尾崎 豊は1965年生で、彼の殆どの活躍の時期は1980年代である。それは消費社会が急速に日本に蔓延した、玩具箱をひっくり返したような時代背景である。僕たち教師という職業にはそんな経済効果は関係のない世界として通り過ぎたが、尾崎はまさに、その中で活躍したカリスマ的な歌手だった。僕は残念ながら、教師として30代の頃で、その頃は組合活動の真っ只中にいて彼の活躍を同時並行的には感じとっていない。むしろ知らなかったと言っても過言ではない。僕が彼を知ったのは1992年に彼が亡くなってからである。あるとき尾崎のプロフィールを紹介する番組があって、彼の天才としか名付けようのない歌がそのバックグラウンドに流れ続けていた。僕は、その彼の人を刺すような厳しくも優しい眼差しと、彼の喋り口と、彼の歌に、打たれた。ただ、感動した。その番組がテレビ放映されたのは僕が40歳を超えてからではなかったかと思う。僕はその明くる日に尾崎のCDを買いに走った。そして、彼のしびれるような歌の中に自分を投げ入れたのであった。
僕は尾崎 豊に巡り合ったのはすでに40歳を過ぎていた、と書いたが、自分の中にまだまだ消し去ることの出来ない青年の心が尾崎の歌に共鳴し、感動させたのだと思う。僕は彼の「I LOVE YOU」よりは「15の夜」の方に共感したし、「卒業」に共感した。彼の書く詩に僕は自分の情念を掻きむしられるような共感をおぼえていたように感じる。尾崎の歌には人を感動させるだけではなく、その人の生き方まで変えてしまうような力がある、と40歳にもなって思った。僕はそれほど尾崎に入れ込んでいたようである。40代は尾崎の歌とグレングールドの弾くバッハのピアノ曲、特に「ゴールドベルグ変奏曲」で、僕は十分に組合運動のカッコつきの民主主義に耐えられた。むしろ僕はその頃機嫌のよい活動家であったくらいであった。世の中にこんな男がいたのだ、と思うと、それだけで職場に行く力が出てくるのだった。
尾崎は若死にしたから、彼の世界をむしろ完成させることが出来たのだと言う人たちもいる。中年になった尾崎 豊はたぶん表現する素材を見いだせなかったとも言われている。しかし、僕の見方は少し違う。尾崎は絶対に生き残るべきであった、と思うのである。彼なら、この人間が生きる価値が希薄になった21世紀の只なかで、尾崎はその空気に抗い続けてみせてくれた、と僕は確信している。その意味ではスマップは時代の空気に溶け込んだ才能の持ち主たちであるとすると、尾崎はあくまでアウトサイダーとして時代に逆らってみせていたに違いないのである。じっくりと尾崎の歌の詩を読み、先入観なしに彼の歌を聞かせたら、彼に共鳴する若者はいまだに多いと思う。尾崎の時代はその意味でも終わってはいない。尾崎 豊という、カリスマ的な才能に僕は共感しながら、いま僕は53歳という年齢を生きている。たぶん尾崎の影響から抜け出すことはないであろう。もっと言うなら、尾崎の歌にいつまでも浸っていたい気がするこの頃である。
〇推薦図書「逸脱の論理」高橋和巳著。河出文庫。尾崎 豊とは何の関係もない文芸評論集だが、尾崎が彼の時代から逸脱した存在であるとすると、この本で扱われている表現者も時代から逸脱した存在です。共通点があると無理に言うつもりはありません。この際に、歴史に刻んでおきたい著者の書いた本を推薦したかったのです。
僕は尾崎 豊に巡り合ったのはすでに40歳を過ぎていた、と書いたが、自分の中にまだまだ消し去ることの出来ない青年の心が尾崎の歌に共鳴し、感動させたのだと思う。僕は彼の「I LOVE YOU」よりは「15の夜」の方に共感したし、「卒業」に共感した。彼の書く詩に僕は自分の情念を掻きむしられるような共感をおぼえていたように感じる。尾崎の歌には人を感動させるだけではなく、その人の生き方まで変えてしまうような力がある、と40歳にもなって思った。僕はそれほど尾崎に入れ込んでいたようである。40代は尾崎の歌とグレングールドの弾くバッハのピアノ曲、特に「ゴールドベルグ変奏曲」で、僕は十分に組合運動のカッコつきの民主主義に耐えられた。むしろ僕はその頃機嫌のよい活動家であったくらいであった。世の中にこんな男がいたのだ、と思うと、それだけで職場に行く力が出てくるのだった。
尾崎は若死にしたから、彼の世界をむしろ完成させることが出来たのだと言う人たちもいる。中年になった尾崎 豊はたぶん表現する素材を見いだせなかったとも言われている。しかし、僕の見方は少し違う。尾崎は絶対に生き残るべきであった、と思うのである。彼なら、この人間が生きる価値が希薄になった21世紀の只なかで、尾崎はその空気に抗い続けてみせてくれた、と僕は確信している。その意味ではスマップは時代の空気に溶け込んだ才能の持ち主たちであるとすると、尾崎はあくまでアウトサイダーとして時代に逆らってみせていたに違いないのである。じっくりと尾崎の歌の詩を読み、先入観なしに彼の歌を聞かせたら、彼に共鳴する若者はいまだに多いと思う。尾崎の時代はその意味でも終わってはいない。尾崎 豊という、カリスマ的な才能に僕は共感しながら、いま僕は53歳という年齢を生きている。たぶん尾崎の影響から抜け出すことはないであろう。もっと言うなら、尾崎の歌にいつまでも浸っていたい気がするこの頃である。
〇推薦図書「逸脱の論理」高橋和巳著。河出文庫。尾崎 豊とは何の関係もない文芸評論集だが、尾崎が彼の時代から逸脱した存在であるとすると、この本で扱われている表現者も時代から逸脱した存在です。共通点があると無理に言うつもりはありません。この際に、歴史に刻んでおきたい著者の書いた本を推薦したかったのです。