾患によって、行くべきところへ行けなくなったり、やるべきことをやれなくなったりしているでしょうか。
カウンセリングは、傷ついた心を言葉の力によって修復するばかりでなく、新たな世界観を構築することが出来る大いなる可能性を秘めた方法論です。具体的に投薬する精神科医には出来ないことをカウンセラーには出来る可能性があります。なぜなら、言葉の力の本質を最もよく識っているのが、医師ではなく、カウンセラーなのです。医師にはまだ、その訓練が出来ていない人々がたくさんいます。ですから、インフォームド・コンセントという基本的なことが、出来の悪い医師には害のある死亡宣告をしているようなことにもなりかねないのです。
日本の医療施設は、手術や、薬や、検査方法などの点ではあまり劣るとは思いません。その点では優れた医師はたくさん日本にもいます。しかし、医療という発想をするとき、人間の命は大切であるという前提に立った上でのことですが、必ず死を受け入れなければならない存在でもあるということです。そして動物とは違って、自分の死というものを、心の世界で受容しなければならない、という存在なのです。勿論立派な精神力をお持ちの方々もいらっしゃいます。ご自分で、自己の死を受容なさる方々もいらっしゃいますし、また逆に、ご自分の死というものを受け入れられなくて、ジタバタする方々もいらっしゃいます。結局はその方がどのような生き方をしてきたのか、という問題に集約される結論ですが、たとえばご自分の死に対して受け入れられない方々に対しては、ホスピスにおいて、諦めるのではなく、どこにいても、積極的に自己の死の意味を言葉の力によって諒解した上で、死の意味を受容していくようなカウンセリングがもっと行なわれてしかるべきであろう、と思います。そのような心構えができる方は生を最大限に楽しむことが出来ます。落ち込んだり、うつ症状をかかえたまま生き続けるのと、生を楽しむことの間には、はかりきれない距離があります。人間が生きる意味を与え得る仕事として、僕は、カウンセラーという役割を担ってよかった、といまさらながら思って生きているのです。
〇推薦図書「生き延びるためのラカン」斉藤 環著。バジリコ(株)刊。「心の闇」を詮索するよりは、幻想と現実が紙一重のこの世界で、できるだけリアルに生き延びようではありませんか、という謳い文句を信じて読んでみられてはいかがでしょうか。ラカンは少し難し過ぎて読めなかったという方の入門書としてもよい本です。