戦後最大の景気の良さだという。しかし、その一方では貧富の格差がどんどん広がってきているのも事実だ。一日中働けども、何十円、何百円の世界の生活実感しかもてない層の人々が確実に、この日本に数えきれないほど存在するのである。これが日本という国の現実であり、欺瞞である。こういう欺瞞は今に始まったことではないのです。
思い出せば、僕の幼い頃、小学校に上がる前のことでした。昔のことだから仕方がないですって? いやいや、あの頃だって経済格差は確実に存在していたのです。人間というのは、自分の境遇が何とかうまく廻っている間は、他人の貧困のことなんか考えないのです。政府の役人や政治家など、まず実感はないでしょう。彼らはみんな、特に自民党の二世ボンボンたちの政治家たちに、貧しい方々を救うために、何じゃ、かんじゃ、と語られると、僕なんかはもうその時点でキレる。僕だってそうですよ。人間なんてええかげんなもので、教師時代は年間1000万円以上の給与をもらっていたし、いまも勤めていたら、もっともらっていたでしょう。そんな時代に、貧しい(自分も極貧の時代があったくせに)人々などのことが考えられる余地が頭の中を掠めさえしないのですよ!
もし景気が統計上良くなっているとするなら、それは偏ったところにお金が廻っているに違いないのです。こんなことが起きないための社会主義や共産主義国家の夢が実現されると思っていたのに、結局人間って、お金を独り占めにしたい性癖は、治らないらしいのです。ロシアも中国も北朝鮮も、一部の政治的エリートかマフィア連中のお金の独占場に成り下がってしまっています。もう人類の夢も終わりの感がありますね。怠けていてお金が入らないのではないのです。真面目に働いてもどんどん収入が減っていく人々がいるのです。小さな子どもを抱えている母親たちに対する母子家庭の児童扶養手当が4年後には半分に減るというし、老人保険料もずいぶんと上がってしまいました。政府は貧しいところからまず経費を削減します。自分たちは数百万のうちの十万円某かの金を国に返還して、ご満悦状態なのです。それも殆どは金など国から支給されなくても十分にやっていける二世議員たちだから出来ること。何の痛みも感じていないのです。カリフォルニアのアーノルド・シュワルツネッガー知事を見よ! 彼は自分でアメリカンドリームを実現できた幸運を、今度は民衆に返しているではないか! 彼は無給の州知事ですよ。日本人もいい加減に人の良いフリをしていてはならないのです。もっと怒るべきときなのであります!
僕は極貧の時代に入るとどのような心境に人間は陥るのかよく知っています。斜陽して神戸に逃げてきたとき、母親が勤めたのは、阪神大震災で殆どが丸焼けになった靴工場の一つでした。もう何十年も前のことですが、そこで働く人たちは、自分たちが貧しい、という思考を失ってしまっているのです。諦めから人柄がまるく削られてしまうようなのです。僕は一日中、幼稚園拒否児童だったから、母親の側について、ゴムの強い匂いを嗅ぎながら、母親の仕事が終わるのを辛抱強く待っていました。お金がないと、人間は自分が本来惨めであることすら忘れて、働ける場を何とか探そうとするのです。それも根気よく、です。
一方に有り余るほどの金持ちがいて、一方にお金がなくて、明日をも知れぬ人々がいるような社会は無価値である、と僕は思っています。政治家なんて信用してはいけないし、それに反対しているような政党も信用してはいけないのです。反対者だってちゃんとした生活を党から保障されていることが殆どなのですから。政治参加はせいぜい眉に唾をつけてやってください。騙されますよ。気をつけないと。
いま、僕だってある意味、ワーキングプアーの一人です。クライアントから頂くカウンセリング料は有り難いですが、クライアントが入らない日だってあるわけです。その日は収入は当然ゼロでなのです。自宅兼用のマンションで開業しているから何とかやっていけるのであって、これが、どこかのビルの一室を借りて家賃やら何やらと支払っていればたちまち生活が立ち行かなくて閉鎖です。いまだって実際は立ち行かないのです。妻が働いて何とか食っているに過ぎないのです。これは、一見すれば分からないでしょうが、確かなワーキングプアーの一人ということにりはしないでしょうか。政府よ、これ以上、先行きの見えない人々をつくるな! 僕は今日は本当に怒っているのです。
〇推薦図書「「中流」の幻想」岸本重陳著。講談社文庫。ずいぶん前に日本人総中流思想が流行った時代に書かれた本ですが、いまでも通用する思想性に溢れています。日本人よ。もう騙されるな、という想いでいっぱいなのです。
思い出せば、僕の幼い頃、小学校に上がる前のことでした。昔のことだから仕方がないですって? いやいや、あの頃だって経済格差は確実に存在していたのです。人間というのは、自分の境遇が何とかうまく廻っている間は、他人の貧困のことなんか考えないのです。政府の役人や政治家など、まず実感はないでしょう。彼らはみんな、特に自民党の二世ボンボンたちの政治家たちに、貧しい方々を救うために、何じゃ、かんじゃ、と語られると、僕なんかはもうその時点でキレる。僕だってそうですよ。人間なんてええかげんなもので、教師時代は年間1000万円以上の給与をもらっていたし、いまも勤めていたら、もっともらっていたでしょう。そんな時代に、貧しい(自分も極貧の時代があったくせに)人々などのことが考えられる余地が頭の中を掠めさえしないのですよ!
もし景気が統計上良くなっているとするなら、それは偏ったところにお金が廻っているに違いないのです。こんなことが起きないための社会主義や共産主義国家の夢が実現されると思っていたのに、結局人間って、お金を独り占めにしたい性癖は、治らないらしいのです。ロシアも中国も北朝鮮も、一部の政治的エリートかマフィア連中のお金の独占場に成り下がってしまっています。もう人類の夢も終わりの感がありますね。怠けていてお金が入らないのではないのです。真面目に働いてもどんどん収入が減っていく人々がいるのです。小さな子どもを抱えている母親たちに対する母子家庭の児童扶養手当が4年後には半分に減るというし、老人保険料もずいぶんと上がってしまいました。政府は貧しいところからまず経費を削減します。自分たちは数百万のうちの十万円某かの金を国に返還して、ご満悦状態なのです。それも殆どは金など国から支給されなくても十分にやっていける二世議員たちだから出来ること。何の痛みも感じていないのです。カリフォルニアのアーノルド・シュワルツネッガー知事を見よ! 彼は自分でアメリカンドリームを実現できた幸運を、今度は民衆に返しているではないか! 彼は無給の州知事ですよ。日本人もいい加減に人の良いフリをしていてはならないのです。もっと怒るべきときなのであります!
僕は極貧の時代に入るとどのような心境に人間は陥るのかよく知っています。斜陽して神戸に逃げてきたとき、母親が勤めたのは、阪神大震災で殆どが丸焼けになった靴工場の一つでした。もう何十年も前のことですが、そこで働く人たちは、自分たちが貧しい、という思考を失ってしまっているのです。諦めから人柄がまるく削られてしまうようなのです。僕は一日中、幼稚園拒否児童だったから、母親の側について、ゴムの強い匂いを嗅ぎながら、母親の仕事が終わるのを辛抱強く待っていました。お金がないと、人間は自分が本来惨めであることすら忘れて、働ける場を何とか探そうとするのです。それも根気よく、です。
一方に有り余るほどの金持ちがいて、一方にお金がなくて、明日をも知れぬ人々がいるような社会は無価値である、と僕は思っています。政治家なんて信用してはいけないし、それに反対しているような政党も信用してはいけないのです。反対者だってちゃんとした生活を党から保障されていることが殆どなのですから。政治参加はせいぜい眉に唾をつけてやってください。騙されますよ。気をつけないと。
いま、僕だってある意味、ワーキングプアーの一人です。クライアントから頂くカウンセリング料は有り難いですが、クライアントが入らない日だってあるわけです。その日は収入は当然ゼロでなのです。自宅兼用のマンションで開業しているから何とかやっていけるのであって、これが、どこかのビルの一室を借りて家賃やら何やらと支払っていればたちまち生活が立ち行かなくて閉鎖です。いまだって実際は立ち行かないのです。妻が働いて何とか食っているに過ぎないのです。これは、一見すれば分からないでしょうが、確かなワーキングプアーの一人ということにりはしないでしょうか。政府よ、これ以上、先行きの見えない人々をつくるな! 僕は今日は本当に怒っているのです。
〇推薦図書「「中流」の幻想」岸本重陳著。講談社文庫。ずいぶん前に日本人総中流思想が流行った時代に書かれた本ですが、いまでも通用する思想性に溢れています。日本人よ。もう騙されるな、という想いでいっぱいなのです。